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【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

片山右京富士山で遭難~F1・長谷川

2009年12月18日 22時33分56秒 | 時事・社会
今朝何時だったか、速報的に軽く伝えられて焦った。
「元F1ドライバーの片山右京さんが富士山で遭難したそうです」

\(◎o◎)/えぇぇぇぇぇっ!!???
生きてんの!?死んでんの!!?!??
訳がわからなくて、遭難という言葉でそう思った。

今はスポーツ冒険家の双羽黒こと北尾コウジに次いだ(?)存在。
登山が大好きなので、各国のいろんな山に登っているのは知っていたので、
そう言うことも無いとは言えないとは思ったことはあった。
でもそうなるだろうとは思っていないので驚いたのだ。
富士山とチョモランマでは違うが、植村直巳さんを思い出した。
あの偉大な冒険家の亡骸は、確か今も見つかってないのだよな…。

その後のニュースで同行の1名死亡で1名重体。
右京は無事に生きていて、救援要請をしているということだった。
亡くなった方や、重体の方には申し訳ないが、
知らない人なので、右京が生きていたことに安堵したが、
その人たちはどうなっているのかと、一人で下山してきたということで、
さっぱり解らずに気になった。
すると救助後の会見では、重体とか死亡という言葉は一切出ず、
他の二人の無事を願っていると言うようなことを言っていた。
?????真実はなんなんだろう???

どうも9合目で事故が起きたようで、現在富士山は入山禁止だとか?
だとすると、これは大きな社会的責任を問われそうだなぁ。
冒険と無茶って違うからね。ルールを守った上でだから。
例えば、こういうことでなくても、立ち入り禁止の自然保護地域は
行きたいから行ったでは済まされないだろうし、
いくら南極の山に登る予定があって、そのプラクティスだとしても
特別許可があったのかどうか、その辺もすごく気になる。

なんでも昨日の突風が3000m辺りでは、とんでもない風だったようだ。
実際昨日は西からの風が冷たく吹いていた。
昨日の今頃の時間は、その風がタバコの煙を逃がすために開けている窓から
冷たく入りこんでは流れ出て行き、私の部屋は相当寒かった。
南南東を向いている我が家は、ベランダからの西に富士山が位置している。
実際は南西方向にあるのだが、うちのベランダを南だと仮定し基準にすると、
西南西に富士山が見えている位置なのだ。
今朝おきて、富士山を見たら、ふもとのほうまで真っ白。
しかもてっぺんには雲がかかっていてもやもやしていた。
その雲は、いわゆる空を流れていく雲ではなく、
そこだけにかかっているもやのようなものとして見えていた。
なので殆ど真っ白な富士山だったので、画像を撮ろうと思ったが、
そのもやでてっぺんが見えないので撮らなかったのだ。

その確認をした数時間後にこのニュースだぜ!?
きっと右京やそのパーティーの呼吸した息が、
うちにも届いていたんだぜ!?無いだろうけど。絶対無いとも言い切れない。
そう思ったら妙に親近感ではなくて、富士山という遠方に居たのに、
すごく近くに居て困っていたかのような気持ちがした。

話によると、右京は南極のプラクティスだし、テントは一人用のそれを
自分ひとりで設置して寝ていたらしい。
その後1本のシャフトが折れたので、外に出てみたら、
他の仲間二人が寝ていた3名用のテントがすっ飛ばされていたというのだ。
なのでテントごと何処かに吹っ飛んでいったのか、
飛んだのはテントだけで、防寒には寝袋程度しかなくなった状況で
凍死してしまったのか、或いは吹っ飛ばされたときの外傷か、
右京は一緒だったのか、そうではなかったのかなど、
本人も命からがら下山したばかりで、詳細を語らせるには、
酷な状況で、何も情報が無い分さっぱり解らない。
一つ明確なのは、今日は捜索を打ち切って、明日朝から再開。
…山小屋もテントも無ければ、ウマくビバークできればいいけど、
死に掛かったひとがそんなことは出来ないだろうし、
非常に安否が気に掛かる状況だと思う。

