原始・未開の社会から、国家とか文明とかとよばれるような広域的な社会が形成されてくると、共同体をこえた、より大きな社会に共有される精神世界の構築が求められました。それが「神話」だった*01、と川添登さんは指摘します。「神話世界の構築こそが国家や文明を成立させるための前提」であったというのです。そして古代はコミュニケーション手段が乏しく、生まれたばかりの文字の普及も、ごく限られたものでしたので、神話を多くの人々の心に直接訴えかける最大の手段は「建築」だった、と川添さんはいいます。
日本において「神話」を体現した「建築」が神社建築でした。もともと共同体的祭祀を司った首長層がその宗教的性格を「建築」に残そうとして、海を象徴する堅魚木や、樹木の生命力を象徴する千木などを載せた建築をつくってきました。その後、雄略天皇の時代になって“天”の象徴という意味が付加され、大王の宮殿のみにその使用が限定されます。そして律令国家体制が完成し「古事記」「日本書紀」が編纂され、文字による「神話」が確立した7世紀末以降、アマテラスを主神とする伊勢神宮をはじめとする神社建築の様式にそれは特化されていくのです。
“世界樹”の森に囲まれた伊勢神宮
*01:「木の文明」の成立(上)―精神と物質をつなぐもの/川添登/日本放送出版協会 1990.11.30