中鉄雑記帳

中国と鉄道(実物・模型)に関するあれこれ。

世界禁煙デー

2006-05-31 10:05:29 | 薀蓄
1989年に世界保健機関(WHO)が定めた国際記念日で、
日本では今日から6月6日までが禁煙週間となっています。
といっても、愛煙家はもちろん、積極的に嫌煙運動を行なっている人以外は、
非喫煙者でも知っている人は多くはないのではないでしょうか?

最近、禁煙治療にも保険が適用できるようになりましたが、
これはタバコを止めたいけど、自分の意志の力だけではという人のため。
積極的(強制的)に禁煙政策を推し進めるなら、喫煙者はあらゆる疾病について、
保険治療の自己負担比率を10割にしてしまうほうが手っ取り早いと思います。

明確な因果関係は証明されていませんが、排煙や副流煙が他人の健康に与える影響、
煙や臭いが他人に与える不快感、火の不始末による火事や他人への火傷など、
嗜好品とはいえ周囲に非喫煙者がいる場所での喫煙は、
充分気を配る必要があると思います。

私自身としてはタバコは吸わないのですが、別の意味での愛煙家。
蒸気機関車の煙をこよなく愛する一人です。
こちらもばい煙やら一酸化炭素やら(人によっては)悪臭やら、
興味のない人にとっては、単なる迷惑でしかないかもしれません。

ただ、蒸気機関車が輸送を通じて経済や産業の発展に非常な貢献してきた
偉大な文化であるとお目こぼしをいただいて、
これからもその価値を知ってもらうような活動を続けさせていただきたいと思います。

命日

2006-05-30 10:03:52 | 薀蓄
5月30日には、有名な旧日本海軍の将校が2名亡くなっています。
一人は説明の必要もないくらい有名な東郷平八郎元海軍大将。
(旧日本軍では元帥は名誉称号のようなものなので、階級はあくまで大将)
1934年に亡くなっています。
世界的に知られている名将ですが、
この人を名将たらしめたのは、その軍事的才能ではなく、
(「百発百中の砲1門は百発一中の砲100門に勝る」という
有名な言葉を残していますが、数学的にも誤りはあきらかで、
さすがに海軍部内でも精神論としてしか服膺されなかったようです)
不動の信念とカリスマ性など、将器そのものであったと思います。

自分の方針を示して部下に案をつくらせ、最終的に決まった案には素直に従い、
率先して先頭に立ち、万が一の時には責任を取るという姿勢は、
現代でも指導者に望まれる資質だと思います。

もっとも晩年は今で言う認知症のような状態だったらしく、
その海軍内における絶対的カリスマ性を主戦派に利用され、
軍備拡張・軍部独走の手助けをしてしまうという、
晩節を汚すような残念な結果になってしまいました。

最近になって「肉じゃが」の発明者として名前が復活。
どの在任地のときに始めて作られたかで、佐世保と舞鶴(ともに軍港のあった地、
厳密には鎮守府という組織の長官であったが、専門的になるので説明は省略)
で本家争いをしているようです。

さて、もう一人は1976年に亡くなった淵田美津雄元海軍大佐。
この人は真珠湾奇襲の総指揮官だった人で、
機上から「ト」連装(全軍突撃せよ・・-・・)および
有名な「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり・・-・・ ・・・)
の発信命令を出した人です。(実際の無電発信は電信員の仕事)

ミッドウェー作戦でも総指揮官の予定だったのですが、
作戦前に艦内で虫垂炎を発病。攻撃には参加できずに、
日本へ帰ってきました。
その後は激戦地での勤務がないまま敗戦で退官。
後年キリスト教に入信し、布教活動に残りの人生をささげた人です。




エベレスト初登頂

2006-05-29 09:00:21 | 薀蓄
今日は1953年にエベレストが初登頂された日です。

イギリス隊のニュージーランド人エドモンド・ヒラリーと、
現地シェルパのテンジン・ノルゲイが
30年来のイギリスの悲願を達成しましたが、
初登頂はイギリス人ではなかったと言うところは
皮肉なことです。

わりと有名な話ですが、本当の初登頂は、
1942年イギリス隊のジョージ・マロリーではないかという説があります。
頂上アタックに出発後行方不明となったため、
登頂後の遭難か、そうでないのかが議論の元になっています。

登頂説の根拠として、彼が「登頂に成功したら奥さんの写真を頂上に置いてくる」
と言い残して出発し、後に遺体が発見された時に、その写真がなかったため、
登頂後の遭難ではないかと言われていますが、
公式には認められていないようです。

もっとも、登山というものは(旅行等でもそうですが)、片道切符ではばく、
帰ってくることを前提として行なわれるもの。
無事に帰って来れなかった以上、たとえ頂上に達していても、
それを登頂とは呼べないのではと私は考えます。

長岡市花いっぱいフェア2006運転会(二日目)

