Carpe Diem!‘今を掴め!’

未来のことは分からないだから今を精一杯生きよう

人生は意外と短い。だから今を生きるのだ。

I made it!

2009-01-29 19:09:56 | Weblog

今日は朝から,正確に言うと,昨日の夜から,ドキドキしていたのだ.

仕事でマスコミの取材を受けることになっていた・・・

もちろん人生で初の体験・・・

うつ寛解+SADの私には修行であるなと思っていた.認知行動療法だ

ランドセンとミケランはかなり飲んでいたな・・・そいでも,1日量の範疇はきちっと守っていました.これ基本.そこにるボックスを定期投入で14:00~からいざ真剣勝負!

というか,何も準備もしてこず,当然頭の中は真っ白.その状態でしゃべりきった!何をしゃべったかはほとんど覚えていない.それでも入念な準備もせずによくここまでやった!とにかくやったんだ!

I made it!

なり振り構わずとにかくやった!充実感と多少の心配,

「あの~僕真っ当なことしゃべっていましたか?もう頭真っ白だったんですけど??」

「やあ、ちゃんとしたこといってたよ,まああんなもんだ,ガハハ・・・」


よっしゃー!


山田太一脚本 最後の連ドラ「ありふれた奇跡」 第3回・・・

2009-01-22 22:56:24 | Weblog

 このドラマは欠かさず見ている.きっと,世間で言えば,マイノリティーなのかな・・・そんなこと言うと山田太一さんとそのファンに怒られそうだが,今のテレビドラマにはない,言葉の間だとか表情だとか,言葉そのものもそうだけど,そういう1つ1つが見逃せないのだ.

 加瀬亮がいい!パーフェクトな演技だ・・・あぁ・・・リアルだぁ・・・

 今日の加瀬亮は20代の僕だった.あのままだった.

 また,エンヤが似合う.またそんなことをいうとエンヤとエンヤファンに 怒られてしまうのだが・・・

 仲間由紀恵はまあ、誰に置き換えてもいい.また,怒られちゃう.

 夏川結衣あたりもって来たらどうでしょう??また,怒られちゃうか.ちょっと,こう,影のありそうな,渋めの女優さんもってきたら引き立つと個人的には思うのですが・・・ますます,マイノリティーなドラマに仕立てて.

 こういうドラマもというか,言葉とか表情とか間とか・・・ドラマの本来の魅力を存分に引き出してくれてしかも人間の心の暗闇を表に表現するドラマって、マイノティーですよね.

 人気がはっきり二分されるドラマですね.私は初回から虜になりましたが.

 何せ,自分にはドラマでなくリアルですから.

 

 

 

 

 


何に重きを置くか?

2009-01-21 18:32:19 | Weblog

 世の中の理不尽を数え上げれば限がない・・・

 只,日常生活で一番我々が理不尽を感じるのはやはり会社かな・・・

 上からの命令や支持に対して理不尽さを感じつつも,上意下達でやり過ごすのか,それとも,意を決して上に上申するのか・・・

 今日は妻が部長に楯突いたらしい・・・それで疲れて帰ってきた.因みに私は休日.色々と妻の言い分を聞いた.100%妻が正論なのだ.

 

 しかし,会社で正論が通じないのは,社会常識,というか学んでいくもの・・・なのかな?

 とにかく,正論を組織の中で通そうとすると疲れる.そういう人ほどうつになりやすい.

 会社にはその会社の社風がある.自分で作った会社ではないのだ.

 「郷に入れば郷に従え」「長いものには巻かれろ」「見て見ぬ振り」「うそも方便」・・・何かみんなあんますんなり入ってこない言葉だけど,みんな適当にやってんだよねえ・・・みんなというか大多数がね.

 

 そうじゃないと,仕事が目的になっちゃうもんなあ.何のために働いてるのか分からなくなっちゃうよね.

 多事争論.


うつ病と概日リズム障害

2009-01-10 13:01:44 | Weblog

 

 僕は一人での休日の使い方が下手くそである.「一人での生活に慣れなきゃね」とは妻の言葉だが,これでも一応大学時代は県外で一人暮らしをしてきた身である.(厳密に言うと壊れた18の状況生活も含めだが・・・)

 

 「ゆっくりしていればいい」というと本当に何もせず,寝ては起き,食べたい時に食べ,外へも出ず,TV,PC,新聞を読む,また眠くなってきたから寝る,というより,何もないから只寝ている,そんなことをしている間にパジャマ姿のまま夕方を迎えてしまうのだ.

