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めめんともり

わたしたちが ふたたび
生きるためのものは

と おそらくは 死
だけだ

少しだけまともなことでも

2010-05-02 07:04:08 | 日記
フランスの小学校は、机にかじりついてお勉強、といった感じではないらしい。

例えば海外の教育関連のニュースとかで、子供たちが丸いテーブルを囲み、わいわいやっているシーンは、見たことがある人もいると思う。日本とは全く違う型式で、必要なことを身につけていってるわけです。少なくともフランスは。アメリカはしらね。

で、その方法っていうのが、洞窟探検とかガーデニングとかなわけですよ。これプラス自習。笑ってしまうよな。昼休みは2時間。その間、先生は外のレストランでビール。子供たちはパートのおばさんが面倒を見てる。

勘違いしないでほしいのは、フランスの指導要領というのは、日本よりもはるかに厳密に定められているということです。フランスは確かに先進国の中でも学力が(笑)って感じなんですが、あの国はアジアと違ってアメリカコンプレックスがないから、アメリカ基準の学力なんてどうでもいいんですね。ただ、自国民の学力が自分たちの基準で下がると困る、とは思ってる。だから、指導要領は凄く厳密。小学校で留年することだってある。

ただ、日本の仮初の現場主義ではなく、本当の現場主義が根付いてる。フランスの小学校の先生が、洞窟探検やらガーデニングやら自習で何を見ているかというと、単純にお上から渡された「これだけは身につけさせてくださいリスト」の項目をクリアしてるかどうかを見ているのです。日本の教師よりはるかにハードだと思います。例えば、ガーデニングで種子を知ったり、洞窟探検で化石を知ったとする。先生はそれを理科の項目を開いて、この子は~を知っているにチェックを入れる。子供が「明日の朝はパンを食べる」と言ったとする。先生はそれを「~くんは未来形を使える」にチェックをいれる。1クラス20人全員に毎日それを繰り返す。1クラスはもちろん年齢とかばらばらですよ。

点数見てちょいちょいちょいと習得出来たかどうかをはかれる日本って、ある意味では凄いんです。良いとか悪いとかではなくて。それだけのノウハウがあるってことなんですね。楽が出来るだけの。

蛇足かもしれませんが、日本の教育を知って、フランスの小学校教師はこう言ったそうです。「日本は、何歳で何が出来るのかがわかっている。それだけのノウハウがある。それは凄いことだ。私たちは知らないから、そうやって授業をすることが出来ない。ぜひ日本の指導要領を読みたい」と。揶揄でも嘲笑でもなく、真面目に。

別に日本の教育が良いとか悪いとかではないのです。ただ、世界って広いんだなぁ、と思っただけなのでした。

人生とか未来とかどうでもいいじゃない

2010-05-01 21:29:04 | 日記
と言い始めたら、それこそ人生終了です。
就活サイト見るのも嫌とか重症だわもう。

なぜ、と聞かれても困るが何もかも嫌なんだから仕方がない。徹夜して14時間も寝たから疲れているだけなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

ただ、どうでもいいなぁ、って思うだけ。

別に面接で人格否定されているように感じるとか、そういうことはないんです。そもそも、自分で自分のことをブラック人材だとさえ思っているので、まあそうだろうなぁ、くらいしか。面倒くさいってだけなんですよね、結局。

ていうか、面接で落とされたごときで人格否定とか、よくそんなに自分に自信がありますねって感じで、むしろ尊敬すらする。揶揄してますよ半分くらい。嫉妬もある。そんな自己肯定意識は幼年の頃に置き去りにしてしまったもんだから、よくわからない。

強制的な自己改革なんて、出来る奴がやればいい。出来ない人間は出来ないなりに、生きるなり死ぬなり好きにすればいい。そう思うからどうでもいい。なるようにしかならない。なろうと思うようにしかならない。意志が欠如している。どうしようもない。


こうはならないようにしてくださいな。
魂の堕落ほど醜くて、哀れなことはないから。

今さらだけど日曜日のこと

2010-04-28 06:20:21 | 日記
埼玉県の観光地にいました。
川越。

神社いったりお店みたり蕎麦食ったりと、いたって普通でした。
「おかわり」って書いてある狐さん?がいたのでそれの写真と、神社の名前が書いてあるとこ以外写真とってないです。なんかうつっちゃいそうで怖いじゃない。昼間だから出ないだろうけどさ。

建物が古くて味があって良かったです。たまに古すぎて「これ大丈夫なの?」ってとこもありましたが、なんていうか、街並みがいわゆる日本で、外人にはたまらないんだろうな、と思った。

おみくじひいたら大吉でした、というのはそういうことです(ぇ
神社いったからひいたんですね。お賽銭まともにいれてないけど。
信じてないとかじゃなくて、1日に大量にまわっていれるのが怖かったとか、別に眼病なんてむしろなってしまえレベルなので御利益いらないなー、と思ったとかそんなんです。すみません。

