私的図書館

本好き人の365日

お疲れ様でした

2008-04-30 23:59:00 | 本と日常
職場でいっしょに働いていたタイ人の研修生が、来月帰国することになりました。

日本に来て三年。

休憩時間に一生懸命日本語を勉強していたのが印象的です。

故郷の歌も聞かせてくれました。

外国人研修制度は、日本で技術や技能を身につけるための制度ですが、実際は安価な労働力として、単純作業をさせている会社もあります。

現実にうちの会社も、深夜残業をさせていたとして問題になり、実は大半の研修生が研修期間半ばで帰国しました。

研修生の中にも「お金になるから残業したい」とハッキリ言う子もいましたし、若い日本人の労働者がなかなか定着しない会社側の悩みも、わからなくはないのですが、制度を悪用してはいけません。

大人なんだから、自分の都合だからって何をしてもいいわけじゃないってことをわからなきゃ。

会社の駐車場でバーベキュウをして送別会を開くそうです。

いろいろあったけれど、タイ人の子は明るくていつも笑顔で楽しかったなぁ。

お疲れ様でした。

どうぞ国へ帰っても元気で☆




四月の名言集

2008-04-29 23:18:00 | 心に残った言葉

     前へ



少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、こういう言葉で終っている。

―前へ。

僕はこの言葉が好きだ。



物語は終っても、僕らの人生は終らない。

僕らの人生の不幸は終りがない。

希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語の少年ルミよ。

僕はあの健気なルミが好きだ。

辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、

僕は弱い自分を励ます。

―前へ。








―大木実 思潮社「大木実詩集」より―



四月の本棚 2 『ジェイン・エア』

2008-04-28 03:40:00 | 本と日常
ご注意。

「良家の子女の方はこの小説をお読みにならないで下さい。」





こんな注意書きがされていたかは定かではありませんが、出版当時、良家の子女が読むにはふさわしくないといわれ、そのあまりにも情熱的で愛と自由に生きる女性主人公に批判の声も出た問題作。

今回はシャーロット・ブロンテの*(キラキラ)*『ジェイン・エア』*(キラキラ)*をご紹介します☆

もちろん、そんな批判には目もくれず、当時の人たち、そしてその後多くの人たちにこの作品は歓迎され、今もたくさんの人たちに読み継がれています。

書かれたのはヴィクトリア時代の19世紀イギリス。

書いたのは牧師の娘として生まれたシャーロット。

彼女には二人の妹がいて、のちにそれぞれ小説を書き、「ブロンテ三姉妹」として有名になりますが、当初は財政的にも決して豊かな境遇ではありませんでした。

彼女自身、家庭教師をしたり私塾を開いたりして働いています。

階級社会が根強く、女性の自由な表現や発表の場など、まだまだ少なかった時代。

この『ジェイン・エア』も、妹エミリー・ブロンテの書いた『嵐が丘』も、当初は男性名のペンネームで発表されました。

では、どんなお話かというと…

ヒロイン、ジェイン・エアは生まれて間もなく両親を亡くし、母の兄である伯父の家に引き取られます。

しかし、ジェインを愛してくれていた伯父が亡くなると、自分の子供同様にジェイン育てると約束した伯母も、その子供たちも、ジェインに辛くあたるようになるのです。

あまりに不条理な暴力。
残酷な描写と、歯に布きせぬ赤裸々な人間性の表現。

人間の生々しい感情が文章から伝わってきて、確かに刺激的。

結局、家を追い出され、孤児院のような寄宿学校に追いやれるジェイン。

ジェインは決して美人ではありません。
それどころか、何度も器量が悪い、かわいくないと表現され、人間の魅力が見た目ではないことが強調されています。

他人に頼らず、理性で物事を考え、男性相手だろうとハッキリ物を言う女性。

それがジェインなのです。

厳しく貧しい寄宿学校で、それでもなんとか勉学を修めたジェインは、その学校の教師となり、やがて、自立するために家庭教師として裕福な家に勤め先を見つけます。

しかし、その家には世間から隠し続ける一つの秘密がありました。

ここから物語は、サスペンスとロマンスの交差する展開になだれ込んでいきます!!

