
平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。
我が家から車で30~40分程の所にある中尊寺。
ワタシの記憶が確かなら 20代の頃に行ったのが最後・・・。
いつでも行ける所って思ってて 御朱印もまだ頂いていませんでしたが、
今回の青森・田んぼアート と 嶽きみツアーが決まった時、お姉たんとワタシ、
ほぼ同時期に 中尊寺に寄ってみたい・・ と 言う気持ちに・・。
「 呼ばれてる・・・? 」 勝手な解釈で決まりました。

駐車場に車を止めて、参道へ入るともう坂道です・・・。
「 月見坂 」 と呼ばれる坂道は 結構な急勾配・・・。
ヘロヘロになりながら 歩くの速い旦那さんとお姉たんに付いて行くのが しんどい・・。


中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。
その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で
亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。
それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。
平泉はおよそ100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」でした。
しかし、平氏政権を倒した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびて間もなく、
義経を保護した秀衡公が病死すると、四代泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込みます。
その泰衡公も頼朝に攻められ、文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡したのです。

中尊寺 と言えば 有名なのはきらびやかな「 金色堂 」です。
もちろん金色堂は素晴らしかったのですが、
今回 ワタシは金色堂のすぐ手前にある、 「 讃衡蔵( さんこうぞう )」が良かったです。
その名称は、奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)の偉業を讃えるという意味で付けられたそうです。
現在の建物は2000年(平成12年)の新築で、3000点以上の中尊寺の国宝・重要文化財が収蔵されています。
3体の丈六仏、薬師如来座像、阿弥陀如来座像、薬師如来座像のお姿は圧巻です。
千手観音菩薩像もステキでした。 仏像ってステキですよねぇ・・・。
中尊寺では 11ヶ所で13の御朱印が頂けるそうです。
今回、全てを回る事は出来ませんでしたが、9ヶ所の御朱印を頂いて来ました。

まずは 本堂で頂きました。
梵字で「バク」と記しています。釈迦如来を意味する御朱印なのだそうです。
左がワタシが頂いた御朱印。 右がお姉たんが頂いた御朱印です。
書き手が違う物は 二つ並べておきます。

讃衡蔵( さんこうぞう )の御朱印。

金色堂。 金色堂で販売している御朱印帳を購入すると、見開きの特別な御朱印を頂けます。
ワタシ達は購入していませんが 迫力のある御朱印です。

弁財天堂。 貼るタイプの御朱印ですが、中尊寺では貼って下さいます。 ありがたや~。

阿弥陀堂。 こちらも貼るタイプの御朱印を貼って下さいました。

大日堂。

薬師堂。 貼るタイプ。 力強いですねぇ。

弁慶堂。 流れるような優しい字体です。


中尊寺の中にある神社、白山神社は中尊寺の鎮守です。
能の舞台もあるんですよ。
旦那さんとお姉たんは 歩くのが速いのでいつも写真に入ってしまう・・・。

白山神社の御朱印です。
全ての御朱印は頂けませんでしたが、大満足。
久々に一万歩以上歩きました。
夜もグッスリ眠りました。 笑
そして・・・
オマケ。

18歳の時に若かりし頃の旦那さんが中尊寺で買ってくれた 「 縁結び 」 のお守り。
一度 距離を置いてた時期もありましたが、このお守りをお互いに持ち続けてたからなのか?
1年後に再会して 現在に至る・・・・。
今回 お参りしながら 「 あのお守り、まだ売ってるかなぁー? 」と 話してたら
「 あら? お母さん、コレじゃない? 」 って お姉たんが見つけてくれたのが・・・。

「 おおおおおーっ!! 」 あったー!!
37年ぶりに購入。
でもこのお守り、中尊寺のどこでも売ってるわけでは無かったんです。
よく見つけたなぁ・・。 これも 「 縁 」 なんでしょうね。
新しいこのお守りを また二人で持ち始めました とさ。めでたしめでたし。 笑
中尊寺、行って良かった!!