厄除け団子は何が厄除けなのかわかりませんでした。普通でした。美味しいわけでも不味いわけでもない。なんとも言えない味。あとやたらソフトクリームが多かったな。観光地だからなのか。はちみつ味と紫芋味のどっちかは必ずある感じ。次いったら食うかもね。

交通費が片道700円ちょいと痛かった。
神社のベンチでぼけーっと座って、休んでから帰ったよ。

近ければなー。
わざわざ行くというよりは、ふらりとよってボケボケするのに良いところだと思った。

***

ちなみにおみくじですが、色と酒におぼれ狂うと凶らしいです。もうダメじゃん。
ついでに恋愛は積極的にいけ、縁談は我儘で壊れるかもとかなんとか。相手いないしダメじゃん。
さらになくしたものは遅くても出てくるとか。遅いんじゃダメじゃん。

これ本当に大吉なのか?(

学業は安心して励め、だったので頑張ろうと思います。
あと願いも叶うらしいです。叶う気配なかったし、もう潰えましたけどね。

小説書けないよおおお

2010-04-28 04:12:10 | 日記
小説書く講義で提出があるので書かなきゃなんですが、ネタがないっていうよりネタはあるけどありがちで面白くないなぁっていう。しかも締め切り明後日だぜ……?(
サークルの冊子の締め切りが6/6か。まあ頑張ろう。

とりあえず、ずっと放置していたOperaのアップデートをしました。
なんか今まで以上に透けるようになったな……(
スキン変更すれば違和感なくなるかなー、と思い、
適当に使いやすいと思ったスキンに変えてみた。使いやすい。
黒と赤の配色とかはカッコイイけど見にくいのがなぁ。
世の中上手くいきません(何が

小説はどうしようかなぁ。
悩む。

英語の勉強はそこそこ。就活は停滞中。順調にお祈り回数は増えてますが、それすらなくなりそう。他のせいにしてはいけないけど、人間関係からもう色々なことがどうでもよくなりつつある。6月までは粘るつもりなんだけどな。買った証明写真使いきるまでは。

伝えるべき言葉がないことと、相手がいないことの、どちらがより不幸で悲劇的なんだろう。

どこから何を書けばいい?

2010-04-25 22:51:06 | 日記
就活ではなく、まさか人間関係によるストレスが先にくるとは思ってなかった。そんなくだらない一文に全ては集約されてしまうわけだが、さてどうしよう(どうすることも出来ない)。

ポケパもたぶんこのまま放り出すな。言いだしっぺのくせに申し訳ないけど。

おみくじを引いたら、奇跡的に大吉だった。
「待ち人 きます」
というたった一言が現在の全てであり、また、これからの全てであろうことは自明である。未来のためには生きれないが、過去のためなら恨み事を吐いてでも生きられるだろう。それだけが全てである以上は。過去が彼岸であり続けるのであれば。

単に臆病なだけだ。誰だって傷つきたくない。傷つかないために他人を傷つけることだって平気でする。そして傷つけられた側も、自分の痛みを広げないためにその傷を許容する。「あなたが幸せならば」と口にすることで。

素直に気持ちが悪いと思った。わたしも、あなたも、結局は臆病で、自分以外はどうでもいいのだ。自分だけが全てなのだ。わたしがわたしのために「あなたのためなら死ねる」と真顔で言ったときと同じように、あなたはあなたのために「それであなたが良いのなら」と真顔で言った。

死ねると言うのは嘘だ。わたしがそれで良いというのもありえない仮定だ。だが、そのような真顔の上に立つ虚構を否定する言語を、臆病なわたしは持たない。だから、わたしは0÷0=1という可能性に賭けてそれを肯定した。現実は常に無条件で正しい。ゆえに感情は現実に屈服せざるを得ないが、その感情が屈服ではない形――感情と現実の一致という型式――によって決着する可能性に縋りついたのだ。

くだらない夢だ。虚構だ。嘘の上塗りだ。フィクションだ。

だが他にどうしろって言うんだ!
こんなに「断絶」しているのに!

ダメもう無理

2010-04-25 19:17:08 | 日記
色々なところでおかしくなってる。
結局は自分が我慢すればいいだけなのだが、それが常に出来るほど大人でもないし、能力もない。

おみくじは大吉だったんだけどね。
片っ端から破綻させてるわ。

待ち人がくるそうです。
それだけが支え。

ねむ。

2010-04-24 04:47:58 | 日記
・あした
結局、本屋巡りではなく、某観光地へ行くことになりました。
遠いんだよちくしょおおおおおおお。
でも頑張ります。相手の顔を見るために。

・えいご
勉強始めた。

・しゅーかつ
しらね

・けっきょく
ねむい

真面目そうな、主観的話

2010-04-21 15:26:19 | 日記
詩だけでなく、小説でも現代の作品について基本的に言われることがある。

「自然がない」と。

もちろん、全ての現代における文学作品に自然がない、ということではなく、傾向として自然がなくなった、描写されなくなった、ということである。もっと言えば、自然に関する記述があっても、理解出来ない人間も増えた、ということだ。桜はまだ春の代名詞として有効だろうが、多くの草木は季節の代名詞になり得なくなった(という傾向がある)。

