
さて、今日は遊具を…と行かずに文化的なものを。
飛鳥山には3つの博物館がある。
1Fと書いた多目的広場の東のハズレ、うちらは最北東の階段を上がったが
そのまま東に行くとトイレを右手に見て登っていき、
正面に紙の博物館が現れる。昨日書いたように入場料は大人300円子ども100円。
昔はホームベース型の正面だったのだが、今は建て替えられ今年60周年。
うちらはこのまん前を通らなかったので画像は撮らなかった。
でも牛乳パックをすいて紙を作るイベントが土日に行われていたり、
やはり王子製紙の兼ね合いでのいろんな世界の紙、紙の歴史が豊富だそうな。
そしてその先にあるのが冒頭画像のこれ。飛鳥山博物館だ。
博物館なのに、なんで自動ドアの右にメニューみたいなものがあって、
さらにその右にドリップがどうのという旗があるのか!?
そう、ここに入って正面にインフォメーションがあり、
有料施設はそこでチケットを買い求めるのだが、
その左手に目をやると螺旋階段があり、その上が喫茶レストランなのだ。
なので上らなかったのだが、実はカフェの部分は一部で、
おそらく無料の閲覧コーナーやビデオコーナーなどがあったらしい。
受付の人なんも教えてくれんかった。いや聞いてないけど。
聞いたのは撮影していいのかどうかだけだった…。
なにせ3人の女性が居たんだけど、1名がおじいちゃんの相手をしていたが、
その脇にこんな背の高い男が立ちすくんで待っているのに、
残りの2名はコピー取ったり何かはしていたが、
社会人の常識として、そんな作業は客がいない時にやるもんで、
案内を求めて立っている人が来たら、そんなもんの手を止めて
対応してくることだけが常識。
そんな常識の無い対応にガッカリしたのであまり話したいとは思わなかった。
結局はおじいちゃんの対応を3分近くもボーっと待って、
その応対した人が声を掛けて来たのだから…。これは大変残念だった。
そう言う意味で金を落としたくない気持ちが働く。
だから昔をいろいろ触れたかったがチケットなど買わないのだった。
(この時点では有料のところが資料閲覧のところだと思った)

そしてトイレだけ借りに受付の脇を歩くと下が見えた。
なにやら屋根がある。有料の何かだと思ったが自由に行き来している様子。
なのでトイレの後に行ってみた。
その降りた先にあったのがこの展示物で、黒い人が奇妙だし、
木造の建物の中心にモニターがあるが何も映ってないし、
なんなんだかよく解らなかった。
この後ろには係りの女性が居て、ここから先は有料になりますというので
入らなかったが、その先に歴史を感じる展示物があるのだと思ったが、
受付の人は展示物は写さないでくれといってたが、
念のためにその女性に聞いたら、有料エリアはダメだけど、
この展示物はいいとしてしっかり写したのだった。
説明もなんなんだかよく解らない…。ゆえにこれがなんなのか不明。
だがこのあと階段の脇から見下ろすことが出来た。
なんでも出土品か何かが展示してあった。
縄文人と弥生人のここでの暮らしぶりをそれをもって解説しているようだ。
なるほどあの黒い人はそういうことか。
そこまで古いもんは要らないよ。私の幼少期を感じたいのに…。
(きっとそれは3Fにあったのだと思う。わざわざ行ったのに…)

これ、縄文人のところから上がって来たときの様子。
近代的でモダンなミュージアムって感じよね?
行きは下りだから解らなかったけど、ちょっと素敵な感じに絵が
こんな風に展示されていた。この絵の真下が有料のところなのよね。
階段の手すりからから丸見えなのなんとなく解るでしょ?
思えば、飛鳥山に登った所にあって、下に行くということは
縄文人のところが1Fで入り口は2Fにあるってことだそうだよ。
だからカフェのある螺旋階段の上は3Fなのよね。