 

 こうなると,一人での休日は急速ではなく怠惰な一日となりうつ源となる.そうやって過ごした,パジャマ姿の自分を夕方になって責め悔いるからである.

 言い方は可笑しいが,一人の休日も「しっかりとした休息」をとることが,うつ病の方には肝要かと思う.この点,普段お世話になっているはたけさんのサイトのブログで非常に的確にアドバイスされているので紹介しよう.

 

 (以下はたけさんのブログより)


????????今できる鬱対策はバランスチェック????????
  みなさん、お正月の食生活ってどうでした?
  やっぱり、おせち三昧?

  体作りの基本は、1に食事、2に睡眠、3に運動です。
  おせちやお餅メニューは、栄養バランスがかなり偏っています。
  それに深夜番組とか新春特番とか、テレビにくぎ付けで、体もちょっとなまってるかも。
  ライフバランスの見直しとともに、体のリズムに乱れがないかチェックしましょう(・ω・)

 
 
????????まったり寝正月だった方????????(作者注:これが僕のパターン)
  お休み中は、仕事の事も忘れ、鬱休暇として体力・パワー補給できましたかね。
うつ病を患っている人にとっては、連休というのは至福の時だったりしますが、急に体がなまる時期でもあります。上手い具合に仕事始めがすんなりいっても、急に気分や体がガクンと落ちるなんてこともあるかもしれません。
 
  比較的、ゴロゴロゆったり休みを過ごせた方は、お仕事前に体内リズムをリセットしましょう。起きる時間もとりあえずは出勤日と同じにし、夜グッスリ寝れるよう、日中は????散歩など体を出来るだけ動かしておきましょう。そして、夜更かしはせずに、以前のペースに近い時間に寝ましょう????(????)

  
????????
帰省などで忙しい正月だった方????????
  せわしない年末・年始だった方は、1年の疲れや休日中の疲労が溜まっていないかチェックして下さいね。肉体疲労や睡眠不足は、お肌だけでなく鬱トラブルも招きますから、明日など仕事前日は余裕のある1日を過ごしてくださいませ。
 
  風邪やインフルエンザの時期でもあります?? 疲労が残ってるなぁ~という方は、ビタミン摂取にのたっぷりの生野菜やミカンといった果物。それに、スタミナメニューでエネルギーチャージしておきましょう。
  夜はお風呂で体を温めて、グッスリ寝る準備。寝つきが悪い方は、ベッドや布団を湯たんぽで温めたり、ホッカイロをタオルに包んでお腹や背中にあてながら寝ると、血行が良くなり寝やすくなります?????C???i?????j
  
 
????????休職中で鬱まっしぐらな方????????
  うつ病などで仕事を休まれている方。まだ、投薬治療初期であったり、リハビリを始めて間もない方は、世間が正月明けしたことで、自分も早く復帰しなきゃと焦ってしまうかもしれません????????
 
  
でも、周りに流されちゃダメね。焦りはうつ病治療・リハビリの大敵です。
  主治医さんの指導のもと、投薬などしながら、規則正しい生活リズムを取り戻すのが、1番大事。

  新年最初の通院時には、主治医さんや病院スタッフさんと、今のご自身にとって、何に取り組むのがベストなのかを再確認して下さいね?a?@
  

????????基本的にうつ病をはじめとするメンタル疾患には、
          体内リズムの乱れが大きく影響しています
????????

  不眠症は、うつ病の初期症状と言っても過言でもありませんが、
  昼夜逆転から、睡眠障害やうつ病を発症という例も少なくはありません。
  
  
正月といった連休の生活リズムの乱れから心配な疾患は、概日リズム障害などがあります。リズム乱れまくっていた方は、ご注意くださいね???v

(引用以上)

 ウーン,非常に分かりやすく,的確.精神科医ではこのような患者の視点に立ったアドバイスはなかなかできるものではない.

