3話目になる昨日の続きだが、こんな下らんことで、
こんなにも文字が叩けて果てしなく書けるんだよ。
そこが食ったことない人とのあからさまな温度差。
その温度差は気持ち悪いほど理解出来ないと思う。
でもこれが現実で、駄菓子屋もんじゃを愛して止まない
下町のハズレのハズレの大勢の世代を超えた連中は、
みんな事と同じような感覚を持っている。
もちろん駄菓子屋もんじゃ食った全員がではない。
ある友人はそっちよりも、ベビラー入れてソースを入れないものが
一番の好みだというほかではまるで聞いたことない特異な嗜好もあった。
これは誰も賛同はしないが、本人の好き好きなので、
本人がそれを食う分には何の問題もない。
ただ仲間には変な目で見られるのは必至だろうが…。
(そもそもみんなどっちかというと濃い味が好きなので薄すぎだよな…)
サクライを知った理由は見つけたわけではない。
仮に見つけても、昨日の話の理由で入らないと思う。
でもそれが入ることになったのは、ある地域の知人の話だった。
これも良く見かける記事だと思うが、私ら親子は盆踊り大好き。
露店大好きなのだ。だからあっちこっちの町会のに行く。
やはり下町育ちは血が騒ぐので、おんなじ様なヤツはそれなりに居る。
持ち家のマンションだった時代に、子どもが同じ年だったある人が、
住区町会とは違う隣の町会に入って、奥さんがそこの盆踊りメンバーで
娘とともに大師の盆踊りなどにも演者として踊ったりしだしたのだ。
それを入会した町会の盆踊りで踊っているのを初めて見たときに
そういう話を尋ねて聞いて、うちも好きだけど良くあちこちで合うし、
ましてや盆踊りの踊り手までなんて凄いねぇ~。と旦那に話したのだ。
細かいことは良くわからないが、その夫婦は2つ程度の隣町出身者で
長年地域に住んでいるようなのだ。
で、まずは露店の話で盛り上がって、文化フライが考案者は死んだけど
復刻させて出す人が出て嬉しかったとか、
裏門脇のテキ屋にはオイルライター3連発で落としたら、
「あんたプロか!?もうやらせない。禁止!」といわせたこととかの
自慢なんかも語り合って、互いに認め合える下町小僧だと思った。
そこで気をよくした旦那が言ったのだ。
「もんじゃも勿論好きですよね?」と。
そこで私があたりまえじゃん~駄菓子屋もんじゃで育った世代だし、
ベビラーでなくしっかりラメックで食ってきた世代だぜ~というと、
旦那は目を丸くして一瞬驚き、直後にやたら興奮してこういった。
「それ、今も食べられますよ!!今度行きましょう!!」
今度は私が目を丸くしてきょとんとした。
そんなもん25年前には絶滅していたのだから。
しかも私が元々居たのは区内の別の離れたエリアだが、
今のエリアに来て転居数回したけど15年近くは住んでるわけ。
もう近場は通ったことないところはないぐらいに。
実際2~3歳の娘とお散歩だといって、5つ向こうの町の公園に
ゆっくりだが休み休み歩いて遊びに行ってた位なんだぜ!?
それが知らんところもあるとは、確かに車は通りづらいし、
ごちゃごちゃして狭い道だし、特段用は何もないので
通ったことない道は厳密にはいくつかはあったわけだ。
その一つに面していたのがこのサクライだった。
(それだけ10年以上も住んでるものが、知らないとか気づかないお宝を、
無粋なお馬鹿が「ここだよ」とブログに書いたの頭にくるの
なんとなく解るでしょ?)
ただその話のときに凄く違和感を感じた。
同じ区内でも実際店は違うし、地域は違うし、世代は違うし、
私らは高校生で中学生以下に譲った店を、
この人はいい年こいた大人になってまだ行ってるのかと思ったのだ。
それで駄菓子屋もんじゃは子どもの園でしょ?
そんなところにおっさんが入っていけないよ…。というと、
何言ってんの、うちらみんな行ってるから大丈夫だよ。
大人なんてうちらの友人以外にもたくさん子どもと来てますよ。と。
ますます理解しがたかったが、自分の思いを思うと、
この人たちもあの味に魅せられているのだし、
食いたい衝動が抑えられず、店はそこにあるので行ってしまったんだろう。
そして自分の子どもを出しにして、子どもにも味わわせるが、
どっちかというと自分が・・・ということなんだろうと。
でも自分が食ってて後からどっかの子どもが来て待たせるの忍びないなぁ…。
こういうと、そういうこともあるけど、でも大人でも子どもでも
待つときは待つわけじゃない。結構混むけど、空いてるタイミングだったら
誰も来ないとかもあるし、そんなに気にしないで大丈夫。
まずおばさんにも話しとおしておくから、いつ行っても大丈夫だよ。と。
先輩から続く私らの世代やその地域が築いてきた駄菓子屋もんじゃの常識を
こっちのエリアでは一気に覆されたのだ。
でも、大人がガンガン来ているなら、むしろ恥ずかしくも悪くもないかと
あの絶品の味が味わいたくて、もはや行く気は満々になっていたのだ。
でも子どもは同じ年でも年も結構違うし、やたら親しいわけでもないので、
教えてくれた人とはマンションにかかわる何かのとき以外は接触はなかった。
小学校も娘は学区外だが地域の学校に行っているが、
その人は自分らの出身校である少し遠い学区外のほうに行っていたので、
学校的にも共通しなかったのだ。
そんな背景からか、いつ行こうと言う具体的な約束までには至らず、
ただ場所だけは口で聞いて解っていた。
そこはまん前は通らないが、その道がぶつかる道はそこそこ通り、
保育園で一緒だったタツヤの家がその先にあるので、
私もかみさんも娘も常にニアミスだったのだ。
なので角のタバコ屋のところから、学校にぶつかる間、
その間をうろうろすれば絶対に見つかると思っていた。
そして話を聞いていてもたっても居られなくなった10月1日に行ったのだ。
最初に話を聞いたのは、9月10日頃の夏最後の盆踊りだったので、
3週間程度じっと我慢をしていたこととなる。
そして初めてそこについて、これがそれなのかと思ったのが
「1」の冒頭画像。まん前通らなければ絶対解らない。
看板という看板もなく、思い起こせばこの近くの道を通ったときに
もんじゃの臭いがしたことがあって不思議だったが、
どこかの家庭が子どものおやつに食わせているのだろうとしか思わなかった。
だっていまだにあるなんて、信じられなかったからだ。
昨日記したとおりに、80代以上は必至でみんな主に死んでるからだ。
そして当時30代で若かった人は、誰より後に初めて先にやめたし、
後にサクライのおばさんに聞いても、ここらへんでも全く同じで、
まねてやりだす若い人は、続けるのが困難ですぐやめてったと言ってた。
その入口を開けようとしたとき、扉のすぐ向こうの台にいた
男の子たちがちょうど帰るのに出てきたのだ。
待ち時間がないことは非常にラッキーだったが、
待つ間に眺めながら戦略(?)を練ろうと思っていたのに、
いきなり中に入るので焦ってしまった。
でもこういう店のおばさんは、来た客の顔みんな知ってる。
