1959年の7月27日から、東海道本線金谷~焼津間で行われていた
高速度試験において、
最終日の31日に、国鉄151系電車が当時の狭軌鉄道最高速度である、
時速163㎞を記録しました。
ちなみに、それまでの記録は2年前に小田急3000形が記録した時速145㎞、
現在の国内の記録は1985年に国鉄381系電車が記録した時速179.5㎞です。
新技術が開発されたとき以外は、あまり記録更新のための速度試験は
おこなわれていないようです。
この151系電車、通称「こだま形」と呼ばれ、新幹線開業前の
東海道本線の花形特急として、日本中の注目を集めました。
今では新しい鉄道車輌が出来ても、ファン以外にはほとんど注目されず、
鉄道が日本人の生活の中から、その地位を失ってしまった感があります。
私も2歳の頃、小田原駅でこの151系の上り「第2こだま」と、
続いて来た157系(通称日光形)の上り特急「ひびき」に連続でやってきて、
カッコイイ電車に乗れると期待したところあっさり通過。
なぜ停まらないのか理解できず、
子供心にずいぶん悔しい思いをした覚えがあります。
タイトルの写真は、昭和1974年頃の甲府駅で撮影した物。
家族で西沢渓谷へ遊びに行った帰りに、偶然入ってきたあずさが、
時速163キロメートル記録の記念プレート(通称チャンピオンマーク)
付きの車輌でした。
小さくて見づらいですが、連結器カバー上の四角いプレートです。
高速度試験において、
最終日の31日に、国鉄151系電車が当時の狭軌鉄道最高速度である、
時速163㎞を記録しました。
ちなみに、それまでの記録は2年前に小田急3000形が記録した時速145㎞、
現在の国内の記録は1985年に国鉄381系電車が記録した時速179.5㎞です。
新技術が開発されたとき以外は、あまり記録更新のための速度試験は
おこなわれていないようです。
この151系電車、通称「こだま形」と呼ばれ、新幹線開業前の
東海道本線の花形特急として、日本中の注目を集めました。
今では新しい鉄道車輌が出来ても、ファン以外にはほとんど注目されず、
鉄道が日本人の生活の中から、その地位を失ってしまった感があります。
私も2歳の頃、小田原駅でこの151系の上り「第2こだま」と、
続いて来た157系(通称日光形)の上り特急「ひびき」に連続でやってきて、
カッコイイ電車に乗れると期待したところあっさり通過。
なぜ停まらないのか理解できず、
子供心にずいぶん悔しい思いをした覚えがあります。
タイトルの写真は、昭和1974年頃の甲府駅で撮影した物。
家族で西沢渓谷へ遊びに行った帰りに、偶然入ってきたあずさが、
時速163キロメートル記録の記念プレート(通称チャンピオンマーク)
付きの車輌でした。
小さくて見づらいですが、連結器カバー上の四角いプレートです。