中鉄雑記帳

中国と鉄道(実物・模型)に関するあれこれ。

今は昔

2006-07-31 08:36:06 | 鉄道関連
1959年の7月27日から、東海道本線金谷~焼津間で行われていた
高速度試験において、
最終日の31日に、国鉄151系電車が当時の狭軌鉄道最高速度である、
時速163㎞を記録しました。
ちなみに、それまでの記録は2年前に小田急3000形が記録した時速145㎞、
現在の国内の記録は1985年に国鉄381系電車が記録した時速179.5㎞です。
新技術が開発されたとき以外は、あまり記録更新のための速度試験は
おこなわれていないようです。

この151系電車、通称「こだま形」と呼ばれ、新幹線開業前の
東海道本線の花形特急として、日本中の注目を集めました。
今では新しい鉄道車輌が出来ても、ファン以外にはほとんど注目されず、
鉄道が日本人の生活の中から、その地位を失ってしまった感があります。

私も2歳の頃、小田原駅でこの151系の上り「第2こだま」と、
続いて来た157系(通称日光形)の上り特急「ひびき」に連続でやってきて、
カッコイイ電車に乗れると期待したところあっさり通過。
なぜ停まらないのか理解できず、
子供心にずいぶん悔しい思いをした覚えがあります。

タイトルの写真は、昭和1974年頃の甲府駅で撮影した物。
家族で西沢渓谷へ遊びに行った帰りに、偶然入ってきたあずさが、
時速163キロメートル記録の記念プレート(通称チャンピオンマーク)
付きの車輌でした。
小さくて見づらいですが、連結器カバー上の四角いプレートです。



NHK生中継

2006-07-30 10:56:14 | ライブスチーム
去る7月29日、行徳駅前公園における
市川蒸気鉄道クラブ運転会の模様がNHKテレビ
朝のニュース内で放送されたことは、
あちこちのサイト・ブログや本番放送で御覧になった方も
多いと思います。

詳細はそちらを参照して頂くとして、
放送に表れなかった裏話などを。

まず、当日が雨の場合に備えて7月運転会で、
普段の運転会の様子が予備映像として撮影されました。
このときに運転会に来場した方は、29日が雨だった場合は
テレビデビューを果たしたかも知れませんが、
残念ながら、本放送では当日早朝(朝6時頃)から来て頂いた方が
映像に映りました。

この間にも、入田直子氏が来場して、当日取材予定のクラブ員に
直接取材したり、当日の段取りを決めるために、
かなりの予備取材と調査をしていました。

撮影前日は午後より、撮影列車(運転列車と平行して撮影用スタッフを乗せた
列車を走らせます)の段取りや速度調整など、
併せて撮影用固定カメラの位置やケーブル捌きなど、
6時間近くもかけて、入念にチェックが繰り返されました。
ちなみにこの撮影列車。
段取りを覚えている必要があるため、機関車および機関士はリハーサル時と
変更不可という厳しいもので、
機関士役のクラブ員は、当日同乗して指示を出すディレクターから、
肩を叩いたら停止とかの合図を決め、すっかり調教されていました。

当日が早いので、撮影用機材は前の日から設置したまま、
当日はインタビューを受けないクラブ員も含めて、
ドライとカメラあわせて3回くらいリハーサルを行いました。

6時台のニュースでは時間が短いのでほぼ予定通りに進行。
携帯電話で家族に「映った?」と早速問い合わせるクラブ員もいましたが、
ほとんどが「一瞬で分からなかったよ」。

7時台のニュースでは8分間と少し長めです。
予定通り進行して最後に入田氏がC58牽引列車に乗る予定の少し前、
C58の前に先行して走っていた電気機関車が故障で立ち往生。
一瞬パニックになるも、スタッフ以下が手で押してとにかく移動させ、
本来停まって入田氏を待っているはずの段取りの所を、
逆にC58が走り込むというシーンになってしまいました。
もっとも、それほど違和感がなかったので、
テレビで見ていた方は、予定通りの進行に見えたと思います。

現場ではそんなバタバタがありましたが、後で放送を見てみると、
ちょうどこの時、音声が10秒ほど途切れるという事故があったようです。

そんなこんなで撮影もまぁ無事終了。
反響も大きく、NHK内部でも大成功との評価だったとのことで、
スタッフもクラブ員もほっと一息。
最後に入田氏を囲んでクラブ員と市川市の担当職員との記念撮影を行ったのが
タイトルの写真です。

