中途半端なことは、不幸なのかもしれないが。
それでも、過去のわたしが間接的にでも必要とされているならば、未来のわたしも、もしかしたら多少なりとも必要とされるのではないか、という甘すぎる懐疑的な夢、を見ている。
だからこそ、わたしは死に場所を探しながらも死ぬことが出来ずに、こうして生きていられるわけだが、その「夢」に何度騙されたことだろう。
だからこそ、わたしは死に場所を探しながらも死ぬことが出来ずに、こうして生きていられるわけだが、その「夢」に何度騙されたことだろう。
別にこの文章を書いているのは「わたし」でなくてもいいわけです。ポケパの他の常連が実は書いてるだけかもしれないし、オフ会にいた「わたし」だって、もしかしたら全然ポケパと関係のない「誰か」だったのかもしれない。
ということに対するある種の不安感みたいなものを現実で持つ。
隣に座る人は、本当に実在するのか。もっと言ってしまえば、それは「わたし」ではないと言い切れるのか。本当に「あなた」は存在するのか。実際は「わたし」しかいないんじゃないか。
そういう気持ち悪さ。もしくは恐怖。
だから何、というわけでもなく。他の誰が同じ思いを抱えているとかいないとかも、どうでもいい。ただ、そうして全てを自己として押しこめ、他者を否定することで自己をも不在のものにしようとする、歪な意識を持て余しているだけだ。
わたしはいる、と。
わたしに、強く言い切った人は、死にました。
ということに対するある種の不安感みたいなものを現実で持つ。
隣に座る人は、本当に実在するのか。もっと言ってしまえば、それは「わたし」ではないと言い切れるのか。本当に「あなた」は存在するのか。実際は「わたし」しかいないんじゃないか。
そういう気持ち悪さ。もしくは恐怖。
だから何、というわけでもなく。他の誰が同じ思いを抱えているとかいないとかも、どうでもいい。ただ、そうして全てを自己として押しこめ、他者を否定することで自己をも不在のものにしようとする、歪な意識を持て余しているだけだ。
わたしはいる、と。
わたしに、強く言い切った人は、死にました。
死にたい、と思う。
でも、死ねない、とも思う。
相反感情というには微妙だ。結局、根本は同じだから。わたしは、一つの理由から死にたいと思っている。そして、その一つ理由のためだけに、死ねない、とも思う。いつだって矛盾はわたしを引き裂くが、わたし、たちは複数形から単数形に戻る手段を持たないために、未来永劫「わたし、たち」と自称し続けることになる。
相反する願い、あるいは希望は、いつまでも虚構だから、わたし、たちはリスク管理という計算方法によって救済されるための手段を導き出すことができない。それは絶望という単純でくだらない二文字に集約されることになるが、それの連続性がわたし、たちを今に生かしている。わたし、たちは絶望によって自己の生存を承認し、覚悟するだのなんだの言い訳を並べては決断を先送りにする。
どちらの嘘を、もしくは両方の偽りを、捨てるべきか、捨てないべきか。
もう既に虚構は崩壊しつつある。否、木端微塵に弾き飛ばされている。それはたぶんもう2、3年前には起こっていたが、脆弱なわたし、たちはそれを忘れることによって生きることを選んだ。砂しか残らない夢の跡地で、微笑みながら誰もいない隣に話しかけていた。そんな寂しい光景でも、そうと気づかなければ幸福だろう。気づいてしまった今では何とも言えないが。
証明したい、と思う。
でも、裏切りたくない、とも思う。
裏切ることによって初めて実在を証明できる信頼は、裏切られた時点で嘘でしかなく、ゆえに最初から存在していない。けれど、確実に存在している、していた、というわたし、たちの確信を夢だと言いきってしまうのは、あまりにも哀しい。
でも、死ねない、とも思う。