適当なうそはダメだ。なので正直に話した。
「あそこの旦那から聞いてるかもしれないけど、今日初めて来たんですよ。
で、その記念に写真も撮りたいんですけど、お店の様子やおばさんも
撮ってブログに載せてもいいですか?」と一見の癖に図々しくも。。。
あぁ~何だかそういう人がいたって先週来て話してたね…。
そんな風におばさんが言ったのだ。
(閉鎖したブログがエクスポートさせてくれてたら、
そのときの温度そのものの文章が再掲載できたのにな…)
そしてこの画像を撮って、奥には小学5~6年生らしき女の子が
2名居たので、そっちは取らないように心がけた。
そしておばさんがいう。どれにしますか?と。
正直どれにってのが困ったのだ。
何故なら私の時代の駄菓子屋もんじゃは1種類なのだ。
それが足りなければ数杯食うだけの話。
だから一般のもんじゃ屋のようにトッピングで種類があるのかどうか、
そういう細かいことまでは聞いていなかったので焦った。
でも画像に切れているように、メニューが後ろを振り向くとあった。
書かれていたのは…。
「ウーロン茶・コーヒー・ラムネ120円
ベビーラーメン20円 ドリンク20円 たまご40円」これだけだ。
普通に考えれば3種類の飲料にべビスタらしきラメックもどき、
ドリンクはなんの飲料か謎だが、たまごはただのたまごだと。
でももしかしたら、ウーロンもんじゃとか、たまごもんじゃはあるので
コーヒーもんじゃとか得体の知れないものもやっているのかもと、
非常に焦ったことを思い出す。
するとおばさんが言った。
もんじゃはね、1種類しかないので、大中小の3種類から選んでね。と。
主にお姉ちゃんは小で、お父さんは大でいいんじゃない?というので
そのとおりに頼んだ。
そしてすかさずそれにあわせてラメックも6個くださいと言ったのだ。
おばさんの目が光った。
そんな文言どこにも書いてないのに、確かに今ラメックって言った…と。
やっぱりラメック知ってるの?といわれたので、
ないから仕方なく食べてるけど、べビスタではなくラメックじゃないと
もんじゃは美味しくないからね。というと、
そうなのよね。あなたどこで食べてたの?
やっぱりうちと同じだったみたいだけど、多分同じ味すると思うわよ。と。
その自信満々の同じ味宣言にもう我慢汁が出てしまうぐらいに興奮した。
そんなに断言できるほど満足させてくれるのかい?おばさんよ。
俺が区内のどこに居てどの店で食ってたか、その味も知らないのに。
そう思ったのだ。逆にどこの店も当時も大差ない味だったので、
そういう意味ではおばさんの言うことが理解できたし、
素直に期待もしたのだった。
それでまずは200円の大が出てきたときに写したのが↑の画像だ。
でもラメックが変だった。
私の知ってるラメックはこうだった。
拾い物だけど、このイラストの中央の豚の絵のヤツがそれ。
ちなみに上にあるのはビンの形のモナカにジュースの粉が入ったヤツで、
その右下が占いチョコ、下が20円のすももくん、下がミナツネのみつあんず、
ラメックの下がオレンジシガレットで、その下の右はわからないが、
左はモロッコヨーグル、左下が都こんぶ、その上がマルカワの
オレンジフーセンガム、右の長いのがあんずボー、左がペーストのチョコ?
チューブのようにニューっと出てくる。その左はもしやパンチコーラかな?
その上部とかもわからないけど、そんなラインナップ。
この時代、ベビースターは20円だが、ラメックは10円だった。
もちろんその量は半分程度しか入ってないが。
でもそのラメックが、こんな感じで出てきた。
なんじゃこれ?!これラメック!???!!?
確かに見た目はそれっぽいけど、透明の袋って…。
そうあっけに取られて開けもせずに見ていたらおばさんが、
今はラメック売ってないでしょ?だからそれ業務用なのよ。
小売されないヤツなの。こういったのだ。
で、その仕入れ単位の代物が…。
こんなことだよ。
草加だか川口の人が、おばさんが小分けに詰めて作ってるかのように
書かれていたが、そうではなく確実に卸売りされているのだ。
(その製造も今後危ないな…)
これが現在は実は群馬で作られているらしい。
駄菓子メーカーって潰れるとそのパテントというか、
製造の機械ごと既存のところに転売して譲渡されて、
同じ名称で継続して売ったりするので、そういうことなのだと思う。
ブタ柄袋のラメックを作っていたのがどこかはもうわからない。
ただメニューにはベビーラーメンとあった。
これがラメックではない印象を持ったのだ。
それはこれなのだ…。
これはベビースターだが、復刻版を3年ほど前に出たのを買ったのだが、
一番手前の画像が初期のベビースターの袋だ。
このベビースターがあまりにもウマくて、
道端で100円拾ったときに、持ち合わせと足して7袋ぐらい食ったら
思いっきりエロエロエロって吐いたことがあったぐらい食ったのだ。
でもこの前身があるのだ。
それがこれ。
おやつカンパニーなんて名称すらない松田食品以前の松田産業。
そのときの商品名がベビーラーメンだ。
なのでメニュー見たときにもしやベビスタなのでは?と思えたのだが、
麺の色を見てそれではないことは一瞬で解った。
ベビスタはご存知、結構なしょうゆ味が付いているので濃茶色だ。
薄茶であるそれは、ラメックだったし、疑うにしても
これただのサッポロ一番とかかも?!とさえ思ったほど。
でもむしろベビスタだったらそっちのほうがいい。
何故なら答えは簡単。ここに何でラメックかの意味がある。
ベビスタはチキン味のしょうゆスープが染みてる。
もんじゃには何を入れるか?・・・そうしょうゆではなくソース。
だからベビスタはしょうゆとソースがケンカするんだよ。
なのでむしろ一般もんじゃ店では、ベビスタよりも生のそばのほうがいい。
アレはただの焼きそばの麺だからね。
もちろんそのケンカした味が好きならそれもそれでいいのだ。
主に圧倒的多数の人が食っているのはその味なんだろうから。
でも私らは元祖なんで、ケンカしているそれは好きじゃないのだ。
ラメックは色からしてしょうゆ味は濃くなく、塩味っぽい。
だからもんじゃに最適なのだよ!!!!
これは初めて入った駄菓子屋もんじゃで一般店と勝手が違うので
緊張している娘の前にある200円のもんじゃとラメックとテーブル。
まずここまでの画像で思っただろう事が、卓は長方形でなく正方形なこと。
どこに行っても長方形なので違和感があるかもしれないがこっちが基本。
ここまでの話で、この人はこの辺は長くないけど、
間違いなく下町育ちの子だとわかったようで、
ある程度認められた空気があった。
なので娘と並んで写真を撮らせてもらったのだが、
おばさんの顔は喜色満面。昔は顔出し許可得ていて出してたが、
店主だからであって、もうただのおばあちゃんなので顔は隠した。
そしてなんで正方形なのかは非常に理にかなっている。
もんじゃ屋は家族や仲間と行くでしょ?
家族はともかく仲間と行くと主に割り勘でしょ?