そして飛鳥山博物館を出てさらに東に向かうとこんな像があった。
ハッキリ見なかったが「平和の女神」と書いてあったかと。
他に公園内には3つの石碑があるんだけど、それらは撮らなかったわ。
実はこれにを撮る直前に、この像の右に階段の手すりが見えると思うんだけど
その一番上の部分によっかかるように女性が2名居て、
反対側の桜を撮っていたのだ。
なので私がその目の前が通路だものだから通らないとならないので
思いっきり屈んで半分ぐらいの背丈になり通り過ぎた瞬間に
デジカメをかざしていた女性が「あぁっ!どうもすみません!」といったのだ。
今時他人が道でうずくまって苦しんでいても見てみぬ振りで通り過ぎる人が
圧倒的に多い中で、そんな声を掛けられるとも思ってなかったので、
とても嬉しくなって「いやいや気にしないで下さい。お互い様ですから」と
私が手に持っていたデジカメをかざして見せ、
自分も邪魔されずに撮りたい思いがあるから気遣ってくれたんだと
感じてくれたようで、2人揃って微笑んで会釈をしてくれた。
年齢的には30代半ばから後半くらいかな?
こういう人を嫁にするのがいいな。他人に気遣える人。
そして博物館の3つ目はこの像のすぐ先にあるんだけど、
そこは建設されて10数年で歴史も無いので撮らなかったが
それは渋沢史料館本館だった。渋沢栄一ね。
でもこの向かいには飛鳥山公園の本当の東のハズレの南北の部分を
全部渋沢の関係の土地で、出入り自由なんだけど16:00以降は
立ち入り禁止になるために柵で覆われているんだよね。
その結構広い渋沢庭園に向かったのだ。

なんか「えー」って感じの門だよね。でも多分ここが正面入り口。
門には中の建物に入るにはチケットが要ると書かれている。
おそらく通り過ぎてきた本館で買い求めてこないとならないのだろう。
でもやはり300円を払って中で満足を得られるのかどうか解らないので
その気持ちは無いのだった。

↑の門をくぐってすぐ右を見るとこのような景色だった。
桜ばかりだけみて来たけど、その淡いピンクと緑が綺麗だった。
太陽の眩しさで空も白っぽければ、桜の花びらも白っぽい。
それだけに木の葉の深緑が桜を際立たせてくれていた。
だけどこの木は何!?結構立派だよね。高さもあって。

これ青淵文庫。簡単にいうと渋沢栄一の書庫。
大正の終期に建てられたものだけど、その時代で鉄筋コンクリってのが凄い!
しかもステンドグラスまでも使われてるぜ!?
迎賓館的に来客を迎える場所でもあったらしいね。
今はその本は日比谷図書館に寄贈された後に都の中央図書館にあるらしい。
え!?渋沢が何者かって!?
私も詳しくないし、ウィキでも見てくれってトコだけど、
簡単に言うと初期の大蔵官僚で第一国立銀行(後の第一銀行、現みずほ)の
頭取に就任し、東京ガス、帝国ホテル、秩父セメント、東京証券取引所、
麒麟麦酒、そしてこの地にゆかりの深い王子製紙などあまたもの企業の
設立に携わったという人物なのだ。なんか凄いよね。
そしてこのすぐ近くに晩香廬という洋風の茶室もあるんだけど、
そっちのほうが大正6年とかで古いので興味も深かったんだけど
残念ながら補修工事なのか、覆われていて見ることが出来なかった。
もちろん両方とも重要文化財指定されている。

これ木々でうまい具合に通り道を広げたり狭めたり出来ているんだけど、
青淵文庫の手前に咲いていた枝垂桜。
人が右のほうに集まっていると思うんだけど、そこの部分しか通れない。
左の階段を下りている人は青淵文庫の階段を下りてんの。
桜の種類も何種類かあるんだけど、枝垂桜はここしか眼に入らなかった。

史料館の画像を180度真後ろを向くとこうなっている。
文庫前の広場的な庭。結構な芝生が広がっていて思わず座りたくなる。
実際そうしている人が居るように、誰しもそう思うみたいだ。
枯れている部分も目立つ分、日本の高麗芝だと思うね。
昨今の芝は米国のベント芝で冬も緑だったりするのよね。
だからゴルフ場のグリーンに主に使われるね。
・・・あ!ここで当時渋沢はパッティングとかしてたのかも!?
ゴルフっていつから始まったんだろうか??
そしてこの画像の竹垣の向こうに晩香廬があるんだけどね。
そう言うわけで一部でも見えていれば撮ってきたんだけど、
見事に覆いつくされていたので一切撮らなかったのだよね。

