私には、同じ日に、同じ病院で同じ女の子を出産したママ友がいる。年も近いし、とっても良い方なんで、お付き合いさせて頂いている。
そのママ友が、家に遊びに来た。
そこで、私は、ママ友の育児の悩みを知った。それは、
「遊び食べ」!! |
育児をしている方なら、誰でも遭遇する悩みだろう。実際、私も悩んだ時期があった。
だが、今はそんな悩みはなんのその~。
ある程度なら、娘はフォーク&手摑みで何でも食べてくれるし、私はのほほんと食事をしている。
それを教えてくれたのは、著名な教授でもなく、育児アドバイザーでもない。ベストセラーになった育児書や育児雑誌(まぁ読まないけど・・・こんな物読まない方がいいぞ!)でもない。育児など全く経験のない旦那からなのだ。
「もう!何で、そんな汚く食べるんさ~!」
食事中、そんな風に娘を怒鳴るのは度々。それを見兼ねた旦那が一言、
「まだ生まれてから1年しか経ってないんや。 |
どれが食べ物で、どれがおもちゃか |
分かる訳ないやん!」 |
正直、衝撃的だった
何で、そんな簡単な事に気付かなかったんだろう。私は、金属バットで後頭部を強打されたような気持ちだった。
生まれてから、ずっとミルクしか飲んでこなかったのである。それが、親の勝手な都合(?)で固形物を口にさせられ、はたまた食器やフォークなんぞを無理矢理持たされ、「さぁ、メシ食え!」と言われても、娘からしてみれば何が何やら分からないだろう。
「子供が自然と理解するまで |
待ったるしかないやろっ!?」 |
それ以来、私は変わった。娘の椅子の下に防水シートを敷き、娘から半径50センチ以内に、洗濯物入れのカゴ、山ほどのタオル、濡れ雑巾、清浄綿を完備。そして、袖つきエプロンと、普通のよだれ掛けを着用させ、目の前に、私が食べる物と全く同じ食事を与える。目の前に置いて、「いただきます」をさせたら、一切手は出さない。ひっくり返そうが、こぼそうが、私はただ見てるだけ。そして、ご飯を食べる風景をひたすら娘に見せてやる。
自分が食べ終わって、娘の食器にまだ食べ物が残っていたら、娘の口に運んでやったり、フォークやスプーンの使い方を、ちょっとだけレクチャーしてやる。一度でもフォークやスプーンで口に運ぶ様を見届けたら、後は再び見守るだけ。手は、一切出さない。
私は、娘が母親のやる事をひたすら覚え理解してくれるまで、一切手は出さないという育児方法に切り替えたのである。
娘は、まだ言葉が分からない。「いけない!」「ダメ!」も理解出来ない。「これ食べるんやで~!これを使ってなー」と言っても、簡単に出来る訳がない。私達は、生まれてもう30数年経つから「これが食べ物で~こうやって食べるんやなー」と分かるけど、娘には無理。娘が、自分から理解しない限り、出来る訳がないのだ。
それに気付かせてくれたのは、旦那だった。旦那が、あの時私を叱ってくれなかったら、私は未だに娘に怒鳴り散らしていただろう。
離乳食を始めて、もう1年になろうとしている。
お陰で、娘は自分ひとりでご飯が食べられるようになった。まだまだ食べ物でテーブルや服を汚したり、お茶をこぼしたり、口にいっぱい食べ物を詰め込み過ぎてむせ返っている事もあるけれど、少なくとも、私達が食事出来ない程手のかかる事はない。
娘には、娘なりのペースがある。娘が「これは食べられる物。これは食べられない物。これはやっても良い事。これはやってはダメな事・・・」と理解してくれるようになるまで、気楽にのんびりと付き合うつもり。
だって、私の育児のモットーは、
「20歳になっても、 |
こんなガキはおらんやろっっ!?」 |
である。
育児は、のんびり、気を長~く持ってやりましょう!
そんな怖い顔してると、旦那に愛想つかれて逃げられちゃうぞっ!!
でも、娘・・・誰の真似をしているのか知らないが、
ぬいぐるみに抱きついて |
ひたすら腰を振るのは |
やめてくれ―――!!! |
そんな事は真似せんでいいっっ!!!(滝汗)
本日、以前面接を受けた会社から電話があった。
何と、採用して頂けるという事!!!
もう、感動ですー!!という訳で、4月から働く事になりました。業種は、撮影のお仕事。そこで、実は雑賀がもっとも苦手とする人物撮影と、ヘアメイク、及び着付けの勉強をする事となりました。
こういう仕事は、全くの未経験。出来るのかどうかは不明ですが、精一杯頑張りたいと思います!
