死んじゃったよ・・・
Xデーが来ちゃったんだ・・・
余命1年の宣告・・・
まだ聞いてから11ヶ月じゃないか!
・・・宣告から1ヵ月後に聞かされたならぴったりなのか?
うちのオヤジは余命宣告よりも3ヶ月ぐらい長く生きた。
うちと同じ一人娘がまだ高校生なので1年でも2年でも何年でも
宣告なんか裏切って生きればよかったんだ・・・
でもがんは残酷で完治不能となり辛いから治療をやめれば
どんどんどんどん進行して蝕んでいく。
なんでそもそもがん細胞があるんだろう??
そんなタイマー必要なのか!?????
NK細胞を培養する技術がどこかの大学教授グループで見つかったって!
NK細胞はがん細胞に対してのキラー細胞だから
とっくのとうに出来ていて欲しかったし、
ないものねだってもダメだとしたら、早く実用化されて欲しい。
がんになったら100%ダメだとされていた時代から、
がんは治る病気だと言う言葉が出てきて何十年も経つ。
実際早期発見できればどうにかなったりする。
実際進化はしている、手術の種類も抗がん剤もいろいろ増えた。
でも根治できるところまでは行き着いていない。
今でも死亡の原因の上位に変わらず居続けている。
3代成人病はいまだに脳卒中・心筋梗塞・がんで変わらない。
医療の研究者の人には邁進に邁進を願いたい。お願いします。頑張って。
あー。マヒコとの話。書く気力がない。
ただ亡くなったのが4日の月曜の昼前だったそうだ。
ものすごくシモの話で変なのだけど、
その午前中の11:00頃って、突然なんだけど凄くやりたかった。
誰でもいいからこの欲望を処理したいぜと言う気分に。
でも出かけるのでそんなことも無く、自分でも処理も無く出かけ、
それでも帰宅後にその悶々さが全く収まらずに、
かみさんは仕事だし、誰と何するでも昼割でお店に行くわけでもなく
手っ取り早さから自分で処理して出したのだ。
ここまでだとただの自分の一人エッチをいつしたかのカミングアウトで
ただのド変態の話。さすがに変態な私でもいつ示威をしたかなんて
そんなもん恥ずかしくて書きたくもない。
でもそのときの欲求たるや、ここ何十日も全く何の処理もしてないぜと
そういう感じで急に襲ってきたので、なんかその感覚で思ったのが
何だコレ?20歳前後の頃ってこんな感じに爆発しそうなことあったな。
デモなんでそれが今更!????と感じたのだ。
そしてこの事実を知ったのが、その処理も終わって数時間後。
かみさんが帰ってきて知ったのだ。
その時間も正確にはわからないが、昼前に亡くなったと
ご主人から電話があったと言って来たので知ったのだ。
それを思うと、シモの出来事ではなく、
男のそれには命の種が入っているわけで、
だからそこれが女性の卵と出会うから命が誕生するわけだ。
なので個人的に大事な命がひとつ失われた瞬間に、
命の元を失われたものを補填するかのように必要なんだと
何かが強烈に命じてきて、だからその元である精子を
放出させようとなったのでは無いかと、
年相応にそこそこやってることではあるけど、
特にそんなに溜め込んでもないし、ムラムラしてきたことも
そろそろだと言う感じも無く(正直に言うと前日出したばっか)
その段階でそんな欲求に襲われることは無いんだよね。
なので内緒の個人の性に関わる部分の話が、
もっと壮大な命と言う部分で繋がって、
失ったものを埋めるかのように、命の元を何かが欲しがった。
もちろん女性と命を作る行為を相手が誰であってもしたわけでなく
ただ普段と同じように処理と言う感じに出しただけなので
こじつけにもほどがあると言う気もしなくもないが、
でもそのときの急に襲ってきたその欲求の感情は
そんな若い頃にしかありえないほど貪欲に満たしたいというほどに
強かったので、低い話ではなく、何か不思議な現象だとしか
思えなかったのだよと言う話なんだけど…。こんなの初めてだった。
で、そのマヒコとは宣告を受けてから会わなかった。
出不精なので来ないことは常で、元気なときでも10年に1回程度だった。
