昨日の夕方、母から電話がありました。
以前から入院していた伯母が、心肺停止状態になったという事でした。
伯父夫婦には、私達夫婦の結婚式の立会人になってもらったりと、親戚の中では一番繋がりの深い関係でした。
お蕎麦屋さんを経営している事もあり、色々話をしに行きがてら、お蕎麦や、伯母のお手製ジュース、とにかく色んなモノをご馳走になったものです。
そんな蕎麦屋の女将としてお店を切り盛りし、県外からもお客が来るという程、「蕎麦屋 みなせ」の名前を全国に知らしめた伯母。
そんな伯母の死。
まだ57歳という事でした。
十数年前、私が名張に住んでいた頃、一時危篤状態になった事もあったのですが、何とか持ち直し、今まで何とか命を繋いできました。
それが夕べ、とうとう力尽きてしまったのです。
あまりに突然の事でした。
妊娠中という事もあり、病院へ入院していた伯母とは、結局殆ど会わずじまいのままお別れとなってしまいました。
子供が好きで、娘1号には本当に優しくしてもらいました。
きっと、娘2号の誕生を心から待ち望んでいたと思います。
でも結局、その娘2号の顔を見ぬまま、抱く事も出来ぬまま―――伯母は、帰らぬ人となってしまいました。
一人息子を残し、伯父を残し、お店を残し、伯母は逝ってしまったのです。
無念だったでしょうか?
それとも、長い闘病の苦しみから解放された悦びで満ち足りていたでしょうか?
東京から、何百キロも離れた伊勢という所縁も無い土地にたった一人で嫁いできて、お店の経営、育児に追われ―――さぞ心細い想いをしながらも、ひたすら自分の人生を駆け抜けた伯母。
今はただ、伯母の冥福を祈りたいと思います。
生まれてくる命があれば、消えていく命もあります。
それを実感した一日でした。
以前から入院していた伯母が、心肺停止状態になったという事でした。
伯父夫婦には、私達夫婦の結婚式の立会人になってもらったりと、親戚の中では一番繋がりの深い関係でした。
お蕎麦屋さんを経営している事もあり、色々話をしに行きがてら、お蕎麦や、伯母のお手製ジュース、とにかく色んなモノをご馳走になったものです。
そんな蕎麦屋の女将としてお店を切り盛りし、県外からもお客が来るという程、「蕎麦屋 みなせ」の名前を全国に知らしめた伯母。
そんな伯母の死。
まだ57歳という事でした。
十数年前、私が名張に住んでいた頃、一時危篤状態になった事もあったのですが、何とか持ち直し、今まで何とか命を繋いできました。
それが夕べ、とうとう力尽きてしまったのです。
あまりに突然の事でした。
妊娠中という事もあり、病院へ入院していた伯母とは、結局殆ど会わずじまいのままお別れとなってしまいました。
子供が好きで、娘1号には本当に優しくしてもらいました。
きっと、娘2号の誕生を心から待ち望んでいたと思います。
でも結局、その娘2号の顔を見ぬまま、抱く事も出来ぬまま―――伯母は、帰らぬ人となってしまいました。
一人息子を残し、伯父を残し、お店を残し、伯母は逝ってしまったのです。
無念だったでしょうか?
それとも、長い闘病の苦しみから解放された悦びで満ち足りていたでしょうか?
東京から、何百キロも離れた伊勢という所縁も無い土地にたった一人で嫁いできて、お店の経営、育児に追われ―――さぞ心細い想いをしながらも、ひたすら自分の人生を駆け抜けた伯母。
今はただ、伯母の冥福を祈りたいと思います。
生まれてくる命があれば、消えていく命もあります。
それを実感した一日でした。