おいらからしてみれば、原子記号だとか因数分解よりも、はるかに詩の歴史だとか吉原の詩のほうが重要だったりする。たぶん、多くの人からすればバカげているんだろうが、本気でそう思ってるし、実際の優先順位も上である。
そりゃ、普段から研究で因数分解なり原子記号なりを使っている人間からすれば、そちらが瞬時に出てこないことのほうが問題なのだけれど、おいらの場合は逆に吉原の詩のタイトルと内容が出てこないとか、何処の詩集に入ってたのかとか、詩集の時系列だとか、それこそ詩集が出たとき吉原が何をしていたのかとか、そういう情報のほうが瞬時に出てくれないと困るのである。
特に詩の内容とタイトルは重要で、それがないと膨大な作品を全部見なきゃいけなくなるので、検索に時間がかかりすぎてしまう。それに関する論文もあるなら、セットでタイトルと著者名とどの本にあったかあたりまで出てくるのが好ましい。
原子記号も因数分解の仕方も詩の歴史も吉原の作品も、全て「本を見れば足りる」ことである。ただ、いちいち調べてるんじゃ時間がかかるから覚えるわけだ。時間がかかってもいい、手元に本がある、すぐに調べられる状況である、のなら別に覚えなくても良いと思う。覚えたほうが良いに決まっているが、人間の脳みそには得手不得手があるので覚えられないならそれでも良いと。
要するに常識なるものは適当に日本人が決めただけってことだ。
教育内容そのものが、合理的に線引きされて決められているわけではないように。
常識なるものに必然性はないが、あると信じているのが人間である。
そりゃ、普段から研究で因数分解なり原子記号なりを使っている人間からすれば、そちらが瞬時に出てこないことのほうが問題なのだけれど、おいらの場合は逆に吉原の詩のタイトルと内容が出てこないとか、何処の詩集に入ってたのかとか、詩集の時系列だとか、それこそ詩集が出たとき吉原が何をしていたのかとか、そういう情報のほうが瞬時に出てくれないと困るのである。
特に詩の内容とタイトルは重要で、それがないと膨大な作品を全部見なきゃいけなくなるので、検索に時間がかかりすぎてしまう。それに関する論文もあるなら、セットでタイトルと著者名とどの本にあったかあたりまで出てくるのが好ましい。
原子記号も因数分解の仕方も詩の歴史も吉原の作品も、全て「本を見れば足りる」ことである。ただ、いちいち調べてるんじゃ時間がかかるから覚えるわけだ。時間がかかってもいい、手元に本がある、すぐに調べられる状況である、のなら別に覚えなくても良いと思う。覚えたほうが良いに決まっているが、人間の脳みそには得手不得手があるので覚えられないならそれでも良いと。
要するに常識なるものは適当に日本人が決めただけってことだ。
教育内容そのものが、合理的に線引きされて決められているわけではないように。
常識なるものに必然性はないが、あると信じているのが人間である。