だから月島方式が成り立つんだよ。
みんなでつついて、みんなが均等に払うの。
でも駄菓子屋ってどう?
駄菓子屋には10円が貴重な、子どもの小遣いが全てなんだぜ!?
仲間で食うときに割り勘なんてないんだよ。
だって給食を思い出してみなよ。
食うのが早い子と遅い子、たくさん食べる子と小食な子、
熱いの平気な子と猫舌の子。同じ年でもみんなバラバラだろ?
そうなると、食うのが遅い猫舌で小食の子は、
全部食べられずにあげるのは別としても、
みんなでつついたら同じ金払って平均以下しか食えないんだぜ!?
これってケンカの元だし不平等だろ!?
だからもんじゃは元々…
自分の食う分を個別に小さく焼いてたのだ!
それが正しいもんじゃの食い方なんだよ。基本の食い方なんだよ。
これは発祥が駄菓子屋だったら、それしかないって思うでしょ?
そうなると土手作って全部ぶちまけるそれは、
絶対に元祖のやり方でも基本でもないってわかるでしょ?
だから月島が基本でも元祖でも全てでもないってことを、
もんじゃをあまり知らない人に知って欲しいのだよ。
月島は調子こいて独自に突っ走り過ぎただけなんだよ。
…具材だけを最初に軽く炒めてから土手を作って汁を流し込む…。
ちゃんちゃらおかしいよ。
汁を全部ぶちまければ台の隅々まで行ってしまう。
そこにはお好みや鉄板焼きの何かもやってるだろうし、
もんじゃが全てを奪わないための無理やりな知恵なだけ。
そもそも基本どおりに全部ぶちまけなければそんな心配要らないんだよ。
でも一気にみんなでつつくには、土手は単純に不可欠なのは解る。
なのに具を炒めるそれは完全に意味の無い以下にもそれらしく見せかける
無駄な行動。具を出していきなり土手作って汁撒いて、
汁が固まりつつあったら一気に混ぜればいいだけの話。
しかももんじゃって焦がして食べると思っている人多いけど違うから。
バカみたいに一気にやっちゃうからこげちゃうんでしょ!?それだけの話。
個別に焼けば焦げるなんてないの。ゲル状にキャベツに火が入れば
もうそれでいいんだから。トロトロのそれで。
ということで、駄菓子屋もんじゃは自分個人の1杯を、
間違いなく自分だけが食べるように、個別に焼くんだよ。
なので正方形なの。大半右利きなので、目前の左に丼を置いて、
右側の2/3が自分の陣地。そこから中央までね。
(左利きが一人居るとややこしくなり、左利きは食いづらいことに)
みんながその位置を使って、正方形の陣地が綺麗に分かれるのだ。
ただせんべいのときだけを除いて。
それでケンカもなく平等が保たれていたわけだ。
さらには私の地域はソースは最初から入ってなく、
完全に自分のさじ加減だった。その濃淡も個人差があるので
一つだったら我慢も必要だが、個別なので好き好きに出来る。
サクライやチクは予めいい感じにソースは入っていた。
それは違和感があったが、3回程度で慣れた。
どっちみち私は濃い味なので、結構ソース足すので。
もんじゃ屋のテーブルのソースのビンの2/3は入れちゃうので。
(貧乏くさいので、味も濃いし量も増えるので…)
ただ今はもう月島のそれが浸透してしまい、
大人などそうやっているのはいちいち教えずに好きにやってといっていた。
それでケンカにならなければ別にいいのだから。
地域の父母も昔駄菓子屋もんじゃに馴染みない人はそうしていたし、
そういう親の子どもも当然個別焼きなんて知らないから
大きく焼いて食っている子も結構見た。残念でならないが
最低限全部焼くと友達に陣地はみ出て嫌われるので、
半分とか程度に抑えて纏め焼していた。
ここから食っている途中の画像は初日はないのだ。
何故なら一口口に入れた瞬間に、走馬灯のようにこれまで話した
幼少期の駄菓子屋もんじゃの思い出がどんどんと色鮮やかに蘇ったのだ。
それまでは忘れ去っていたかのようなことも思い出していた。
おばさんが言い切ったように、昔の味そのものだった。
店は初めてでも、初めてじゃない味。
長年食えなく居たけど、間違いなくそれだと判る味だった。
それは気が狂いそうだし泣きそうになった。それだけ感激した。
ゆえに果てしなく夢中になって食っていたのだ。
もちろん娘も初めてだから(駄菓子屋もんじゃは自分で焼くんだと
はがしは小さいので大きいターナーで作らせたのだ)
あれこれサポートしてやるともんじゃが焦げてしまうので、
撮っている暇もなかったのだけどね。
そんな初めて食った娘も、このもんじゃ美味しい!と目を丸くしていた。
ということで、焼いている画像は今日はないのだが、
もんじゃの食い方をここに書きたい。
さすがにそんなもん知ってると言うかもしれないが、
正式なかっこいい食い方できる人は凄く少ない。
もんじゃは掬っては食わない!
押し付けて食うのだ!
どういうこと!?????そう思うだろうと思う。
まずは全部焼こうが個別に焼こうが、口に入れる作業は同じ。
焼いていて程よく火が通ったそれを鉄板にはがしを滑らせて、
上に乗っけて掬うのは素人の食い方。
私ら玄人は、個別もんじゃの全体をこねこねこねこねいい感じに
こねくり回す。全てに火を通すことと【焦がさないためだ!!】
そうしてゲル状になった時に、はがしの大きさ程度を手前に引っ張り
そこでも軽くこねるようにボールみたく丸くする感じに立体的にして
はがしを押し付けて下側にくっつけるのだ。
手前に引き気味に下に押しつけてという高等テクニックで。
そうするとはがしにもんじゃはくっつく。
でも地球には引力があるので、ボーっとしてたら落下する。
なので素早くそれを持ち上げたと同時にくるっと天地をさかさまにする。
その瞬間下にあったもんじゃが上に乗っかる。
初めてもんじゃが上に来るのだ。
それで多少フーフーもするが、玄人は熱さなんか感じない口運びで
そのまま一気にもって行く。主に口に入った瞬間にまたはがしは回転する。
今度は口の中なので落ちてもいいので下を向くのだ。
そして心持舌と下あごの間に唾液を溜めて熱さを緩和させ
(これは長年の経験で自然とそうなってる)
下の歯ではがしにこびりついたもんじゃをそぎ落としていくのだ。
そして下側が熱くなって、休憩したいときは、口に入れるときに
はがしを回転させずに上向に入れて、上の歯でそぎ落とすこともする。
ただ、その場合確実に違うのは、上は唾液が溜められないので、
舌と上あごの間に歯で挟んだはがしを位置させ、
もんじゃが上あごに付かないようにしてもんじゃ部分を通過するように
息を吐き出して冷やして食うのだ。
口にさっさと入れないで吹くと確実に落ちてしまうし、
落ちていいのは口の中なので、口にまず運んでやけどするので
絶対に上あごに付かないようにポジションを取って、
口の中でフーフーするのだよ。音的にはフーフー出なくヒーヒーに近い。
この2通りが食い方だ。押し付けて掬えると下町ではキングだぜ!?