実は雑賀、結婚式は、専門の式場に頼まず、小さな教会で行いました。(貧乏だったので・・)
その為、衣装は自作のドレス、ヘアメイクも殆ど出来ず、ましてやきちんとした正式な写真もなし。
そんな結婚式だったせいもあって、ずっと「メイクもやってくれて、きちんとした写真を撮ってくれるサービスとかあったらいいな~」とずっと思ってました。写真を撮るようになってから、ずっとそう思ってきました。
今は、そんなサービス、結構どこでもあるんですよね。当時は全然なかったので、自分でやれたらな~と、ずっと思ってました。今、ようやくその一歩が踏み出せたという訳です。正直、とっても嬉しいです。
勉強する機会を与えてくださった会社に感謝!
実は、昨日、芸事の神様である倭姫宮へお参りに行きました。その効果もあったのでしょうか?
皆さんにも、その幸がありますよ~に!
何と、採用して頂けるという事!!!
もう、感動ですー!!という訳で、4月から働く事になりました。業種は、撮影のお仕事。そこで、実は雑賀がもっとも苦手とする人物撮影と、ヘアメイク、及び着付けの勉強をする事となりました。
こういう仕事は、全くの未経験。出来るのかどうかは不明ですが、精一杯頑張りたいと思います!
実は雑賀、結婚式は、専門の式場に頼まず、小さな教会で行いました。(貧乏だったので・・)
その為、衣装は自作のドレス、ヘアメイクも殆ど出来ず、ましてやきちんとした正式な写真もなし。
そんな結婚式だったせいもあって、ずっと「メイクもやってくれて、きちんとした写真を撮ってくれるサービスとかあったらいいな~」とずっと思ってました。写真を撮るようになってから、ずっとそう思ってきました。
今は、そんなサービス、結構どこでもあるんですよね。当時は全然なかったので、自分でやれたらな~と、ずっと思ってました。今、ようやくその一歩が踏み出せたという訳です。正直、とっても嬉しいです。
勉強する機会を与えてくださった会社に感謝!
実は、昨日、芸事の神様である倭姫宮へお参りに行きました。その効果もあったのでしょうか?
皆さんにも、その幸がありますよ~に!
本日、雑賀は伊勢にいました。
伊勢は、伊勢神宮を始め、数々の観光名所がある。その中で今日訪れたのは、伊勢市内にある「古市」という町。
ここに「麻吉」という、古い旅館がある。
麻吉の創業がいつなのか明らかではないが、天明2年(1782)の古市町の屋並図に記されているので、それ以前であることは確からしい。とにかく由緒ある建物だ。
もと花月楼という茶屋だったらしい。明治時代県下では珍しい三層楼として、伊勢音頭の舞台も持ち、芸子も30人ほどを常時抱えた、県下第一級の大料理店だったそうだ。
現在四棟の中心建物があり、いわゆる懸崖造りで最上層まで六層階に及んでいる。この最上層からは、はるか朝熊山・二見なども遠望でき、聚遠楼の名で喧伝されたらしい。
そんな「麻吉」は、かつて古市街の華やかさを偲ぶことのできる、唯一の建物となっている。
この建物、勾配のある場所に建っているせいか、敷地内に階段があり、しかも渡り廊下があるなど、なかなか面白い建物をしている。そのせいか、写真を撮りに来る人も少なくないらしい。この日も、先客がいた。
もっと桜が綺麗な季節になったら、また撮りに来てみたい。
桜のつぼみは、まだまだ固そうだった・・・。
伊勢は、伊勢神宮を始め、数々の観光名所がある。その中で今日訪れたのは、伊勢市内にある「古市」という町。
ここに「麻吉」という、古い旅館がある。
麻吉の創業がいつなのか明らかではないが、天明2年(1782)の古市町の屋並図に記されているので、それ以前であることは確からしい。とにかく由緒ある建物だ。
もと花月楼という茶屋だったらしい。明治時代県下では珍しい三層楼として、伊勢音頭の舞台も持ち、芸子も30人ほどを常時抱えた、県下第一級の大料理店だったそうだ。
現在四棟の中心建物があり、いわゆる懸崖造りで最上層まで六層階に及んでいる。この最上層からは、はるか朝熊山・二見なども遠望でき、聚遠楼の名で喧伝されたらしい。
そんな「麻吉」は、かつて古市街の華やかさを偲ぶことのできる、唯一の建物となっている。
この建物、勾配のある場所に建っているせいか、敷地内に階段があり、しかも渡り廊下があるなど、なかなか面白い建物をしている。そのせいか、写真を撮りに来る人も少なくないらしい。この日も、先客がいた。
もっと桜が綺麗な季節になったら、また撮りに来てみたい。
桜のつぼみは、まだまだ固そうだった・・・。
Photo by NIKON D200