記事の紹介です。
幻の魚 海染め復活
2009年04月12日
銀白色に体を踊らせるニシンが浜に戻ってきた。冬から春にかけての旬の味で、春告魚(はるつげうお)とも呼ばれる。毛ガニやタラバガニが幅をきかせる北海道でここ数年、石狩湾系のニシンが豊漁だ。家庭の食卓に復活し、すし店や居酒屋でも主役の座を取り戻しつつある。
春先に産卵のため日本海沿岸に大群でやってくる「群来(くき)」は、1954年を最後に姿を消した。ニシンは幻の魚となった。「オホーツクはホタテ、太平洋はサケ。日本海にはこれといった資源がない」。95年当時の道庁幹部の言葉だ。
◇
復活のきっかけは、道が96年に始めた日本海ニシン資源増大プロジェクトだった。稚内水産試験場の高柳志朗資源管理部長によると、北海道沿岸のニシン漁は1897年の漁獲量97万トンをピークに、年間数トンから数十トンほどに激減した。復活の夢を追って稚内、余市中央の両水産試験場の研究員らが動き、「稚魚の生産と放流」「産卵場所の形成」「未成熟魚の保護」を柱にプロジェクトを開始。稚魚の育成技術や産卵に適した海草類に関する研究を進めた。
高柳さんは、当時をこう振り返る。「過去に大量に漁獲されたサハリン系ニシンの卵は、入手困難だった。結局、数トンしかとれなかった石狩湾系に期待をつないだ」
苦労したのはニシンの産卵場所探しだ。3年ほど試行錯誤を重ねた末、留萌港など数カ所で、考えていたより浅い所のアマモ海草に大量に産卵することを突き止めた。
稚魚の放流は石狩支庁管内から始め、留萌、宗谷、後志北部へと拡大。96~07年に約1900万匹に達した。08~10年は約230万匹の放流を計画している。
◇
早朝の小樽市漁協の市場には3月下旬まで連日、沿岸でとれたニシンが並んだ。今年の漁獲量は、道の放流事業が始まって最も多かった07年(約250トン)の2倍以上、550トン余りにのぼった。「1月の市場はニシン箱ばかり。我々の時代では初めてだ」。関係者の声は弾む。
市内の繁華街にある嶋崎幸夫さん(71)の居酒屋。若い女性客が天井からぶら下がるニシンの干物に「それ、なに?」と目を止めた。「美容にいいんだってよ。カルシウムも鉄分もいっぱいあるしさ」。嶋崎さんの言葉に、女性客はほほ笑んで注文した。
炭火焼きのニシンの腹を開くと、熟したカズノコの香ばしい香りが漂う。その横には刺し身も。「新鮮な地元産のニシンを客に出せるとは思ってもみなかったよ」と嶋崎さんは言った。
かつては新鮮なうちにエラやワタを取り、カズノコや白子も抜いて、頭からしっぽまで背側の半身を干して身欠きで出荷。エラなどはすべて肥料に加工したものだ。嶋崎さんは「昔、ニシンでうるおったのは、有機肥料の粕が売れたから。今はほとんど使う人はいないでしょうね」。幻となっている間に時代も変わった。
漁業者の期待は広がる。
雪が吹きつける小樽市の祝津海岸で、漁師の桜井敏雄さん(60)は「おやじの時代にはニシンを山ほど船に積んで来たそうだ」と語った。父の富雄さん(87)は今も現役だ。大群が来なくなってもニシン漁に夢を託し、40年以上。近年は網の目を調整したり、漁を早く切り上げたりする漁業管理の効果も表れ、漁獲量が増えてきた。
そして今年。2月中旬から3月にかけて、市内の海が乳白色に染まった。産卵ニシンの群来だ。白濁の海がよみがえったのだ。桜井さんは興奮を隠せない。「ニシンだけでは生計は立たんけどさ。でも、漁師にとってニシンは特別な魚なんだ」。海を舞台に、親から子へと引き継がれる夢。長男秀樹さん(38)もまた、家業を継いだ。
(田中晃)
◇
●豆知識●《ニシンの系群》 系群は、資源変動の単位となる遺伝集団。北海道の日本海沿岸で産卵しているニシンは、石狩湾系群か、礼文島沖などの水深100メートル以上で秋から冬にかけてとれるテルペニア系群といわれる。大半を占める石狩湾系はもともと日本海に生息し、97年ごろから増えている。テルペニア系群は日本海北部で、主に沖合底びき網によって年間数千トンが捕獲されている。かつて大漁をもたらした春ニシンは北海道・サハリン系群。いまもサハリン沿岸の一部に存在するが、北海道沿岸では86年にオホーツク地域で6万5千トンがとれて以来、確認されていない。http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000750904130001
記事の紹介終わりです。
■ Site Information ■
■ 2009年7月9日
「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
本稿はその保管用記事です。
■ 2010年3月2日
人気blogランキング(政治)にエントリーしました。