男性を愛する気持にゆらぐジェイン。
隠し部屋から聞こえる奇妙な笑い声。
許されない結婚。
からみあう人間関係、そしてもつれあう愛情。

確かに、ヒロイン、ジェインの感情を前面に出し、世間の常識や当時の宗教的規制に収まり切らない女性の自由への渇望を描いた点では、評価できます。

しかし、もう一つ煮え切らないのも事実。

労働者の子供たちに勉強を教えることになっても、それは彼女の生き甲斐とはなりません。

本を読み、絵を描き、勉強にいそしむ彼女ですが、向学心や探求心が人生の選択肢に入ってくることはないのです。

彼女の人生に、一人の男性が現われてからは。

恋愛小説と思えば、それはしかたのないことかも知れませんが、自分の意見を持ち、当時の常識に挑戦するかのような女性像を表現した前半を考えると、そこのところがちぐはぐに思えてしまいます。

しかし、ジェインの生き方は波乱万丈です。

辛い子供時代。寄宿学校でのささやかな友情と、家庭教師と上流貴族という身分違いの恋。

そして何もかも失い、家々の扉を叩きパンを恵んでもらう物乞いにまで身を落とす。

しかもその後も様々な運命が彼女を待ち受けているのです。

果たして、ジェインの愛の行方は?



男性と食事したら、おごってもらうのがあたり前?

ジェインなら、いわれのないお金は受け取らないでしょう。

いわれのないほどこしも受けないに違いありません。

与えられるだけの愛は、あなたへの愛情ではなく、彼の自分自身への愛なのかも知れません。

…あぁ、「愛」なんて自分で書いてしまった。
なんて恥ずかしいんだ。











シャーロット・ブロンテ  著
遠藤 寿子  訳
岩波文庫



四月の名言集

2008-04-27 14:03:00 | 心に残った言葉

      旅



東京駅から

上野から 新宿から

今月はなんとくり返して

出かけたことだろう

小さな旅行かばんを持ち

それぞれ目的はちがっても

それは旅―



プラットフォームに

汽車や電車が入ってくる

そのあまずっぱい期待

ともかくお弁当とお茶を買う

そして考える

汽車に乗らなくても

電車に乗らなくても

一日一日生きることが旅なのだと―







 ―江間章子「絵のような村で 小さい詩集」より―




楡は丘に、葦は水辺に…

2008-04-26 19:14:00 | 本と日常
先日、仕事が忙しかったので、たまたま通りかかったAさんに、「手の空いている人連れて来て」と頼みました。

スケジュール的に手伝えるのは女性社員が二人。

それはわかっていたので、どちらか一人がくるだろうと思っていたのですが、現われたのはAさん(男性)本人。

「あの二人は忙しいの?」と訊くと、「女性じゃ無理だって思ったから」との返事。

確かに、仕事は荷物の運搬で、多少腕力はいるものの、だからといって成人なら持てない重さじゃありません。

Aさんは40代の優しい男性。
女性に重いものは持たせられないと、彼女たちに声をかけることもなく、自分の仕事を後回しにしてしばらく手伝ってくれました。

優しさ?

私は時々友人と話していても対立するのですが、女性だからという理由で、仕事を軽減することに疑問を感じています。

本人がやってみて無理だというのなら別ですが、こちら(男性側)が勝手に、この仕事は女性には無理、女性にはやらせたくない、女性だからできないだろう、と判断することは、なんだかとっても嫌。

前にも仕事が忙しく、女性社員にも残業して男性社員と同じ仕事をしてくれるよう提案したことがりましたが、上司から、「家庭があるから早く帰らないといけないだろう」と言われてしまいました。

本当に早く帰らなければいけない事情があるならしかたがないのですが、とにかくあなたが(男性上司)勝手に判断するのじゃなく、彼女たちに訊いてみて下さい、としつこくねばり、女性社員の方に残業できるかようやく訊いてもらい、数人ですが、協力してくれる人が現われました。

