山猫のブログ

人間に必要なものは嗅覚である。毛穴で感じる危機感である。何かがおかしいと思ったら、それはおかしいのである。

ギリシャの悲惨と日本の悲惨

2012年02月11日 | 日記


『ギリシャ、EU・IMF支援に関する法案を閣議承認』
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE81K36O20120210

昨年からズルズルといたぶられているギリシャですが、正確にいうといたぶられているのはギリシャ国民であります。
前回にも記しましたように国内には欧米の寡頭勢力に加担する寡頭政治家、高級官僚が存在します。
自国の国有財産、システム(年金や医療サービスを含む)を市場へ流し、寡頭勢力(金融マフィア)とともに自らも利益を得ようとする輩です。国が保有していれば手が出ませんが市場へ流れれば個人的に利することができるのです。
国が保有している財産、システムというのは、国民全員に関わるものなので その規模はケタちがいです。
彼らは言います。
「国家の財政破たんを回避するためにはIMFからの支援が必要だ。IMFの条件(民営化)を受け入れなければ仕方がないじゃないか」 と。

しかし、このギリシャ危機は単にギリシャの国有財産を奪うだけのものだったのか?

ギリシャ危機はユーロ危機にまで拡大しました。金利が暴騰し、民間のインチキ格付け会社から格下げを叫ばれ、
ドイツ以外の国は戦々恐々となりました。

何のために? 
前にも記しましたが、私は 財政統合(国家主権放棄)だと考えています。

しかしこの国家主権放棄というのは、なにも財政統合だけに限りません。
自由貿易という随分と聞こえのよいこの協定もそのひとつの手段になることは、すでに理解の範囲だと思います。
「ISD条項」です。

企業が一国の主権をおびやかすことを了とする国民がいるでしょうか?

元世界銀行副総裁ジョセフ・E・スティグッリツは真実を述べている。

「ものの考え方は一夜にして変わるものではない。それは先進国も途上国も同じである。
途上国に自由を与えた(自立の用意ができていないうちに)からといって、そうそう旧宗主国の考え方は変わらないのだ。彼らの、自分達が一番偉いのだと思っていた植民地時代の考え方は顕在だった」

これは 途上国に対する西側諸国のやり方を批判してのものです。

ここで、「日本は途上国ではない。G7にも入る立派な先進国だ!」などと言ってる人はオメデたい。

日本政府の外交に“主権”なるものがあるでしょうか?

1980年代の自動車貿易摩擦、プラザ合意、沖縄、アザデガン油田、親日イランに対する経済措置、数え上げればキリがないほど日本の国益を損なうものばかりです。

まさに「ものの考え方は一夜にして変わらない」です。
しかし、これらのことを日本で成立させるのは日本の政治家であり、高級官僚たちです。


原発推進勢力、TPP推進勢力のように、国内には寡頭勢力に加担する寡頭政治家が存在するということです。

国家破たんにより国が保有する資産、システムを奪われようといているギリシャ、
自由貿易協定の名の元、国民の安心、安全を奪われかねない日本、形は違えど、国家主権がおびやかされるということは同じなのです。