家に帰ってから、ビデオに撮った放送を丹念に見たのですが、
発見できなかったハプニングがもう一つありますが、
それは公開しないでおきます。



C58製作記 ~フレーム編~ その2

2006-07-28 09:31:49 | ライブスチーム
さて、ほとんどの穴あけを終ったフレームですが、
まだ作業し残りのところがあります。
すぐにも作業を継続したいところですが、
なんせ暑くて気合が入りません。
それでも7月には動輪舎の池袋工場へ行って、
イコライザ関係の関節リベットの穴あけを行ないました。
これは、関節部分をリベットで止めるようになっているのですが、
本格的にカシメてしまうと外すときが大変なので、
頭でない方に割りピンの通る穴を開け、
割ピン止めにするという、実物と同じ方法です。

もっとも割りピンを使用しても、嵌めたり外したりは結構大変なので、
フレームの内側に割ピンが来る部分などは、
市販のRピンを使うことにしました。
これならラジオペンチ一本で嵌めたり外したりができますし、
外したRピンは再利用が可能です。

8月に入って、やっとフレームの残り穴の作業を行ないました。
これはリーマー加工とタップ立てがあったので、
W田さんに手伝ってもらうことになっていました。
実際のタップ立てはS水さんにお願いしました。
M3くらいのタップなので、手作業でも可能なのですが、
きちんと垂直を出したかったので、機械でやってもらいました。

ここまでで、フレーム関連部品の基礎加工は終了。
あとは組み立てるだけです。

(つづく)

ロッキード事件

2006-07-27 09:29:51 | 薀蓄
1976年の今日、いわゆるロッキード事件の一連の捜査の中で、
当時の田中角栄総理大臣が受託収賄、外為法違反他の容疑で逮捕されました。
現職総理大臣の逮捕は他に例がありません。

国会の証人喚問の場で発せられた「記憶にございません」という言葉は、
都合の悪いことをとぼけるための言葉として、
当時の流行語にもなりましたが、
未だにこの言葉で使って国会で言い逃れをする方々を見ると、
進歩のなさにあきれます。

この証人喚問の関係者と目された方々のあまりのうろたえ振りが、
テレビ中継によって白日の下に晒されたため、
政府にとって都合の悪い証人喚問は映像中継を認めないという
暴挙のきっかけになってしまいました。

事件が発覚したのは田中元総理の親中姿勢を快く思わなかったアメリカ政府のリーク
とも言われていますが、田中元総理自身に贈収賄行為そのものに対する
罪悪感が希薄だったとも考えられます。

岸信介元首相は、田中角栄元首相を評して、
「あいつは刑務所の塀の上を歩いているようなやつだ」と言ったそうですが、
これは、常に塀の内側に落ちる(逮捕され有罪となる)ようなことを
やっているという意味にも取れますが、
暗に「自分はどんなに悪いことでも決して尻尾をつかまれないよう巧妙にやった」
と言いたいと考えられます。

実際、この岸信介元首相は決して表には出てこないものの、
疑獄事件では毎度黒幕として噂に登る人物だったそうです。
現在の安倍晋三官房長官は、この岸元首相の血縁ということで、
私的にはあまりいい印象はありません。

ポツダム宣言記念日?

2006-07-26 09:52:16 | 薀蓄
今日はポツダム宣言記念日だそうです。
わざわざ記念日にしなくても、
先の戦争の反省と過ちを繰り返さない誓いを新たにする日であれば、
敗戦記念日があればいいと思います。

言うまでもなくこのポツダム宣言は、事実上の無条件降伏勧告で、
連合軍とりわけアメリカの望むような国を作るのであれば、
これ以上の一方的殺戮は止めて停戦に応じるよという宣言です。

この宣言を受け取った日本政府が、天皇大権の保証が確実でないとして、
宣言受諾を渋った結果、原爆投下、ソ連の参戦などが起こり、
最終的には、天皇自体の裁可を以ってポツダム宣言受諾、敗戦が決まりました。

天皇大権の存続以外に政府がこだわった点として、
「日本国民の自由な意思による新しい政府の設立」という条項に対し、
「政治は特権階級のものであり、平民が口を出す権利などない」と
反対した閣僚や議員もいたそうです。

こんな政府を作り上げた「明治維新」を、
日本政府は「日本における近代民主主義革命」と歴史教育しているわけですから、
民主主義という言葉の意味を全く理解していないことがはっきり解ります。

ところで、この民主主義や共産主義、人民、資本、経済などは、
明治の初期に西洋から経済学・政治学などが伝わったときに、
日本で作られたいわゆる「和製漢語」です。
名訳も多いのですが、漢字になっていると字面だけを見て納得した気になり、
本来の意味を理解できない場合が多いのは、
未だに多くの日本人が民主主義の意味を理解できず、
「天皇も反対だったからA級戦犯合祀反対」に傾いてしまうというのは、
困ったものです。
(困るのは合祀反対ではなく、お上の意見に盲従する習慣)