そうして個別に焼くことで、最後の最後にお楽しみが待っている。
せんべいだ。
まずは個別焼きの基本だが、ラメックも汁がなくなるほど入れる人と
あまり入れない人が居て、当然比例して多いほど食いでがある。
ただ汁が不足しては意味無いので、限界はおのずと決まる。
私は5~6個で7個もたまにあったが、主にせんべいが作れなくなる。
とにかく全部をお好みを焼く下準備と同じで、
丼のなかで全て混ぜ合わせる。
混ざったらスプーンで全ての具がいい感じになるように
3回ほど掬って鉄板の同じ場所に置く、8cm四方程度になったら、
その上から汁だけ掬ってスプーンで真上から掛ける。
主に2杯程度で回りにあふれるぐらいになる。それで後は焼くだけ。
最初の1個がほぼ完成だという段階で、その隣に同じものを作る。
最初のほうを食いながら、2個目のほうを同じように作業して、
汁が固まりつつあったらこねだして、完成させる。
その完成前に1個目を食い尽くしているはずなので、
それがあった開いた場所に3個目を作り出す。
その作業をずっと繰り返して食っていくのだ。
なので自分の陣地の長方形は2つや3つ同時に焼いてその焼け加減で
それぞれ裁いていくための遊びがない陣地となっているのだ。
3つだと相当忙しく、さっさと食わないと焦げる。
何度も言うが、もんじゃは焦がして食うものではない。
焦げたらそれはへたくその証だ。それは覚えておいて欲しい。
(月島方式で焦がさないのは至難の業だ)
さらにもんじゃではがし以外使うのはおこちゃまだけ。
ターナーは大人は使っちゃダメ。こげを取る時程度。
ということで、そんな食い方をしている私を見ておばさんは
この男は相当な上級者だと良くわかったようで、
一見だけど、もんじゃを、うちのような店を良く知ってるんだと感じていた。
そこから今日の今日なのに紹介もあったことだけど、
すでに認められた存在になったのだ。
そしてそのせんべいだが、大目でも程よくラメックを使うと
最後に汁だけが残る。それをようやくぶちまけてカリカリに焼くんだよ。
それは私が大得意で、多くの仲間が、今では娘が楽しみにしている。
だからそんなもんじゃの基本も知らない月島の無粋な店が、
みんなの楽しみのせんべいを作れないことを、
丼奪って土手作って「こうやるんです!」としったかの押し付けをしたので
頭にきたのはそういうこと。そりゃもう2度と行かないわ。
ちなみに亀有でも同じ事されたんだよ。
朝方までやってる結構な老舗で、もんじゃの語源を水焼だと
入口の内側の上に切々と説明している人気店だが、
そこも月島とは違って駄菓子屋もんじゃが残る両津勘吉の下町なのに、
月島に感化されて、丼分捕ってこうやるんですと同じ事しやがった!!
そこは月島でもないのに頭に来たので「きどってんじゃねぇよ!
亀有の癖に月島に魂売ったのか!帰る!!」と一口も食わずに
金だけ払って帰ったのだ。当然二度といってない。もう20年前だ。
もんじゃの食い方として月島式が書かれて居たんだよな。
結構長くやってる店だと思ったけど、そうでもなかったのかも?
もんじゃ屋は駄菓子屋もんじゃを行けなくなった年なので、
いろんなところに行ったからな。
千住のつばきや一力、堀切のシャンに十文字亭に…あぁもう名称が出ない。
意外だが住区地域にはうまい店がなく、
少し遠いところばかり行ってた。一力はやってるようだが、
つばきはやめてるし、今他はどうなんだろう??
ということで、これが製造中のせんべいだ。
色的にはソースが多いのでこんな色だが、
ソース多くなくてこの色は焼きすぎ。
これも実際もうはがしていいタイミング過ぎてる。
写真撮ってるのが無駄な焼きすぎ時間になってしまった。
で、せんべいもこの半分以下、主に1/3でも大きいといわれる。
隣の台にいた6年生ぐらいは、スプーンで3杯ぐらいを垂らして
ターナーで広げてこれの1/10ぐらいを作って食っていた。
なのでその子達にも「せんべいはこうやるんだ」と魅せるべく
気合入れて大きく伸ばした。このとき初めてターナーが役立つ。
汁をぶちまけたら手際よく薄く広げていく。
左官屋の仕事のように、何度も何度も層を重ねるように
薄く延ばして焦がしていく。
これをやるとときに油は敷かない。
火は非常に難しく、焦げやすいが消すと焦げない。
要は焦げすぎたら苦いので失敗だが、焦がすと香ばしく美味しいのだ。
その境目が絶妙なのだよ。それが難しいわけ。
しかも小さいほどに火力は同じで失敗しない。
大きければ火力が違って均等でないのでムズかしいのだ。
主にサクライの台もそうだったが、真ん中は火が強く端っこは弱い。
でもせんべいはどこかからの端っこから取って行かないとならない。
でも端っこはあまり火が通ってないのに、真ん中は火が通り過ぎて焦げ寸前。
そんな状況なので大きさだけでなく難しいことになるのだ。
苦く焦げきったところは、剥がすときにボロボロと壊れてゆく。
だから大きい物を作れる人は、王者やキングではない。
それはもはや 神 なのだ!!
この大きくやったそれはどうなるのか!!!!???
・・・私は~神だ…。(モンスターエンジン風に)
厳密には失敗した。
画像の左右中央部はやや焦げて欠けてしまった。
でもサクライのおばさんはこう言った。
アラ~~~!凄いね~~~!こんな大きなの久しぶりに見るねぇ~!
この道一筋のおばさんにここまで言わせたら確実に私は神だった。
娘はこれを持って向こうの女の子に自慢げなドヤ顔。
自分でやったのでもないくせに。
でもその女の子たちも「スゴッ!デカッ!!」と驚いてた。
こんな大きいのは見たことないって。
なのでここのもんじゃ食べてる子は、このぐらい作れるように
女子でもなってほしいな。駄菓子屋もんじゃの伝統だからねと話した。
当然ながら、何のことだかよくわかってなさげだったが。
このようにこんな駄菓子屋もんじゃでもさまざまなサイドストーリーがあり
その文化は長いわけで、いろんな継承されるべくものもある。
ルールやマナーや製造方法など。
最後になんで個別で正方形なのかのもう一つの理由も。
必ず4人で来るわけがない。
2人で来たら、後から2人来たら合席するんだよ。
見知らぬ同士が同じテーブルで食うの。
それで他校の子と仲良くなったりすんの。
待ってるのも待たされるのもお互い様だから。
でも2人と2人ならいいんだけど、3人のところに1人は入りづらく、
気の置けない仲間だけで気兼ねなく食いたいのに、
見知らぬ人が居ると気を遣うし気まずいので、
常に歓迎状態ではないけど、合席ができて、
見知らぬ人にも使っている席の一部を譲れる利点が
元祖である個別焼にはあるわけなのだよ。
安いもんじゃだし、待ちきれずにどっかいかれるよりは
店主としては合席して開いた席なく回って欲しいところだしね。
2人が使ってて大きくぶちまけたら、席は2つあってももう焼けないでしょ?