なんだか、あたり前みたいなことですが、現実は、残業できるチャンス(と思わない人もいるかも知れません)も、本人たちが知らないところでブロックされてしまっているのです。

甘い考え。現実が見えていないと言われます。(主に男性に)

別に女性をこき使おうなんて考えているわけじゃありません。

現実を変えたいと思っているだけなんですが…

男性だって、「あいつには任せられない」という人物はいます。
でも、それは個人の評価です。
「女性だから任せられない」逆に言うと「男性だから任せられない」というのには反対。

もっと個人の能力を見て欲しい。

そんなに仕事したくないというのなら、それも結構、ただ、中には仕事がしたい人がいるかも知れない。そう思うだけなんです。

ま、これは性別だけじゃなく、年齢、学歴、様々なことにいえることなんですが。

階級制度の厳しいイギリスの小説を読んでいて、ふと、こんなことを書いてしまいました。

生まれながらに線を引かれ、身分の違いが生きる違いになる人生。

それは、今の私たちの日本にも存在している。

そして、その線を引くのは同じ人間…

「楡(にれ)の木に葦(あし)を接ぎ木しようなどと考えるな。楡(にれ)は丘に、葦(あし)は水辺に生えているのが自然で正しいことだ」
         ―『エマ』森薫 著―

馬は訓練しだいで名馬にも駄馬にもなるが、猫は馬にはなれない。

メイドと恋に落ちた若き紳士に彼の父親は身分が違うとこう言います。

しかし、本当にそうでしょうか?

猫は、人間を見れば逃げ出します。
男だろうと女だろうと関係なく。
お金持ちだろうと貧乏人だろうと関係なく。



『グリーンゲイブルズのアン』

2008-04-25 19:22:00 | 本と日常
ゆっくりと進む馬車の上で、熱心におしゃべりする女の子。

白い花の街道。
赤い道。

輝く湖水を過ぎて、曲がり角をまがると、見えてくるのは緑の切妻屋根の家。

昨日、4月24日は、『赤毛のアン』の作者、ルーシー・モード・モンゴメリが、亡くなった日です。

当初、『赤毛のアン』はどの出版社でも相手にされず、三年もの間、屋根裏部屋で眠っていました。

世に出るきっかけとなったのは、その頃祖母の手伝いで郵便局の事務をしていたモンゴメリが、パーティーへ招かれ、衣装につけるリボンをさがすために屋根裏部屋にやって来て、偶然、昔書いたこの『グリーンゲイブルズのアン』の原稿を見つけたからです。

自分のことを「コーデリア」と呼んで欲しいと頼むアン。

自分の赤い髪をからかわれ、ギルバート・ブライスの頭に石版を叩きつけるアン。

腹心の友であるダイアナが、いつか結婚してしまい、自分と離れ離れになってしまうと泣き出して、マリラを死ぬほど笑わせたアン。

ティータイムなのにお茶碗にお茶をいれるのも忘れて、優しく見守るマシュウ相手にえんえんと話し続けるアン。

この自分の創作した少女、アンの物語にすっかり夢中になったモンゴメリは、リボンをさがすのも忘れて、夜がふけるとランプをつけてまで、読み続けたといいます。

そしてようやく出版にこぎつけたのが、1908年のこと。

その後、この作品は、皆さんご存知のように、今も世界中で愛され、読み続けられています☆

今年はその『赤毛のアン』が出版されてちょうど100年。

テレビなどでも特番が流れたりしています。

私もアンが大好きなので、たくさんの人に読んでもらいたいなぁ☆




セレブって何?

2008-04-21 00:52:00 | 本と日常
ものすご~く迷った末、すごい贅沢をしてしまいました。

メロン半玉、248円。

どうしても食べたくなってしまったんです!

買いました!
食べました!
おいしいかった!

ベトナムの農家のみなさんありがとう☆

すぐ隣の売り場では、真っ赤なイチゴが甘酸っぱい香りを振りまいています。

ダメダメ、メロンにイチゴのダブルだなんて。
そんな贅沢は許されない。
後ろ髪を引かれる思いを振り切って、走ってその場から逃げました。

人生で何かから逃げるのは久しぶりです。

人生?

