白須賀宿
東海道五十三次 32番目の宿場である
白須賀宿に関する資料を展示している施設である
おんやど白須賀-1
おんやど白須賀-2
おんやど白須賀-3
白須賀宿のあった場所は、遠州灘沿いにあったのだが、宝永地震の津波により被害を
受け、潮見坂を登った高台に移された
移設をされた宿場町の跡
旧 東海道
この坂。。。結構な勾配があります
潮見坂
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荒井宿
東海道五十三次 31番目の宿場である
*現在の町名表示では「新居」ですが、ここでは浮世絵の表記にある
「荒井」としています
江戸時代には、今切関所と呼ばれていました
新居関所-1 大手門
「入鉄砲出女」を取り締まるのが、江戸幕府にとって関所の大きな役割でした
新居関所-2
現在は、埋め立てで陸地の中にありますが、当時は浜名湖畔にあり、舞坂宿と荒井宿の
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舞坂宿
東海道五十三次 30番目の宿場である
*現在の町名表記では「舞阪」ですが、ここでは浮世絵の表記にある
「舞坂」としています
舞坂宿
舞阪宿と新居宿の間は、今切渡しがあり、船で往来をしていた
現在、当時の脇本陣が残っており、史料館として公開されている
本陣は、この脇本陣の道を隔てた対面にあったようで、標識が建っていました
脇本陣-1
二階の格子戸から、 . . . 本文を読む
濵松宿
東海道五十三次 29番目の宿場である
現在、浜松宿のあった場所は、国道257号線として整備され、昔の建物を見出す事は
できない
伝馬町交差点から連尺交差点の区間が、浜松宿のメインストリートの様である
伝馬町交差点から浜松城方面を眺める
伝馬町交差点
連尺交差点から浜松城方面を眺める
連尺交差点
この区間に、表示札が建てられていて、昔の名残を残している
川口 . . . 本文を読む
三島宿
東海道五十三次 11番目の宿場である
広重の浮世絵にも描かれている三嶋大社
・・・源頼朝が平氏との戦いの前に、戦勝祈願をしたとか
三嶋大社
三嶋大社から西に200mほど歩いた場所に、瀬古本陣跡を示す碑があります
本陣跡-1
本陣跡-2
瀬古本陣跡の対面には、樋口本陣があった事を示す掲示板があります
本陣跡-3
瀬古本陣跡から三嶋大社方面を . . . 本文を読む
箱根宿
東海道五十三次 10番目の宿場である
箱根と言えば、関所ですねぇ
箱根関所
箱根ホテルの駐車場にあるカエデの木。。。そこの案内板です
「はふや」という本陣があったようですねぇ
本陣跡-1
箱根ホテルの歴史を見てみると、はふや=箱根ホテルではなく、はふやの跡地を
ホテルが買収したようです
本陣跡-2
はふやの事を調べてみると、ここは本陣ではないという意見 . . . 本文を読む
小田原宿
東海道五十三次 9番目の宿場である
小田原宿の江戸からの入口に鎮座するのが山王神社
山王神社
小田原城の説明は不要ですね
小田原城
小田原宿に4軒あった本陣の筆頭であった清水金左衛門本陣のあった跡です
本陣跡-1
本陣跡-2
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昨年11月にカテゴリー「東海道五十三次」を作って、4ヵ月経ちました(^^♪
今回の目標は、江戸から順番に京都までを巡るので、当然ながら始めの一歩は、
日本橋です
初代の日本橋が架けられたのが、1603年(慶長8年)というので、家康が関ヶ原の
戦いで勝利して3年後
明暦の大火(1657年)で焼失したのを始め、10回ほど焼失しているらしい
現在の、石造の橋が造られたのが、1911年(明治44年) . . . 本文を読む