だから理にかなってたんだよ個別ってのが。
~明日は一応最終回として、サクライでの画像メインに…。
こんなにも文字が叩けて果てしなく書けるんだよ。
そこが食ったことない人とのあからさまな温度差。
その温度差は気持ち悪いほど理解出来ないと思う。
でもこれが現実で、駄菓子屋もんじゃを愛して止まない
下町のハズレのハズレの大勢の世代を超えた連中は、
みんな事と同じような感覚を持っている。
もちろん駄菓子屋もんじゃ食った全員がではない。
ある友人はそっちよりも、ベビラー入れてソースを入れないものが
一番の好みだというほかではまるで聞いたことない特異な嗜好もあった。
これは誰も賛同はしないが、本人の好き好きなので、
本人がそれを食う分には何の問題もない。
ただ仲間には変な目で見られるのは必至だろうが…。
(そもそもみんなどっちかというと濃い味が好きなので薄すぎだよな…)
サクライを知った理由は見つけたわけではない。
仮に見つけても、昨日の話の理由で入らないと思う。
でもそれが入ることになったのは、ある地域の知人の話だった。
これも良く見かける記事だと思うが、私ら親子は盆踊り大好き。
露店大好きなのだ。だからあっちこっちの町会のに行く。
やはり下町育ちは血が騒ぐので、おんなじ様なヤツはそれなりに居る。
持ち家のマンションだった時代に、子どもが同じ年だったある人が、
住区町会とは違う隣の町会に入って、奥さんがそこの盆踊りメンバーで
娘とともに大師の盆踊りなどにも演者として踊ったりしだしたのだ。
それを入会した町会の盆踊りで踊っているのを初めて見たときに
そういう話を尋ねて聞いて、うちも好きだけど良くあちこちで合うし、
ましてや盆踊りの踊り手までなんて凄いねぇ~。と旦那に話したのだ。
細かいことは良くわからないが、その夫婦は2つ程度の隣町出身者で
長年地域に住んでいるようなのだ。
で、まずは露店の話で盛り上がって、文化フライが考案者は死んだけど
復刻させて出す人が出て嬉しかったとか、
裏門脇のテキ屋にはオイルライター3連発で落としたら、
「あんたプロか!?もうやらせない。禁止!」といわせたこととかの
自慢なんかも語り合って、互いに認め合える下町小僧だと思った。
そこで気をよくした旦那が言ったのだ。
「もんじゃも勿論好きですよね?」と。
そこで私があたりまえじゃん~駄菓子屋もんじゃで育った世代だし、
ベビラーでなくしっかりラメックで食ってきた世代だぜ~というと、
旦那は目を丸くして一瞬驚き、直後にやたら興奮してこういった。
「それ、今も食べられますよ!!今度行きましょう!!」
今度は私が目を丸くしてきょとんとした。
そんなもん25年前には絶滅していたのだから。
しかも私が元々居たのは区内の別の離れたエリアだが、
今のエリアに来て転居数回したけど15年近くは住んでるわけ。
もう近場は通ったことないところはないぐらいに。
実際2~3歳の娘とお散歩だといって、5つ向こうの町の公園に
ゆっくりだが休み休み歩いて遊びに行ってた位なんだぜ!?
それが知らんところもあるとは、確かに車は通りづらいし、
ごちゃごちゃして狭い道だし、特段用は何もないので
通ったことない道は厳密にはいくつかはあったわけだ。
その一つに面していたのがこのサクライだった。
(それだけ10年以上も住んでるものが、知らないとか気づかないお宝を、
無粋なお馬鹿が「ここだよ」とブログに書いたの頭にくるの
なんとなく解るでしょ?)
ただその話のときに凄く違和感を感じた。
同じ区内でも実際店は違うし、地域は違うし、世代は違うし、
私らは高校生で中学生以下に譲った店を、
この人はいい年こいた大人になってまだ行ってるのかと思ったのだ。
それで駄菓子屋もんじゃは子どもの園でしょ?
そんなところにおっさんが入っていけないよ…。というと、
何言ってんの、うちらみんな行ってるから大丈夫だよ。
大人なんてうちらの友人以外にもたくさん子どもと来てますよ。と。
ますます理解しがたかったが、自分の思いを思うと、
この人たちもあの味に魅せられているのだし、
食いたい衝動が抑えられず、店はそこにあるので行ってしまったんだろう。
そして自分の子どもを出しにして、子どもにも味わわせるが、
どっちかというと自分が・・・ということなんだろうと。
でも自分が食ってて後からどっかの子どもが来て待たせるの忍びないなぁ…。
こういうと、そういうこともあるけど、でも大人でも子どもでも
待つときは待つわけじゃない。結構混むけど、空いてるタイミングだったら
誰も来ないとかもあるし、そんなに気にしないで大丈夫。
まずおばさんにも話しとおしておくから、いつ行っても大丈夫だよ。と。
先輩から続く私らの世代やその地域が築いてきた駄菓子屋もんじゃの常識を
こっちのエリアでは一気に覆されたのだ。
でも、大人がガンガン来ているなら、むしろ恥ずかしくも悪くもないかと
あの絶品の味が味わいたくて、もはや行く気は満々になっていたのだ。
でも子どもは同じ年でも年も結構違うし、やたら親しいわけでもないので、
教えてくれた人とはマンションにかかわる何かのとき以外は接触はなかった。
小学校も娘は学区外だが地域の学校に行っているが、
その人は自分らの出身校である少し遠い学区外のほうに行っていたので、
学校的にも共通しなかったのだ。
そんな背景からか、いつ行こうと言う具体的な約束までには至らず、
ただ場所だけは口で聞いて解っていた。
そこはまん前は通らないが、その道がぶつかる道はそこそこ通り、
保育園で一緒だったタツヤの家がその先にあるので、
私もかみさんも娘も常にニアミスだったのだ。
なので角のタバコ屋のところから、学校にぶつかる間、
その間をうろうろすれば絶対に見つかると思っていた。
そして話を聞いていてもたっても居られなくなった10月1日に行ったのだ。
最初に話を聞いたのは、9月10日頃の夏最後の盆踊りだったので、
3週間程度じっと我慢をしていたこととなる。
そして初めてそこについて、これがそれなのかと思ったのが
「1」の冒頭画像。まん前通らなければ絶対解らない。
看板という看板もなく、思い起こせばこの近くの道を通ったときに
もんじゃの臭いがしたことがあって不思議だったが、
どこかの家庭が子どものおやつに食わせているのだろうとしか思わなかった。
だっていまだにあるなんて、信じられなかったからだ。
昨日記したとおりに、80代以上は必至でみんな主に死んでるからだ。
そして当時30代で若かった人は、誰より後に初めて先にやめたし、
後にサクライのおばさんに聞いても、ここらへんでも全く同じで、
まねてやりだす若い人は、続けるのが困難ですぐやめてったと言ってた。
その入口を開けようとしたとき、扉のすぐ向こうの台にいた
男の子たちがちょうど帰るのに出てきたのだ。
待ち時間がないことは非常にラッキーだったが、
待つ間に眺めながら戦略(?)を練ろうと思っていたのに、
いきなり中に入るので焦ってしまった。
でもこういう店のおばさんは、来た客の顔みんな知ってる。
適当なうそはダメだ。なので正直に話した。
