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自己責任論のカウンターとしての努力の否定には乗らない

2021-07-18 16:35:00 | 日記
自己責任論的風潮が強くなってくるとしばしば努力の否定のような言説が流行ります。

ありのままでいいとか
自己肯定感を高めようとか
努力はしなくていいとか
…etc

僕は安直な自己責任論に乗るつもりは毛頭ないし逆に、ありのままでいいとも努力しなくていいとも思いません。

ところでこの中に最近流行りの自己肯定感なるものを入れました。なぜかと言うと、これは結局ありのままの自分を肯定しようと言ってるのと同じだからです。

僕はありのままの人間なんて大抵しょうもないと思っています。
人間はありのままではダメなのです。
なぜ自己肯定感を高めようなどと思うのか、その時点ですでに自己肯定感が高いと僕は思います。
自分が肯定されるべき存在だと言う自覚がなければ自己肯定感を高めようなどとは思わないのではないでしょうか。
そしてその自己を自己で肯定しようという試みは必ず無理がかかります。
それは我々の生がそもそも他人に依るものだからです。ひとりでに発生したものではないのでその責任の全てを自己だけで肯定するには理由が必要です。理由なんかいらない自己を肯定しさえすればよいというのは、赤ちゃんには許されますが大人になって言えばそれはわがままというものです。

そもそも努力って面白くないものなのでしょうか?僕は楽しいと思います。何にも努力しない人生はそれはそれで面白くないと思います。

だとしたらどうすべきなのかと言えば我々がそのように他者によって社会に位置付けられるならその他者の役に立つことによって不断に社会に接続することではないでしょうか。

ただし大抵の人間は接続しすぎるか接続しなさすぎることによって両極端になりがちなのである。


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