そしてついでに大道芸人も。
これは東のハズレの渋沢庭園からグーーーーっと戻って中央付近。
最初に上がってきた1Fの多目的広場でダンスの子どもたちに代わって
大道芸人が芸を披露していた。多分25歳ぐらいかな?
座ってみている子が多いように、娘も見たいといって走っていった。
実は向かう途中で私の背ではツツジより高いから見えていたのだが、
長い風船をプードルなどにして子どもらに配っていた。
そして娘が見える階段まで行ったときには風船が終わって、
ボウリングのピンのようなものや剣のジャグリングを行った。
娘は椅子のような階段状のところまで、私とかみさんは2Fの端っこの
手すりに肘を掛けて見ていた。
そしてその後中国コマの演目になった。
そして見せ場の高く飛ばしてキャッチする場面にやってきた。
糸で右に左に操っていたが一気に空にほおり上げた!!!
(芸人の頭の真上に赤いコマがあるでしょ?)

ハイ。見事に大失敗!!
結構な後方にすっ飛んで、放物線を描きながらこの水の部分に
ボチャーン!!というかゴツーーーン!!!
これが失敗だと解った瞬間に子どもらが拾いにダッシュ!!
我先にと取りに行く。
娘は行かなかったが、娘曰く「拾ってくれてありがとう」と言われたいから。
私も子どもだとそうだと思う。それと大義名分でコマに触れるからね。
このとき芸人はダッシュする子どもらに「みんなー!行くなー!
まだもう一つあるからー!後でお兄さん拾うからー!」と言ってた。
(確かに最初の画像では芸人のカバンの脇に予備が置いてある)
でもそんな欲望のある子どもは止まらない。
水で濡れるから余計に芸人は止めたかったに違いない。
ましてや慌てて争奪戦となれば、この高さを失敗して落ちて怪我とかされ、
あんたの芸の失敗が原因じゃない!!とか親に詰め寄られても困る。
そんな切実さが伝わっていた。
さらに「みんなー!もういいから戻れー!大丈夫だからー!」と
声のトーンも高く、フレンドリーな感じでそう言うが、
そういった直後がこの画像。
よく見れば、この女の子ブーツ履いてるぞ!?
それなのに水の中へ!?・・・親に怒られるな。。。
左の男の子はあと一歩及ばず負けてた。
だけど芸人の真後ろにはベビーカーがあるのだよ。
その横にお父さんがあぐらかいて座ってる。非常に危なかったな。
さらに水の上の木の部分には(ここは有料のステージで使用申請が必要。
なので芸人のやってる部分はそもそも桟敷席みたいなもの)
男女がワインを飲みながら見ていた。それを割ったりとかもニアミス。
多分芸人は目の前に子どもらが多数居たので、
前に失敗するよりは後ろの方がいいと思い、
真上というよりはやや後ろに放ったのだろう。
その気持ち程度が大きく行ってしまったと言うのが妥当な推測かと。

