私的図書館

本好き人の365日

三月の名言集より

2004-03-31 20:35:00 | 日々の出来事
「きみはもう二度とその話はしないのかと思った」

「だって仕方ないじゃないの」

「話をすると思い出が消えちまうよ」

「だから、まわりのほうだけ話してるのよ」





        ―アーネスト・ヘミングウェイ「陽はまた昇る」―

「初摘みの苺にクリームかけて」

2004-03-28 22:37:00 | 指輪物語
よく晴れた日曜日。
ついに、というか、ようやく、というべきか、観に行って来ました☆

『ロード・オブ・ザ・リング ~王の帰還~』

県を越えて、隣の愛知県まで足を運んで、やっとたどり着いた映画館。
途中で、携帯を忘れたことに気が付いたり、ハンカチを持ってこなかったことを思い出したり、おろしたての靴に苦しめられたりしながらの道のりでした。

で、映画が始まってしばらくは良かったのですが、ゴンドールの狼煙が次々と灯されていくシーンで早くも後悔。
(しまった! ハンカチ持ってくるんだった~)
映画館の片隅で、滂沱の涙を流がしている男の姿がそこにありました(笑)

だって感動したよ~

原作が大好きで、次の展開も結末も分かっているはずなのに、手に汗握ってスクリーンに釘付け!

父に冷たくあしらわれる息子や、ヒビ割れていく友情。
ローハンの騎馬軍団とエオウィン姫。
巨大な”オリファント”に”アングマールの魔王”

何度(アラゴルン早く来て!)という熱い心の叫びを上げたことか♪

いくつか原作ファンとして(大丈夫かな? みんなついて来れてる?)と思ったシーンもあります。

主人公フロドが捕まって運ばれた塔。
そこには勢力の違う二種類のオークがいたんだけど、分かったかな?
それであんなことになってしまう。
セリフで「モルグルのオーク」というのがあって、その他の説明がなかったので、分かりにくかったかも。(ま、なくても全然平気だけどね☆)

あと登場する魔法使い「ガンダルフ」が「ミスランディア」と呼ばれているシーン。
エルフ語でのガンダルフの呼び方なんだけど、違和感ない? (私は全然なかった。むしろそんなところも好き☆)

最後、隣の席の小学生が、ラストシーンで「え、指輪って三つあったの?」とつぶやいたことに対する答え。

『旅の仲間』のオープニングで語られたように、指輪は最初十九個作られた。そのうち三つはエルフに。七つをドワーフに。九つが人間に与えられ、最後にそのすべての指輪を支配する「一つの指輪」が作られたわけ。
「三つの指輪」とは、エルフの持つ指輪のことで、あの場面にいた三人が、それぞれその指輪を持っているので、ああいう言い方になったんだよ、坊や。(な~んてその場で教えてあげたくなってしまった♪)

いかんいかん、原作ファンには知っていることを全部しゃべりたくなってしまうという悪いクセがあるみたい。
ま、これも作品を愛するがゆえの「親バカ」心理みたいなものです。

実は映画には出てこなかったけれど、トム・ボンバディルがお気に入りだったりします。(どのくらい気に入っているかって彼をモデルにオリジナル小説を書いてしまった程)

今回も「王の癒しの手」のシーンが見たかった~☆

でもやっぱり、サム・ギャムジー大好きファンにとっては、今回のラストはとっても満足でした♪♪♪

映画を観てない人にはわからない内容になってしまいましたが、観てない人が悪い!

と、いうことで片付けましょう。

どうぞ、映画をご覧になって下さい。
いや、三部作全部観てもらいたいから、DVDを買って下さい♪
いやいや、それでも足りないから、原作本も買って読んでください!