「あそこの旦那から聞いてるかもしれないけど、今日初めて来たんですよ。
で、その記念に写真も撮りたいんですけど、お店の様子やおばさんも
撮ってブログに載せてもいいですか?」と一見の癖に図々しくも。。。
あぁ~何だかそういう人がいたって先週来て話してたね…。
そんな風におばさんが言ったのだ。
(閉鎖したブログがエクスポートさせてくれてたら、
そのときの温度そのものの文章が再掲載できたのにな…)
そしてこの画像を撮って、奥には小学5~6年生らしき女の子が
2名居たので、そっちは取らないように心がけた。
そしておばさんがいう。どれにしますか?と。
正直どれにってのが困ったのだ。
何故なら私の時代の駄菓子屋もんじゃは1種類なのだ。
それが足りなければ数杯食うだけの話。
だから一般のもんじゃ屋のようにトッピングで種類があるのかどうか、
そういう細かいことまでは聞いていなかったので焦った。
でも画像に切れているように、メニューが後ろを振り向くとあった。
書かれていたのは…。
「ウーロン茶・コーヒー・ラムネ120円
ベビーラーメン20円 ドリンク20円 たまご40円」これだけだ。
普通に考えれば3種類の飲料にべビスタらしきラメックもどき、
ドリンクはなんの飲料か謎だが、たまごはただのたまごだと。
でももしかしたら、ウーロンもんじゃとか、たまごもんじゃはあるので
コーヒーもんじゃとか得体の知れないものもやっているのかもと、
非常に焦ったことを思い出す。
するとおばさんが言った。
もんじゃはね、1種類しかないので、大中小の3種類から選んでね。と。
主にお姉ちゃんは小で、お父さんは大でいいんじゃない?というので
そのとおりに頼んだ。
そしてすかさずそれにあわせてラメックも6個くださいと言ったのだ。
おばさんの目が光った。
そんな文言どこにも書いてないのに、確かに今ラメックって言った…と。
やっぱりラメック知ってるの?といわれたので、
ないから仕方なく食べてるけど、べビスタではなくラメックじゃないと
もんじゃは美味しくないからね。というと、
そうなのよね。あなたどこで食べてたの?
やっぱりうちと同じだったみたいだけど、多分同じ味すると思うわよ。と。
その自信満々の同じ味宣言にもう我慢汁が出てしまうぐらいに興奮した。
そんなに断言できるほど満足させてくれるのかい?おばさんよ。
俺が区内のどこに居てどの店で食ってたか、その味も知らないのに。
そう思ったのだ。逆にどこの店も当時も大差ない味だったので、
そういう意味ではおばさんの言うことが理解できたし、
素直に期待もしたのだった。
それでまずは200円の大が出てきたときに写したのが↑の画像だ。
でもラメックが変だった。
私の知ってるラメックはこうだった。
拾い物だけど、このイラストの中央の豚の絵のヤツがそれ。
ちなみに上にあるのはビンの形のモナカにジュースの粉が入ったヤツで、
その右下が占いチョコ、下が20円のすももくん、下がミナツネのみつあんず、
ラメックの下がオレンジシガレットで、その下の右はわからないが、
左はモロッコヨーグル、左下が都こんぶ、その上がマルカワの
オレンジフーセンガム、右の長いのがあんずボー、左がペーストのチョコ?
チューブのようにニューっと出てくる。その左はもしやパンチコーラかな?
その上部とかもわからないけど、そんなラインナップ。
この時代、ベビースターは20円だが、ラメックは10円だった。
もちろんその量は半分程度しか入ってないが。
でもそのラメックが、こんな感じで出てきた。
なんじゃこれ?!これラメック!???!!?
確かに見た目はそれっぽいけど、透明の袋って…。
そうあっけに取られて開けもせずに見ていたらおばさんが、
今はラメック売ってないでしょ?だからそれ業務用なのよ。
小売されないヤツなの。こういったのだ。
で、その仕入れ単位の代物が…。
こんなことだよ。
草加だか川口の人が、おばさんが小分けに詰めて作ってるかのように
書かれていたが、そうではなく確実に卸売りされているのだ。
(その製造も今後危ないな…)
これが現在は実は群馬で作られているらしい。
駄菓子メーカーって潰れるとそのパテントというか、
製造の機械ごと既存のところに転売して譲渡されて、
同じ名称で継続して売ったりするので、そういうことなのだと思う。
ブタ柄袋のラメックを作っていたのがどこかはもうわからない。
ただメニューにはベビーラーメンとあった。
これがラメックではない印象を持ったのだ。
それはこれなのだ…。
これはベビースターだが、復刻版を3年ほど前に出たのを買ったのだが、
一番手前の画像が初期のベビースターの袋だ。
このベビースターがあまりにもウマくて、
道端で100円拾ったときに、持ち合わせと足して7袋ぐらい食ったら
思いっきりエロエロエロって吐いたことがあったぐらい食ったのだ。
でもこの前身があるのだ。
それがこれ。
おやつカンパニーなんて名称すらない松田食品以前の松田産業。
そのときの商品名がベビーラーメンだ。
なのでメニュー見たときにもしやベビスタなのでは?と思えたのだが、
麺の色を見てそれではないことは一瞬で解った。
ベビスタはご存知、結構なしょうゆ味が付いているので濃茶色だ。
薄茶であるそれは、ラメックだったし、疑うにしても
これただのサッポロ一番とかかも?!とさえ思ったほど。
でもむしろベビスタだったらそっちのほうがいい。
何故なら答えは簡単。ここに何でラメックかの意味がある。
ベビスタはチキン味のしょうゆスープが染みてる。
もんじゃには何を入れるか?・・・そうしょうゆではなくソース。
だからベビスタはしょうゆとソースがケンカするんだよ。
なのでむしろ一般もんじゃ店では、ベビスタよりも生のそばのほうがいい。
アレはただの焼きそばの麺だからね。
もちろんそのケンカした味が好きならそれもそれでいいのだ。
主に圧倒的多数の人が食っているのはその味なんだろうから。
でも私らは元祖なんで、ケンカしているそれは好きじゃないのだ。
ラメックは色からしてしょうゆ味は濃くなく、塩味っぽい。
だからもんじゃに最適なのだよ!!!!
これは初めて入った駄菓子屋もんじゃで一般店と勝手が違うので
緊張している娘の前にある200円のもんじゃとラメックとテーブル。
まずここまでの画像で思っただろう事が、卓は長方形でなく正方形なこと。
どこに行っても長方形なので違和感があるかもしれないがこっちが基本。
ここまでの話で、この人はこの辺は長くないけど、
間違いなく下町育ちの子だとわかったようで、
ある程度認められた空気があった。
なので娘と並んで写真を撮らせてもらったのだが、
おばさんの顔は喜色満面。昔は顔出し許可得ていて出してたが、
店主だからであって、もうただのおばあちゃんなので顔は隠した。
そしてなんで正方形なのかは非常に理にかなっている。
もんじゃ屋は家族や仲間と行くでしょ?
家族はともかく仲間と行くと主に割り勘でしょ?
だから月島方式が成り立つんだよ。
みんなでつついて、みんなが均等に払うの。
でも駄菓子屋ってどう?
