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白須賀宿

2017年02月28日 |  東海道五十三次
白須賀宿    東海道五十三次 32番目の宿場である  白須賀宿に関する資料を展示している施設である おんやど白須賀-1 おんやど白須賀-2 おんやど白須賀-3  白須賀宿のあった場所は、遠州灘沿いにあったのだが、宝永地震の津波により被害を  受け、潮見坂を登った高台に移された  移設をされた宿場町の跡 旧 東海道  この坂。。。結構な勾配があります         潮見坂 . . . 本文を読む

荒井宿

2017年02月28日 |  東海道五十三次
荒井宿    東海道五十三次 31番目の宿場である    *現在の町名表示では「新居」ですが、ここでは浮世絵の表記にある     「荒井」としています  江戸時代には、今切関所と呼ばれていました 新居関所-1 大手門  「入鉄砲出女」を取り締まるのが、江戸幕府にとって関所の大きな役割でした 新居関所-2  現在は、埋め立てで陸地の中にありますが、当時は浜名湖畔にあり、舞坂宿と荒井宿の   . . . 本文を読む

舞坂宿

2017年02月28日 |  東海道五十三次
舞坂宿    東海道五十三次 30番目の宿場である    *現在の町名表記では「舞阪」ですが、ここでは浮世絵の表記にある     「舞坂」としています 舞坂宿  舞阪宿と新居宿の間は、今切渡しがあり、船で往来をしていた  現在、当時の脇本陣が残っており、史料館として公開されている  本陣は、この脇本陣の道を隔てた対面にあったようで、標識が建っていました 脇本陣-1  二階の格子戸から、 . . . 本文を読む

濵松宿

2017年02月28日 |  東海道五十三次
濵松宿    東海道五十三次 29番目の宿場である  現在、浜松宿のあった場所は、国道257号線として整備され、昔の建物を見出す事は  できない  伝馬町交差点から連尺交差点の区間が、浜松宿のメインストリートの様である  伝馬町交差点から浜松城方面を眺める 伝馬町交差点  連尺交差点から浜松城方面を眺める 連尺交差点  この区間に、表示札が建てられていて、昔の名残を残している 川口 . . . 本文を読む

三島宿

2016年03月07日 |  東海道五十三次
三島宿    東海道五十三次 11番目の宿場である  広重の浮世絵にも描かれている三嶋大社     ・・・源頼朝が平氏との戦いの前に、戦勝祈願をしたとか 三嶋大社  三嶋大社から西に200mほど歩いた場所に、瀬古本陣跡を示す碑があります         本陣跡-1 本陣跡-2  瀬古本陣跡の対面には、樋口本陣があった事を示す掲示板があります 本陣跡-3  瀬古本陣跡から三嶋大社方面を . . . 本文を読む

箱根宿

2016年03月07日 |  東海道五十三次
箱根宿    東海道五十三次 10番目の宿場である  箱根と言えば、関所ですねぇ 箱根関所  箱根ホテルの駐車場にあるカエデの木。。。そこの案内板です  「はふや」という本陣があったようですねぇ     本陣跡-1  箱根ホテルの歴史を見てみると、はふや=箱根ホテルではなく、はふやの跡地を  ホテルが買収したようです 本陣跡-2  はふやの事を調べてみると、ここは本陣ではないという意見 . . . 本文を読む

小田原宿

2016年03月07日 |  東海道五十三次
小田原宿    東海道五十三次 9番目の宿場である  小田原宿の江戸からの入口に鎮座するのが山王神社 山王神社  小田原城の説明は不要ですね 小田原城   小田原宿に4軒あった本陣の筆頭であった清水金左衛門本陣のあった跡です 本陣跡-1     本陣跡-2 . . . 本文を読む

日本橋

2015年03月30日 |  東海道五十三次
昨年11月にカテゴリー「東海道五十三次」を作って、4ヵ月経ちました(^^♪ 今回の目標は、江戸から順番に京都までを巡るので、当然ながら始めの一歩は、 日本橋です 初代の日本橋が架けられたのが、1603年(慶長8年)というので、家康が関ヶ原の 戦いで勝利して3年後 明暦の大火(1657年)で焼失したのを始め、10回ほど焼失しているらしい 現在の、石造の橋が造られたのが、1911年(明治44年) . . . 本文を読む