とにかく、お薦めです☆

「お疲れさまでした」

2004-03-26 22:53:00 | 日々の出来事
いまさっき、お寿司屋さんから帰ってきました♪

回転しているお寿司屋さんじゃないよ。
カウンターがあって、お座敷があって、パックじゃないお茶が人間の手で運ばれてくるお寿司屋さん☆

自慢じゃないけど、おごり以外でそんな店入ったことありません(エッヘン!)

今回は、部長のお・ご・り*(ハート)*
実は、昇格試験の残念会だったんだけど、そんな昔のことはこの際どうでもよろしい。
美味しいものが食べられれば、たいていのことは気にしない気にしない♪

まずはお刺身から。
ほ~、さすがに厚みが違いますなぁ。
お刺身が縦になって立ってるもの☆

その横に置かれた厚焼き玉子。
お寿司屋さんの玉子焼きって大好き。
やわらかくって、ふんわり口の中でとろける感じが堪らない!

酢の物はあのナマコの歯ごたえがいいよね。
この貝柱とカズノコの和え物は初めて食べるもの。う~ん、貝柱のやわらかなうまみといい、舌に当たるカズノコのつぶつぶの食感といい、美味しいじゃんこれ。

あつあつの茶碗蒸しは玉子のプルプルが命。
かきまぜまいようにして、スプーンですくって食べましょう☆

次はかさごの揚げ物。
丸ごと一匹を揚げたその迫力といい、サクッサクの歯ざわりといい、見た目と違ってなんて美味しい魚なんだ!
(ちなににうちの辞書で「かさご」を引くと、説明の最後に「美味」と編者の感想が載っています。ヘンな辞書)

車エビは塩焼きが素朴で一番美味しそう♪
素手で足とカラをもぎ取って、そのまま「もぎゅもぎゅ」と口いっぱいにほうばる満足感。
ま、しばらく口がきけなくなるけどね☆

延々と続く部長の演説に相づちを打ちながら、もちろんメインのお寿司にも箸を伸ばそうとするんだけれど、運悪く、部長の正面に座ってしまったものだから、食べるタイミングが難しいったらなくて、おかげでデザートのライチだけは食べそこなってしまった。
…残念残念。

結局、「試験はダメだったけど頑張ってくれよ」という部長のありがたい心遣いは、お寿司の美味しさといっしょになって、しっかりとお腹に納まったのでした。
うん、よかった、よかった♪

三月の本棚 3 『エミリーの求めるもの』

2004-03-21 10:13:00 | モンゴメリ
今回はついに、エミリー・ブックスの最終回。

第三部『エミリーの求めるもの』をご紹介します☆

第一部では、まだ夢見がちな少女だったエミリー。
自分を守るため、そして時折訪れる”ひらめき”に従って書き続けてきた彼女も、新しく赴任してきたカーペンター先生との出会いをきっかけに、文学の、遠く険しくそびえる「アルプスの道の頂上」を目指して、歩んで行くことを決意します。

ニュー・ムーン農園の美しい自然と、理解してくれる友人に支えられ、古いしきたりの支配する土地で、周りの目にさらされながらも懸命に創作活動に打ち込むエミリー。その姿には、作者ルーシー・モード・モンゴメリの、書くこと、書き続けることに対する情熱と真剣さが込められているようで、読んでいて、鳥肌が立つ時があるくらい。

何度雑誌社に作品を投稿しても、採用されない悔しさ。
真夜中の三時に訪れる、苦悩と不安。
自分にはねうちのあることなど、何にもできないのではないか。才能も希望もなく、すべては無駄に終るのではないか。
エミリーの苦しみは、同時に作者の体験でもあるのです。

この物語が書かれた頃。モンゴメリは牧師のユーアン・マクドナルドの妻として、故郷プリンス・エドワード島を離れ、赴任地であるトロント近郊のノーヴァルという村に迎えられていました。50代になっていた彼女は、大変な時代の中、病気でふさぎがちな夫にかわり、よき牧師夫人として振る舞い、そのかたわらで、あふれるような書くことへの情熱と渇望、不安と苦悩を作品にぶつけていたのではないでしょうか。