 自分の場合,「思うは易く行なうは難し」なのだが,意識しながら,一人での休日を過ごさなければと思うのです.


雇用と男の金銭感覚

2009-01-10 06:15:25 | Weblog

  年越し派遣村に対しては,大部分が共感,或いは激励,応援の意見が大勢を占めていると思う.その一方で、メディアの中には派遣切りにあった労働者の自己責任を問う発言も見られた.

 僕は,派遣労働者当事者の生活実態が知りたいと思った.彼らもそして私も時代の厳しさは日々働きながら感じていただろうと思う.しかし,このように急激に職を失うという事態は予想だにしなかったであろう.


 メディアに登場する派遣労働者を私が見た限り全員男性なのだ.女性がインタビューや記事になったものを僕は見たことが今までにない.


 これは僕の予想なのだが,僕も親の仕送りに甘えて学生時代を送ってしまったので,今思うのだが,特に1人暮らしの男性は意識しなくても金銭感覚が緩くなりがちなのである.

 大部分の男性が当てはまるのではないだろうか?食事をはじめ,「面倒くさい」ことは金を払えば他者がやってくれる時代.思わぬところで出費をしているのではないのかと思うのだ.

 今、その場にお金があれば,すぐに買ってしまう.そんな暮らしをしてこなかっただろうか?

 

 派遣労働者という不安定な身分の中では待遇という部分が決定的に違う.健康保険は分からないが,年金負担や賞与,その他いろいろなものを自己負担していかなければならない.また,各種税金は給与天引きになっているだろうか?財形制度もないところが多いだろう.(うちの職場もそう.)個人年金はかけていたか?

 さらにその上で,貯蓄をしていたのか?ということが最大の疑問である。男一人の生活で貯蓄をすることは大変なことではないだろうか?

 私もそうなので,財布の管理は一貫して妻に任せている.毎月定額の中で僕の生活が成り立ち一定の貯蓄が成されるようになっている.


 貯蓄をしていれば,そのお金で,次の職を探すまで,食いつなぐことが出来るし,場合によってはキャリアアップを目指すことも出来る.

 追い詰められれば人間,結構頑張れるものだ.お金さえあればの話だが・・・

 正社でも派遣でも男の一人暮らしは意外に無駄な出費が多いような気がするのだ.


不況の余波がついにもうちに・・・

2009-01-06 18:19:09 | Weblog

 

 妻の勤務が週休3日,給与が1.75%

 

 

カットとなりました!

 

 

 これは今月の決定で来月は未定!

 

 

とのと.

 

 

 それにしたって,仕事始めであろう,

 

 

の通勤のマイカーの少ないこと

 

 

っ!

 

 

 いや~・・・いよいよ来ましたねうちにも・・・予想より早く.まあ,自動車の部品

関連の下請企業なので,外需が主流の自動車産業が大打撃を食らえば,おの

ずと発注はゼロになるでしょう.だって,車売れないんだもん.アメリカ自動車

業界はきっとこれから,大型車ではなく,環境に優しいハイブリッド車や燃費の

良い車にシフトチェンジしてくるでしょうね.そうすると自動車業界も外需は完全

に駄目になる.

 日本の経済モデルを変えなければいけないでしょうね.内需拡大産業への転

換です.そうです,農林業が今がチャンスではないかと思っております.自分の

国の食料は自分の国で地産地消.

 

 昔の日本に帰りましょう.


坂本発言を許すな!

2009-01-06 12:22:40 | Weblog

〈引用〉

 

派遣村 「本当に働こうとしている人

 

か」と坂本総務政務官

 

1月5日18時33分配信 毎日新聞  

 坂本哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けた。  同政務官は熊本日日新聞記者、熊本県議を経て、衆院熊本3区から当選2回。【石川貴教】 〈引用ここまで〉

 国では,何もしてくれないから,心有る人々が集まって派遣切りの人々に何とか生き延びてもらおうと懸命に頑張っている活動に冷や水をぶっ掛けた。もっといろんな人が出てこいというのは当然至極、もっといろんな人とは坂本のような政治家のことである.これは災害なんだ.国が何もしないなら民衆が立つのが当たり前だ.政治は国民のものだ.この政治家の感覚,熊本3区の人々は選挙まで絶対忘れてはならない.


