第八芸術鑑賞日記

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血煙高田の馬場(決闘高田の馬場)(1937)[旧作映画]

2008-11-11 21:12:40 | 旧作映画
 08/3/30、NFCにて鑑賞。7.0点。
 わずか50分。マキノ正博と阪東妻三郎はその間に名シーンを次々と繰り出してゆく。「一番星消えた」「韋駄天走り」「十八人斬り」……いずれも日本映画史に名を残す。時代劇、マキノ、阪妻、いずれかのファンなら迷わず観るべき必見作だろう。
 経験談として述べておくと、鑑賞前に物語に関しての予備知識は持っておいた方がいい。赤穂浪士の英雄、堀部安兵衛が堀部家へ婿入りする以前の「中山安兵衛」時代(つまり青年時代)を描いたもので、公開当時の日本人には有名なエピソードだったのだろうが、(俺含め)現代人だとそこの教養を欠いた人が多いはず。最後まで主人公と言葉を交わさないヒロインの存在など、背景を知らないと意味がよくわからないままになってしまいかねない。
 その中山安兵衛、物語も終盤を迎えるまでは、ひたすら酔っぱらい男として描かれる。「一番星~」の台詞に象徴される酔漢剣客としての阪妻のキャラクター造形はお見事で、戦前にすでに酔拳を先取りしていているかのようで楽しい。そんな彼がクライマックスで見せるのが「韋駄天走り」で、ここでの疾走するショットの執拗な反復は、(個人的にはやり過ぎの気がしなくもないのだが)良くも悪くも鮮烈な印象を残す。何より、「走る」というシンプル極まりないアクションをフィーチャーするだけでも魅力的な場面になるのだ、ということをこうも確信をもってやれるというのが凄いではないか。そしてラストを締めくくる「十八人斬り」の殺陣。阪妻は言うまでもないとして、エキストラの数なんかも圧巻だ。
 物語、人物描写、アクション……どの要素もないがしろにすることなく50分という尺の中で描ききってしまうのだから、限界まで無駄を排して作品全体が猛烈な速度で疾駆するのかと思いきや、そう単純ではない。たとえば主人公が伯父に説教される場面では、伯父と別れた後で主人公が一言一句に至るまで反芻して再現したりする。こういった余裕を感じさせるシーンが多数あるために、「ストーリーを語ることで精一杯」といった性急な印象を全く与えない。緩急を巧みに織り交ぜたテンポで軽快に進むのである。これはもうマキノにしか不可能な芸当だろう。本作では、「早撮り」のイメージが付くことを恐れて稲垣浩の名を拝借し、共同監督の名義にしたらしいが、いやいや早撮りの多作というのは紛れもない才能だ。ひれ伏すしかない逸品である。ただし、個人的にはそれでもやはり50分は短すぎたのではないかと思えてならない。せめてあと15分、いや10分でも長く見たかった。
 名作。

胎児が密猟する時(1966)[旧作映画]

2008-11-04 05:49:15 | 旧作映画
 08/3/27、シネマヴェーラにて鑑賞。5.5点。
 夢野久作や江戸川乱歩にありそうなタイトルだが、実際いかにもアングラな趣を持った若松孝二の代表作の一つ。脚本は足立正生。
 おそらく極端な低予算で撮られた作品である。わずか二人の登場人物が一部屋で繰り広げる密室劇。SMという視覚的インパクトの強いテーマを核に、余分なものを限界まで削ぎ落とした72分だ。その意味では完成度はかなり高いと思う。SMシーンの迫真性も十分で(実際見たことないけどさ)、鞭打ちとかどうやって撮ったんだろう、という疑問が浮かぶ程だ(たぶん本当に当ててるんだろう)。これを観ると、若松という人がピンク映画の枠に留まりきれずに自らプロダクションを設立してしまったというのも、それ以外に考えられない不可避の事態だったんだろうと思われる。
 前段では「余分なものを排除した72分」と述べたが、しかし別の言い方をすれば、密室でえんえんとSMが繰り広げられる「だけ」のプロットの作品なのに、72分「も」の長い尺を使っているということでもある。そう考えると、やはり本作の偏執狂的な強迫性というのは、かなり純度の高いものだと言える。それを二人だけで演じきった山谷初男と志摩みはる(この女優はほぼ無名のようだ)には拍手せねばならないだろう。
 しかし、ここまで純度の高い密室劇となると、その完成度と反比例して観客の予想を超えるものが無くなってしまうように思う。尺が短いので一気に観てしまえるが、際立って記憶に残るショットというのはあまり見つけられなかった。むしろ、全編を通じてゆらゆらと揺れ続ける照明(どこまで意図的だったのだろう)が醸しだす雰囲気は面白かった。カメラが部屋の中から出て行かないため、全体としてフレーム内に直線が目立つ中で、この揺れる照明がうまく煽情性を出していたと思う。
 俺自身がそうだったように、若松孝二という人の代表作を何か観てみようという向きには悪くない選択なのかもしれない。しかし同時に、そういった関心が特にない人にとっては、あくまでも低予算アングラ映画の秀作という以上のものではないかもしれない。

