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日々の雑記

幸福の探求を読み進めている

2021-02-24 21:48:00 | 日記
ちょうど中盤あたりだが、この本はAmazonでもあまりレビューがない。
いずれ解説記事なんか書いてみたいが、この本は結構な分量があって読み通すのにそれなりの時間がかかる。
その上、中盤が異様に重たい。そう感じるのは、この本のタイトルとは裏腹にマイナス面の感情に多くのページを割いているからである。
幸福の探求といいつつも、欲望や憎しみについても扱っている。
またデータによりがちなところも出てきている。そこは原著者がそもそも高名な研究所で博士号を取られた方だからなのかもしれない。
正直中盤の単なる実験の話などは不要に近い退屈な内容になっている、ほーんそれで?としか言いようがない。
正味な話、15章の幸福の社会学と16章の幸福の実験は科学的側面を出して納得させよう感がすごい。
科学的に証明されること自体素晴らしいことである。しかし、証明されたから信じるのではない。
本当に信じるべきなのは、それを実践してきた人たちそのものである。
坐禅してきた人瞑想してきた人、その人たちの実践そのものを信じるべきである。千年以上行われてきたことを信じる、それで十分。
科学がどうこう実験がどうこうというのは非常にチープな話である。(悪いとは言わないが)
仏教が科学的かどうかなんぞどうでもよい。
釈尊が菩提樹の下で悟ったのは何も科学的に証明されてこれをやればいける!と知っていたからではなかろう。
しっかし、そういう科学的だと言われてしまうと信じてしまうのが現代人の悪いクセでもある。
オウム真理教に向かっていった科学エリートもきっとそんな感じだろう。
自分にとっての大事さは科学的かどうかよりも役に立つかだけである。どんなに理論的に正しかろうと使えなければ意味がないし、どんなに崇高な教えも実践できなければ意味がない。

しかし、よほど仏教的なものに触れていないとこの本は難しい。さっき言ったこととここは矛盾しませんか?と思ったり、それどうやって判断すればいいんですか?と思ってしまいそうである。実際難しいし、この本でもなんの努力もしないで幸せにはならない繰り返し述べられている。


存外いい本だったので少しハマってしまいだいぶ読んでしまいました。
頼んだ玄侑宗久氏の本が届かないので、届くまでは暇つぶしにこれでも読もうかなと。
タイトルのありがちな自己啓発感に対して内容はかなり難しい。実際これを西洋人がまともに読んで本当に理解できるのかは謎である。

後ろの方に様々な瞑想の方法が書かれているが、読者が本当に欲していたのはこっちのメソッドの方なのかもしれないな。
ただ本文に書いてあるようなことを理解無くして瞑想で気持ち良くなったところで何にもならないのは言うまでもない。

治ってきたけど頭痛が治らないのでチベット体操ができない。


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