2006-05-28 23:19:38 | ライブスチーム
明け方には雷を伴う大雨。
どうなることかと思いましたが、
朝8時過ぎには曇り空ながらも、なんとか雨は止みました。
それでもいつ降ってくるか不安な中、午前10時の運転開始にあわせ、
蒸気機関車はスチームアップを始めました。
模型とはいえど、蒸気機関車は火を入れてから走行可能になるまで、
10~20分くらいかかります。
そうこうするうち、遂に雨が。
最初は小ぶりだったのですが、10時に近づくにつれ、どんどん大粒になり、
雨脚も激しくなってきます。

これでは運転する我々だけでなく、お客さんもずぶぬれになってしまうので、
しばらく運転を見合わせ天候回復を待つことにしました。

ところが天候が一向に回復しません。
午前9時から運転開始を楽しみに待っていてくれた小さな男の子がいたのですが、
諦めきれずに、ずっと待っていてくれています。
なんとかしてあげたいので、小止みの隙に一周だけ運転。
ミニSLを楽しんでもらいました。

雨の中の長時間の待機で調子がおかしくなってしまった機関車もありましたが、
11時過ぎから徐々に天候が回復に向かい、
11時20分頃にはなんとか雨も上がったので、運転会を開始し、
会場内に案内放送をしてもらったこともあり、徐々にお客さんも集ってきて、
いつもの運転会の雰囲気になりました。

午後は予定通り1時から運転開始。何とか雨も落ちてこず、
予定通り3時まで運転会を行なうことが出来ました。
今回は去年ほど大々的に地元新聞等で紹介されなかったせいか、
去年ほどの行列は出来ませんでしたが、
それでも2日間で2000名以上のお客さんにミニSLを楽しんでもらいました。
朝9時から楽しみに待っていた男の子も午後には再び訪れ、
何週もいろいろな機関車牽引の列車を楽しんでいました。

運転会終了後は撤収作業。
手馴れたもので1時間ほどで線路等の撤去とトラックへの積み込みが終了。
天候も我々に対して「お疲れさま」ということか、
撤去完了まで雨が降らずに済みました。

運転会中、「この次はいつ長岡で運転会がありますか?」と聞いて来る方もいて、
このイベントが地元の方の楽しみと良い思い出になれば、
我々としても、長岡を訪れた甲斐があると言うものです。

ただ、現実問題として、我々が度々長岡まで遠征して運転会を行なうのは、
なかなか難しいものがあります。
可能であれば、我々のホームベースである市川市行徳駅前公園のように、
自治体が住民のための施設ということで場所を提供し、
設備の保守・管理と運転関連を地元の愛好家による団体が行うというのが
望ましいと思われます。

もし、クラブ運営等について話を聞いてみたい方、興味のある方は、
市川蒸気鉄道クラブのホームページから、
メールでお気軽にお問い合わせください。



長岡市花いっぱいフェア2006運転会(一日目)

2006-05-27 17:43:02 | ライブスチーム
心配された天候も快晴、気温も高過ぎるのを除けば
絶好の運転日和となりました。

9時過ぎから試運転開始。
たくさんの人に見守られながらの準備です。
公式運転開始の10時半前には、すでに結構な列が。

蒸気機関車や電気機関車による列車を常時4列車ほどの運転で、
足を運んでくれたお客さんを運んでいきますが、
たくさんのお客さんが訪れてくれたので、
乗車待ちの列はなかなか短くなりません。
2年目とはいえ、長岡まで出向いての運転会で
ミニSLを楽しみに訪れてくれた大勢の人たちを見ると、
本当に「来てよかった」という気になります。

結局1日の乗客約1800人。
事故もなく無事初日の運転会を終了することができました。
明日は天候に不安もありますが、
よほどの大雨でもなければ運行する予定ですので、
興味のある方は、ぜひ訪れてください。



長岡市花いっぱいフェア2006運転会(前日)

2006-05-26 17:41:55 | ライブスチーム
以前にちょっと書きましたが、長岡市役所から
市川蒸気鉄道クラブへ全日本花いっぱい長岡大会の共催イベントである、
長岡市花いっぱいフェア2006のイベントの一部として、
ミニSLの運転会をやってほしいとの話がありました。
我がクラブとしては、これにクラブ公式行事として対応することを決定、
今回の仕儀になりました。

で、今日は本番前日の設営日。
線路など必要機材一式をトラックに積み、午前10時頃東京を出発。
午後2時ごろに会場となる、「千秋ヶ原ふるさとの森」に到着しました。
昨年も同じ敷地のリリックホール前で運転会を行ったのですが、
今回は多少場所が異なります。

今回は長岡市役所主催のイベントと言うことで、
設置場所の一般車の移動とか、テント等の手配は、
全て市役所側が行なってくれたので、
とてもスムースでした。

設営自体は手馴れたもの。
午後4時前には線路の敷設も終了。
5時過ぎにはすべての準備が終了して、
明日の天候を気にするだけとなりました。


エマ

2006-05-25 10:12:29 | Weblog
完結編となる「エマ」7巻を読了。
ご存知の方もいるかもしれませんが、
マンガ好きにはわりと有名な「メイド」マンガです。
「メイド」と言っても今ブームのいわゆる「メイド萌え」とは全然関係なく、
ブーム以前から連載されていた、
19世紀末、ヴィクトリア朝華やかなりし頃のイギリスを舞台にした、
ジェントリ(新興有産階級)のおぼっちゃまとメイドの身分違いの恋物語です。

