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【麻美ゆま連載4】 避けられない子宮全摘出…家族で号泣
2014年11月15日 12時00分
【麻美ゆま「HAPPY&SMILE」:連載4】元カレとの別れというつらい出来事の後でも、病気と向き合う日々が来ることに変わりはありません。卵巣がんの疑いを告知されて、私は入院することになったんです。まず考えたのは4月7日にある恵比寿マスカッツの解散コンサート。なんとかそれに間に合うような治療をしたいと思って、セカンドオピニオン、サードオピニオンを聞きに回ることにしたんです。
病院によっては手術の前に抗がん剤治療をするところもあったりとか、結構違うんです。卵巣がんに強いお医者さんだとか、いつ手術できるかという点からいろいろ探しました。
どうしても子供を産める可能性を残したいので、卵子凍結とか、一部の卵子を残すとか聞いてもみたんですけど、どこの病院に行っても「レントゲンを見る限り、子宮の全摘出は避けられません」と言われてしまって。命と赤ちゃんをてんびんにかけることはできないと、あきらめるしかありませんでした。結局、最初に診察を受けた病院に名医の方がいて、運よく執刀してもらえることになったので、入院先に決めました。
手術は2月25日です。入院を前にして、もう現実に起こっていることからは逃れられないし、悲観的になっても何も変わらないから、今ある現実とどう闘っていこうかと前向きになれる出来事がありました。
マスカッツの総合演出をされているマッコイ斎藤さんに「解散ツアーにどうしても出たい」とお願いしたんです。体の不調はおなかが張っているとか、軟便が続くとかぐらいで、私は出演できると思っていたんです。そうしたらマッコイさんは「これから、あなたにはすごい闘いが待っているから、今はそれに集中してください。あなたの仕事は体を治すことです」と言いました。
この言葉で私は病気に対して前向きに闘うしかないと思えるようになったんです。入院中のパジャマにもピンクを選びました。普段の私は青系の服が好きなんですけど、青って冷たいイメージがある。だから病院にいる間だけでも、あったかい気持ちになりたくてピンクにしたんです。
入院するにあたって母親にどう伝えるかも悩みました。私は漠然と「いつか結婚して子供を産むのだろうな」って思っていたから、母に孫の顔を見せてあげられないことが悲しかった。このときは卵巣がんが進行していると思い込んでて、父もがんで亡くしていたから、どうしても母には心配かけるだろうって。
でも、言わないわけにはいきません。母はマスカッツのライブを欠かさず見に来てくれていたんですよ。だから「出れない」ってなったら「なんで?」ってなるじゃないですか。
最初は卵巣の病気って言うと感づかれちゃうから、子宮の病気ってことにしたんですが、後日、すでに伝えてあった姉と2人で群馬・高崎にある実家に行って「実はママにうそをついてたの」と、卵巣がんの疑いがあって、子宮を全摘出しないといけないことを言いました。すると、母は私以上に大きな声を上げて「そんなの嫌。困る!」と泣きだしたんです。私も姉も涙が止まらなくなっちゃって、家族でしばらく号泣しました。
3人で泣いて、団結し「これからは家族で支え合っていかないと治るものも治らない」と思いを新たにすることができたんです。
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/special/317938/
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■ 2009年7月9日
「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
本稿はその保管用記事です。
■ 2010年3月2日
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