血槍富士(1955)[旧作映画]

2008-11-04 04:22:10 | 旧作映画
 08/3/27、神保町シアターにて鑑賞。6.0点。
 戦後中国から帰還した内田吐夢の復帰第一作で、企画協力に小津安二郎、清水宏、伊藤大輔と錚々たる面子が名を連ねている。これだけでも期待の高まるところだ。
 普段はおとなしいが酒乱癖のある若殿様(島田照夫)、若殿を守りながら旅をする槍持ち(片岡知恵蔵)、やはり若殿の供で自身も酒好きな源太(加東大介)という三人組が、道中で様々な人と出会いながら江戸へ向かう。基本的にはこの道中記がストーリーの大半をしめる。しかし、ユーモラスな人情劇として尺のほとんどを展開していきながら、ラストで唐突にシリアスな時代劇へと変貌する。その大胆なプロットはある意味で『椿三十郎』('62)を先取りしていると言えるかもしれない。このラストをどう評価するかというのが本作をどう観るかということの最大の分水嶺になるのは間違いないが、個人的にはとりあえず肯定的に捉えておきたい。作品全体としての完成度に目をつぶった場合には、このラストゆえに、本作が凡百の時代劇に埋没することなく、忘れがたい印象を与えてくれていることは疑いえないからだ。
 むしろ問題となるのは、作品全体を貫くストーリーの縦糸が不在であることだろう。ラスト前までの人情劇にしても、前半から伏線を張っているとはいえ、根本的にはエピソードの羅列に過ぎない印象が否めず、何ともまとまりが悪い。これは大きな難点ではないか。
 また、ラストの殺陣でどう見ても「当たっていない」演技が散見されるのが残念([二人が死ぬ]という肝心の場面ですら)。槍で戦う殺陣は珍しいのでかなり面白かっただけに、詰めを頑張ってほしかったところ。
 キャストでは、主演の片岡知恵蔵とコメディリリーフの加東大介がいい味を出していて素晴らしい。二人ともはまり役と言えるだろう。この他特筆しておきたいこととしては、和風オーケストラのような音楽が実に印象的であった(作品に合致しているかはともかく……)。
 一種異形の作品として、時代劇ファンは見ておくべき一本だろうと思う。

地獄門(1953)[旧作映画]

2008-11-04 03:18:30 | 旧作映画
 08/3/27、神保町シアターにて鑑賞。6.0点。
 米アカデミー賞で衣装デザイン賞と名誉賞、カンヌでグランプリを獲得した日本映画の金字塔……という歴史的な評価を持つ一方、今日でも人気の作であるとは言いがたい。ストーリー(菊池寛原作の時代劇で、人妻に惚れてしまった男の物語)が陳腐であるとか、衣笠の演出に切れ味がないとか、様々に批判されている。確かに物語映画としての出来はよろしくないかもしれない。いやそもそも、欧米から見た日本的美が評価されての受賞なのだと考えれば、日本国内でそこまで高く買われないのも不自然ではない。
 しかし何はともあれ、このカラー映像の見事さだ。50年代前半の作品でここまで綺麗なカラーは観たことがない。前半、海をバックにしたシーンなどでは度肝を抜かれる。何と鮮やかな青だろう。日本初だというイーストマン・カラーの出来栄えに拍手である。これでプラス1点(逆に言うと、映像以外に楽しめるポイントが無い)。
 衣笠貞之助という監督については、これまで『狂った一頁』('26)の一部分をフィルムセンターで観たことしかなかったため、その尖がった実験性ばかりが印象に残っていたのだが、本作に関しては時代劇の様式美を前面に出している。というより、様式美を信じすぎていると言ってもいい。テンポが緩慢で、もう少し語り口に工夫が欲しかったところである。ここで言うテンポというのは、ストーリー全体の流れもさることながら、個々のショット、個々のシークエンスがやたらと冗漫だという意味である(特に会話シーンに典型的)。『狂った一頁』の前衛作家という印象からすると、本当に同じ監督の作品なんだろうか、と感じてしまった程だ。
 というわけで、今観ても驚かされるカラー映像は文句なしに素晴らしいのだが、日本映画の歴史そのものに興味がなければ楽しむことは難しい。長谷川一夫、京マチ子といったキャストのファンは一見しておくべきか。