なのでかみさんが行くほうが多かったが、さすがに私は男なので
マヒコの旦那には会えない。妙な疑いをもたれればややこしい。
そういう事実でもあるのならまだしも、全くないので。
しかもマヒコが会いたいと言えば会ったと思うが、
そういう話が来なかった。
面倒だったのか、弱っていく自分を見せたくなくてなのか、
さすがにそこは異性同士なので、同性よりは違った感情があるはず。
なのでこっちから積極的に声を聞いたり会おうという事を
持ちかけることはしないようにして、じっと待ってた。
待ってたけど連絡は来なかった。
でも諦めてどうでもいいと思っていたわけではない。
そもそもかみさんの友達なので、私ではなくかみさんがTELするのが
普通の流れで、そこで私が変わることがベスト。
私から掛けていくのは、回りや自分に誤解もプレッシャーも
不安もあっただろうしね…。
だから作秋9月下旬頃からかみさんに何度も言った。
「マヒコにTELしろ!」と。
でもやつは掛けなかった。何でなのかは解らない。
でもこの報告を聞いたときに即行怒った。
「だから言ったじゃないか!TELしろって!!もう間に合わんだろ!」
最後に声も聞きたかったし、それなりに元気なうちに顔も見たかったと、
自分のダイレクトな友達ではないから、遠慮していたわけで、
取り返しが付かないところまで、様子伺いをしなかったかみさんを
叱責した。このままではそうなってしまうだろうと思い始めた11ヶ月目。
その矢先に1年を待たずに逝ってしまったのだから。
冒頭にも書いたが、宣告から1年なのかもしれないし、
機会のタイマーでもないからぴったりでもないだろうし、
でも4月の1~2週目までは生きていると信じていた。
根拠はないままに、それ以前は死なない自信があった。
いや、むしろ見てない分、うそや夢であって、
そういう話すらなかったんでは無いかと思いこみたい自分が居た。
だからかみさんもその真実に蓋をしたかったのだろう。
TELをかけてしまえば、作春にあったときよりも
さらに進行しているのは治療をやめたから当たり前なわけで、
その進行度合いを知って、蓋をしたものをわざわざ開けて
目の当たりにしたくなかったのだろう。
かみさんこそ私以上に夢であって欲しいと願ってやまないに
決まっているので。でもきちんと別れを出来ないまま
終わりを迎えるのは私は凄く嫌だった。
父親を気が弱すぎだからと、宣告せずに治療させ、
その治療に耐え切れない弱音を吐き、拒否のために声を荒らげる。
そこまで治療に耐えられないなら、覚悟を決めて最後をゆっくりと
余分な苦痛を感じさせずに迎えさせよう。
なので延命治療も最初から不要だと断っていた。
でもハッキリはいわないものの、辛い治療も拒めば
命にかかわることが起きるかも知れないから、
この腫瘍を根治させるほうがいいと何度も言ったが
死を想定していたのか、能天気にほっとけば治ると思っていたのか
最後までわからないままに、死んでいった。
だから何も聞けなかった。分かれの言葉も互いに掛け合えないし、
遺品の整理やもしかしての隠し財産とか、
昔居たのだが、愛人らしき女性に連絡してくれとか、
何かといろいろあったと思うのだ。
そういう話も出来ないし、その後悔の念たるや凄まじいのだよ。
今も時折その無宣告が正しかったのかどうか苛まれる。
言ったら実際どうだったのか。
試すことも戻ってそうすることも出来ないので。
ただ最後にいろいろ話すべき事は山ほどあった。
事実私の母は育ての母で、生みの母を全く知らない。
写真1枚すらないのだ。
その人が私を産んだくせに、なんで産後過ぐに離婚になったのか、
母ではなく何故父が育てたのか(祖母がずっと居たけど)
その経緯は全く聞かされないまま。罪すぎる。
産みの母に会ってみたいと成人して言ったとき
「女々しいこと言うな!」と顔をこわばらせ吐き捨てたので、
これは母親失格のようなことをした人で、
会えば大きく傷つくとか何かなのだろうと、