エミリーは言います。

「仕事がどうして呪いと呼ばれるのかわからない―
 強いられた労働がいかに苦しいことかを知るまではそれはわからない。
 けれどもわたしたちに合った仕事は―
 それをするためにこの世に送られたと知る仕事は―
 それはほんとうに祝福でみちたりた喜びである」

シュールズベリーのルース伯母さんのもとで暮らした学生生活も終り、親友のイルゼとテディは、それぞれの道に進むため、都会へと旅立って行きます。
自分の意思でニュー・ムーンに一人残ったエミリー。
やがて、今また文学の師であったカーペンター先生までも失った彼女は、ニュー・ムーン農園での孤独で不安な生活の中、ある出来事がきっかけで、創作意欲を無くしてしまいます。

大きな試練ののち、再び書くことができるようになったエミリー。

しかし彼女は、心のどこかで自分でもわかわない何かを求め続けるのです。

エミリーの求めるものとはいったい?

適齢期と呼ばれる歳になったエミリーには様々な求婚者が現れます。若い牧師に有名な作家。はては遠い東洋の日本とかいう国の王子様まで。時には自分でも驚くくらい、ロマンティックなささやきに足をすくわれるエミリー。

大人になっていく女性の繊細だけれど大胆な、なんともいえない心と体の葛藤が、読んでいる者をグイグイと引き込んでいきます。

愛情豊かなユーモアとその鋭い人物描写はまさにモンゴメリの本領発揮といったところ。特に物語後半のイルゼの結婚式は目が離せません☆

エミリーの成長物語は、作者の精神的成長の投影でもあります。
木々を愛し。家を愛し。故郷プリンス・エドワード島を愛したモンゴメリ。
新しい時代に生きながら、同じように自然や住んでいる土地を愛し、古い時代のものを全く否定するでもなく、自分のものとして受け入れていくエミリー。


 自分の愛する国を離れたら、わたしの魂の中の活ける泉の成分はかわいてしまうでしょう。


う~ん、この作者だからわかるな、この言葉☆

ほんとはまだまだ書きたいことがたくさんあるのですが、うまく文章にできません。(きっと本文全部書き写してると思うので)
ただ、この作品、常に何かを訴えてくるんです。
胸の奥の泉に波紋がいくつもいくつも広がっていくような感じというか…

最後にカーペンター先生はエミリーに約束させます。「きみはきみ自身を―喜ばせる以外には―だれをも喜ばせるためには書かないと―約束してくれ」

書くことは、自身の喜び…

作者ルーシー・モード・モンゴメリの息吹が近くで聴こえてきそう♪

がんばって、三冊すべて読むことをお薦めします。大丈夫、一冊読み終わる頃には、続きを読まずにはいられなくなっていますから☆

では、この本が最後の訳業となった村岡花子女史に、改めて感謝と尊敬の念を捧げ、この紹介を終ります。

「どうぞアンを愛してくださるみなさんは、同じようにエミリーをも愛してください」

           ―村岡花子―












ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫

三月の本棚 2 『エミリーはのぼる』

2004-03-20 21:05:00 | モンゴメリ
エミリーは美人ではありません。

さて、エミリー・ブックスの第二部、『エミリーはのぼる』のご紹介です☆

なのにいきなり「美人じゃない」なんて何を宣言してるのかって?

だって聞いて下さい。エミリーほど、本文中で、何度もその容姿について、「この子はけっして美人ではありません」と作者に宣言されるという不憫な主人公もないんですから。

まずは父親の葬式で、母方のマレー一族と初めて顔を合わせた時の場面。「目鼻立ちのきゃしゃな子だわね」「もすこし色がさしてたら、見っともなくないでしょうにねえ」と、伯母達に言われたい放題のエミリー。

さらに彼女が聞いていないと思って、「あの子は長生きして誰かに迷惑をかけることはなさそうに思うけど」とまで言われます。

プリースト家に嫁いだナンシー大叔母の前に立たされた時なんか、ズバリ!