ペネロピ(3/1公開)

2008-11-04 01:38:46 | 08年3月公開作品
 08/3/26、テアトルタイムズスクエアにて鑑賞。7.0点。
 もうこれを観た以上、クリスティーナ・リッチこそは今一番輝いている女優だと言ってしまいたい。作品の幅広い選び方が絶妙で、昨年公開の『ブラック・スネーク・モーン』('06)ではセックス依存症の女を演じていたのが、本作ではファンタジーのお姫様的ヒロインを完璧に務めてしまう。
 作品そのものを簡単にまとめてしまえば、主に若い女性客をターゲットにしたお伽噺風ファンタジーラブコメディの秀作、というくらいが一般的な評価だろう。それはその通りで、別に映画としての斬新な要素もないし、これを観て何か新しいものを得られるかといえば特にないし、そういう意味では観ずに済ませても何ら問題ない。ただ個人的には大好きだし、この種の小粋なイギリス映画(ただしブラックさは薄め)が好きな人なら間違いなく楽しめるはず。もう少し評価されても良いと思う。
 ナレーションとCGをフル活用することで、オープニングから最高に心地いいテンポでお伽噺が幕を開ける。呪いによって醜い姿に生れついた女の子が、愛してくれる人を探し求める物語……という類型を用い、ベタなシチュエーションばかりで展開しながらも、それをブタ鼻のヒロインという視覚的モチーフだけでかくも楽しく新鮮な物語に仕立てあげてしまっているのが実に心憎い。細かいギャグの数々(「頚動脈」とか「スニーカー」とか「似顔絵」とか「中指立て」とか好きだなぁ)にも、クドさが全くないので素直に楽しめる。また、終盤まで寓話の王道をゆくパターンに則って進みながら、最後は極めて現代的な解決がつけられるクライマックスは実に爽やかだ。子供たちを使ったラストのシークエンスでやや教訓くさくなるのが蛇足かもしれないが、それもある意味では寓話の「お約束」の一部であるし、総じて極めて完成度の高いファンタジーコメディの名作だ。
 監督のマーク・パランスキーという人はこれが長編第一作らしく、脚本のレスリー・ケイヴニーという名も日本にお目見えしたのは初のようだが、このテンポの良さに魅入られてしまったので、少し注目しておきたい。
 しかし何はともあれ主演のクリスティーナ・リッチである。このポップな世界観に完全に溶け込んで、101分間、存分に魅力をふりまき続ける。[最終盤、ブタ鼻が取れた後の素顔が「すっきりしすぎて物足りない」]とまで感じさせるのが凄い。これは逆に、鼻が少々ブタっぽかろうと十分に可愛すぎるじゃないか、という印象にも繋がるので、作中で男たちに酷く扱われることに説得力がない、といった批判まで少なからず招いているようだ。俺もたとえば『バニラ・スカイ』('01)でのトム・クルーズのメイクが甘いといった批判には同意するのだが、しかし本作に関しては、少女マンガの主人公が作中の設定と裏腹に最初から容姿に恵まれているのと同様、観客に少々メタな視点から受け入れることを要求しているのだろうから、それを理解すれば問題ないはずだ。なお、[作中の結論からすればブタ鼻がとれる必要は無いのではないか、との批判にも、寓話としてのパターンをなぞる上ではごく自然な展開だろう]と擁護しておきたい。