倹約のメリハリ・・・

2009-01-05 20:29:05 | Weblog

 最近,妻からもらうお小遣いを使っていない.今までは,欲しいと思う本を,ネットで即注文しては,妻に借金をしていたもんだ・・・

 最近は本も買わなくなってる.何を最優先にするかっていうと・・・やっぱリゾートなのだ.

 倹約の中に,ご褒美をつける.何もしないビーチリゾートで3秒でアホになる。う~ん,それがあれば,倹約も心地いい.

 あの白砂の上でボーっと1日を過ごせるなら.僕は,倹約しますよ.


NHKスペシャル「激論2009」

2009-01-02 21:19:34 | Weblog

この番組だけは絶対に見逃せないと、思っていた。竹中平蔵のディベート技術だけが光り、肝心なところで、三宅さんがこれまた、次の議題へすり換えるという、くらましだけで終わってしまった。人間は失敗をしたときそこを反省しそれを生かして次に向かうというのは正常だと思うのだが、反省もせず、同じ失敗を繰り返そうとする自分の愚かさに気づかないのか?単純化して国民に分かりやすくするのが政治の使命であり、国民に向けて単純なことを複雑化して見せかけ、それでだまそうとしてもそうは行かない。僕はもうだまされない。政治経済は国民のものであり、識者、政治を職業とする人々は問題が複雑であればあるほどそれを解きほぐして分かりやすく単純化して国民に伝える、それが真の政治家であり、識者の責務である。

僕が愛読するブログ世に倦む日々ではこう述べられている。(以下世に倦む日々

NHKスペシャル「激論2009」 - 竹中平蔵を論破できなかった3人」より)

2009年が始まった。今年の正月も空は青く晴れ上がり、真っ白な富士山が神々しく美しい。だが、気分は鬱々として重く、まだ正月の新聞すら読んでいない。どうせ大したことは書いてないだろうと思うからである。パレスチナ情勢が気にかかるが、刻々のおおよそはテレビで伝わり、詳細はネットの英字報道を追いかければ掴める。思い出せば、昨年も正月の朝日新聞はまともに読まなかった。企業の広告特集も含めて、それを楽しみに読んでいたのは大昔の80年代のことであり、次第に内容が面白くなくなり、興味を失い、あのぶ厚さが余計なものに感じられるようになって行った。年をとって、世間への関心が薄れているということもあるだろうけれど、新聞に対する疎外感や不信感が強くなり、めでたい気分で正月の新聞を開けなくなった自分がいる。記事を書いている記者の感覚と私の気分との距離は年々開く一方で、朝日の記者が記事の行間に漂わせる中身のないエリート意識と社会的無知には辟易とさせられる。

元日の晩早々、NHKに見たくない鬱陶しい顔が出ていて、正月の気分を毒されることになった。正月のNHKくらい清興な放送を国民に提供して欲しかったが、画面に登場したのは新自由主義の悪魔である竹中平蔵の顔だった。番組を制作司会したのは三宅民夫で、この親米右翼で新自由主義に偏った男が未だにNHKの番組編成を牛耳っている。経営委員長の交代で報道に変化があるだろうと期待したが、新年早々に出てきたものは全く逆の中身で失望させられた。元日夜のNHKスペシャル「激論2009」は、朝生のNHK版のような討論番組で、竹中平蔵、岡本行夫、八代尚宏、金子勝、山口二郎、斎藤貴男、勝間和代の7名が出演していた。この顔ぶれを見ると、激烈な対決が予想されたのだが、討論を主導していたのは竹中平蔵の強弁で、竹中平蔵が自由自在に喋りまくって「改革」の正当性をまくしたて、討論の進行全体を制圧していた。それが三宅民夫の狙いであり、要するにNHKを使った新自由主義側の巻き返しである。

