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エジプト逃避行

2011年07月13日 18時20分37秒 | 言葉の説明

 

エジプト逃避行【言葉の説明】 エジプト逃避行 ことばの説明

 ヘラルト・ダーフィット (1510年ころ)

 

 

 

 

聖家族のエジプト逃避
http://www.h2.dion.ne.jp/~coptic/flight1.htm

聖家族のエジプト逃避については、新約聖書ではマタイ福音書の中でしか触れられていません。おそらくエジプト以外のクリスチャンは、このエジプト逃避の記述をさほど重視していないことでしょう。しかしエジプト人たちは、幼子イエスがエジプトの地で匿われ、養われたという伝承を、コプト教会のナショナリズムやアイデンティティを支えるものとして愛好し、発展継承してきました。
  エジプトの地を旅行してみれば、多くの聖家族にちなんだ名の教会がそこかしこにあることを知ります。また、聖家族が住んだとされるエル・ムハラック修道院、エル・アドラー修道院など、聖家族が住んでいたと伝えられる洞窟が各地にあることを知ります。それらは現代でも聖家族が現存する場所として、コプト教徒たちの生きた信仰の対象となっているのです。
  コプトの伝承によると、ヘロデの怒りを避けてエジプトに避難した聖家族は、ヘロデが亡くなる紀元前4年まで、三年間エジプトに住んでいたということです。多くのコプトキリスト教徒は、イエスのガリラヤでの宣教よりも前に、エジプト人は滞在中の幼子イエスを主と認め、生涯それを受け入れたとさえ信じています。つまり、世界で最初のキリスト信仰がエジプトで誕生したという主張です。実際、幼子キリストによる奇跡物語の多くは、ナイル川のデルタや谷で生まれ、この地に語り継がれてきました。
  ただしこの伝承に従えば、イエスの誕生はヘロデがなくなる三年前、紀元前7年という事になってしまいます。ヨーロッパの伝統では、イエスの誕生は紀元前4年と考えられていますから、ちょうどエジプト滞在していたという期間、三年分のずれが生じるのです。しかし、イエスの誕生に触れた聖書の他の記述には、「その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令がでた。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」(ルカによる福音書2章1~2)と書かれてあります。また、他の文献によれば、このキリニウスは、紀元前10年から7年の間、シリアにおける戦争の司令官を勤めていたそうです。その後、紀元前7年にシリアの総督となり、A.D.6年か7年に住民登録をしたことが確認されています。さらに、この住民登録はローマ帝国では14年に一度行われていたものですから、そこから逆算すると、イエスの生誕を、キリニウスが総督に就任した年、紀元前7年に求めるのが妥当だということになるのですが、さてどうでしょうか・・・・。

 

 

 

 

The Rest on The Flight into Egypt【クラナッハ 1504 】 クラナッハ

 

「ことばの説明」 見出し

 

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