あれ、そうでもないかも?




『図書館戦争』

2008-04-18 23:59:00 | 本と日常
公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律。

「メディア良化法」

人権擁護と、青少年をメディアの悪影響から守ることを建前に作られたこの法律は、恣意的に拡大解釈され、武装した良化特務機関による、事実上、表現の自由への弾圧が始まった。

一方、「メディア良化法」の検閲に対抗するため、「図書館の自由法」が成立、地方自治体に属する図書館は、この法律を根拠に自己防衛のための組織を持つに至り、あらゆる図書、出版物を守るために中央政府と対立した。

法律が制定されてから30年が経とうという現在では、両者の抗争は、完全なる武力闘争に発展している。


「………なんじゃそりゃ(笑)」


そんな架空の法律が制定された日本を舞台に、本を愛するヒロインと、その仲間(?)達が活躍する、有川浩さんの小説『図書館戦争』がアニメ化されました。

その第一回を見たのですが、これが、オ、面白い☆

本屋さんでタイトルを見た時は、あまりにも本好き直球狙いに見えたので、返って敬遠していたのですが、けっこう売れているみたいで、現在、本編4巻、別冊1巻が発売されています。

図書館+自衛隊+恋愛=?

ヒロインの笠原郁(かさはらいく)は22才。
高校生の時、メディア良化隊に本を取り上げられそうになったところを、図書隊員に助けられ、その時の王子様に憧れて図書隊に入隊した熱血バカ。

運動神経はいいものの、座学(勉強)はニガ手で自分より背の低いオニ教官の堂上にしごかれる日々。

本を愛する気持と王子様に再会できるかもという期待を支えに、厳しい訓練に耐えています。

そんな郁を取り巻く仲間たちも個性豊かで楽しい☆

中でも郁を何かと目にかけている(目の敵?)オニ教官こと堂上と郁のかけ合いが見どころです♪

郁のピンチを助けた堂上にお説教されている場面では、憧れの王子さままで自分同様バカあつかいされて、ついつい「やめてよあたしの王子様に~!!」と立場も忘れて本気で口ゲンカ。

どうみても痴話ケンカにしか見えない☆

果たして郁は憧れの王子さまに会えるのか?

原作は読んでいないのですが、これからどんな展開になるのか楽しみです♪




『西の魔女が死んだ』

2008-04-16 19:06:00 | 本と日常
梨木香歩さんの小説、『西の魔女が死んだ』が今年の6月に映画として公開されます。

先日、その映画のオフィシャルサイトで予告編を観ました♪

山梨県の清里に作られた、「おばあちゃんの家」は、原作のイメージ通りで、美しい自然と、手嶌葵さんの歌う主題歌がとても合っていて、期待のふくらむ予告編でした☆

学校に通えなくなった”まい”が、ママのママである、”西の魔女”、英国人のおばあちゃんのもとで過ごす、ひと月あまりの物語。

おばあちゃんの課す「魔女修行」はとってもシンプル。でもとっても難しい。

それは、「自分のことは自分で決める」ってこと。

自然と共に、自然体で暮らすこのおばちゃんと過ごすうち、まいは大切なものを学び、成長していきます。

でも…

題名からもわかる通り、「死」と向き合うことになるまい。

梨木香歩さんの作品が好きで、原作の小説も大好きなので、この映画は楽しみです♪

5月には*(キラキラ)*『ナルニア国物語 第2章』*(キラキラ)*の公開もあるし、楽しみな映画が続いて嬉しいなぁ☆



山王祭

2008-04-14 23:59:00 | 本と日常
桜の花もそろそろ見納め。

岐阜県の高山市では、からくり人形が有名な、春の高山祭りが、今日と明日の二日間行われます。

正式には、日枝神社の春の山王祭。

神さまに奉納するためのからくりは、壺から龍神が飛び出したり、一瞬で顔が変わったりと、二百年以上昔から伝わるものとはとても思えないほどよく出来ていて、とても面白いです☆