駄菓子屋には10円が貴重な、子どもの小遣いが全てなんだぜ!?
仲間で食うときに割り勘なんてないんだよ。
だって給食を思い出してみなよ。
食うのが早い子と遅い子、たくさん食べる子と小食な子、
熱いの平気な子と猫舌の子。同じ年でもみんなバラバラだろ?
そうなると、食うのが遅い猫舌で小食の子は、
全部食べられずにあげるのは別としても、
みんなでつついたら同じ金払って平均以下しか食えないんだぜ!?
これってケンカの元だし不平等だろ!?
だからもんじゃは元々…
自分の食う分を個別に小さく焼いてたのだ!
それが正しいもんじゃの食い方なんだよ。基本の食い方なんだよ。
これは発祥が駄菓子屋だったら、それしかないって思うでしょ?
そうなると土手作って全部ぶちまけるそれは、
絶対に元祖のやり方でも基本でもないってわかるでしょ?
だから月島が基本でも元祖でも全てでもないってことを、
もんじゃをあまり知らない人に知って欲しいのだよ。
月島は調子こいて独自に突っ走り過ぎただけなんだよ。
…具材だけを最初に軽く炒めてから土手を作って汁を流し込む…。
ちゃんちゃらおかしいよ。
汁を全部ぶちまければ台の隅々まで行ってしまう。
そこにはお好みや鉄板焼きの何かもやってるだろうし、
もんじゃが全てを奪わないための無理やりな知恵なだけ。
そもそも基本どおりに全部ぶちまけなければそんな心配要らないんだよ。
でも一気にみんなでつつくには、土手は単純に不可欠なのは解る。
なのに具を炒めるそれは完全に意味の無い以下にもそれらしく見せかける
無駄な行動。具を出していきなり土手作って汁撒いて、
汁が固まりつつあったら一気に混ぜればいいだけの話。
しかももんじゃって焦がして食べると思っている人多いけど違うから。
バカみたいに一気にやっちゃうからこげちゃうんでしょ!?それだけの話。
個別に焼けば焦げるなんてないの。ゲル状にキャベツに火が入れば
もうそれでいいんだから。トロトロのそれで。
ということで、駄菓子屋もんじゃは自分個人の1杯を、
間違いなく自分だけが食べるように、個別に焼くんだよ。
なので正方形なの。大半右利きなので、目前の左に丼を置いて、
右側の2/3が自分の陣地。そこから中央までね。
(左利きが一人居るとややこしくなり、左利きは食いづらいことに)
みんながその位置を使って、正方形の陣地が綺麗に分かれるのだ。
ただせんべいのときだけを除いて。
それでケンカもなく平等が保たれていたわけだ。
さらには私の地域はソースは最初から入ってなく、
完全に自分のさじ加減だった。その濃淡も個人差があるので
一つだったら我慢も必要だが、個別なので好き好きに出来る。
サクライやチクは予めいい感じにソースは入っていた。
それは違和感があったが、3回程度で慣れた。
どっちみち私は濃い味なので、結構ソース足すので。
もんじゃ屋のテーブルのソースのビンの2/3は入れちゃうので。
(貧乏くさいので、味も濃いし量も増えるので…)
ただ今はもう月島のそれが浸透してしまい、
大人などそうやっているのはいちいち教えずに好きにやってといっていた。
それでケンカにならなければ別にいいのだから。
地域の父母も昔駄菓子屋もんじゃに馴染みない人はそうしていたし、
そういう親の子どもも当然個別焼きなんて知らないから
大きく焼いて食っている子も結構見た。残念でならないが
最低限全部焼くと友達に陣地はみ出て嫌われるので、
半分とか程度に抑えて纏め焼していた。
ここから食っている途中の画像は初日はないのだ。
何故なら一口口に入れた瞬間に、走馬灯のようにこれまで話した
幼少期の駄菓子屋もんじゃの思い出がどんどんと色鮮やかに蘇ったのだ。
それまでは忘れ去っていたかのようなことも思い出していた。
おばさんが言い切ったように、昔の味そのものだった。
店は初めてでも、初めてじゃない味。
長年食えなく居たけど、間違いなくそれだと判る味だった。
それは気が狂いそうだし泣きそうになった。それだけ感激した。
ゆえに果てしなく夢中になって食っていたのだ。
もちろん娘も初めてだから(駄菓子屋もんじゃは自分で焼くんだと
はがしは小さいので大きいターナーで作らせたのだ)
あれこれサポートしてやるともんじゃが焦げてしまうので、
撮っている暇もなかったのだけどね。
そんな初めて食った娘も、このもんじゃ美味しい!と目を丸くしていた。
ということで、焼いている画像は今日はないのだが、
もんじゃの食い方をここに書きたい。
さすがにそんなもん知ってると言うかもしれないが、
正式なかっこいい食い方できる人は凄く少ない。
もんじゃは掬っては食わない!
押し付けて食うのだ!
どういうこと!?????そう思うだろうと思う。
まずは全部焼こうが個別に焼こうが、口に入れる作業は同じ。
焼いていて程よく火が通ったそれを鉄板にはがしを滑らせて、
上に乗っけて掬うのは素人の食い方。
私ら玄人は、個別もんじゃの全体をこねこねこねこねいい感じに
こねくり回す。全てに火を通すことと【焦がさないためだ!!】
そうしてゲル状になった時に、はがしの大きさ程度を手前に引っ張り
そこでも軽くこねるようにボールみたく丸くする感じに立体的にして
はがしを押し付けて下側にくっつけるのだ。
手前に引き気味に下に押しつけてという高等テクニックで。
そうするとはがしにもんじゃはくっつく。
でも地球には引力があるので、ボーっとしてたら落下する。
なので素早くそれを持ち上げたと同時にくるっと天地をさかさまにする。
その瞬間下にあったもんじゃが上に乗っかる。
初めてもんじゃが上に来るのだ。
それで多少フーフーもするが、玄人は熱さなんか感じない口運びで
そのまま一気にもって行く。主に口に入った瞬間にまたはがしは回転する。
今度は口の中なので落ちてもいいので下を向くのだ。
そして心持舌と下あごの間に唾液を溜めて熱さを緩和させ
(これは長年の経験で自然とそうなってる)
下の歯ではがしにこびりついたもんじゃをそぎ落としていくのだ。
そして下側が熱くなって、休憩したいときは、口に入れるときに
はがしを回転させずに上向に入れて、上の歯でそぎ落とすこともする。
ただ、その場合確実に違うのは、上は唾液が溜められないので、
舌と上あごの間に歯で挟んだはがしを位置させ、
もんじゃが上あごに付かないようにしてもんじゃ部分を通過するように
息を吐き出して冷やして食うのだ。
口にさっさと入れないで吹くと確実に落ちてしまうし、
落ちていいのは口の中なので、口にまず運んでやけどするので
絶対に上あごに付かないようにポジションを取って、
口の中でフーフーするのだよ。音的にはフーフー出なくヒーヒーに近い。
この2通りが食い方だ。押し付けて掬えると下町ではキングだぜ!?