その父親のリアクションで想像して判断した。それが全て。
なので親子でもないからそこまでのものはないとしても、
それでも思い出話もあったし、まして私はうちの娘にも
亡くなるまで言おうと思いつつ言わなかったので
そういう話もしやすい環境下に無かったし、
だからこそ闘病のことも含めて話がしたかった。
でも本人は前日まで比較的普通に元気だったそうで、
本人ももう少しコレはヤバいと思ったらTELしようと
思っていたのでは無いかと思って、それもみんな死んだ経験だけは
ないわけなので、判断を誤ったと言うことで、
日々悪いほうに変化していく本人が本人の都合で言いたいとか、
掛けられるとか、会えるとか、会いたいとか、アクションがない限り
どんな悪い状態を我慢させるのかも?と思うとアプローチできなかった。
それでも↑に書いたように、私が掛けるのは変だからとして
煽って掛けさせようと何度もしたのだが、
それもかみさんの思いも複雑だろうし、
そこが掛けない限り、本人から掛かってくるのを待つだけだった。
ややこしいことも起きなかったと思うし(そこは当然保身)
後悔してんだから掛ければよかったよ。やっぱり後悔しかないな…。
情けない…。
作春のこの話の第一報の記事が←これ。
言おうか言うまいか、闘病中は言わないと決めたが、
リンク先の話の一番可愛かった子に亡くなった報告をした。
もう本人同士の年賀のやり取りもないのだ。
しかもマヒコはこの子の当初旦那と結婚前に同棲していたマンションに
遊びに行った帰りに、車を拾うからと下まで送ってきて、
彼女は片付け物をさせておいたのだが、
エレベーターでいきなりキスをされたらしい。
それは一番可愛い子には言えないので墓場まで持ってくと
言っていたがそれはその通りになってしまった。
でもそのとき、安く見られたと悔し泣きをしていた。
それを知っているので、その子に教えるとその馬鹿旦那が来る気もして
無くなる前は言えなかったし、だからこそ疎遠にしたのだとも思うから。
なのでさすがに一緒に住んでいた3人だから、死んだことまでは
言わないでいることは何かおかしくて、馬鹿旦那が来るかどうかは
一か八かと言うことだが、今の段階では来ないらしい。
でもその報告のときは、彼女は凄く狼狽をして「やだやだやだやだ」と
真実を拒否して聞きたがらなかったそうな。
それもそうだよな。その子が一番年上で、かみさんが4つ下で
マヒコが5つ下と当時26歳、22歳、21歳の3人だった。
年の差は無い程度でも、順番的には一番最後っぽい子が
一番先にしかもそんな予兆もない年で逝ってしまったのだから。
なので連絡も取り合わなくなったけど、普通に元気にしているのだと、
そういう風に思いこんでいたらしいので、ショックも大きかったようだ。
それもそうだよな。そう思っていて余命の話ではなく、
もう命が尽きたんだと言う話なんだから、驚かないわけがない。
季節の変わり目で多いのか判らないけど、
月曜に無くなって通夜が明日。告別式は明後日。
かみさんとも相談したけど私は行かないことにした。
多分狂ったように泣き崩れて具合悪くなりそうで、
そうなったら帰れなくなり迷惑掛けてしまうから。
叔父の葬儀のときはかなりヤヴァかったのでね…。
メニエール持ちだし、精神的にきつすぎる…。
なんにしても全く健康な状態しかみてないので、
いきなり変わり果てた姿もショックが大きい。
いい意味で会わずに終わったのだから、思い出も元気なままの
その姿だけで。ずるいかもしれないが。
サラバ!マヒコよ!実のお兄ちゃんとはもう会ったか?
こっちはまだしぶとく粘るんで、家族同様見守ってくれ!!
では、これから酒飲んでめそめそします。
飲むと泣けちゃうんだよな。年のせいか…。
************************************************
追記:リアルに打った弔電
マヒコのばか!
こんな早く逝くなんて、悲しくて仕方ない!