相反感情というには微妙だ。結局、根本は同じだから。わたしは、一つの理由から死にたいと思っている。そして、その一つ理由のためだけに、死ねない、とも思う。いつだって矛盾はわたしを引き裂くが、わたし、たちは複数形から単数形に戻る手段を持たないために、未来永劫「わたし、たち」と自称し続けることになる。
相反する願い、あるいは希望は、いつまでも虚構だから、わたし、たちはリスク管理という計算方法によって救済されるための手段を導き出すことができない。それは絶望という単純でくだらない二文字に集約されることになるが、それの連続性がわたし、たちを今に生かしている。わたし、たちは絶望によって自己の生存を承認し、覚悟するだのなんだの言い訳を並べては決断を先送りにする。
どちらの嘘を、もしくは両方の偽りを、捨てるべきか、捨てないべきか。
もう既に虚構は崩壊しつつある。否、木端微塵に弾き飛ばされている。それはたぶんもう2、3年前には起こっていたが、脆弱なわたし、たちはそれを忘れることによって生きることを選んだ。砂しか残らない夢の跡地で、微笑みながら誰もいない隣に話しかけていた。そんな寂しい光景でも、そうと気づかなければ幸福だろう。気づいてしまった今では何とも言えないが。
証明したい、と思う。
でも、裏切りたくない、とも思う。
裏切ることによって初めて実在を証明できる信頼は、裏切られた時点で嘘でしかなく、ゆえに最初から存在していない。けれど、確実に存在している、していた、というわたし、たちの確信を夢だと言いきってしまうのは、あまりにも哀しい。
・ゲーム
バトルライン。
カードが集まらない。
・就活
してない。
もうめんどくさい。
どうでもいい。
・勉強
してない。
もうめんどくs(ry
・お友達
一緒に美術館いった。
合同説明会誘われたけど蹴った。
・要するに
何もしてない。
バトルライン。
カードが集まらない。
・就活
してない。
もうめんどくさい。
どうでもいい。
・勉強
してない。
もうめんどくs(ry
・お友達
一緒に美術館いった。
合同説明会誘われたけど蹴った。
・要するに
何もしてない。
と、タラコことまろゆき様がおっしゃっていますね!
終了したのからどんどん消していくことにするよ!
・1/7
サークルの冊子に載せる原稿の最終締切日
・1/8
レポート提出(A4*2)
テスト
・1/12
レポート提出(1200~2000字程度)
テスト(ノートのみ持ち込み可、問題は事前に出題)
・1/13
レポート提出(手書き)
エントリーシート提出締め切り(14日の14:30までに必着)
テスト(ノート、プリント持ち込み可)
・1/18
テスト
テスト(手書きノートのみ持ち込み可)
・1/26
レポート提出
テスト
・今
試験は全部おわった。
終了したのからどんどん消していくことにするよ!
・1/7
・1/8
・1/12
・1/13
・1/18
テスト(手書きノートのみ持ち込み可)
・1/26
テスト
・今
試験は全部おわった。
自分で書いた詩の意味がよくわからない。
ということは割とある。たぶん、それは必然だ。
そもそも、明確に社会的な言語を用いて表現できることを、わざわざ詩に書く必要性は存在しない。なぜなら、そのほうが「わかってもらえる」からだ。日本人にオランダ語で話しかけるより、日本語で話しかけたほうがよく理解してもらえるのと同じように。もし、日本語をしゃべれるのに、あえて別の言語で話しかけようとするなら、それは「わかってほしくない」という気持ちを無意識に持っているからだろう。
つまり、詩は「社会的言語では既に言えない範疇のことを言えるもの」、もしくは「社会的言語で言えることを隠蔽できるもの」だ、とも言える。もちろん、それとは全く関係がない、本当に「ただの写真と変わらないもの」として存在している詩もあるから、そういうものを詩だ、と言うつもりはないけれど。