「あんたは美人じゃないけれど、眼と手と足をうまく使えるようになったら、きっと、美人として通用するよ」

…なにもそこまで言わなくても(笑)

でも美人じゃなくても男なんて簡単にだませるものさ、と豪語するこの叔母さん、私はけっこう好きなんです♪

ではここで、登場人物(の中のほんの一部)を紹介しましょう。
まずは、主人公のエミリー・バード・スター。伯母達に言わせると、スターのおばあさんの髪と目、ジョージ大叔父さんの鼻、ナンシー叔母さんの手、いとこのスーザンのひじ、マレーのひいおばあさんのくるぶし、マレーのおじいさんの眉を受け継いでいて、父親からはひたいを、母親からはまつ毛とその微笑を受け継いでいるとのこと。見るひとによっては、妖精族の特徴、耳がとがって見えることもあります。

彼女を引き取ることになる、エミリーの母親の異母兄弟。
姉にあたる厳しいエリザベス・マレーと、こちらは優しいローラ・マレー。そのいとこで、幼い時、エリザベスと遊んでいて井戸に落ちてしまい、それ以来”おかしく”なったジミーさん。三人は一度も結婚したことがなく、ニュー・ムーンで、いまだにろうそく以外の明りを使うことを拒否して暮らしています。

自身詩人で、エミリーにそっとノートを買ってくれるジミーさんは、エミリーの数少ない理解者です♪

変わり者と言われるバーンリ医師の娘で、母のいないこれまた変わり者のかんしゃく持ち、イルゼ・バーンリ。
エミリーの生涯の親友になる彼女の言動には驚かされっぱなし。エミリーの中にたまに顔を出す、マレー家の高慢ちきなプライドを見つけると、容赦なくその伸びた鼻をへし折ってくれます。こんな友達、絶対一人は欲しいですね☆(…一人で十分だけど)

息子を溺愛するがゆえに、息子の愛するものに異常な憎しみを燃やす母親と暮す画家志望の少年テディ・ケント。彼が口笛で知らせる合図を聞くと、エミリーはたまらず駆け出していきます。「わたし、いかなくてはならないの」その合図は、子供時代の他愛もないものから、しだいにエミリーの中で、別の意味を持ち始めていくのです♪

高校に進学したエミリーは、ニュー・ムーンを離れ、ルース伯母さんのところに下宿することになります。エリザベス伯母さんから、小説を書くことを禁じられた彼女は、それでも「本当のこと」のみをノートに書き連ね、その創作意欲を「日記」の中に閉じ込め、カーペンター先生に言わせるなら、「抑制と節約を学ぶ」辛い修行に耐えるのです。

エミリーのそうした姿に「アルプスの道の頂上」を登らんとする者の努力と苦悩を重ね、訳者村岡花子さんは、作者モンゴメリの、文学への恐ろしいまでの敬愛とたゆみない勉強とが映しだされていると解説の中で書いています。

訳者に「恐ろしい」とまで言わせるなんて、その情熱のスゴさがわかってもらえます?

まさにエミリーこそは、ルーシィ・モンゴメリの心臓の鼓動を伝えるものだといえるでしょう。そうそう、あんまりみんなが「美人じゃない」なんて言うから、ついにエミリー自身、鏡を真剣にながめた後で、日記にこんなことを書いてしまいます。曰く、「わたしは自分がうつくしくはないという結論に達した」

そんなことないって、十分魅力的だよ!(笑)

ま、読者にこんなこと言われても慰めにはならないか☆

でも大丈夫、エミリーには、魔法の言葉をかけてくれる人物がいるのです。幾度となく恋人達の間でかわされてきたであろうその言葉を、エミリーはずっと心の中に大切にしまって置きます。誰がどんな場面で言ったのかは、読んでからのお楽しみ♪