反論する側は、相変わらず竹中平蔵の詭弁とレトリックに翻弄されていた。竹中平蔵はディベートの技術の使い手で、討論の場では、必ずスリカエとゴマカシで応酬して不利な立場から反転を仕掛けてくる。昨夜も同じで、非正規労働と格差社会の話題になり、市場原理主義の問題を攻め込まれると、「現実問題をどうしなければいけないかを論議しなければいけない」とか、「犯人探しでなく」という論法で巧妙に争点をスリカエていた。これはディベート戦術における詭弁のテクニックで、擬似的な説得力を一瞬の目くらましで演出する手法である。実際には、現実問題が惹き起こされたのは過去の政策があったからだ。非正規労働の割合が増え、派遣切りが横行する残酷な格差社会が現実化したのは、小泉竹中の構造改革路線によって、労働法制の規制緩和が法制化されて行ったためである。大事なのは、何でこうなったのか、誰の政策によってこうなったのかであり、その政策的原因を解明することによって、初めて現実問題にどう対処するかという政策方針が与えられる。

原因究明こそが重要で、過去の政策の失敗が質されなければならず、その責任が問われなければならない。竹中平蔵が「犯人探しが問題ではなく」と言うのは、自分が犯人だからだ。そのことを、金子勝と山口二郎と斎藤貴男は正面から峻烈に問い詰めるべきで、誰が派遣労働の規制緩和をやったのか、政策責任者は誰なのかと、手を緩めずに執拗に竹中平蔵に迫るべきだった。3人とも異常にお行儀がよく、竹中平蔵が得意になって自己正当化の弁に努めても、誰も制止と糾弾の手を入れようとしない。黙って聞いているだけだった。政策決定の事実過程の部分で、竹中平蔵があからさまな嘘を言って逃げたときだけ、金子勝が具体的な反論を刺していたが、斎藤貴男と山口二郎は全く有効な論戦が展開できず、竹中平蔵に睨まれたまま屈服を余儀なくなせられていた。実に情けない。竹中平蔵が「現実問題を」と目先を変えて逃げようとしているのだから、論破する側は、正面から本質論で一撃を入れればいいのである。「誰のせいでこうなったのだ」と語気を強くして真正面から包囲すればよいのだ。

ディベートの小技で議論を操縦してくる相手に対しては、本質論の一撃と一点波状攻撃こそが最大に有効な戦略となる。逃げさせないことだ。格差社会を生み出した政策責任者が竹中平蔵である事実を暴露することだ。この事実は、現在ではすでに国民の一般的常識である。であれば、社会常識となっている事実を、そのまま本人の前で遠慮せずに言ってやればよい。テレビの前で憎悪に燃えて切歯扼腕していた視聴者は多かったはずだ。自分の思いを斎藤貴男や山口二郎に代弁して欲しかった人間は多かったはずだ。ストレートに竹中平蔵を批判する熱弁を期待していたはずだ。相手が議論にディベートの詐術を応用してきた場合、それはすでに純粋な議論ではなく政治である。政治に対しては政治で切り返さなくてはならず、その最も有効な方法は本質論の一撃に他ならない。一撃を急所に的中させれば、どのように竹中平蔵が言い逃れの術を駆使しても、視聴者はその本質論の関心から討論を見守る。外野から応援の声が上がる。「あなたが小泉改革の政策責任者じゃないですか」と直截に責任論を叩きつければよかった。

無論、竹中平蔵と対決する論者は、単に本質論の一撃を入れるだけでなく、その後の論戦展開をカバーする政策論と制度論の知識を持っていなければならない。昨夜の討論を見ていると、山口二郎と斎藤貴男は十分な知識を持っていないのである。だから、竹中平蔵に政策論で応酬されると、舌鋒を収めておとなしく沈黙してしまう。竹中平蔵に有効に反論し、テレビの前の視聴者を説得するためには、新自由主義のレジームの概念がなければいけない。個別的に労働法制の問題だけ切り込んでも、すぐに竹中平蔵に論点を逸らされる。新自由主義のレジームは、労働法制と資本法制と税制と社会保障の四分野で構成される。それぞれの分野で「改革」の名の下に法制度が改訂されてきたのであり、資本の利益を最大にして、労働者を利益を最小にするシステムが作り上げられてきたのである。これらの法制改訂史が理論武装されていなければならない。実際のところ、ネットのBLOG界隈を見ても分かるとおり、この労働法制・資本法制・税制・社会保障の具体論については、共産党系の人間が赤旗新聞で教育されて知識を持っている。