そしてハイ、この通り。拾ってくれてありがとう状態。
まんまと触ることと、褒められることをこの女の子はブーツを犠牲にして
手に入れたのだった。
斜め撮りしたので見づらいから真っ直ぐに直したよ。
この芸人もいつかテレビに呼ばれて出ることがあるだろうか?
この手の芸はお笑いとは違ってニーズが低いからねぇ。
なかなか大変だとは思うけど、趣味の延長なのか、仕事なのか、
全く解らないが知る由もなかった。
でも結構本格的な大道芸に本格的なダンスキッズをタダで見られるので
(芸人は料金は必要だけど。元々居た場所の黒い筒が料金箱かと)
こういうのもその辺の公園にはないよね。
では今日は文化的なものの紹介だったけど、明日はあのネタか!?
飛鳥山には3つの博物館がある。
1Fと書いた多目的広場の東のハズレ、うちらは最北東の階段を上がったが
そのまま東に行くとトイレを右手に見て登っていき、
正面に紙の博物館が現れる。昨日書いたように入場料は大人300円子ども100円。
昔はホームベース型の正面だったのだが、今は建て替えられ今年60周年。
うちらはこのまん前を通らなかったので画像は撮らなかった。
でも牛乳パックをすいて紙を作るイベントが土日に行われていたり、
やはり王子製紙の兼ね合いでのいろんな世界の紙、紙の歴史が豊富だそうな。
そしてその先にあるのが冒頭画像のこれ。飛鳥山博物館だ。
博物館なのに、なんで自動ドアの右にメニューみたいなものがあって、
さらにその右にドリップがどうのという旗があるのか!?
そう、ここに入って正面にインフォメーションがあり、
有料施設はそこでチケットを買い求めるのだが、
その左手に目をやると螺旋階段があり、その上が喫茶レストランなのだ。
なので上らなかったのだが、実はカフェの部分は一部で、
おそらく無料の閲覧コーナーやビデオコーナーなどがあったらしい。
受付の人なんも教えてくれんかった。いや聞いてないけど。
聞いたのは撮影していいのかどうかだけだった…。
なにせ3人の女性が居たんだけど、1名がおじいちゃんの相手をしていたが、
その脇にこんな背の高い男が立ちすくんで待っているのに、
残りの2名はコピー取ったり何かはしていたが、
社会人の常識として、そんな作業は客がいない時にやるもんで、
案内を求めて立っている人が来たら、そんなもんの手を止めて
対応してくることだけが常識。
そんな常識の無い対応にガッカリしたのであまり話したいとは思わなかった。
結局はおじいちゃんの対応を3分近くもボーっと待って、
その応対した人が声を掛けて来たのだから…。これは大変残念だった。
そう言う意味で金を落としたくない気持ちが働く。
だから昔をいろいろ触れたかったがチケットなど買わないのだった。
(この時点では有料のところが資料閲覧のところだと思った)

そしてトイレだけ借りに受付の脇を歩くと下が見えた。
なにやら屋根がある。有料の何かだと思ったが自由に行き来している様子。
なのでトイレの後に行ってみた。
その降りた先にあったのがこの展示物で、黒い人が奇妙だし、
木造の建物の中心にモニターがあるが何も映ってないし、
なんなんだかよく解らなかった。
この後ろには係りの女性が居て、ここから先は有料になりますというので
入らなかったが、その先に歴史を感じる展示物があるのだと思ったが、
受付の人は展示物は写さないでくれといってたが、
念のためにその女性に聞いたら、有料エリアはダメだけど、
この展示物はいいとしてしっかり写したのだった。
説明もなんなんだかよく解らない…。ゆえにこれがなんなのか不明。
だがこのあと階段の脇から見下ろすことが出来た。
なんでも出土品か何かが展示してあった。
縄文人と弥生人のここでの暮らしぶりをそれをもって解説しているようだ。
なるほどあの黒い人はそういうことか。
そこまで古いもんは要らないよ。私の幼少期を感じたいのに…。
(きっとそれは3Fにあったのだと思う。わざわざ行ったのに…)

これ、縄文人のところから上がって来たときの様子。
近代的でモダンなミュージアムって感じよね?
行きは下りだから解らなかったけど、ちょっと素敵な感じに絵が
こんな風に展示されていた。この絵の真下が有料のところなのよね。
階段の手すりからから丸見えなのなんとなく解るでしょ?
思えば、飛鳥山に登った所にあって、下に行くということは
縄文人のところが1Fで入り口は2Fにあるってことだそうだよ。
だからカフェのある螺旋階段の上は3Fなのよね。

