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感譚

日々感じたこと、ふと思ったことをつらつら。

私界

2020-07-14 22:40:38 | 日記
僕の目に映る世界は、僕にしか見えない。
逆に、あなたの目に映る世界は、僕には見ることができない。

当たり前のように思えるけれど、よく考えてみると不思議な気がする。


人はたぶん自分の目に映る世界が、正しく間違いない世界だと感じている。
自分が見ているものと同じものを他人も見ていると。

けれど、果たしてそれは本当か。

例えば、ここにリンゴがある。
リンゴの色は?と問えば、十中八九皆さん赤と答えるであろう。
確かに。
僕にも、赤く見える。
しかし、この赤という言葉が指し示す色は、果たしてみな同じなのだろうか。

赤色。情熱の赤。バラ。日の丸。
16進法で表せば#FF0000 。
でも、ひょっとすると今僕の目の前に見えている赤は、ほかの人から見たら僕の見ている青かもしれない。
そんなことありえない、とは言い切れない。
その人からしたら、青が赤なのだ。
確かめる術はない。僕らは、他人にはなれないのだから。


少し頭がこんがらがってきたかもしれない。
青が赤とか、赤が青とか。
青いリンゴを見て赤いリンゴと思っているのなら、何とも言えない感じだ。
青という色から情熱は僕はあまり感じない。

自分の見ている世界は、自分にしか見えていない景色なのかもしれない。
他の人には、ほかの人の見え方がある。
そう思うと、面白く感じると同時に、少し怖くなる。

人間の見ている世界は、その人の価値観や脳にとらわれた監獄のようなものなのかもしれない。決して逃れることができないような。

モア・ユーモア・プリーズ

2020-07-13 23:18:25 | 日記
自慢ではないが、僕にはユーモアとか笑いのセンスが全くと言っていいほどない。
これは、本当に困る。

誰にでも、周囲の人々と話していて、場を盛り上げる笑いのある話題を提供する場面はあるだろう。
もちろん、僕だって21年間生きてきて、数えきれないほどたくさんの話をしてきた。
が、僕が場を盛り上げようとした話で、笑いが起きた記憶がない。記憶喪失なのだろうか。


全くウケないので、もう逆に、自分の笑いのレベルが高すぎて、周りがついてこれないのではないか、と半ばやけくそに自分の才能を肯定したりする。ただ、つまらないだけである。

自分がよく体験することに、周りの人たちは笑っているのだが、何が面白いか分からない、という現象がある。
根本的にツボがずれているのだろうか。
周りの人たちは笑っているのだから、面白いのだろう。
でも、どこか寒い目で見てしまうというか。
自分は面白いこと言えないのにである。身の程をわきまえろ自分。


だから、しれっと面白いことを言えたり、面白い話をして、と振られたときに笑いのある話ができる人は、本当にすごいと思う。弟子入りしたい。
もしこれを読んでいる方の中に、ユーモアのセンスの磨き方を指南してくださる方がおりましたら是非、手ほどき願いたい。


僕は笑いが大好きだ。
笑顔は人を幸せにする。笑顔は人に伝染する。
だから僕はこれからも満面の笑みを浮かべながら、つまらない話をしていこう。

何者でもない誰か

2020-07-12 22:23:00 | 日記
自分は自分でいいって言うけれど。
いつも自分じゃない誰かに憧れている。


自分が嫌いなわけじゃない。
ただ、自分の中に自分ではない誰かを憧れる気持ちがある。

別に誰ってわけでもない。
僕自身もよく分かっていない。
たぶん、誰でもないんだろう。自分の中にいる誰か。
自分が思い描く理想像。

自分の中のその誰かだって、時々刻々と変化していく。
自分が変わっていくのに伴って、自分の中の彼も変わっていく。
ある時は、クールで冷静な誰か。
またある時は、すごく変わっている、一見関わりたくないような誰か。
間違いなく言えることは、自分にはない美を持っているということだけだ。


