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日々の雑記

神が働くとは

2022-01-30 22:24:00 | 日記
僕はNNNドキュメントという日曜深夜にやっている番組が好きで、そこに出てきた、たぶんインドネシアの介護実習生だったかが介護の資格試験に合格した様子の映像をよく覚えています。

パソコンの前で合格を確認した後彼がとった行動はなんだと思いますか?




正解は…テレビクルーの前で、彼は少しお祈りさせてくれと頼んでお祈りを始めました。
インドネシアはイスラム教徒が最も多い国です(我々はイスラム教というと中東をイメージしますが、実際にイスラム教徒の1番多い国はインドネシアで、よく試験などでは引っ掛けとして出されます)

まぁそれはともかくとして、この姿を見てハッとなったことをよく覚えています。
つまり、自分のおかげだ努力が実った!と自分が先に来ないということです。
日本人だったら有り得ないことですよね、大学であれなんであれ個人の努力の素晴らしさを讃えるわけです。
またそれを支えてくれた親族などにかんしゃをつたえるわけです。
しかし彼は神に対してまず祈りを捧げたのです。
試験問題がチラッと写りましたがもちろん全て日本語です。並大抵の努力ではないと思います。

僕もあのような人でありたい、とそれを見ていた時に思いました。あれほどまで信じられればきっと人生豊かだろうなと。
努力することも神が働いてすることだ。
努力ができるということでさえも神の力ととらえる。だから自分の力によってするんじゃない。徹底的に自己を小さくする。

今の現代人はそうじゃない。自分をもっと大きくして自分の望む人生を送る、自己実現。それこそが人生を謳歌することだと思っている。
しかしそれは違うし、苦しいのだ。なぜかというといつもそれは思い通りにならないからだ。
神の働くことを為せばただそれだけでよいのだ。
失敗するにしても成功するにしても神が責任を取るのだから。
こんなに楽なことはないじゃありませんか。
神が働いてくれるんだから。


晴佐久神父の本を読み終えました。一つ、関連した話ですが、晴佐久神父がテレビで取材を受けた際にコメントを言うことがあったそうです。何分何秒のコメントをきっかりお願いしますという要望があったそうで、それを意識するあまりなかなかうまくいかなかったそうです。
そこで、スタジオで十字を切って落ち着きを取り戻して、もう一度やるとすんなりいけたというエピソードがありました。
これこそがまさに神が働くということだと思いました。つまり自分であれこれしようとするとうまくいかない、神に任せるとうまくいく。

もし、何か辛いなと思ったときは考えてみるといいかもしれません。
今、何かやろうとしてやってないかと。


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