山猫のブログ

人間に必要なものは嗅覚である。毛穴で感じる危機感である。何かがおかしいと思ったら、それはおかしいのである。

銀行家の戦略とは (AlterNetから)

2011年12月29日 | 日記


Banker(バンカー)とは銀行家のことを指しますが、一般業務を行う銀行ではなく、証券業務や投資を行う銀行のことを指す場合が多いのですが、面白いのは、賭博の胴元を指す言葉でもあるのです。ゴールドマンサックスやモルガンなどはまさに賭博の胴元と訳した方が良いでしょう。
日本で言うなら信託銀行でしょうか。
それはさておき、私がたまにツイッターで取り上げる「AlterNet」というサイトで、とても的確な指摘をされている記事を見ましたのでここに紹介したいと思います。

なにぶん長文でありますので、銀行家たちの戦略 という視点で見ていきたいと思い、所々(アメリカやドイツの歴史的な部分など)省いています。(訳すのがめんどうで省いた部分もありますが笑)
全文をご覧になりたい方はこちら
   ↓
http://www.alternet.org/world/153516/bankers_are_using_the_eurozone_crisis_to_wage_warfare_on_working_people_and_seize_control_of_governments

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Bankers Are Using the Eurozone Crisis to Wage Warfare on Working People and Seize Control of Governments「銀行家達は、労働者との闘争と、政府の影響力を奪うためにユーロ危機を使っている」


労働賃金と生活水準は縮小されることになり、国家権力は、選択(選挙)による政治から、大銀行と金融機関が支持するテクノクラートの支配へとシフトしました。
(テクノクラート=高度な科学技術の専門知識と政策能力を持ち、国家の政策決定に関与できる上級職の技術官僚(技官)のこと。高級技術官僚とも呼ばれる。)


ヨーロッパの財政危機を理解する最も簡単な方法は、それを解決するために提案された解決策を見ることです。
海外で不当に規制されたアイスランド銀行がつくった損失(敗北)で、アイスランド政府が英国とオランダに報いる(利益を与える)ための政府間合意(降伏)をアイスランド人が民主主義による投票で2回拒絶したことを受けて、銀行の戦略家達は(民主主義投票という)リスクを冒さないことを学びました。
ギリシャの大規模なデモは、国民投票がないために ECBの要求(公的資産の売却=民営化)に対するギリシャの有権者の唯一の反対を表明する方法でした。

中略

民主主義の税政策は、所得と資産に累積課税し、回避(脱税)に対する処罰とともにその収集を実地します。
19世紀以来ずっと民主主義の改革派は無駄(浪費)、汚職、働かずに得る所得からの自由経済を探し求めてきました。しかし、ECBトロイカ(ECB、IMF、EU)は政府の政策決定を、選挙で選ばれたわけではない一部のテクノクラートによって課される逆累進税を課しています。

中略

これらの当局は国際収支を安定させると主張し、自由市場を持ちこんでいる間に輸出部門と社会的インフラ基盤を債権国に売り渡しました。結果、外国の銀行家と国内の寡頭勢力によって、厳格に支配された経済は負債をより深くしてしまいました。
これはユーロゾーンという社会民主主義国が現在置かれている踏み車(昔、罰として踏ませた)です。

公共部門労働は民営化されることになり、労働組合は否定され、社会保障、年金制度、健康保険は縮小されます。
これは、レバレッジ・バイアウト(企業買収の手法の一種)において、財政的支援者(投資家)に支払うため、企業年金制度を空にする時に乗っ取り屋が描く基本的な脚本です。
これは1991年以後、旧ソビエトの経済が民営化された手法でもあります。
公的資産を手に入れ、ロシアの証券取引所をグローバル金融市場の人気の的にするために、国を食い物にする収奪政治家が西側の投資銀行家たちと行ったのです。
労働賃金に一律税が課せられる間、資産税は縮小されました。
土地と採掘権は外国人に譲渡され、工場は解体。労働者は仕事を見つけるために移住しなければなりませんでした。

銀行家達は、経済の安定と自由市場に献身的なふりをしながら、貸付けにより不動産バブルを膨張させました。レンタル収入は資産勘定に計上され、外へ払われました。
これは銀行家たちに非常に利益をもたらしました。しかし、2008年多くの負の資産を残しました。政府は納税者の負担で銀行を救済しました。


どのような大きな社会問題の解決策であっても、それよりもさらに大きな問題を引き起こす結果となることは自明です。必ずしも予想外などではないのです!