時代考証もかなりしっかりしていて、私にはあまり馴染みのなかった
近世イギリスの社会構造や住み込み使用人、貴族・ジェントリや
一般労働者の生活などを、楽しみながら知ることが出来ました。

HouseKeeperは一般に家政婦と訳されていて、
日本では職業的家事労働者全般を指すことがほとんどですが、
本来は女性使用人を束ねる立場で、使用人の中では地位も高く、
男性の執事に匹敵する重要な役職だったと言うことや、
貴族やジェントリの屋敷に勤めるメイドは、
ハウスキーピング担当のハウスメイド、洗濯担当のランドリーメイド、
料理担当のキッチンメイド、子守り担当のナースメイド、その他などに分かれ、
メイド養成学校などもあり、一種行儀見習のような職種であったことも、
初めて知ったことでした。

もちろん、一般家庭で家事全般をこなす、AllWorksと呼ばれるメイドもいたようで、
こちらはお屋敷勤めに比べると、やや社会的評価が低かったようです。

関連書籍として、「エマ・ヴィクトリアンガイド」という本も出ていますので、
ヴィクトリア朝時代のイギリスの生活文化や、使用人文化に興味のある方は、
読んでみると面白いかもしれません。



C58製作記 ~フレーム編~ その1

2006-05-24 10:09:55 | ライブスチーム
「C58のフレーム部品がほぼ出来上がったよ」ということで、
動輪舎の池袋工場へ取りに行ったのが6月。
大きな加工はないのですが、フレームの穴あけは
自分で行なわなければなりません。
もっとも穴あけ位置は皿モミしてあるので、
ドリルで指定の径の穴をあけるだけです。
一番面倒な正確なケガキ作業が必要ないので、
難易度は高くありません。
といっても片側で約40ヶ所。フレームは左右2本あるので、
都合100ヶ所弱の穴を開けなければなりません。

ボール盤とキリ(ドリル刃)を借りて穴あけスタート。
第三動輪のホーンステー(軸箱抜け止め)は、
垂直を維持するのが難しいのでW田さんに見本を見せてもらいましたが、
あとはひたすら開けまくり。
穴あけ指示図面と見比べながら、穴径を間違えないよう注意しつつの作業です。
なんとなく蒸し暑い中、午前中から夕方までかかって、
やっとほとんどの穴を開け終わりました。

一部の座繰りが必要な個所と、直接タップを切らなければならない個所を残して
作業終了。
ボール盤周辺は切粉(切削した素材のカス)だらけになりました。

残りの部品は自宅へ持ち帰り、整形と仮組みです。
組み立て面はフライス加工がされていますが、
それ以外の部分は2次加工はされていません。
鋳物部品はバリも多いので、金工やすりでだいたいのバリを落としたあと、
高速ルーターで仕上げの整形を行ないました。

つづく

みなとみらい

2006-05-23 17:23:30 | Weblog
仕事で横浜のランドマークタワーへ。
京浜東北線の車窓から見ると、
廃止になった東急東横線の横浜ー桜木町間は
まだ完全に撤去されていないのがわかります。
かつて、高島町の線路撤去跡でライブ大会
(もちろん生音楽演奏でなく、模型蒸気機関車の大会)
をやりたいと言っていた人もいましたが・・・・

係留されている日本丸も、まわりに建物が増えたせいか、
ずいぶんと小さく見えるようになってしまいました。
さて、ランドマークタワー。仕事なので業務用エレベータを利用します。

が、こちらは行き先階別に別れていないので、
場合によっては来るまでにずいぶんと待たされます。
なんせ、B3から70階。
全フロアに停まったら、下から上までいったい何時間かかるのでしょう?
最近、高層ビルでの仕事も多いですが、
どこでも、業務用エレベータが来ずに時間を無駄にする体験をさせられます。

ビルを出るとまじかに大観覧車が。
この観覧車、ゴンドラも大きく6人くらい乗れる大きさです。
お披露目の博覧会の時には、混雑をさばくため、
2組のカップルを相乗りさせて、ずいぶんと不評を買っていたようです。



蒸気機関

2006-05-22 09:18:28 | 薀蓄
1775年の今日、ジェームス・ワットが蒸気機関の特許を取得しました。
それ以前からあった蒸気機関を、安全かつ効率を上げたもので、
その後の産業革命に大きな役割を担ったことは周知の事実です。
現代では内燃機関や電気エネルギーなど、蒸気機関より安全で
はるかに効率のいい動力が実用化され、過去のものとなりつつありますが、
水と燃える物さえあれば動作可能なシンプルな構造は、
それ自体、どこかしら人間に親しみを感じさせる機械だと思います。