Carpe Diem!‘今を掴め!’

未来のことは分からないだから今を精一杯生きよう

人生は意外と短い。だから今を生きるのだ。

Sへの手紙

2009-01-01 16:50:02 | 私とは何ぞや?
拝啓S様

長くなりますが私の経歴を書きたいと思います。


1:平成4年4月(18歳)  高等学校卒業。浪人のため上京。予備校生活。 8月、 受験勉強のストレスにて、精神的変調をきたし、予備校を辞め帰郷。 自宅静養も精神不安定が続き、J大学病院精神神経科受診後に入院。

2:平成5年 春? 両親の判断で大学病院を退院、知り合いの紹介でK病院精神科受診後、入院加療。現在の主治医によりうつ病との診断にて徐々に減薬を開始。
(大学病院からの紹介状の診断名は統合失調症の疑いとのこと。山のように薬を飲まされていたと後の主治医より聞く。主治医いわく減薬が大変だったとのこと。)

3:同年  秋 はっきりとした時期は忘れたが、退院。通院治療開始。

4:平成6年 春 外来治療継続しながら受験勉強再開。

5:平成7年 4月(21歳) 医療職養成の大学に入学。大学時代も服薬と定期受診を続ける。精神的に不安定(うつ状態、他人が気になる、対人緊張など)なこともあったが服薬しながら何とか卒業。

6:平成11年4月(25歳),お世話になっていたK病院に就職。(主治医の病院)
 この間、結婚し、子供にも恵まれるが、その後離婚。

7:平成18年4月(32歳) UCを発症(直腸型にて現在ペンタサで寛解中)

8:平成19年4月(33歳) 地元へ戻るためにK病院を退職。地元市内の介護老人保健施設へ就職。現在に至る。

服薬状況

1年位前まではアナフラニール10、ルボックス25、トリラホン、アーテン5を朝昼晩飲んでいたが、私の主治医とは今は年に2回会ったり、時々電話で相談する程度です。

現在はある程度服薬は自分自身の判断に任されており、ルボックスを基本薬にして、
ルボックス250mg2× アナフラニール100mg2× ランドセン4~6mg2× 頓用でβブロッカー(ミケラン)、ベンゾジアピン系抗不安薬(ソラナックス、レキソタン)を飲んでいる。

生い立ちの経緯

小さい頃から花火の爆竹や運動会のかけっこのスタートのときのピストルの音など大きな音が恐怖だった。

自分の容姿のことで悩む時期がずっと続いた特に中学3年から高校時代は自分が頭が大きいと思っていて、床屋に行くのが勇気がとても要った。「頭でかいですね。」といつ言われるかも分からないとびくびくしていた。なので、散髪後などは学校へ行くのがとても嫌だった、みんなにどう思われるか気にしっぱなしで他のことに集中できずにいた。

18で大学受験に失敗し上京して受験勉強を行った。しかし、都会の空気と予備校での他の人から見られていることが常に気になって自分が前の席に座ると後ろの人が頭でかいんじゃないかってうわさしているんじゃないかとか、常に端の席に座っていた。

それでもどうにかこうにか勉強は進み、成績も上昇したが、その年の夏にある心理学者(加藤諦三の本を読みふけっていたら只只涙が流れるようなことが続き、下宿先のおばさんにも「自分はどうしようもない人間だと思っているでしょう?」とか涙ながらに話すなど、精神的に破綻をきたし、下宿を引き払って田舎に帰った。

田舎に帰っても私の精神状態は壊れていて、このままでは親に迷惑ばかり掛けてどうしようもない,死んでお詫びするしかないなどの希死念慮が出現。親が精神科につれてゆく相談をしていたので田舎の大学病院を受診。入院となった。

半年ほど入院しても、一向に良くなる気配はなく只只メジャートランキライザーらしきものを飲まされながらいたので、よだれを垂らしながらボーッとした姿を両親が見てその大学病院を強制退院させた。19の時である。

自分の幼馴染のお母さんの紹介でとある総合病院の精神科に入院。セルシン筋注しながら徐々に減薬を始め、最終的にはアナフラニール、トリラホン、途中からSSRIが世に出て、ルボックス、不穏時にジアゼパム、不眠時にハルシオンを飲んだ。

大学病院では統合失調症の疑いという診断が下り、3人くらい先生が交代した。(そのうちの1人はなぜか今某病院の小児科医長。)その後の総合病院の主治医はうつ病という診断であり、徐々に回復に向かった。

その主治医のアドバイスもあり、医療職を目指して大学受験の勉強を20の春から再開、21で大学に入学、大学生活の間も他人の目が気になるといった、対人恐怖的な症状は続いたが、両親、自分、主治医で電話での話し合いを何度も何度も行いながら服薬をし、何とか皆のお陰で、資格取得し、主治医の働く病院へ就職した。25の時である。