おいらは、この指摘に対して、「事実ではあるけれど、それだけだ」と思う。同時に、「だから建設的でもなんでもない」とも。踏み込むことさえしようとしないなら、それは「テーブルにはコップがあります」と同じくらいの意味しか持たないように感じてしまう。

この「自然がない」という指摘は、現在文学に中心的存在として携わっている人がよく言う。逆に新勢力というか、「本当に現代文学と呼べるであろう現代文学に、好意的な書き手や読み手」は言わない、気がする。

「本当に現代文学と呼べるであろう現代文学」と、やたらと長い但し書きをつけたのは、いわゆる「現代」の範囲が広すぎるからである。「現代文学」なる単語は、多くは第二次世界大戦後の作品を指す。第二次世界大戦が終わったのは1945年である。もう既に65年が経過した。そして、時代の流れ――文明の発達にせよ精神の変容にせよ――は、あまりにも速すぎた。

具体例を出せば、「集団疎開しなければならい」「特攻隊に志願するかもしれない」といった形で戦争を「直接」経験してきた世代の作品も、小学生の頃には既にパソコンが存在している世代の作品も、ぶっちゃければ「現代文学」と呼んでもいいのである。同じ「戦後世代」であっても、デモをしてきた人間と、デモを冷ややかに見ることしか出来なくなった人間がいる。

そして、自然が身近にあった世代と、自然から必然的に乖離せざるを得ない状況にあった世代の境目をも、「現代文学」は孕んでいる。基本的に「文学から自然がなくなった」と発するのは、前者の人間であるのは言うまでもない。後者を「本当に現代文学と呼べるであろう現代文学」と言ったのは、既に日本においては、戦争といった多くの「戦後世代にはあったもの」が、具体的経験としては風化しつつあるからである。

***

さて、この「文学に自然がなくなった」という指摘は、ある意味では主観的ですらある。というのも、自然がなくなったのは、何も文学だけじゃなく、現実世界も同様だからである。

おいらの主観が許されるなら、そもそも文学は自然のために書かれたものではない。自然を書きたいから書いた人もいるだろうが、多くは自然が身近であり、そこにあるのが当たり前だから、書くのも当然だったし(そうしなければむしろ不自然になるから)、書かざるを得なかっただけじゃないのか、と。

だから、自然が現実世界から失踪しつつある「現代」において、自然は別の「身近に存在するもの」によって代替されるようになった。それは、木製のイスだったりパソコンだったり、鶏の卵だったり刺身だったり牛肉だったり、女の生理だったりセックスだったり、道端の雑草だったり桜の木だったりゴキブリだったりするのかもしれない。「いわゆる自然」の形では不自然だから、今もまだ「身近にある自然の片鱗」や、「自然ではない身近なもの」によって、取って代わられるようにならざるを得なかった。

「自然がなくなった」というよりは、「自然が身近じゃなくなったから、文学からもフェードアウトせざるを得なくなった」と言ったほうが正しいのではないかと。

書きたいと思っても、現実世界から消えつつあるものを、テーマではない形で組みこむのは難しい。文学の根本は、実在と不在の狭間を書くことだからだ。自然が当たり前でなくなった人間は、それを脇役として上手く用いることが出来ない。自然は既に主役という大役しか任せられない大物役者と化しているからである。

***

問題は、「自然がなくなったからなんなのか」ということだ。

この指摘が建設的でないとおいらに思わせるのは、問題提起を投げっぱなしにしているからだろう。文学から自然がなくなった、というのは事実だ。では、その事実がなぜ指摘されるほど問題なのか。問題というと語弊を招くというならば、その事実が指し示すものはなんなのか、と言い変えよう。その点が全くわからない。

だから、「今の若者は」といった類の発言と同類のように思うのである。

回帰しようにも、いわゆる自然を喪失しつつあるために、それが難しい人間に、なぜ文学という世界で自然を要求するのか。


「いわゆる自然」がないことは、悪か。

普通の日記(たぶん

2010-04-18 05:38:23 | 日記
・面接
爆死中。結果待ちもあるが、まあ無理でしょう。
励ますと余計、憂鬱になるかもしれない。
愚痴らせると、とっても喜ぶだろうと思われる。


・セクハラ
それ、言葉のセクハラだよ、と言われてショックを受けた。
「わたしのこと、可愛いっていうけど、何処が?」
って言うから必死に考えて言語化したというのに。
なんなんだよチクショウ(あの


・来週の日曜日
で、おいらがセクハラしてる相手と、来週はデートしてきます。
あ、デートっていうと殺されるので見なかったことにしてください。
ちょっと二人でぼけーっと散歩しにいくだけです。
本屋巡りするらしいよ。日曜日、店やってるのかなぁ(


・時間割
組めてない。
教職とるかも決めてない。
困るー。
でも面倒でやりたくない。


・英語の勉強
するとかいってしてないけど、いい加減始めないと色々やばめ。
でもやる気がー。
やる気出す方法とか考えたこともなかったわ……(


・卒論
どうしましょう。