そんなニュースを見ていろいろ思っていたら、やはりF1を思い出した。
1987年は初の日本GPだった。70年代は見てないので知らないが、
星野や長谷見などの当時のTOPドライバーが走ったのは知ってる。
87年は中嶋がフルタイムデビューの年でチームは来期復活のロータス。
そしてチームメイトはあのアイルトンセナだった。
84年は3年目で、デビューはトールマンだったが、
85年の2戦目からロータスに移籍したのだった。
当時のセナはまだチャンピオンではなく、近い将来の候補の一人で
やはりプロストには適わないだろうという見方が大半だった。
でもそんなことは誰も知らない国民が、中嶋には期待をしていて、
HONDAの1・2・3・4フィニッシュや、89年最終戦のアデレードで、
凄まじい豪雨の中、一人だけ次元の違う走りでもう少し周回数があれば
3位になっていたのは確実だった無念の4位も、日本人で唯一の
ファステストラップを記録したものも(そこから雨の中嶋の異名が)
すごく記憶に残っている。

あ、中嶋の話ではなかった。
右京の場合はあの車がひっくり返って大クラッシュしたアレだな。
確か右京の車は飛んだ後にグージェルミンの上に落ちてきて、
グージェルミンもあわやという事故だった。別々の事故か?
他には2位走行しててオーバーレブで白煙吹き上げてリタイヤとか、
右京ももっといい成績を残せていておかしくなかった。
親近感的には18歳で普通免許を取ってからレースの世界に行って、
そこからTOPドライバーの仲間入りを果たしたことか。
中嶋、亜久里という個性の強い所に第3のドライバーとして走っていた。
古館伊知郎には「張子の虎走法」と呼ばれていたな。

思い出したのは、国際映像が後方の右京を珍しく捉えた時に古館が、
右京の首が前後する様をそのように言った次に映ったのがプロストで、
プロストは首が強くて動かないのでこんなことを言っていた。
「アランプロスト首が曲がらない!全く首が曲がらない!
その分!少年時代にサッカーで痛めたという鼻が曲がっている!
鼻曲がりのダンディーとも言われているF1界のナポレオン!」と。
これ、相当インパクトがあって夜中に大爆笑したので一語一句覚えてる。

この中嶋~右京の時代は面白かったな。
やはりセナが全てではなかったけど、セナが亡くなってつまらなくなった。
シューマッハは強かったけど、セナの時代はプロストにマンセルにピケに
パトレーゼ、ブーツェン、ナニーニ、ベルガー、アレジなど、
結構な個性が揃っていて、フェラーリが超低迷期で88年こそマクラーレンが
16戦15勝だったけど、セナプロも油断すると簡単に優勝を掻っ攫うような
ドライバーが多かった。他にもブランデル、ブランドル、アルボレート、
カペリ、アルヌー、チーバー、ワーウィックなども勝てるドライバーだった。

そんなF1のオープニングで最高に好きだったのが89年だ。
あの最高のエンジンHONDA V10初年度だな。
この年のOPは非常に最高。
曲はTRUTHに変わりは無いけど、背景の絵面のコンピューターの音や
エンジンの音の刻み方がカッコよく、なんにしても一番ベネトンらしい
原色のベネトンがしっかりとマシンにも表れていて、
その配色のスウェットも18000円も出して買ったのだった。
上下でなくて下だけね。・・・その辺からもバブルだったな・・・。
で、それを見つけたので、下に貼っとく。


F1 1989 OP


最初の車は翌年からレイトンハウスになったマーチ。
ドライバーはカペリとグージェルミン。
その次が最高に好きなカラーリングのベネトン。今はルノーだもんなぁ。
ドライバーはピケとナニーニ。そういや某専門誌はナンニーニって書いてた。
そして最後がマクラーレンで、当然セナプロね。
この89年は鈴鹿のシケインで両者接触。セナ失格。プロストチャンピオン。
確執も確固たる物にと確定的になったのだよな…。
そして翌年の90年にはプロストはフェラーリに移籍。
鈴鹿はスタート直後の1コーナーでまたも接触両者リタイヤ。セナチャンピオン。
なんか凄まじい怨念とか執念とかドロドロしてたな。
それだけに数年後に両者が握手を交わしたときは感動的だったし、
プロストが引退して、セナが亡くなったサンマリノでは、
無線でプロストに「アラン、キミがサーキット上に居ないのが
とっても寂しいよ」と言っていたのも印象深い。その後タンブレロで…。