そこからは服薬をずっと続け、欝の波がだんだん収まってきて、30過ぎあたりから寛解に至る。現在34歳、今でもあの頃と同じように他人が自分を見ているんじゃないかとか容姿の事を気に掛けることはあるが、18のときとは比べ物にならないくらい気にならなくなった。

それでも対人緊張的な症状(話しかけるのに勇気が要る。)は続き、ちょうどその頃SAD(社会不安障害)の話題が上った頃で私もそうではないかと思い、とある都会のメンタルクリニックでセカンドオピニオンを受けたら「社会不安障害性のうつ病」という面白い診断名が下り、パキシル、リボトリール、ドグマチール、βブロッカーなどを服用していたが、さして変わらず主治医の投薬に戻る。

現在に至るまで様々なライフイベントもあり、現在、再婚2年目。前妻との間に5歳の女の子がいて、毎月養育費を払いながら生活している。

今でも他人が気になる視点があり対人緊張があったり(話すのに勇気が要る)、訳もなく気分が落ち込むことがあって、アナフラニールの点滴や服薬で持ち直すことがたまにある。(2回/半年くらい)

今の職場は実家の近くで妻と共働き。介護老人保健施設の事務長や、同僚には落ち込んだ時(うつの波がやってきたとき)にカミングアウトし、皆、‘ひいた’がそれは仕方のないことだと思い、2日間休みを頂きアナフラニールの点滴で復活した。事務長は「このお話は私のところで止めておくから今後のためにも院長に一応お話して置いたらどうだろうか?」と話されました。院長にカミングアウトしたが、リアクション薄くそんなに重く受け止めていないようでホッとしました。ちなみに高校の先輩後輩でした。ご子息もDrでこれまた高校の先輩後輩でラッキーでした。そして実は今の妻とも高校の先輩後輩です(笑)

以上です。

読んで頂いてありがとうございます。

そこで本題の質問なのですが・・・
2点です。

1.アナフラニールは量にもよるのですが、手の震えが来るのが嫌です。他にも3環形は色々ありますが、3環形でなくとも構いませんが、ルボックスにプラスして何かアッパー系の薬があると助かるのですが・・・Sさんの服薬経験からして、手の震えが来ない抗うつ薬はありますか?
ちなみにテトラミドは眠剤ほど眠く、ルジオミールは過食を引き起こすのでNGです。

2.眠気が来ない抗不安薬としてレキソタン2ですが、他にもランドセン(これは眠気が来る)などは服用したことがあるのですが、耐性がついたときのために、ほかに似たような抗不安薬として飲むとしたらSさんなら何を飲みますか??ワイパックスあたりでしょうか?

以上、長文駄文失礼しました。

アドバイス宜しくお願いします。

Odayakanajikann

敬具




About ODAYAKANAJIKAN 【診断書】 若干の私見を交え

2009-01-01 16:14:26 | 私とは何ぞや?

Odayakanajikann 昭和49年生まれ 男の寅

診断名1主たる精神障害 うつ病(ICD F6)

      2従たる精神障害 社会不安障害(ICD F40)

   3合併症     UC

現病歴

 平成4年(18歳時)に受験のストレスを機に発症.同年9月~平成5年3月までJ大学病院精神神経科入院.そこで,精神医療の影の部分を存分に感じる.統合失調症と誤診された紹介状を持ち他院に両親が強制転院.その病院でとある精神科医(東京女子医大卒)と運命的な出会いをする.その先生のマインドに強く影響を受け、医療職を志す.Dr,両親,その他の大切な人々に支えられながら,現在はとある地方の介護老人保健施設にて老人医療の一端を担う.自分がうつと付き合ってきた経験がここで存分に生かされていると自負している.

現症

1不眠,取り越し苦労,制止,抑うつ気分,焦燥感などが数ヶ月に一度くらい見られ,休養,内服により症状は落ち着く.

2抑うつ気分がひどくなると,対人緊張や不安が見られ,仕事への意欲消失するも,内服により軽快する.

Rp)

ルボックス300mg 2×

アナフラニール120mg 4×

ランドセン3mg 3×

ミケラン 30mg 3×

また、認知行動療法も受けている.

今後の治療方針

継続的な薬物療法、精神療法を施行

医師の略歴

昭和X年,東京女子医大を卒業後,現在まで精神神経科医として地域医療の従事している。専門はうつ病,認知症.

以上の通り診断いたします.

医療法人 穏やかな時間会

穏やかな時間記念付属病院 精神神経科

医師 S.K