世界樹としてよく知られているのは北欧神話に出てくるユグドラシルでしょうか。「巫女の予言」*01の中に登場する、九つの世界、九つの根を地の下に張りめぐらした世界樹。この天に聳える梣(とねりこ)の大樹は、全世界の上に枝を広げている唯一絶対の単独木として表現されています。一方、三重の采女が世界樹に見立てた宮殿を覆う樹木は、単独木というよりも、複数の大木が集まる森のように感じられます。日本では“世界”を支える“柱”が複数存在するようなのです。
北欧神話における世界図
中心の木が世界樹であるユグドラシルです。
『スノッリのエッダ』の英語訳本(1847年)ための、Oluf Bagge の手になる挿絵。
5世紀中葉、倭王たちは王権のさらなる権力化を図るために北方系の天下り神話を生みだしました。ところが「古事記」と「日本書紀」が編纂された7世紀には、それだけではなく二つの異なる体系からなる「神話」が出来上がっていました。
こうした「記紀神話」の成立過程について溝口睦子さん*02は、まず大王家と王権中枢の氏族たちによって北方系のムスヒ系建国神話がつくられた後、古くから伝承された日本土着のイザナキ・イザナミ系の神話が、主に地方豪族が中心となってつくられた、という試論を展開しています。つまり、ほぼ同時期に、対抗するかのように二つのまったく別系統の神話がつくられた、というのです。その後「国譲り神話」を挿入することによってこの二つの神話は接着され、全体がひと続きの神話となって、いまみる「記紀神話」としてできあがった、というのです。
さらに溝口さんは、きわめて特殊な現象として、これら二つの系統の神話や神々が、当時、別々の「氏」グループによって、はっきりと分かれて担われていた、と論じています。日本古代の支配層の「氏」は、「臣(おみ)」「連(むらじ)」「君(きみ)」といった「カバネ(姓)」とよばれる称号をもっていました。その中で「連」のグループが、外来のタカミムスヒを筆頭とするムスヒ系の神々やその神話を担い、「君」のグループ(の一部)が、アマテラスに象徴される土着の神々やその神話を担うという、いわば分担体制が、ヤマト王権時代にはできていたというのです。
このように日本の「神話」は、きわめて政治的色彩の強い経緯の中で生まれてきました。そして白村江の敗北(663年)という「外圧」の後の危機的な状況の中で、中央集権国家の確立をめざした天武天皇によって、イザナキ・イザナミ系の主神ともいえるアマテラスが、ムスヒ系の主神タカミムスヒにとってかわって皇祖神となる、という大転換がおこなわれた、というのです。それは「外来文化」の移入によってつくられた「神話」の、いわば「和様化」のプロセスだった、といっていいのではないでしょうか。そして溝口さんは特殊な現象とよびましたが、後の日本文化を特徴づける、異なる思想・文化が平行して存在し続けるという、民俗学者の柳田国男さんが「垂氷(つらら)構造」*03と呼んだ、多元的な文化構造のひとつの原型をここにみることができるのではないでしょうか。
*01:エッダ-古代北欧歌謡集/ネッケル、クーン、ホルツマルク、ヘルガソン編/谷口幸男訳/新潮社 1973.08.25
*02:アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る/溝口睦子/岩波書店 岩波新書 2009.01.20
*03:民俗学から民俗学へ-第二柳田国男対談集/柳田国男/筑摩書房 1965