「エミリー、君は世界中で一番うつくしい人だよ」はいはい、結局幾万の言葉を並べたところで、この一言の前では無力なんでしょ?
読者にいらん心配かけさせないでよね(笑)

では、次回はいよいよ、創作と孤独の中で、ゆれるエミリーの心情を描いた第三部。
『エミリーの求めるもの』です☆

大人になったエミリーの、求めるものとは?
エミリーが父親ほど歳の離れた相手と結婚?
日本の王子とエミリーがデート?

…どうぞ、お楽しみに☆












ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫

「王様の耳はロバの耳」

2004-03-18 22:10:00 | 日々の出来事
職場に新人の女の子が配属されました♪

これがけっこうカワイイ子なので、毎日が楽しいです☆(なんて単純)

慣れていないものだから、作業はミスが多くて、「スミマセ~ン」と謝りにくるんですが、その度に「気にしなくていいよ♪」と新しい材料を手渡しています。(バカ?)

ただその子にも一つ気になるところがあるんです。
別に見かけの容姿で人を判断しているわけではないんですよ。そうではないんですが、その女の子、笑った時の歯が、あんまり白くないんです*(涙)*

…芸能人じゃないんだから、歯の白さなんて気にすることじゃないし、第一なんでお前が気にするんだ、なにをする気なんだというお話なんですが、気になるんだからしかたが無い。

同じ部署にもう一人、顔立ちは個性的だけれど、明るくていつも楽しそうに話かけてくる女の子がいるんですが、初めて職場で顔を合わせた時のこと。
その子は年下だけれど、仕事の上では先輩ということで、色々教えてもらっていたんですね。
割と近くで話していた時、慣れない職場で緊張している私の目に入ってきたのは、彼女の鼻から飛び出した一本の鼻毛。
(うわぁ、どうしよう?)
(教えるべき? 知らないふりをする?)
ある程度親しい仲なら「お前、鼻毛出てるぞ」と言えるのかも知れませんが、このタイミングでは言い出せなかった。
その子と話す時は、今でもついついその時のことを思い出してしまいます。

こうした判断に困る場面で思い出すのが高校生の時。
文化祭の出し物で、うちのクラスは色を塗った卵のカラをボンドでくっつけて、東海道五十三次の有名な版画を貼り絵で作るという地味な作業をしていたんですね。
私は床に置かれた下絵のこちら側で作業をしていたんですが、着色し終えた卵のカラを持った女生徒数人がやってきて、私のむこう側で作業をしようとしゃがみ込んだんです。
普通そういう時って、制服のスカートをヒザの裏に挟み込むようにしてしゃがむじゃないですか?
私の正面に座った子は、どうした訳か、ヒザを開いた格好で、友達としゃべりながらそのまましゃがみ込んでしまったんです。

(うわぁー、うわぁー、うわぁー)

当時、まだ純情だった(?)私は、いきなり飛び込んできた光景にビックリしました。(なんか大袈裟だな)
もちろんスカートの中は丸見え。
女の子達は誰ひとり気が付いていない。
こちら側には哀れな(幸運な?)男子生徒がひとりきり。
さあ、教えるべきか、しらんぷりすべきか、運命の選択です。(だから大袈裟なんだって)
仮に友達の前で「パンツ見えてるぞ」なんて言われたら、その子は泣き出すかもしれない。
いやいや、それどころか、こっちが「無神経」のレッテルを貼られ、周りの女子に吊し上げをくらう確立の方が高い。
仮にしらんぷりを決め込んでも、そのうち気が付いて「見てたでしょ?」と言われ、むこう三ヶ月、白い目で見られ続けることになる。
待てよ、もしかしてこいつらみんな知っていて、僕のことをからかって楽しんでいるという可能性だって…

