1978年2月28日、営団地下鉄(現:東京地下鉄)東西線で、
南砂町ー葛西間の荒川橋梁を走行中の下り電車が突風に煽られ
後ろ2輌が脱線、最後部の2輌が上り線路上に横転するという事故が発生しました。
トラス橋だったため、車輌の川への転落は免れましたが、
地下鉄が鉄橋の上で風による転覆というニュースは、
当時の世間に「何で?」という感じを抱かせました。
同橋梁は風の影響が強いため、風速監視がされていましたが、
事故発生当時は運転規制が必要なほどの風は吹いておらず、
突発的な竜巻によるものとも言われています。
発生時間が夜9時半過ぎと遅かったこともあって、
幸い20数名の負傷者が出ただけで済みましたが、
例によってマスコミはステンレス製の軽量車体が原因とか、
犯人追求に血道を上げていました。
この時は、竜巻による走行中の鉄道車両への影響は滅多に無いものとして、
不可抗力で終ったようですが、
一昨年と昨年、倍近い自重の鋼製車輌が竜巻により脱線し、
羽越本線の事故では犠牲者まで出るに至ったことは
記憶に新しい出来事です。
南砂町ー葛西間の荒川橋梁を走行中の下り電車が突風に煽られ
後ろ2輌が脱線、最後部の2輌が上り線路上に横転するという事故が発生しました。
トラス橋だったため、車輌の川への転落は免れましたが、
地下鉄が鉄橋の上で風による転覆というニュースは、
当時の世間に「何で?」という感じを抱かせました。
同橋梁は風の影響が強いため、風速監視がされていましたが、
事故発生当時は運転規制が必要なほどの風は吹いておらず、
突発的な竜巻によるものとも言われています。
発生時間が夜9時半過ぎと遅かったこともあって、
幸い20数名の負傷者が出ただけで済みましたが、
例によってマスコミはステンレス製の軽量車体が原因とか、
犯人追求に血道を上げていました。
この時は、竜巻による走行中の鉄道車両への影響は滅多に無いものとして、
不可抗力で終ったようですが、
一昨年と昨年、倍近い自重の鋼製車輌が竜巻により脱線し、
羽越本線の事故では犠牲者まで出るに至ったことは
記憶に新しい出来事です。