私も見に行ったことがありますが、山車(だし)の中に、下駄箱があったのが驚きでした♪

その時に写真を何枚も撮ったのに、帰って来たらフィルムが入っていなくて、すごく残念な思い出になっています(苦笑)

朴葉味噌と飛騨牛が美味しかったなぁ~




四月の名言集

2008-04-13 23:59:00 | 本と日常
我れは

人の世に

痛苦と失望とをなぐさめんために

うまれ来つる

詩のかみの子なり

をごれるものをおさへ

なやめるものをすくふべきは我がつとめなり

このよ、

ほろびざる限り

わが詩は

ひとのいのちとなりぬべきなり









              ―樋口一葉―



いつもの土曜日

2008-04-12 23:59:00 | 本と日常
朝はまだ少し寒いのに、日中はずいぶん暖かくなりました。

満開だった桜も、はらはらと散りはじめています。

いいですね、はらはら。

今日は「はらはら」って言葉がお気に入りです☆

ちょっと病院に行く機会がありまして(たいした病気じゃありません)、待合室で座っていると、後ろの席の男の子とお母さんの楽しそうな声が聞こえてきました。

お母さんが男の子をくすぐって、男の子はケラケラ笑っているのですが、そのうち男の子がくすぐられまいと抵抗しだして、二人でふざけあっているのです。

「幸福」ってこういうことをいうんだろうなと、その声を聞きながら、自分をちょっと振り返ってしまって、少し泣きそうになりました。

病院はいつものように混雑していて、巷でウワサの後期高齢者医療制度の新しい保険証を持ってみえるお年寄りの姿も見かけました。

本当に小さな紙切れ一枚です。

待合室から診察室に呼ばれて、私の前に診察室に入ったおばあさんとすれ違ったのですが、その時、そのおばあさんが一言。

「お先にごめんなさいね」

と声をかけてくれました。

そんなこと初めてだったので、あわててしまい、ぎこちなくおじぎを返しましたが、とても温かい気持ちが残りました。

こちらこそ、いたらぬ後輩でスミマセン。

後期高齢者医療制度。
問題が次々と聞こえてきます。

医療費無料の社会を目指して欲しいなぁ。





四月の本棚 『嵐が丘』

2008-04-11 23:58:00 | 本と日常
今回は、エミリー・ブロンテの*(キラキラ)*『嵐が丘』*(キラキラ)*(ワザリングハイツ)をご紹介します☆

有名なお話なので、題名くらいは聞いたことがあるという方もいらっしゃることでしょう。

とっても毒のある小説です。

まず、二人の女性を中心に男たちが配置されます。

一人は「嵐が丘」と呼ばれるお屋敷のお嬢様、キャサリン・アーンショウ。

もう一人は、その娘、母親と同じ名前のキャサリン(キャシー)・リントン。

舞台は19世紀のイギリスですが、こんなに罵詈雑言の飛び交う小説は読んだことがありません。

そして暴力。

それなのに、物語は恋愛中心で進んでいくのです!

まずは、キャサリンが子どもの頃に、父親が一人の男の子を連れて来ます。
飢え死にしそうになっていたところを拾われたこのヒースクリフという少年と、すぐに仲良くなったキャサリンは、二人で野原を駆け回って過ごします。