F1は面白かったなぁ。どんどんいろいろ出てくるよ。
右京の遭難の話だったのに、すっかり・・・。

そういや今日は長谷川の防衛戦もあったけど、
4Rとは時間掛かったな。遅くても3Rだと思った。
9位だし、若いので怖い部分もあったけど、
サウスポーで右のガードが下がり気味なので、
私が左だ左だとずっと言ってたが、実際左が2発入ってダウンで、
かみさんと娘は結構驚いてた。予言でもたまたまでも無いのだよ。
でも良く解ってないので、適当な予想が当たったようにしか思ってない。
弟分の粟生がもっと頑張ってくれると面白いんだけどね。
日本人チャンプが少ないので。今は…3人か?

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登山は命がけ (王国のたぬきち)
2009-12-22 00:24:50
一緒に登った右京さん以外のお二人は亡くなっていましたね。
お亡くなりになった家族からのコメントが両家族とも、大好きな山で最後を迎えられて幸せだったと思うでしたかね。
事故はつきもの、自然が相手だからとはなんとなく思うけど、悲しい。

仲間が弱っていって、見守りたいけどこのままでは自分も死んでしまう・・・極限過ぎてとても辛すぎる
返信する
自然は強大 (ぜっとし)
2009-12-22 11:37:03
地震には誰も勝てないように、自然の力は凄まじい。
人には制御出来ない。
それを克服する工夫だけが出来るのだけど、
適切に予想通りに出来れば生きていけるが、
不適切や予想外なことに巻き込まれると生きていけない。
これは山に限ったことじゃないんだよね。
耐震設計がいい加減なビルに住んでたら、
大地震が来て死んでしまうだけ。
これも全く同じことだと思う。
だから山だけがとか、海などの自然がということでもないんだよね。

だからこのようなことも想定して山に登っていたと思う。
だからこそなんで助けてくれなかったんだとか、
そもそも山なんかに行ったんだとは遺族は言わない。
立派な家族だけど、右京にとっては叱責を浴びるほうが楽かも?
覚悟していたことだからと、あのような優しい言葉を聞くと、
失って帰ってこない相手を思えば、切な過ぎるし、
その人を失った家族にとっては、手足をもがれた気持ちだけに、
その手足をもがれても攻撃しない人に対しての
申し訳ない気持ちが爆発しそうなほどにMAXになったと思う。

右京の選択は正しいよ。
一人死んだから全員でって思考は心中。
生き延びられるものは生き延びないと。
もちろん誰かを殺して生き延びることは別だけど。

昔、麻雀放浪記っていう、真田広之の映画があったんだけど、
そこで鹿賀丈史が、出目徳の親父が死んだ時に
真田広之にこう言ったんだ。
(全ての身包み剥がして土手から転がして)「いいか、坊や、良く覚えとけ。死んだヤツは裸になるんだ」って。
ギャンブラーの話だとしても非情すぎると思ったけど、
死んだら何も残らないって感じたんだよね。
それは「死んだら[無]になるんだ」と感じたの。

そう思うと、何も残らないものになってしまった人に付き添い
自分も無になってしまうことは間違っている。
無になってしまうまで必死でもがいて回避すべき。
だから無になった人のそばとか、担いで下りるとかは
しないで正解だったと言い切れる。
無になって、何も残らないといいながらも、
ご遺体や、その後の骨は無ではないので、
幸いマイナスの世界だから痛んだりはしないので、
安全が確保できる時に降ろしてあげればそれでいい。
まして最初から自分だけが生き延びようとした訳ではなく、
寄り添いあって温めあってしのいでいたけど
ダメだったのだから、仲間が無になったときには単独下山は当然だよ。
まあ、そうでなくても人手を集めるために降りる事も必要な場合もあるし。

事故死は想定外の別れだから、青天の霹靂で辛いよな。
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