…ま、半分冗談ですが、困ったことは事実です。
こうした場合、教える方だって恥ずかしいし。
結局は、一番無難な方法、その場から立ち上がり、ぎこちなく廊下へと避難しました。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、
(僕は悪くない!)
と、窓の外の空に訴えながら。

今、会社で教えるべきかどうかで悩んでいることがあります。
ひとの顔の近くでしゃべり続ける職場の上司。
熱心さは買うのですが、このひと、口がとっても臭いんです。

ああ、言いたいけれど言えない…

特こう薬

2004-03-17 00:02:00 | 日々の出来事
風邪でダウンしてました。

父親の風邪がうつったんです。
月曜日はなんとか出勤したんですが、だんだん頭痛がヒドくなってきて、体に力が入らない。
午後になって悪寒までしてきて、頭痛で目があけていられなくなり、手足までしびたようになったので、堪らず早退させてもらいました。

最近ちょっと色々あって、疲れが溜まっていたのかも。

四月から実家で暮すことになって、引越しの手続きや、荷物の整理に追われ。
仕事面でも一般職から総合職へ昇格するためのレポート作成や面接の下準備と忙しく。
そこに新車の購入や、実家の物置の改築。
はては亡くなった祖母の財産分与と単身赴任している父親の引越しまで重なって、のんびりする時間がほとんど取れなかった。

休息は大切ですよね。

薬を飲んで、食べて寝たら復活しました♪

こういう時に、決まってそろえる食べ物があります☆
まずは、うどんにレトルトのカレーをかけたカレーうどん。
花らっきょ。
大福餅。
りんごジュース。
サイダー。
うどんは消化がいいし、カレーは発汗作用があるでしょ。
花らっきょとサイダーは、口が不味い時でも食欲を助けてくれる。
大福餅はてっとりばやいエネルギーになるような気がするし、疲れていると甘いものが食べたくなりません?
りんごジュースは小さい時に熱を出して入院して以来の定番。
これがないとせっかく風邪を引いても魅力半減。
治るものも治らないような気さえしてきます。
あとは厚着をして、頭冷やしてひたすら眠るだけ。

たいていの風邪はこれで乗り切れます☆


三月の本棚 『可愛いエミリー』

2004-03-12 19:08:00 | モンゴメリ
今回は、ルーシー・モード・モンゴメリの『可愛いエミリー』という本の紹介です。

のっけからなんなんですけど、…この題名、もう少しなんとかならないものですかね、訳者の村岡花子先生。

男友達に薦めにくいったらなくて…(笑)

もともとの題名を直訳すると、「ニュー・ムーン農園のエミリー」

うん、確かに「可愛いエミリー」の方がまだいいかな。(なにを生意気な!)

「グリーン・ゲイブルズのアン」を「赤毛のアン」にしたのは有名な話。名訳ですよね☆

この物語。
「可愛いエミリー」から始まる三部作をエミリー・ブックスと呼びますが。三年もかかってようやく出版社を見つけ、なんとか「赤毛のアン」が出版された1908年から、さらに六年後。「アン」が認められ、成功を収めたモンゴメリが、1914年から1929年の間に書いた五冊の小説の中の三冊にあたります。同時期に書かれた「アンの愛情」「アンの夢の家」と比べてみるのも面白いですよ♪

さて、物語は、幼い時に母親を亡くしたエミリーが、父親と、最後の二週間を過ごすシーンから始まります。

「勇気を持って生きなさい。…世の中は愛で一杯だ…」

最愛の、そして唯一の理解者である父を失い、母方の親戚に引き取られることとなったエミリーは、その言葉を胸に、古いしきたりと伝統が支配するニュー・ムーン農園で、新しい生活を始めます。

プリンス・エドワード島の豊かな自然の中で、その小さい瞳ですべてをとらえようとするエミリー。
木々や小道に名前を付けるところなんか、「アン」とも共通するところがあります♪