詩のあり方は多様だ。そして、それらのどれが優れているか、という話は実に馬鹿げている。好みの問題があるだけだ。
ただ、一つだけ確かなのは、わたしには思想もなく、言葉遊びの才能もないから、決して知り合いのような詩は書けない、ということである。どれだけ望んでも。だから、それでいいと思う。不可能は不可能だ。それにどう向き合うかは別にしても、その前提は認めなければならない。
自分が詩に書いたことの意味を、ふとした一瞬に明確に知ってしまって、ただ茫然とする。ということは割とある。それは必然だ。
ということは割とある。たぶん、それは必然だ。
そもそも、明確に社会的な言語を用いて表現できることを、わざわざ詩に書く必要性は存在しない。なぜなら、そのほうが「わかってもらえる」からだ。日本人にオランダ語で話しかけるより、日本語で話しかけたほうがよく理解してもらえるのと同じように。もし、日本語をしゃべれるのに、あえて別の言語で話しかけようとするなら、それは「わかってほしくない」という気持ちを無意識に持っているからだろう。
つまり、詩は「社会的言語では既に言えない範疇のことを言えるもの」、もしくは「社会的言語で言えることを隠蔽できるもの」だ、とも言える。もちろん、それとは全く関係がない、本当に「ただの写真と変わらないもの」として存在している詩もあるから、そういうものを詩だ、と言うつもりはないけれど。
詩のあり方は多様だ。そして、それらのどれが優れているか、という話は実に馬鹿げている。好みの問題があるだけだ。
ただ、一つだけ確かなのは、わたしには思想もなく、言葉遊びの才能もないから、決して知り合いのような詩は書けない、ということである。どれだけ望んでも。だから、それでいいと思う。不可能は不可能だ。それにどう向き合うかは別にしても、その前提は認めなければならない。
自分が詩に書いたことの意味を、ふとした一瞬に明確に知ってしまって、ただ茫然とする。ということは割とある。それは必然だ。
2、3日忙しくて
朝にコーヒーを飲みながらケーキを食べる以外、
何1つまともなものを口にしていませんでした。
ので、久々にまともなご飯です。
今日のメニューは、
・トンカツ
・キャベツの千切り
・山芋(を細長く切ったやつに青海苔がふってある。シャキシャキでうまい)
・たくわん
・澄まし汁?(インスタント。さみしいのでおふを別に投入)
・生ハムサラダ(ドレッシングなし)
・白いご飯
でした。
いっぱい食べたよー。
美味しかった。
ちなみに、山芋はすりおろすと食べれないです。
納豆も小粒じゃなきゃ無理ゲー。
朝にコーヒーを飲みながらケーキを食べる以外、
何1つまともなものを口にしていませんでした。
ので、久々にまともなご飯です。
今日のメニューは、
・トンカツ
・キャベツの千切り
・山芋(を細長く切ったやつに青海苔がふってある。シャキシャキでうまい)
・たくわん
・澄まし汁?(インスタント。さみしいのでおふを別に投入)
・生ハムサラダ(ドレッシングなし)
・白いご飯
でした。
いっぱい食べたよー。
美味しかった。
ちなみに、山芋はすりおろすと食べれないです。
納豆も小粒じゃなきゃ無理ゲー。
468 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2007/07/03(火) 21:32:41 ID:RkWtyWUq0
人生は何歳で終わるか
0歳:産まれた時点で人生決まる説
3歳:三つ子の魂百まで説
10歳:算数落ちこぼれたらもう終わり説
12歳:英語、数学落ちこぼれたらもう終わり説
15歳:高校入試失敗したらもう終わり説
18歳:大学入試、就職試験失敗したらもう終わり説
20歳:大人の階段昇る
20歳:短大、専門、高専卒で新卒逃したらもう終わり説
20歳:二浪もう終わり説
22歳:大卒で新卒逃したらもう終わり説
22歳:ブラック企業入社したらもう終わり説