そして飛鳥山博物館を出てさらに東に向かうとこんな像があった。
ハッキリ見なかったが「平和の女神」と書いてあったかと。
他に公園内には3つの石碑があるんだけど、それらは撮らなかったわ。
実はこれにを撮る直前に、この像の右に階段の手すりが見えると思うんだけど
その一番上の部分によっかかるように女性が2名居て、
反対側の桜を撮っていたのだ。
なので私がその目の前が通路だものだから通らないとならないので
思いっきり屈んで半分ぐらいの背丈になり通り過ぎた瞬間に
デジカメをかざしていた女性が「あぁっ!どうもすみません!」といったのだ。
今時他人が道でうずくまって苦しんでいても見てみぬ振りで通り過ぎる人が
圧倒的に多い中で、そんな声を掛けられるとも思ってなかったので、
とても嬉しくなって「いやいや気にしないで下さい。お互い様ですから」と
私が手に持っていたデジカメをかざして見せ、
自分も邪魔されずに撮りたい思いがあるから気遣ってくれたんだと
感じてくれたようで、2人揃って微笑んで会釈をしてくれた。
年齢的には30代半ばから後半くらいかな?
こういう人を嫁にするのがいいな。他人に気遣える人。
そして博物館の3つ目はこの像のすぐ先にあるんだけど、
そこは建設されて10数年で歴史も無いので撮らなかったが
それは渋沢史料館本館だった。渋沢栄一ね。
でもこの向かいには飛鳥山公園の本当の東のハズレの南北の部分を
全部渋沢の関係の土地で、出入り自由なんだけど16:00以降は
立ち入り禁止になるために柵で覆われているんだよね。
その結構広い渋沢庭園に向かったのだ。

なんか「えー」って感じの門だよね。でも多分ここが正面入り口。
門には中の建物に入るにはチケットが要ると書かれている。
おそらく通り過ぎてきた本館で買い求めてこないとならないのだろう。
でもやはり300円を払って中で満足を得られるのかどうか解らないので
その気持ちは無いのだった。

↑の門をくぐってすぐ右を見るとこのような景色だった。
桜ばかりだけみて来たけど、その淡いピンクと緑が綺麗だった。
太陽の眩しさで空も白っぽければ、桜の花びらも白っぽい。
それだけに木の葉の深緑が桜を際立たせてくれていた。
だけどこの木は何!?結構立派だよね。高さもあって。

これ青淵文庫。簡単にいうと渋沢栄一の書庫。
大正の終期に建てられたものだけど、その時代で鉄筋コンクリってのが凄い!
しかもステンドグラスまでも使われてるぜ!?
迎賓館的に来客を迎える場所でもあったらしいね。
今はその本は日比谷図書館に寄贈された後に都の中央図書館にあるらしい。
え!?渋沢が何者かって!?
私も詳しくないし、ウィキでも見てくれってトコだけど、
簡単に言うと初期の大蔵官僚で第一国立銀行(後の第一銀行、現みずほ)の
頭取に就任し、東京ガス、帝国ホテル、秩父セメント、東京証券取引所、
麒麟麦酒、そしてこの地にゆかりの深い王子製紙などあまたもの企業の
設立に携わったという人物なのだ。なんか凄いよね。
そしてこのすぐ近くに晩香廬という洋風の茶室もあるんだけど、
そっちのほうが大正6年とかで古いので興味も深かったんだけど
残念ながら補修工事なのか、覆われていて見ることが出来なかった。
もちろん両方とも重要文化財指定されている。

これ木々でうまい具合に通り道を広げたり狭めたり出来ているんだけど、
青淵文庫の手前に咲いていた枝垂桜。
人が右のほうに集まっていると思うんだけど、そこの部分しか通れない。
左の階段を下りている人は青淵文庫の階段を下りてんの。
桜の種類も何種類かあるんだけど、枝垂桜はここしか眼に入らなかった。

史料館の画像を180度真後ろを向くとこうなっている。
文庫前の広場的な庭。結構な芝生が広がっていて思わず座りたくなる。
実際そうしている人が居るように、誰しもそう思うみたいだ。
枯れている部分も目立つ分、日本の高麗芝だと思うね。
昨今の芝は米国のベント芝で冬も緑だったりするのよね。
だからゴルフ場のグリーンに主に使われるね。
・・・あ!ここで当時渋沢はパッティングとかしてたのかも!?
ゴルフっていつから始まったんだろうか??
そしてこの画像の竹垣の向こうに晩香廬があるんだけどね。
そう言うわけで一部でも見えていれば撮ってきたんだけど、
見事に覆いつくされていたので一切撮らなかったのだよね。

