蔵書

「福岡ESEグルメ」のえしぇ蔵による書評サイトです。
要するに日本文学の素晴らしさを伝えたいのです。

林芙美子 「浮雲」

2008年06月08日 | Weblog
林芙美子の作品の中でどれが好きか?とか、どれが傑作か?という話になればおそらく「放浪記」とこの「浮雲」で意見が二つに分かれるのではないかと思います。有名な作家や評論家の意見も分かれるようです。でもえしぇ蔵はこの二つの作品はちょっと性質が違いますから比較はできないと思います。「放浪記」は初期の頃にほとんど自分の体験をベースにした日記形式のいわば随筆のような作品で、「浮雲」は晩年に書かれた、完全に創作されたまったくの小説です。それぞれの分野でそれぞれいいですから比較するのは変かなと。この作品の舞台は太平洋戦争中のインドシナ半島から始まります。日本が占領したその地域の木材を利用すべく、日本のお役所から派遣された職員が現地で調査をしています。そこでタイピストとして働くことを志願した主人公の女性が、現地で働く二人の男性と三角関係に陥ってごたごたやっているうちに終戦を迎えます。その女性は日本に帰っても特に頼る人もいないので三角関係になったうちの一人の男性に連絡しますが、日本での彼は家庭持ちな上、現地の時ほど彼女に魅力を感じていないのであまり優しく接してくれません。それでもどうしても彼の存在が彼女には必要だったので追いすがって行きます。終戦後の荒廃の中で彼もだんだん身を崩し、二人の気持ちは荒んでいきます。必死で幸せを探す彼女と人生をあきらめる彼との悲しい絡みがずっしりと読み手の心に響きます。なるほどこういう作品を書けるのは林芙美子だけだろうと思うような作品です。傑作ですから読んでおくべきだと思います。

伊藤永之介 「鶯」

2008年06月08日 | Weblog
この人もプロレタリア文学の作家に分類されます。プロレタリア文学の作家は大きく分けて二つの派に分かれます。その発行していた文芸誌の名前で分けるなら、「戦旗」派と「文芸戦線」派です。「戦旗」のほうには小林多喜二を筆頭に徳永直、宮本百合子、中野重治などなど、すごい人がズラリ揃っているのでどうしてもそっちばかり注目されて、ちょっとマイナーな「文芸戦線」派の作家は見落とされがちです。伊藤永之介はその「文芸戦線」派で頑張った中の一人です。彼の作品は他のプロレタリア作家によく見られるような戦闘的な内容や書き方ではなく、農村を舞台にその現状を少しユーモラスに描いた作品の方がむしろ彼独自の世界があってえしぇ蔵は好きです。作品の名前が「梟」とか「鶯」とか、鳥の名前のものがいくつかあるのでそれらはまとめて「鳥類もの」と呼ばれていますが、中でもえしぇ蔵のお気に入りはこの「鶯」です。これも舞台は農村で、ある警察署を舞台にしてそこに相談に来る人や、連行される犯罪者、応対する警官のやりとりが、警察署にありがちな冷たい緊張感というものではなく、温かみのある人情的な雰囲気で描かれていることが読んでいて非常に心地いいものがあります。それぞれの人生を抱えて警察署に来た村の人々が、実はどこかでつながりがあって、その偶然性がストーリーを面白くしています。通常のプロレタリア文学を読む時のような一種の気合のようなものはこの作品の場合必要ありません。気軽に読める名作です。