しかし、キャサリンの兄、ヒンドリーは、ヒースクリフに辛く当たり、父親が亡くなって家を継ぐと、ヒースクリフを家族ではなく召し使いの地位に落としてしまうのです。

そんな兄に反発しながらも、相変わらずなにかにつけてヒースクリフと過ごすキャサリン。

しかしこの二人の関係は、決して温かなものではなく、時に激しい言葉を投げつけあい、時に傷つけあうこともしばしば。

それでもお互い、なくてはならない存在であり、その姿はまるで一つの魂のように描かれます。

この後、キャサリンはお金持ちのエドガー・リントンという青年に求婚され、キャサリンはそれを受けることにします。

いくらヒースクリフがキャサリンを大切に思っていても、財産もないヒースクリフと結婚したら、その日から物乞いになるしかない。

愛だけでは生きていけない。
むしろエドガーと結婚することで、ヒースクリフの後ろ盾になってやり、兄から彼を守ることができるだろうと語るキャサリン。

それもかなり自分勝手な考えだとは思うのですが、傷ついたヒースクリフは、「嵐が丘」から姿を消してしまいます。

狂ったようにヒースクリフを捜すキャサリン。

そして、ここからヒースクリフの復讐劇が始まるのです。

ここからの展開は、ちょっと常軌を逸しています。

まず、このヒースクリフが、お金持ちになって再び「嵐が丘」に現われ、自分をいじめたヒンドリーからあの手この手で財産を奪い、「嵐が丘」の屋敷と、ヒンドリーの一人息子、ヘアトンを自分のものにしてしまいます。

また、最愛のキャサリンの家庭にもやって来て、密会を重ねた上に、エドガーの妹を手なずけ、駆け落ちのような格好で結婚してしまいます。

幸い、エドガーの妹は、ヒースクリフの正体にすぐに気付き、逃げ出すのですが、その時にはもうヒースクリフの息子を宿しています。

そして最愛のキャサリンが気が狂ってしまい、息を引き取る寸前に産み落としたエドガーとの娘、キャサリン・リントン(キャシー)が成長すると、自分の息子に近づけ、強引に結婚させてしまうのです。

しかも、それはエドガーの財産を自分のものにするためであり、決してキャシーに母親の面影を求めているわけではありません。

彼にとってのキャサリンは絶対的なものであり、彼女の娘だからといって決してかわりにはなりません。

それどころか、逆に、エドガーの娘だということで、義理の娘になったキャシーにも辛く当たるのです!

なんて男! なんて男!

キャサリンに対する一途な愛を貫き、野心家でワイルドなヒースクリフが魅力的だという淑女の皆さん。

いいんですかそれで!?

『源氏物語』を読んでもちっとも光源氏がカッコイイとは思えません。

カッコよさとはまた違う魅力?

なぜ不良ばかりがこんなにモテるの!?

キャサリンの亡骸が納められた棺を掘り起こし、そのフタを開けて愛しい人をながめるヒースクリフ。

私たちの心の中には、善も悪も同居しています。
自分の感情に振り回され、自分で自分を傷つけるようなことをし、自分の心なのにわからなくなったり。

こんな自分が大嫌いだと思った何時間後に、もう笑っている自分がいたり。

弱い自分。強い自分。

ぜんぶ、なにもかもひっくるめて自分自身。

キャサリンとヒースクリフは、作者の魂の一部、一番激しい部分の、二つの磁力の対極であり、だからもっとも引かれ合い、一つになろうとするのかも知れません。

堕落していくヒンドリーも、無学で優しさを表現するのがヘタなヘアトンも、人を傷つけたくないばかりに自分の大切なものを守れないエドガーも、みんな、私たちの心の中に、少しずつ住んでいる…

復讐を果たしたヒースクリフの行く手に待っているのは、いったいどんな結末か?

そして母親を愛した男の手中に落ちてしまったキャシーの運命は?

…しかしエドガー。
キャサリンに横っ面をひっぱたかれて、彼女の猫っかぶりがあらわになったはずなのに、涙で引き止められて、その日のうちにプロポーズ?

そこが一番納得いかない!









エミリー・ブロンテ  著
鴻巣 友季子  訳
新潮文庫



四月の名言集

2008-04-07 18:27:00 | 本と日常
なによりもまず、いらいらするな。

なぜならすべては宇宙の自然に従っているのだ。

そしてまもなく君は何物でもなくなり、どこにもいなくなる。

ちょうどハードリアーヌスもアウグストゥスもいなくなってしまったように。

つぎに自分の任務にじっと目を注ぎ、とくとながめるがよい。

そして君は善き人間であらねばならぬことを思い起こし、

人間の(内なる)自然の要求するところをわき目もふらずにやれ。

また君にもっとも正しく思われるように語れ。

ただし善意をもって、つつましく、うわべを取りつくろうことなしに。











              ―マルクス・アウレーリウス「自省録」―