この、何者かに対する憧れは、何が起きても、いつになっても消えることはないだろう。
例え、僕が自分じゃない誰かになれたとしても。心の中には、また違う誰かがいる。
自分が自分である限り、消えない感情だ。
人は、自分にないものを求めてる。
それは決して満たされることがない、人間の性だ。


だから、僕はそんな誰かに憧れながら、自分にないものを求めながら、何者でもない自分になろう。
自分にしかなれない者に。
誰かの心の中の誰かに、自分が少しでもいるように。


ひと月記念

2020-07-10 21:20:06 | 日記
時が過ぎるのは早いもので、ブログを始めてからはや一か月が経った。

まずこの取るに足らないブログの、一記事でも読んでくださった皆さんに感謝を示したい。
ありがとうございます。


僕は、かなりの飽き性なので、よくもまあ一か月続いたな、と内心驚いている。
やはり、アクセスが増えていって、少しでも多くの人が読んでくれている、というのが大きいだろう。

僕はブログに何を望んでいるのだろう。
僕自身面白くはないので、笑えるようなブログはかけないし、稀代の小説家のように度肝を抜くような文章を書くこともできない。
でも、僕が普段考えていることが、思っていることが、一人でも多くの人たちの考えるきっかけになったり、共感を呼んだり、逆に違う意見をぶつけてくれたら。
そんなことを頭に思い浮かべながら、つらつらとブログを書いているのだろう。

もちろん、これからも、少しでも笑えるような文章であったり、興味をそそるようなテーマを試行錯誤しながら、書いていけたらと思う。

とりあえず一か月。
誰も周りに褒めてくれる人はいないので、自分で自分を盛大に褒め、自己肯定感を高めながら、これからのモチベーションを保つ自分である。

哲学と数学

2020-07-09 20:17:10 | 日記
僕は哲学的な話が好きだ。
物事の本質を、見定める目を持ちたい。

こんなことを言うと、きっとこれを書いている人は、頭の固いクソ真面目で、恋愛経験なしの、青春時代を思い返せば勉強しか出てこない、暗い青年を思い浮かべるかもしれない。
それは、ご想像にお任せしよう。


さて、哲学は、言葉で物事の真理を解明しようとする学問だ。
一方で、僕が専攻している数学という学問は、名前の通り数字で真理を解明しようとする学問である。
一見すると、対比的な反対に位置する学問のように思われる。

だが、どちらの学問もものすごく論理的である。そこが僕の気に入っているところだ。
僕は、論理的な性格なのだろう。
話に飛躍があったり、一旦理解できないところが出てくると、理解できるまで粘りたい。
納得したい。
そこが、僕の良さであり、今一つ突き抜けられない要因だったりもするのかな、と思ったりもする。

とにかく、数学も哲学も一つ一つ、納得のいくまで吟味し深く掘り下げていきながら、答えを探し求める。
その過程が好きだ。
間違うことが当たり前。間違いを正していく。
その一つ一つの間違いに、一歩一歩の成長を感じるチャンスがあふれている。
間違いや悩んでいたことが腑に落ちた時のあの快感はたまらない。病みつきだ。

ちょっと話がそれるが、僕は日本という国に、もっと間違いを望んでいる。
間違うから人は成長するのだ。
みんなもっと堂々と自信をもって間違えよう。


西洋の哲学者は、数学者でもあったりする。
やはり、哲学と数学は似ているのだろうか。


哲学、というと堅苦しいイメージで、とっつきにくいと思うが、実際に触れてみると全然難しいことは言っていないし、自分との対話ができるようで楽しい。
今の人たちは忙しく、なかなか一番大切な存在である自分と対話する機会などないだろう。
哲学の本でも読んで、自分と対話してみてはいかがだろうか。

最後にお勧めの哲学の本を何冊か紹介して終わる。
僕も、趣味で哲学の本を何冊か読んだだけなので、そんなに偉そうなことは言えないが、これを読んでいる人の世界が少しでも広がることを願って。

「14歳からの哲学」 池田晶子
「正義の教室」 飲茶
「嫌われる勇気」 古賀史健・岸見一郎
1冊でも気になるものがあれば。