そうして個別に焼くことで、最後の最後にお楽しみが待っている。
せんべいだ。
まずは個別焼きの基本だが、ラメックも汁がなくなるほど入れる人と
あまり入れない人が居て、当然比例して多いほど食いでがある。
ただ汁が不足しては意味無いので、限界はおのずと決まる。
私は5~6個で7個もたまにあったが、主にせんべいが作れなくなる。
とにかく全部をお好みを焼く下準備と同じで、
丼のなかで全て混ぜ合わせる。
混ざったらスプーンで全ての具がいい感じになるように
3回ほど掬って鉄板の同じ場所に置く、8cm四方程度になったら、
その上から汁だけ掬ってスプーンで真上から掛ける。
主に2杯程度で回りにあふれるぐらいになる。それで後は焼くだけ。
最初の1個がほぼ完成だという段階で、その隣に同じものを作る。
最初のほうを食いながら、2個目のほうを同じように作業して、
汁が固まりつつあったらこねだして、完成させる。
その完成前に1個目を食い尽くしているはずなので、
それがあった開いた場所に3個目を作り出す。
その作業をずっと繰り返して食っていくのだ。
なので自分の陣地の長方形は2つや3つ同時に焼いてその焼け加減で
それぞれ裁いていくための遊びがない陣地となっているのだ。
3つだと相当忙しく、さっさと食わないと焦げる。
何度も言うが、もんじゃは焦がして食うものではない。
焦げたらそれはへたくその証だ。それは覚えておいて欲しい。
(月島方式で焦がさないのは至難の業だ)
さらにもんじゃではがし以外使うのはおこちゃまだけ。
ターナーは大人は使っちゃダメ。こげを取る時程度。
ということで、そんな食い方をしている私を見ておばさんは
この男は相当な上級者だと良くわかったようで、
一見だけど、もんじゃを、うちのような店を良く知ってるんだと感じていた。
そこから今日の今日なのに紹介もあったことだけど、
すでに認められた存在になったのだ。
そしてそのせんべいだが、大目でも程よくラメックを使うと
最後に汁だけが残る。それをようやくぶちまけてカリカリに焼くんだよ。
それは私が大得意で、多くの仲間が、今では娘が楽しみにしている。
だからそんなもんじゃの基本も知らない月島の無粋な店が、
みんなの楽しみのせんべいを作れないことを、
丼奪って土手作って「こうやるんです!」としったかの押し付けをしたので
頭にきたのはそういうこと。そりゃもう2度と行かないわ。
ちなみに亀有でも同じ事されたんだよ。
朝方までやってる結構な老舗で、もんじゃの語源を水焼だと
入口の内側の上に切々と説明している人気店だが、
そこも月島とは違って駄菓子屋もんじゃが残る両津勘吉の下町なのに、
月島に感化されて、丼分捕ってこうやるんですと同じ事しやがった!!
そこは月島でもないのに頭に来たので「きどってんじゃねぇよ!
亀有の癖に月島に魂売ったのか!帰る!!」と一口も食わずに
金だけ払って帰ったのだ。当然二度といってない。もう20年前だ。
もんじゃの食い方として月島式が書かれて居たんだよな。
結構長くやってる店だと思ったけど、そうでもなかったのかも?
もんじゃ屋は駄菓子屋もんじゃを行けなくなった年なので、
いろんなところに行ったからな。
千住のつばきや一力、堀切のシャンに十文字亭に…あぁもう名称が出ない。
意外だが住区地域にはうまい店がなく、
少し遠いところばかり行ってた。一力はやってるようだが、
つばきはやめてるし、今他はどうなんだろう??
ということで、これが製造中のせんべいだ。
色的にはソースが多いのでこんな色だが、
ソース多くなくてこの色は焼きすぎ。
これも実際もうはがしていいタイミング過ぎてる。
写真撮ってるのが無駄な焼きすぎ時間になってしまった。
で、せんべいもこの半分以下、主に1/3でも大きいといわれる。
隣の台にいた6年生ぐらいは、スプーンで3杯ぐらいを垂らして
ターナーで広げてこれの1/10ぐらいを作って食っていた。
なのでその子達にも「せんべいはこうやるんだ」と魅せるべく
気合入れて大きく伸ばした。このとき初めてターナーが役立つ。
汁をぶちまけたら手際よく薄く広げていく。
左官屋の仕事のように、何度も何度も層を重ねるように
薄く延ばして焦がしていく。
これをやるとときに油は敷かない。
火は非常に難しく、焦げやすいが消すと焦げない。
要は焦げすぎたら苦いので失敗だが、焦がすと香ばしく美味しいのだ。
その境目が絶妙なのだよ。それが難しいわけ。
しかも小さいほどに火力は同じで失敗しない。
大きければ火力が違って均等でないのでムズかしいのだ。
主にサクライの台もそうだったが、真ん中は火が強く端っこは弱い。
でもせんべいはどこかからの端っこから取って行かないとならない。
でも端っこはあまり火が通ってないのに、真ん中は火が通り過ぎて焦げ寸前。
そんな状況なので大きさだけでなく難しいことになるのだ。
苦く焦げきったところは、剥がすときにボロボロと壊れてゆく。
だから大きい物を作れる人は、王者やキングではない。
それはもはや 神 なのだ!!
この大きくやったそれはどうなるのか!!!!???
・・・私は~神だ…。(モンスターエンジン風に)
厳密には失敗した。
画像の左右中央部はやや焦げて欠けてしまった。
でもサクライのおばさんはこう言った。
アラ~~~!凄いね~~~!こんな大きなの久しぶりに見るねぇ~!
この道一筋のおばさんにここまで言わせたら確実に私は神だった。
娘はこれを持って向こうの女の子に自慢げなドヤ顔。
自分でやったのでもないくせに。
でもその女の子たちも「スゴッ!デカッ!!」と驚いてた。
こんな大きいのは見たことないって。
なのでここのもんじゃ食べてる子は、このぐらい作れるように
女子でもなってほしいな。駄菓子屋もんじゃの伝統だからねと話した。
当然ながら、何のことだかよくわかってなさげだったが。
このようにこんな駄菓子屋もんじゃでもさまざまなサイドストーリーがあり
その文化は長いわけで、いろんな継承されるべくものもある。
ルールやマナーや製造方法など。
最後になんで個別で正方形なのかのもう一つの理由も。
必ず4人で来るわけがない。
2人で来たら、後から2人来たら合席するんだよ。
見知らぬ同士が同じテーブルで食うの。
それで他校の子と仲良くなったりすんの。
待ってるのも待たされるのもお互い様だから。
でも2人と2人ならいいんだけど、3人のところに1人は入りづらく、
気の置けない仲間だけで気兼ねなく食いたいのに、
見知らぬ人が居ると気を遣うし気まずいので、
常に歓迎状態ではないけど、合席ができて、
見知らぬ人にも使っている席の一部を譲れる利点が
元祖である個別焼にはあるわけなのだよ。
安いもんじゃだし、待ちきれずにどっかいかれるよりは
店主としては合席して開いた席なく回って欲しいところだしね。
2人が使ってて大きくぶちまけたら、席は2つあってももう焼けないでしょ?
だから理にかなってたんだよ個別ってのが。
~明日は一応最終回として、サクライでの画像メインに…。