そしてついでに大道芸人も。
これは東のハズレの渋沢庭園からグーーーーっと戻って中央付近。
最初に上がってきた1Fの多目的広場でダンスの子どもたちに代わって
大道芸人が芸を披露していた。多分25歳ぐらいかな?
座ってみている子が多いように、娘も見たいといって走っていった。
実は向かう途中で私の背ではツツジより高いから見えていたのだが、
長い風船をプードルなどにして子どもらに配っていた。
そして娘が見える階段まで行ったときには風船が終わって、
ボウリングのピンのようなものや剣のジャグリングを行った。
娘は椅子のような階段状のところまで、私とかみさんは2Fの端っこの
手すりに肘を掛けて見ていた。
そしてその後中国コマの演目になった。
そして見せ場の高く飛ばしてキャッチする場面にやってきた。
糸で右に左に操っていたが一気に空にほおり上げた!!!
(芸人の頭の真上に赤いコマがあるでしょ?)

ハイ。見事に大失敗!!
結構な後方にすっ飛んで、放物線を描きながらこの水の部分に
ボチャーン!!というかゴツーーーン!!!
これが失敗だと解った瞬間に子どもらが拾いにダッシュ!!
我先にと取りに行く。
娘は行かなかったが、娘曰く「拾ってくれてありがとう」と言われたいから。
私も子どもだとそうだと思う。それと大義名分でコマに触れるからね。
このとき芸人はダッシュする子どもらに「みんなー!行くなー!
まだもう一つあるからー!後でお兄さん拾うからー!」と言ってた。
(確かに最初の画像では芸人のカバンの脇に予備が置いてある)
でもそんな欲望のある子どもは止まらない。
水で濡れるから余計に芸人は止めたかったに違いない。
ましてや慌てて争奪戦となれば、この高さを失敗して落ちて怪我とかされ、
あんたの芸の失敗が原因じゃない!!とか親に詰め寄られても困る。
そんな切実さが伝わっていた。
さらに「みんなー!もういいから戻れー!大丈夫だからー!」と
声のトーンも高く、フレンドリーな感じでそう言うが、
そういった直後がこの画像。
よく見れば、この女の子ブーツ履いてるぞ!?
それなのに水の中へ!?・・・親に怒られるな。。。
左の男の子はあと一歩及ばず負けてた。
だけど芸人の真後ろにはベビーカーがあるのだよ。
その横にお父さんがあぐらかいて座ってる。非常に危なかったな。
さらに水の上の木の部分には(ここは有料のステージで使用申請が必要。
なので芸人のやってる部分はそもそも桟敷席みたいなもの)
男女がワインを飲みながら見ていた。それを割ったりとかもニアミス。
多分芸人は目の前に子どもらが多数居たので、
前に失敗するよりは後ろの方がいいと思い、
真上というよりはやや後ろに放ったのだろう。
その気持ち程度が大きく行ってしまったと言うのが妥当な推測かと。

そしてハイ、この通り。拾ってくれてありがとう状態。
まんまと触ることと、褒められることをこの女の子はブーツを犠牲にして
手に入れたのだった。
斜め撮りしたので見づらいから真っ直ぐに直したよ。
この芸人もいつかテレビに呼ばれて出ることがあるだろうか?
この手の芸はお笑いとは違ってニーズが低いからねぇ。
なかなか大変だとは思うけど、趣味の延長なのか、仕事なのか、
全く解らないが知る由もなかった。
でも結構本格的な大道芸に本格的なダンスキッズをタダで見られるので
(芸人は料金は必要だけど。元々居た場所の黒い筒が料金箱かと)
こういうのもその辺の公園にはないよね。
では今日は文化的なものの紹介だったけど、明日はあのネタか!?
ひとつ、3500円もするんですよ。これでも、一番安いヤツを買ったのです。
失敗するとは・・・まだまだですなぁ。
女の子のお母さん怒らなかったかしら。
私は、回すしかできないですけどね!
普通、家にないでしょう??
でもディアボロだから意味は違うんだろうね。
なんでそんなもん家にあるの!?
私の周りの大勢は誰一人としてもってないよ。
確かに面白そうではあるけどね。
私は普通のコマの綱渡りが出来るので、
きっとこれは簡単だと思う。
遠心力が加わってるからコマの安定がよくなるので。
普通のコマの綱渡りはバランス悪いものを伝わせるので。
すっ飛ばすのもそういうことでバランスいいから出来ると思う。
怒っている親は見なかったね。
もっとも最後まで全部は見てなかったけど。