思い出は鮮やかなまま。やすらかに。
□□□□□こと○○○○
Xデーが来ちゃったんだ・・・
余命1年の宣告・・・
まだ聞いてから11ヶ月じゃないか!
・・・宣告から1ヵ月後に聞かされたならぴったりなのか?
うちのオヤジは余命宣告よりも3ヶ月ぐらい長く生きた。
うちと同じ一人娘がまだ高校生なので1年でも2年でも何年でも
宣告なんか裏切って生きればよかったんだ・・・
でもがんは残酷で完治不能となり辛いから治療をやめれば
どんどんどんどん進行して蝕んでいく。
なんでそもそもがん細胞があるんだろう??
そんなタイマー必要なのか!?????
NK細胞を培養する技術がどこかの大学教授グループで見つかったって!
NK細胞はがん細胞に対してのキラー細胞だから
とっくのとうに出来ていて欲しかったし、
ないものねだってもダメだとしたら、早く実用化されて欲しい。
がんになったら100%ダメだとされていた時代から、
がんは治る病気だと言う言葉が出てきて何十年も経つ。
実際早期発見できればどうにかなったりする。
実際進化はしている、手術の種類も抗がん剤もいろいろ増えた。
でも根治できるところまでは行き着いていない。
今でも死亡の原因の上位に変わらず居続けている。
3代成人病はいまだに脳卒中・心筋梗塞・がんで変わらない。
医療の研究者の人には邁進に邁進を願いたい。お願いします。頑張って。
あー。マヒコとの話。書く気力がない。
ただ亡くなったのが4日の月曜の昼前だったそうだ。
ものすごくシモの話で変なのだけど、
その午前中の11:00頃って、突然なんだけど凄くやりたかった。
誰でもいいからこの欲望を処理したいぜと言う気分に。
でも出かけるのでそんなことも無く、自分でも処理も無く出かけ、
それでも帰宅後にその悶々さが全く収まらずに、
かみさんは仕事だし、誰と何するでも昼割でお店に行くわけでもなく
手っ取り早さから自分で処理して出したのだ。
ここまでだとただの自分の一人エッチをいつしたかのカミングアウトで
ただのド変態の話。さすがに変態な私でもいつ示威をしたかなんて
そんなもん恥ずかしくて書きたくもない。
でもそのときの欲求たるや、ここ何十日も全く何の処理もしてないぜと
そういう感じで急に襲ってきたので、なんかその感覚で思ったのが
何だコレ?20歳前後の頃ってこんな感じに爆発しそうなことあったな。
デモなんでそれが今更!????と感じたのだ。
そしてこの事実を知ったのが、その処理も終わって数時間後。
かみさんが帰ってきて知ったのだ。
その時間も正確にはわからないが、昼前に亡くなったと
ご主人から電話があったと言って来たので知ったのだ。
それを思うと、シモの出来事ではなく、
男のそれには命の種が入っているわけで、
だからそこれが女性の卵と出会うから命が誕生するわけだ。
なので個人的に大事な命がひとつ失われた瞬間に、
命の元を失われたものを補填するかのように必要なんだと
何かが強烈に命じてきて、だからその元である精子を
放出させようとなったのでは無いかと、
年相応にそこそこやってることではあるけど、
特にそんなに溜め込んでもないし、ムラムラしてきたことも
そろそろだと言う感じも無く(正直に言うと前日出したばっか)
その段階でそんな欲求に襲われることは無いんだよね。
なので内緒の個人の性に関わる部分の話が、
もっと壮大な命と言う部分で繋がって、
失ったものを埋めるかのように、命の元を何かが欲しがった。
もちろん女性と命を作る行為を相手が誰であってもしたわけでなく
ただ普段と同じように処理と言う感じに出しただけなので
こじつけにもほどがあると言う気もしなくもないが、
でもそのときの急に襲ってきたその欲求の感情は
そんな若い頃にしかありえないほど貪欲に満たしたいというほどに
強かったので、低い話ではなく、何か不思議な現象だとしか
思えなかったのだよと言う話なんだけど…。こんなの初めてだった。
で、そのマヒコとは宣告を受けてから会わなかった。