風のおばさん失望の家鏡の中のエミリーモンゴメリは猫の名前を付けるのも天才的☆

ソーシー・ソールにスモークにバターカップ♪

なんて魅力的なんでしょう。
けれど、「アン」と大きく違うところは、エミリーがどんな時でも書き続ける少女だということ。

孤独で、夢みがちなエミリーは、それはもう、何かに急かされているみたいに、紙切れの裏に、買ってもらったノートにと、必死になって鉛筆を走らせます。

父親への手紙。
ニュー・ムーンの伯母達のこと。
そして《ひらめき》が訪れた時に書き綴った詩。

大人達はそんなエミリーを”変わった子”とみなしますが、エミリーはひるまず書き続けるのです。

エミリー達の通う学校に赴任してきたカーペンター先生に、彼女の書いた詩を見せるように言われた時も、エミリーは訴えます。「もちろん、あたしやめませんわ」「だって、あたし書かないでいられないんですもの。」

エミリー・ブックスが「赤毛のアン」よりも作者モンゴメリの内面をよく表しているといわれるのは、この書くことに対する執着です。


「もし君が生まれつき、登らなければならないのなら、そうするほかはない。世の中には、丘に眼をあげなければならない人間がいるものだ。そういう人間は、谷間では息ができないのだ。」


子供らしい失敗と、大人達との衝突の中、エミリーはかけがえのない友達と、数少ない理解者を得て、アルプスのようにそびえる、その険しい道を登ることを決意します。

詩人か物語作家になることを夢見る少女、エミリーの苦難と試練、そして愛情に満ちた物語。

では、この続きは次回『エミリーはのぼる』でご紹介しましょう☆

それぞれの夢にむかい、今もアルプスの峰に挑戦している多くの人々に、ぜひこの作品をお薦めしたいです。特にモンゴメリと同じく物書きを目指している方。きっと、なにかの道しるべになるんじゃないかな?












ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫

発見!

2004-03-08 21:22:00 | 日々の出来事
母親がウスターソースを買ってきました。
買い置きのソースがまだあるのに。

彼女曰く、
「薄口ソースがなくなったから」

う・す・く・ち・ソース?

ウ・ス・ター・ソース?

…おいおい、ちょっと遠くないかい(笑)

そういえば、私も長いことカン違いしていたことがありました。

「紺色」ってありますよね。
あの色のこと、ずっと黄色を濃くしたような色だと思ってたんです。
俗に言うところのキツネ色。

だって、ほら、キツネって「こん!」て鳴くっていうじゃないですか(笑)

アハハ…母親のこと笑えないや…ハァ、親子そろって何考えてるんだか*(涙)*

さすがに高校に上がる頃には青紫っぽい色だってことを知ったのですが、刷り込みとは恐ろしいもので、今でもたまに混乱してしまいます。

小さい時の教育は大切ですよね☆

ちなみにウスターソースは英国のウスター市が原産地だからこう呼ばれるそうです。

薄口ソース?

あるのか、そんなの?

「止め方さえ知らない…」

2004-03-08 21:02:00 | 日々の出来事
先日の日曜日。
床屋さんに行って髪を短く切ってきました♪
もともと天然パーマなので、長くなるとうっとうしくて。

中学生の頃は、前髪にエンピツが何本乗るかでよく女の子にからかわれました。
くしゃくしゃの髪の毛が面白かったんでしょうね。
雨の日なんかピンピン髪がはねて大変です。
妹は黒くて真っ直ぐの髪なので、よく反対だってらよかったのに、と思っていました。

チョキチョキとはさみの動く音だけが響く店内。
落ち着いた静かな時間が過ぎていきます。

その時、
ふいに「グゥ~」とお腹が鳴りました。

そういえば、忙しくて朝食抜かしてたんだ! しまった! しまった!
聞こえたかな?
聞こえたよな?
でも、伸びていた鼻毛を切ってもらったこともあるなじみの床屋さんなのに、お腹の鳴る音を聞かれるほうが恥ずかしいってのはどうしてだろう?