山口二郎が竹中平蔵に反論できなかったのは、具体的な法制度や論点に関わる数字の情報が頭の中に入ってなかったからだ。新自由主義のレジームの概念把握が意識として弱く、十分な認識になってないからであり、これまで、そのような認識や知識がなくても、単に民主党を応援して政権交代を唱えるだけのイージーな政局評論で、政治学者として論壇で商売できているからである。現実に対する緊張感が弱く、新自由主義をめぐる論戦でどのような知識が必要なのかについての理解が乏しい。それと、気になった点だが、山口二郎の自己紹介のテロップで、「社会民主主義の方向を支持」というような表現があった。この自己紹介には戸惑いを覚える。山口二郎が社会民主主義の方向を支持するのなら、支持政党を社民党か共産党に切り替えるべきである。周知のとおり、山口二郎は民主党のイデオローグで、この事実も国民的常識の一つと言えるだろう。山口二郎の政策的立場は、菅直人と同じ「第三の道」であり、それは「新自由主義でも社会民主主義でもない第三の道」であり、英労働党のブレアの路線である。民主党は社会民主主義の政党ではない。

日本の民主党は、筋金入りの新自由主義者と元社会民主主義者の寄せ集めの政党であり、政党としての理念がなく、掲げる看板に困った菅直人が、都合よくレトリック的にブレアの「第三の道」を借用した。だが、そのレトリックの説得力も失せ、今では単に「政権交代」しか看板がない。もし、山口二郎が「第三の道」路線を放棄して、社会民主主義に立場を転換すると言うのなら、然るべく自己批判の手続きの上で転向を表明すべきだろう。時代の風向きに機敏に応じて、泥縄式に政治的立場を変えるというのは、政治学者としての良識に欠ける行為である。また、昨夜の討論を見ながら、あらためて確信を覚えたが、「改革」という日本語に対してイデオロギー論的な緊張感を持たないかぎり、反論者は必ず竹中平蔵のディベートの術中に嵌る。金子勝もそうだった。金子勝は山口二郎よりも政策プロパーの知識があり、竹中平蔵の嘘を見破ることはできて、簡単に沈黙させられたりはしないのだが、「改革」の言語を持ち出されると、そこで竹中平蔵の論理に靡いて批判の舌鋒が一気に弱くなる。「改革」の擬似的共同体に足場を取り込まれて、批判者の立場を見失ってしまう。

つまり、「改革では同じではないか」というロジックに擬似的にシンクロさせられて、反論者としての批判を際立たせられなくなるのである。単純化するなら、「改革が必要だ」と竹中平蔵が言えば、「そうだ」と肯定的に応じる論理的立場に融合させられ、敵は竹中平蔵ではなく、自民党政権になってしまう結果に凝固するのである。金子勝に必要なのは言語とイデオロギーへの視角であり、「改革」という政治言語の暴露と揚棄の課題である。単に経済学者として十分な知識を持っているだけでは竹中平蔵は論破できない。新自由主義のイデオロギーの言説を解体解剖する能力が必要であり、竹中平蔵の口から飛び出る詭弁とレトリックをイデオロギーのパーツとして把握し、それに対して瞬時に反撃して、相手を無力化し武装解除する理論的能力が求められるのである。テレビの前で視聴者に説明すべきは、「改革」という言葉の意味であり、それが日本語の本来の意味から離れて、新自由主義の経済政策の総体を意味し、それを美化正当化する装置として用いられている真実だった。言語の操作という根本的問題を暴露しなければ、竹中平蔵のディベートに対する反撃は決してワークしない。

世の中の現状から言えば、竹中平蔵の立場など本来あるはずもなく、非難と罵声だけ受けて終わりのはずなのに、こうやってマスコミで堂々と勇姿を見せて復権の足場を固めて行く。山口二郎と斎藤貴男は何をやっているのだ。

(引用ここまで)

 

 少なくとも自分は、政治経済を専攻してこなかったので、興味もなかったというのが正直なところだが、そんな風に安寧としていた時代から自分の身に降りかかっていることの重大性に「ガツンと一撃を食らわされた」のがこのブログだった。

 自分は何と、政治や経済に無頓着に生きてきたのかと。また生きてこられてしまったのだ。