出不精なので来ないことは常で、元気なときでも10年に1回程度だった。
なのでかみさんが行くほうが多かったが、さすがに私は男なので
マヒコの旦那には会えない。妙な疑いをもたれればややこしい。
そういう事実でもあるのならまだしも、全くないので。
しかもマヒコが会いたいと言えば会ったと思うが、
そういう話が来なかった。
面倒だったのか、弱っていく自分を見せたくなくてなのか、
さすがにそこは異性同士なので、同性よりは違った感情があるはず。
なのでこっちから積極的に声を聞いたり会おうという事を
持ちかけることはしないようにして、じっと待ってた。
待ってたけど連絡は来なかった。
でも諦めてどうでもいいと思っていたわけではない。
そもそもかみさんの友達なので、私ではなくかみさんがTELするのが
普通の流れで、そこで私が変わることがベスト。
私から掛けていくのは、回りや自分に誤解もプレッシャーも
不安もあっただろうしね…。
だから作秋9月下旬頃からかみさんに何度も言った。
「マヒコにTELしろ!」と。
でもやつは掛けなかった。何でなのかは解らない。
でもこの報告を聞いたときに即行怒った。
「だから言ったじゃないか!TELしろって!!もう間に合わんだろ!」
最後に声も聞きたかったし、それなりに元気なうちに顔も見たかったと、
自分のダイレクトな友達ではないから、遠慮していたわけで、
取り返しが付かないところまで、様子伺いをしなかったかみさんを
叱責した。このままではそうなってしまうだろうと思い始めた11ヶ月目。
その矢先に1年を待たずに逝ってしまったのだから。
冒頭にも書いたが、宣告から1年なのかもしれないし、
機会のタイマーでもないからぴったりでもないだろうし、
でも4月の1~2週目までは生きていると信じていた。
根拠はないままに、それ以前は死なない自信があった。
いや、むしろ見てない分、うそや夢であって、
そういう話すらなかったんでは無いかと思いこみたい自分が居た。
だからかみさんもその真実に蓋をしたかったのだろう。
TELをかけてしまえば、作春にあったときよりも
さらに進行しているのは治療をやめたから当たり前なわけで、
その進行度合いを知って、蓋をしたものをわざわざ開けて
目の当たりにしたくなかったのだろう。
かみさんこそ私以上に夢であって欲しいと願ってやまないに
決まっているので。でもきちんと別れを出来ないまま
終わりを迎えるのは私は凄く嫌だった。
父親を気が弱すぎだからと、宣告せずに治療させ、
その治療に耐え切れない弱音を吐き、拒否のために声を荒らげる。
そこまで治療に耐えられないなら、覚悟を決めて最後をゆっくりと
余分な苦痛を感じさせずに迎えさせよう。
なので延命治療も最初から不要だと断っていた。
でもハッキリはいわないものの、辛い治療も拒めば
命にかかわることが起きるかも知れないから、
この腫瘍を根治させるほうがいいと何度も言ったが
死を想定していたのか、能天気にほっとけば治ると思っていたのか
最後までわからないままに、死んでいった。
だから何も聞けなかった。分かれの言葉も互いに掛け合えないし、
遺品の整理やもしかしての隠し財産とか、
昔居たのだが、愛人らしき女性に連絡してくれとか、
何かといろいろあったと思うのだ。
そういう話も出来ないし、その後悔の念たるや凄まじいのだよ。
今も時折その無宣告が正しかったのかどうか苛まれる。
言ったら実際どうだったのか。
試すことも戻ってそうすることも出来ないので。
ただ最後にいろいろ話すべき事は山ほどあった。
事実私の母は育ての母で、生みの母を全く知らない。
写真1枚すらないのだ。
その人が私を産んだくせに、なんで産後過ぐに離婚になったのか、
母ではなく何故父が育てたのか(祖母がずっと居たけど)
その経緯は全く聞かされないまま。罪すぎる。
産みの母に会ってみたいと成人して言ったとき
「女々しいこと言うな!」と顔をこわばらせ吐き捨てたので、
これは母親失格のようなことをした人で、
会えば大きく傷つくとか何かなのだろうと、