ところで、日本のポツダム宣言受諾後、
「暴に報いるに恩を以ってす」と、戦勝国の分割統治等に反対し、
極力日本がそのままの形で残ることに努力してくれたのは、
皮肉なことに近衛首相が相手にせずと言った蒋介石でした。

その後、蒋介石は国共内戦時にあまりに指導者として無能振りを発揮したため、
支援元のアメリカからまで相手にされなくなり、
毛沢東率いる中国共産党が国号を中華人民共和国と定め、
中国全土を統治するようになりました。

で、共産主義、共産党、人民、共和国など、
現在の中国の根幹を既定する言葉の多くが、
和製漢語を中国語読みにした形で使われています。
つまり、国号自体が「中華」以外全て日本製という、
文化の侵略だか恩返しだかわからない状態となりました。


非理法権天マ

2006-07-25 09:17:19 | Weblog
1998年の今日、和歌山砒素カレー事件が発生しました。
不明瞭な部分もありますが、1審では死刑判決が犯人と目される女性に下されました。
犯行自体は許されるものではありませんが、その後の保健所の対応が悪く、
助かったかもしれない被害者を犠牲者にしてしまったことは残念です。
もっとも、死者が出なければ殺人罪ではなく殺人未遂で、
罪一等が減じられたかもしれません。
それはそれで行為を処罰するのではなく結果を処罰することになり、
法理論上はどうかわかりませんが、道理としてはおかしいような気もします。

ところでこのカレー事件。
マスコミが大騒ぎし、警察や検察より先に犯人を作ってしまうという嚆矢になりました。
このマスコミの体質は変らず、最近でも秋田での殺人事件で、
警察発表より早く犯人を名指しし、プライベートまでを面白おかしく暴露するといった
暴挙を行なっています。

確かに状況証拠が揃っていて逮捕に踏み切らない警察に対する
催促の意味合いがあったのか見知れませんが、
自白や物的証拠もない段階での逮捕は、
意図的に行なうのでなければ警察としてもはばかられるでしょう。

このような状態で、将来裁判員制度が実施された場合、
マスコミの作り上げた「犯人像」に踊らされ、
正しい判定が下せなくなるのではないでしょうか?
マスコミの最終目的は雑誌の売上向上や視聴率向上ですから、
話題性のないネタは報道されにくいでしょうし、
場合によっては小さな事実を針小棒大にして報道することもあるでしょう。
特に最近のマスコミは、報道対象を正悪いずれかに強引に分類し、
正となれば徹底的にかばう、悪となれば徹底的に攻撃する。
事実が明らかになるに連れて、対象が正から悪に変った場合など、
変節をものともせず一方的に悪者をたたくという姿勢は、
ライブドア事件を見るまでもありません。

タイトルは、オリジナルであればご存知の方も多いかと思いますが、
菊水とともに楠正成の旗印にされた「非理法権天」。
非は理にかなわず、理は法にかなわず、法は権(力)にかなわず、
権は天にかなわずというものです。
天はマスコミにかなわずなどという世の中には
なって欲しくないものです。



ご近所さん

2006-07-24 12:54:07 | Weblog
今月23日(日)の午前3時頃、
市川市湊新田のラーメン屋さんに
車が突っ込んだというニュースを見てびっくり。

湊新田といえば、我が市川蒸気鉄道クラブのホームレイアウト、
行徳駅前公園のある場所です。

運転会や作業日の昼食は、たいてい通り向かいの蕎麦やさんに行くのですが、
混んでいたり、気分を変えたい時には、
3分ほど歩いて、イタメシ屋さんか、ラーメン屋さんに行きます。
(このイタメシ屋さんは、近隣では有名だそうで、
わざわざ遠くから訪れる人もいて、昼飯時にはいつも混んでいます)

で、件の店の名前が載っていたのでさっそく場所を調べてみました。
事件があったのは、行徳駅向こうのバイパスの方で、
とりあえず普段行ってるラーメン屋さんとは関係ありませんでした。

この事件、運転者は酔っていたとは言いますが、
故意に突っ込んだことを認めているそうで、
以前、店との間で何らかのトラブルがあったのではないかと疑われているそうです。

しかし、いくらトラブルがあったからといって、
車で突っ込むのは穏やかじゃない上に、
店のお客さんが一人重症ということで、
トラブルの原因がなんであれ、同情の余地はありません。

最近、なんか突然切れて突拍子もない行動に走る事件が
多くなってきているような気がします。
単にカルシウム不足とかなら、摂取すればいいだけの事ですが、
目に見えない環境破壊が原因だったりと考えると、
非常に恐ろしい気持ちになります。


天は我を見放した?