意識してお腹に力が入ったとたん、「グゥ~、グゥ~」と立て続けにお腹が二回鳴りました。
わ~、誰か助けてくれ~!
何かお腹が鳴らないようにする方法とかはないんですかね。

その日はお金を払って、そそくさと帰って来ました。

あ~恥ずかしかった*(汗)*

三月の名言集より

2004-03-07 07:01:00 | 日々の出来事
人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦(あし)にすぎない。

しかしそれは考える葦である。

これを押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。

一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。

しかし宇宙がこれを押しつぶすとしても、

そのとき人間は、

人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。

なぜなら人間は、自分の死ぬことを、

それから宇宙の自分よりたちまさっていることを

知っているからである。

宇宙は何も知らない。

だから我々のあらゆる尊厳は考えるということにある。

我々が立ち上がらなければならないのはそこからであって、我々の満たすことのできない空間や時間からではない。

だからよく考えることを努めよう。

ここに道徳の原理がある。



           ―パスカル「パンセ」―

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」

2004-03-07 00:14:00 | 日々の出来事
普段なにを考えていますか?

仕事のこと?

恋人のこと?

それとも遊びや晩ごはんのこと?

寒い朝なんか、思わず「なんでこんなに寒いの?」なんて独りでつぶやくことがありますが、すかさずこんなことを考えます。

(それはね、地球には地軸の傾きというのがあって、この時期の北半球は太陽から遠くなる角度で公転しているからなんだよ)

「そうか、なるほどな~」と毎回自分を納得させて寒さに耐えます。

職場では、多くの人が働いているのですが、たまに妙なことを考えます。

(このひと達もきっと色々なことを考えてるんだろうな~)
(この瞬間イラク問題について考えている人が何人いるのかな)
(みんながそれぞれ幸せになりたがっているなんて、ヘンなの)
…きっと、真面目に仕事のこと考えていると思うんですけどね。

車に乗っていて渋滞になんか巻き込まれると、車の多さに辟易します。
そんな時は周りの車を眺めてこんなことを考えています。

(車一台分の値段が100万円はするとして、軽く一億円分はいるよな。不況なんていってるけど、日本てなんてお金持ちなんだろう)
不良債権や防衛費でたくさんお金を使うより、国民ひとりひとりに一億円配ってくれたほうがいいな。
例え一年に一人でも、確実に国民は喜ぶと思うけど。

将来のことも考えていますよ。
両親も年老いてきたことだし。いざとなったら介護とかしなきゃいけないかもしれない。その時は仕事はどうしようかとか。
でも、もっぱら考えているのは別のことなんです。

もし母親が死んで、父親と二人っきりになったらどうしよう。
朝起きて二人でご飯食べたりするのかな?
夜はいっしょにTVなんか見ながらお茶を飲んだりして?
男二人は気まずいよな~
父親と何を話せばいいのかわからないし。

万一妹夫婦が事故死して、甥っ子だけが生き残ったとしたら?
引き取るとしても養子にはしないほうがいいかな?
「お父さん」なんて呼ばせるのはかわいそうだよな、本当のお父さんじゃないんだし。
仮に友達の手前「お父さん」と呼びたいと言っても、厳しく「おじさんと呼びなさい、お前のお父さんじゃないんだからね」とつっぱねたほうが将来のためになるんじゃないかな。
それが愛情ってもんだよな~

なんて考えています。

母親も妹夫婦も元気です☆

昔、中国の杞(き)の国の人が、天が崩れ落ちるのではないかと心配したことから、いらぬ心配のことを「杞憂(きゆう)」と言うそうです。

でもこの人きっと幸せだったんだと思いますよ☆
だって、本当に大変な時って、こんなこと考えていられないですもんね♪