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坊主兼主婦の雑日記です。

雑賀と「沙也可」・・・

2007-10-03 00:13:11 | 雑賀の独り言
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「沙也可」という人物をご存知でしょうか?
加藤清正の家来として、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した武将です。
でも、結局は朝鮮出兵に疑問を抱き、現地で朝鮮側に寝返り、「投降倭将」として豊臣家相手に闘ったのだそうです。
そして、そのまま朝鮮に住み着き、日本へ戻る事は決してなかったようですが・・・。(←現在も、向こうに沙也可の子孫が住んでいるらしいですよ)
ですが、そんな「沙也可」(←女ではありませんよ!)たる武将が存在した事は、朝鮮側の史実にはちゃんと書かれているらしいのですが、日本には手がかりを知る為の史実等は一切残っておらず、本当にそのような事実があったのか。そして、その人物の日本名は一体何なのか、正直な所、詳細は全く分かっていません。
実は、その「沙也可」は雑賀衆の人間ではないか?という説があるのだそうです。
理由としては、その「沙也可」は鉄砲の使い手であった事。
そして、「沙也可」(SA・YA・KA)は朝鮮語表記で、日本語に直すと「SA・I・KA」(雑賀)になるらしいという事。
当時権力者であった豊臣家を、そう簡単に裏切れる程豊臣家に恨みを持ってた者―――それらに当てはまるのが「雑賀衆」だというのです。
本当に雑賀衆なのか?と聞かれると、私も「?」という気がしますが、朝鮮に鉄砲を伝えたのは「沙也可」であるという史実を見ると、頷かざるを得ませんかねぇ。
何しろ、「雑賀衆」は日本でもっとも強靭で偉大な鉄砲使いの集団だったのですから。
雑賀衆の血が、脈々と朝鮮の地で受け継がれている・・・そういった話を聞くと、胸がときめきますね。
歴史好きの雑賀には、かなりツボを突いた話題でした。
今度和歌山を訪れる時は、この「沙也可」の事ももうちょっと具体的に調べてきたいと思います。