今日は、今年二度目の訪湯
甘楽町総合福祉センター/かんらの湯 (群馬県甘楽町)
この地域は瓦産業の歴史があるようで内湯の湯口は鬼瓦・・・
中央の六角浴槽が唯一の温泉、加熱循環
かんらの湯←本年4月の記事
・・・・・・・・・・帰り、軽井沢からの今日の浅間山
浅間山の山麓道路「浅間サンライン」を走って東御市の道の駅「雷電くるみの里」
名産の「くるみ」と 江戸時代の力士「雷電」の里
銅像の雷電為右衛門が立っている
道の駅から 数百メートルの畑の広がる村はずれに「雷電の生家」がある(見学自由)
雷電が出世して生家を五十両で建て直した家、その二百年ほど前の老朽化した家を昭和59年に復原されたもの
いくら出世しても
少年時代に世話になった庄屋の家より小さく建て、竣工祝に建築費と同額を大盤振る舞いしたという
土間には土俵が造られて二階からも見られる構造になっている
天下無双の力士
17歳で江戸相撲に入り23歳関脇で優勝、そして当時の最高位「大関」に昇進して、実に16年の長い栄位を保持
勝率は9割6分以上、相手に怪我をさせるからと、張り手など三つの技を封じられた
少年の頃は太郎吉・・母が庭で風呂に入っていたら突然の雷鳴と激しい雨、母の入ったまま家の土間に運んだ、親孝行な逸話
足袋や下駄の再現?展示(手前がワシの25Cm)
畑の行き帰りは、鋤にかけて歩いた石
力持ちの逸話は、どうかな~?と思いますが、それ程の力士だったのは事実のようだ
今でも力士が、強さにあやかり、墓参りにこられるそうです
裏には高速道路、遠く浅間山を望むこの里に生まれた
外国人力士が多くなったり、角界のいろいろな問題
・相撲人気も いまひとつのようです、200年以上前の力士の話だったが、歴史ある日本の国技、これからも続いていってほしいと思いました
甘楽町総合福祉センター/かんらの湯 (群馬県甘楽町)
この地域は瓦産業の歴史があるようで内湯の湯口は鬼瓦・・・
中央の六角浴槽が唯一の温泉、加熱循環
かんらの湯←本年4月の記事
・・・・・・・・・・帰り、軽井沢からの今日の浅間山
浅間山の山麓道路「浅間サンライン」を走って東御市の道の駅「雷電くるみの里」
名産の「くるみ」と 江戸時代の力士「雷電」の里
銅像の雷電為右衛門が立っている
道の駅から 数百メートルの畑の広がる村はずれに「雷電の生家」がある(見学自由)
雷電が出世して生家を五十両で建て直した家、その二百年ほど前の老朽化した家を昭和59年に復原されたもの
いくら出世しても
少年時代に世話になった庄屋の家より小さく建て、竣工祝に建築費と同額を大盤振る舞いしたという
土間には土俵が造られて二階からも見られる構造になっている
天下無双の力士
17歳で江戸相撲に入り23歳関脇で優勝、そして当時の最高位「大関」に昇進して、実に16年の長い栄位を保持
勝率は9割6分以上、相手に怪我をさせるからと、張り手など三つの技を封じられた
少年の頃は太郎吉・・母が庭で風呂に入っていたら突然の雷鳴と激しい雨、母の入ったまま家の土間に運んだ、親孝行な逸話
足袋や下駄の再現?展示(手前がワシの25Cm)
畑の行き帰りは、鋤にかけて歩いた石
力持ちの逸話は、どうかな~?と思いますが、それ程の力士だったのは事実のようだ
今でも力士が、強さにあやかり、墓参りにこられるそうです
裏には高速道路、遠く浅間山を望むこの里に生まれた
外国人力士が多くなったり、角界のいろいろな問題
・相撲人気も いまひとつのようです、200年以上前の力士の話だったが、歴史ある日本の国技、これからも続いていってほしいと思いました
「浅間山荘」そうそう、だいぶ昔の事ですが、軽井沢の浅間山の見える静かな別荘地で起きた事件でしたね。
相撲は外国人力士が多く最近まったく感心なくなってしまっていました、・・たまたま、先月の九州場所の序盤で、3大関を破った地元福岡県の「松鳳山」を注目していました、そうしましたら「敢闘賞」を受賞しましたね、若い人の頑張っている姿はいいですね、これからも頑張ってほしいと思いました
万座の湯ですか、ゆけむりさんのお好みの白濁の湯ですね、冬は有料道路(往復、中途半端な2080円)でしか行かれないので遠のいてしまいますが、あの乳白色の露天に浸かると幸せ感が込み上げてきますね、
浅間山と云えば昔事件があったのを思い出します、その後
長野に行く時電車の中から見た浅間山を思い出します。
これからの季節はやっぱり温泉が一番ですよね~
う~、万座の湯に浸かりたいです!