2006-07-21 09:44:41 | Weblog
靖国神社へのA級戦犯合祀について、
昭和天皇が非常な不快感を持っていたことが記された手記がみつかり、
さかんに小泉首相の靖国参拝に対する反対記事を書いていた朝日新聞などは、
鬼の首でもとったかのような大騒ぎをしています。

任期切れを見据え、既に後は野となれ山となれの小泉首相は、
「考え方は人それぞれ」なんて他人事のように言っていますが、
外圧に屈せず靖国参拝を明確に打ち出している安倍幹事長にとっては
総裁選に向けての出鼻を挫かれた形でしょう。

A級戦犯合祀や国家元首の靖国参拝に賛成している方は、
たいていが天皇陛下に対する並々ならぬ忠誠心もお持ちでしょうから、
ただひたすら天皇と日本国民のために事を起こしたのに、
その天皇から逆賊呼ばわりされてしまった2.26事件の指導者たちのようなショックでしょう。
もっとも、そのような方々からは「でっちあげ」「こじつけ」と、
当の手記に対する批判が相次いでいるようです。

手記の真贋や、記録者がどの程度天皇の発言を意訳して記したかはわかりませんが、
日独伊三国同盟を強引に推進し、結果として日本を戦争に引きずり込んだ松岡洋右に対して、
深く嫌悪していたということは、当時から松岡洋右に対する不信感を顕にしていたという
他の側近の記録とも符合します。

問題のA級戦犯自体は、勝利者の何の法的根拠もない一方的な手続きによって、
連合軍に対する犯罪人とされた人たちであり、
日本国民に対する戦犯ではないということで、
合祀論者はA級戦犯も日本にとっては立派な英霊と捉えているようです。

確かに東京裁判自体はインド代表のパル判事が喝破したように、
何の国際法的根拠もない単なる勝利者の敗者に対するイジメに他ならないのですが、
単に日本人の手によって裁かれていないというだけで、
A級戦犯のうちの何名かは、充分に日本国/国民に対して、
亡国の責任を取らなければならない立場にあったと思います。


夢はどこへ消えた?

2006-07-20 09:42:03 | 薀蓄
1969年の今日、アポロ11号が月面に軟着陸しました。
(厳密には、日本時間では7月21日になります)
「この足跡は小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩である」という、
月に人類初の足跡を残したアームストロング船長のコメントとともに、
幼少の頃とはいえ忘れられない思い出です。

翌年の大阪万博ではこのとき持ち帰った「月の石」がアメリカ館で展示され、
数時間の入館待ちのあげくにほんの数十秒しか見ることが出来ないという
大騒ぎになりました。

この時は、それこそ21世紀は宇宙時代で、SFのように人類が月や火星の
可住化と植民地化に成功し、一般人が気軽に宇宙旅行できる時代が来ることを
予感させられたものでした。

その後のオイルショックや米ソ冷戦の悪化に伴い宇宙開発予算は縮小、
宇宙開発も頓挫し、今では月への有人飛行すら計画のない状態です。
予算がつぎ込まれるのは、軍事衛星や大陸間弾道弾など軍事利用が目的の
技術だけ。
そんなに戦争が好きならば、いっそのこと地球規模で宇宙軍を作り、
いつ来るかわからない宇宙人襲来に備えて、
兵器の開発と訓練をやってればいいでしょう。

ところでこのアポロ11号が月着陸したときに生まれた人が既に37歳。
現在、日本人の44%がアポロ以降の生まれだそうです。
暗い話が多いこんな時代ですが、あの頃のような夢と希望にあふれた時代が
再び巡ってくることを願ってやみません。

光化学スモッグ

2006-07-18 08:09:08 | 薀蓄
1970年の今日、7月18日。東京の杉並区で、
日本で初めて光化学スモッグが発生しました。
当時は、突然目の痛みや吐き気を訴えて倒れても
原因もわからず、
「光化学スモッグ」が原因といわれても、
そもそもそれが何なのかも一般には知られていませんでした。
その後、光化学スモッグ注意報や警報が発令された時には、
建物の中へ入って外へ出ないようにと
注意されたような覚えがあります。

自動車の排ガスなどが原因で発生する公害の一種ですが、
排ガス規制の強化などで、あまり被害も聞かなくなり、
いつのまにかそんなものがあったことすら忘れ去っていましたが、
人間の方も耐性が出来て、少々のことでは具合が悪くなったりしなくなったのかもしれません。
ところが、近年再び光化学スモッグが増えだしているそうです。
もっとも、ここ数十年来の公害病といえば「花粉症」。
私はほとんど症状は出ませんが、一度発症すると、
根治の可能性がほとんどないところが辛いところです。

しかし、この花粉症も公式には単なるアレルギーの一種として扱われているようで、
排ガスとの複合汚染や環境ホルモンといった捉え方はあまりされていないようです。
ひどい花粉症の人でも、地方の空気のきれいなところへ行けば、
杉林のなかでも発症しないそうなので、
あきらかに公害の一種だと思うのですが。