その父親のリアクションで想像して判断した。それが全て。
なので親子でもないからそこまでのものはないとしても、
それでも思い出話もあったし、まして私はうちの娘にも
亡くなるまで言おうと思いつつ言わなかったので
そういう話もしやすい環境下に無かったし、
だからこそ闘病のことも含めて話がしたかった。
でも本人は前日まで比較的普通に元気だったそうで、
本人ももう少しコレはヤバいと思ったらTELしようと
思っていたのでは無いかと思って、それもみんな死んだ経験だけは
ないわけなので、判断を誤ったと言うことで、
日々悪いほうに変化していく本人が本人の都合で言いたいとか、
掛けられるとか、会えるとか、会いたいとか、アクションがない限り
どんな悪い状態を我慢させるのかも?と思うとアプローチできなかった。
それでも↑に書いたように、私が掛けるのは変だからとして
煽って掛けさせようと何度もしたのだが、
それもかみさんの思いも複雑だろうし、
そこが掛けない限り、本人から掛かってくるのを待つだけだった。
ややこしいことも起きなかったと思うし(そこは当然保身)
後悔してんだから掛ければよかったよ。やっぱり後悔しかないな…。
情けない…。
作春のこの話の第一報の記事が←これ。
言おうか言うまいか、闘病中は言わないと決めたが、
リンク先の話の一番可愛かった子に亡くなった報告をした。
もう本人同士の年賀のやり取りもないのだ。
しかもマヒコはこの子の当初旦那と結婚前に同棲していたマンションに
遊びに行った帰りに、車を拾うからと下まで送ってきて、
彼女は片付け物をさせておいたのだが、
エレベーターでいきなりキスをされたらしい。
それは一番可愛い子には言えないので墓場まで持ってくと
言っていたがそれはその通りになってしまった。
でもそのとき、安く見られたと悔し泣きをしていた。
それを知っているので、その子に教えるとその馬鹿旦那が来る気もして
無くなる前は言えなかったし、だからこそ疎遠にしたのだとも思うから。
なのでさすがに一緒に住んでいた3人だから、死んだことまでは
言わないでいることは何かおかしくて、馬鹿旦那が来るかどうかは
一か八かと言うことだが、今の段階では来ないらしい。
でもその報告のときは、彼女は凄く狼狽をして「やだやだやだやだ」と
真実を拒否して聞きたがらなかったそうな。
それもそうだよな。その子が一番年上で、かみさんが4つ下で
マヒコが5つ下と当時26歳、22歳、21歳の3人だった。
年の差は無い程度でも、順番的には一番最後っぽい子が
一番先にしかもそんな予兆もない年で逝ってしまったのだから。
なので連絡も取り合わなくなったけど、普通に元気にしているのだと、
そういう風に思いこんでいたらしいので、ショックも大きかったようだ。
それもそうだよな。そう思っていて余命の話ではなく、
もう命が尽きたんだと言う話なんだから、驚かないわけがない。
季節の変わり目で多いのか判らないけど、
月曜に無くなって通夜が明日。告別式は明後日。
かみさんとも相談したけど私は行かないことにした。
多分狂ったように泣き崩れて具合悪くなりそうで、
そうなったら帰れなくなり迷惑掛けてしまうから。
叔父の葬儀のときはかなりヤヴァかったのでね…。
メニエール持ちだし、精神的にきつすぎる…。
なんにしても全く健康な状態しかみてないので、
いきなり変わり果てた姿もショックが大きい。
いい意味で会わずに終わったのだから、思い出も元気なままの
その姿だけで。ずるいかもしれないが。
サラバ!マヒコよ!実のお兄ちゃんとはもう会ったか?
こっちはまだしぶとく粘るんで、家族同様見守ってくれ!!
では、これから酒飲んでめそめそします。
飲むと泣けちゃうんだよな。年のせいか…。
************************************************
追記:リアルに打った弔電
マヒコのばか!
こんな早く逝くなんて、悲しくて仕方ない!
思い出は鮮やかなまま。やすらかに。
□□□□□こと○○○○