この道の駅は駐車場が広いので時間調整のトラックが多いですね、インターも近いので利用しやすいのでしょう
軽井沢で一泊ですか ロマンチックな夜になる事でしょうね
今度の山歩きは写真にもあった浅間山の一画の石尊山に行ってこようかと思っています。軽井沢で一泊の予定です♪
「浅間サンライン」は軽井沢方面から追分(中山道)で国道18号を右に分かれ、浅間山麓の御代田、小諸の市街地より高台を走り上田の「千曲荘病院」辺りまで来る道です。東部町と北御牧村が合併して「東御」・・ここは牧家の信号のすぐ上です(田中より小諸側の滋野です)。伊勢湾台風で胡桃の木が倒れた・・あの台風の時は今も思い出します、畳を上げて押さえていたことを・・・
わ~ぁ、お若いのに良くご存じですね、ワシは終戦すぐに生まれた子どもで、小さい時、大人から空襲や爆撃の話を聞かされたので、戦闘機の話は怖かったです(今も・)、近くに飛行場と飛行機の工場があったそうで、頻繁に空襲警報で防空壕に隠れた話でした
この地は胡桃が有名です、ワシの子どもの頃伊勢湾台風でかなりの木が倒れました、近年は斜面を利用してぶどうの栽培が盛んです、今年も天皇両殿下が畑に訪問されました、まだ皇太子の頃、開拓中のこの地を訪れたそうです、今度ぶどうのシーズンもどうぞ・・・、
局地戦闘機「雷電」ですか、この雷電の強さにあやかった名でしょうかね?、ワシは勉強不足で知りませんでした、↑伊勢崎市のエルトンジョンさんからコメントいただきました、ご覧ください
甲子園の高校野球みたいに、やっぱり地元出身を応援しますよね、今のように外国人力士が多くて応援に力が入りません・・・。この雷電は山陰の松江藩のお殿様(松平)に気に入られ、松江藩に石を与えられ生涯召抱えられた、お抱えの力士です。今で言えばスポンサーですかね?、無知なんですがい今の球団や選手にはこう言う例はありませんか?
道の駅から高速道を挟んで見える位の距離です、道の駅に「雷電コーナー」もありますが、相撲ファンなら訪ねる方もいるかもしれませんが、普段は静かなようです
東御市は昔の田中のあたりが東部町になって今では東御市になったと云う訳ですか。
雷電の里は昔の牧家のあたりではないですかね、クルミの木が沢山有った記憶があります。
雷電の様な力士が出ると日本の大相撲ももっと面白くなるのですが。
そんな「雷電」と、可愛らしい響きの「くるみ」とはミスマッチな感じがします。
名物に「くるみおはぎ」があるそうなので、一度食べてみたいですね。
道の駅には行ったことがあるのですが、雷電の生家が近くにあるのは知りませんでした。勉強になりますm(_ _)m