25歳:第二新卒逃したらもう終わり説
25歳:勝ち組にもうなれない説
30歳:職歴なしもう終わり説
30歳:未経験の職種に転職できる最後のチャンス説
35歳:職歴なし本当にもう終わり説
35歳:転職できる最後のチャンス説
40歳:経験があれば転職できる最後のチャンス説
***
>12歳:英語、数学落ちこぼれたらもう終わり説
>15歳:高校入試失敗したらもう終わり説
おいらはここで終わっているらしい。
人生は何歳で終わるか
0歳:産まれた時点で人生決まる説
3歳:三つ子の魂百まで説
10歳:算数落ちこぼれたらもう終わり説
12歳:英語、数学落ちこぼれたらもう終わり説
15歳:高校入試失敗したらもう終わり説
18歳:大学入試、就職試験失敗したらもう終わり説
20歳:大人の階段昇る
20歳:短大、専門、高専卒で新卒逃したらもう終わり説
20歳:二浪もう終わり説
22歳:大卒で新卒逃したらもう終わり説
22歳:ブラック企業入社したらもう終わり説
25歳:第二新卒逃したらもう終わり説
25歳:勝ち組にもうなれない説
30歳:職歴なしもう終わり説
30歳:未経験の職種に転職できる最後のチャンス説
35歳:職歴なし本当にもう終わり説
35歳:転職できる最後のチャンス説
40歳:経験があれば転職できる最後のチャンス説
***
>12歳:英語、数学落ちこぼれたらもう終わり説
>15歳:高校入試失敗したらもう終わり説
おいらはここで終わっているらしい。
言うことも笑うことも。
ただ、成すことだけが難しい。
わたしは、わたしの過去を笑えないし
自分が抱える理想を罵倒することもできないが、
他人の過去と理想を、嘲笑うことはできる。
そうやって、傷つけることで
傷つくことは、できる。
そして、傷ついて初めて
わたしは「あなた」の存在を認識する。
***
新年早々、新しいことに手を出してみたら
とても嫌そうな顔、侮蔑の眼差し、批難の声、
を浴びるはめになりましたので
もう二度としてたまるか、と思うわけです。
そうして、わたしは
自分の抱える過去を探って
「前にもこんなことがあったなぁ」とぼやく。
うらみがましい顔で、わたしに対して
にらみと、軽蔑の表情と、罵声のためのコトバを
投げつけるのは
いつも幼いころのわたしだ。
そして
目の前に立つ、わたしよりも縦も横もでかい女は
いつだって老いたわたしの顔をしている。
***
あなた、と呼んだところで
あなた、なんていませんので
返事が聞こえるはずもなく
それでも返事を待ち続けるのは
数年前に書いたように
発狂してしまうからです。
返事をする人がいないという事実は、
あまりにも苦々しいからです。
もう少し。
ただ、成すことだけが難しい。
わたしは、わたしの過去を笑えないし
自分が抱える理想を罵倒することもできないが、
他人の過去と理想を、嘲笑うことはできる。
そうやって、傷つけることで
傷つくことは、できる。
そして、傷ついて初めて
わたしは「あなた」の存在を認識する。
***
新年早々、新しいことに手を出してみたら
とても嫌そうな顔、侮蔑の眼差し、批難の声、
を浴びるはめになりましたので
もう二度としてたまるか、と思うわけです。
そうして、わたしは
自分の抱える過去を探って
「前にもこんなことがあったなぁ」とぼやく。
うらみがましい顔で、わたしに対して
にらみと、軽蔑の表情と、罵声のためのコトバを
投げつけるのは
いつも幼いころのわたしだ。
そして
目の前に立つ、わたしよりも縦も横もでかい女は
いつだって老いたわたしの顔をしている。
***
あなた、と呼んだところで
あなた、なんていませんので
返事が聞こえるはずもなく
それでも返事を待ち続けるのは
数年前に書いたように
発狂してしまうからです。
返事をする人がいないという事実は、
あまりにも苦々しいからです。
もう少し。