深作が自腹を切って作ったという戦争映画の力作。戦後二十数年、出征先で夫を亡くした未亡人は遺族年金をもらおうと申請し続けてきたが、「敵前逃亡で処刑されたため適用外」と拒否されていた。しかし戦時下のこととて証拠はあまりに薄弱。夫の無実を信じる彼女は、同じ部隊にいた生き残りに話を聞きに行くのだったが……飢餓による地獄絵図が繰り広げられたことで有名なニューギニア戦線を描き、戦争、軍隊、天皇に対して問題を投げかけた一本である(15年後に同じ題材で『ゆきゆきて、神軍』が撮られているが、こちらは未見)。
作品の「形式」としては、妻が生き残りを訪ね歩く「現代」パートとそこで語られた証言による「再現」パートとを交互に描くことで「夫の死の真相は何だったのか」に迫ってゆく『羅生門』式(「藪の中」式)のサスペンス・ミステリーである。ただし、この形式を採った意味は『羅生門』と真逆といってもよい。「藪の中」からは「真実などない」とか「あるのは人間の情念だけだ」とかいったテーマを汲み取れるのに対し(もちろんそう限ったものではないが)、本作の構成は「真実の恐ろしさ」を強調するためにこそ用いられている。だから、最後には真相はほぼ確実なものとして観客に提示されることになる。
この「形式」の意義づけからも明らかなように、本作は主張ないし問題提起こそを主眼としている。ミステリーという形式は本来、シリアスな題材にエンターテイメント性をもたらす武器にもなりうるはずだが、本作では作り手の意図のためにしか機能していないのだ。あまりにも露骨に政治的なメッセージが含まれており、ために拒否反応を招きがちであることは否定できないだろう。登場人物がやたらとテーマを言葉で語りすぎだし、ラストまでも映像そのものの力ではなくモノローグに頼ってしまうあたりはどうにもいただけない。
プロット以外の面に目を向けても、たとえば「再現」パートではモノクロ映像を使うなど色々と工夫が見られはするのだが、全体に几帳面で正統派な作りを脱していない。脚本が新藤兼人で監督が深作欣二だと、こうも生真面目(「内容が」ではなく「作り方が」だ)な作品になってしまうのかと少々残念。
キャストでは三谷昇の哀れな姿が好演。丹波哲郎は面構えがふてぶてしすぎるため本作にはミスキャストではなかったか。左幸子は脚本上いかんともしがたい。
批判に偏ってしまったが、映画作品としての評価は別にして、題材に興味があるなら観ておくべき一本だろう。