中略

銀行家に支払われる経済余剰の支出は、大多数のヨーロッパ人の伝統的な価値を逆転させています。
経済の緊縮、社会的出費の解体、公的資産の売却、労働の非統一、年金制度の縮小、民主主義による服従以外に選択肢はないのだと有権者に信じ込ませることを必要としているのです。
どんなに捕食性、略奪性があっても、利益をもたらす金融セクターなしでは、経済が崩壊すると主張するのです。銀行が欲しいものは経済余剰であり、それは生活水準の向上(社会的出費)や設備投資にさえ使われません。
有権者は言います。選択肢は農奴制への道だと。

中略

不労所得者(利子などで生活をしている者)は彼らの行いを「富の創造」と表現します。
ビジネス学校では、政府に公共基盤(社会インフラなど)を売却させるために、銀行ローンを使って公債の資金調達に担保を負担させる方法を民営化推進者に教えます。
このアイデアは、銀行と債券保有者に収益を支払うことになり、道、港、水、下水道の使用と他の基本サービスのためのアクセス料金(手数料)を上げることにより、キャピタルゲイン(資本利得)を儲ける仕組みです。

政府は、公的プログラムを解体し資産を売却することで経済が効率的に動く と言います。

利子やキャピタルゲインさえも免税にすることは、公的サービスをいやいや手放した市民が払う料金(これまでは国の収益だった)を政府から奪い、財政赤字をますます増やすことになるのです。

そして、価格の安定性を進める(ECBの表向きの優先順位として)かわりに利息と他の財政的なオーバーヘッド(生産や販売に必要な経費)を組み込みことで、取引のための他のコスト価格を上げるのです。そして管理するためのバカ高い給料。
かえって民営化推進者が政府よりも借金をするので、この方針がより効率的であるなどというのは、単に空論、観念を吹聴しているにすぎないのです。
1960年代から収支危機は国の財政政策の制御を奪い取る機会を銀行家と流動性の投資家に提供しました。

労働に税負担を移し、外国人投資家と金融セクターには助成金を支給し、社会的出費を解体させること。生活水準を下げ、緊縮政策によって彼らは利益を得るのです。
それは、財政的寡頭政治が民主政治に取ってかわり、借金のために奴隷のように低賃金で働かされる住民へと後退するように、過去半世紀の時代と期待と技術的新時代との新たな時代が正反対になる歴史的境界線になるおそれがあります。
成功のために大胆(ずうずうしく)に財源と権力を奪い取る。それに反対する政治的民主主義の立法のプロセスを停止することは危機を要します。

中略

今日、これらの銀行は低金利で(アメリカ0.25%)政府の中央銀行から準備金を借りることができ、より高い率でそれを貸し出すことができます。そのようにして銀行は政府中央銀行が彼らに添える信用をつくるのを見て喜んでいるのです。
しかし内輪の信用創造は赤字を貨幣化している政府より必然的にインフレを引き起こします。大部分の商業銀行ローンは不動産、株、債券に対してつくられ、住宅価格と有価証券価格を吊り上げるために“信用”は用いられます。

中略

米国財務省は世界最大の債務者です。そして最大手銀行は負の資産です。
そして、彼らの預金者と彼らのポートフォリオ(運用資産の組み合わせ)によって払われることになる非常に大きな金額のため、他の金融機関も負に陥りやすいのです。
世界的金融不安が拡大する中、機関投資家は米国財務省債券にお金をつぎ込んでいます。現在利回りは1%未満です。
対照的に米国の不動産の4分の1は負の資産です。都市は債務超過に直面しており、出費を縮小しなくてはいけません。
大企業は破たんしており、年金制度は未払い(滞納)により崩壊しています。
それでも米国経済は依然として世界の預金を引きつける場所のままなのです。英国も揺らいでいますが、それでも2%の利子を支払っています。
しかし、ヨーロッパの政府は7%を払っているのです。
この格差はマネー創造の選択の自由が欠如しているためです。
米国と英国は負債のためのマネーを印刷することができる連邦準備銀行とイングランド銀行をもっているので、この2国が支払いのために公的資産の売却を迫られるとは誰も思っていません。
債券の保有者がドルの為替レートを相対して債券を売るというリスクはありますが。

対照的にユーロゾーンは中央銀行を持っていますが、リスボン条約の第123条によって中央銀行がそれをするのをECBが禁じているのです。

予算赤字に融資するためにマネーを印刷するか、支払期日の来た借金による転覆(国家破たん)か。

未来の歴史家はこの政策のウラにある理論的根拠に注目するでしょう。そしてそれがどれほどゆがめられたかは、どんな歴史研究家が見ても信じ難いことです。

以下省


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といったような内容でした。
うまく訳せていない部分は大目に見ていただくとして、
注目すべきは 外国勢力(国際金融資本)と手を組む国内の寡頭政治家がいかに国民を欺き、国有資産(社会的インフラや年金制度も含む)をも売り渡してしまうかです。

つい先日、「圧勝」「圧勝」とメディアに持ち上げられ、フル回転でTVに顔を出していらっしゃる知事と市長がおります。
彼らが掲げる「既得権益をぶっこわす」は庶民にとってたいへん耳触りのよいものですが、
果たしてどこまでぶっこわしてしまうのでしょう。
港、水道、病院、幼稚園etc。。

行政の無駄はたしかにあります。しかし、その“無駄”の鍋に味噌もクソも一緒に放りこむようなことがあってはいけないのです。
前にも記しましたが、私たちの生活の安心、安全はある程度国(行政)の保護の上に成り立っているのです。

記事にもありましたが、未来の歴史研究家がこれらを検証する時、他意なく正当性を訴えることができるでしょうか。。。