学生時代によく一人旅をしていました。
とりわけはまったのが鉄道旅。
18きっぷで九州縦断とか、北海道フリーパスで北海道岬めぐりとなんか、よくしたものです。
四国と山陰以外はほとんど制覇したのかな。
完全乗車は達成できませんでしたが、残りの区間は老後にでもゆっくりめぐりたいなと思っています。
そんな旅の記録のひとつが写真。
当時、一眼レフカメラを衝動買いして、肩からぶら下げたカメラガールをしていました。
そのとき日本各地で撮影した写真のうち、「空」を撮ったものを集めてみました。
熊本県、三角駅。
(2005年8月)
会って30分。
なんでこんな話をしてるんだろう。
なんでこんなに仲良くなれるんだろう。
幻想的な星空の下、『不思議』に包まれました。
風情のある盲腸線の終着駅でした。
この駅では地元民の女の子との出会いがあって、彼女との交流は今でも年賀状で続いています。
あのとき17歳だった女の子も27歳、元気にやっているそうです。
<旅先での出会い>
■三角駅ファンタジー
〈05夏、西九州極貧縦断〉
■はじまりはいつもここから
■関西へ
■最西端・平戸
■出会い
■聖地巡礼、潮の町
■フェニックスの映える空
■あたかも地元民のように。
■九州島の入口
■萬燈籠の夜。
■ただいま
この旅は、とにかく『人との出会い』が印象に残っています。
長崎では宿泊先のスーパー銭湯で出会った、同じく女性一人旅の方と一緒に翌日の長崎観光を楽しみました。
熊本の三角では、青春に悩む女子高生と出会い、昔からの友達かのような女子トークで盛り上がりました(別れの時は泣きそうになった)
宮崎では大学の友人の実家にお世話になり、いつもはシティボーイ気取ってるイケメンが宮崎弁丸出しだったことが何だか微笑ましかったです。
帰路の京都・奈良では、別の旅行先で知り合った友人と再会、お互い旅行好きでもあったので盛り上がりながらの奈良観光を楽しみました。
そんな旅からももう10年。
懐かしい限りです。
仙台駅。
(2006年)
ぼんやりと仙台駅のテラスに座り込む。
もしこのまま何年も過ぎていたらどうしよう。
夜が明けるように季節も変わる。
実感がないまま気づいたら暖かくなっている。
晴れた空がビルに反射していて、なんだかとてもきれいだなーと思って撮影しました。
〈06冬、南東北〉南東北湯めぐりの旅。
■その1
■その2
南東北は私の住んでいる埼玉からは比較的近い場所なんですが、このときは新潟経由で日本海側から山形へ入った思い出があります。
メインは温泉巡り。
荒川峡温泉と飯坂温泉をめぐりました。
ところがどっこい、荒川峡温泉で一番狙ってた雲母温泉が林道冬季閉鎖のためたどり着けず…
「雪見の温泉!」の贅沢さと難しさを実感した旅でもありました。
仙台駅をその次に訪れたのは2011年の夏だったのですが、そのときにこの写真を思い出しました。
〈石巻市、福祉避難所支援〉
■かぞえうた
■沿岸部にて
■避難所の意味
■恐怖の記憶
■これから
■ふるさと
■理由
■聴くということ
■支援の意味
■プレリュード
■きっといつか
あのビル残っていたの嬉しかったな。
神戸港(2005年3月)
広い世界を見たい。
もっと世界を見たい。
不安はあるけれど、少しだけ背伸びをしたら世界に近づいた。
これは撮影地は国内なんですが、実際旅行したのは中国の新疆ウイグル自治区。
シルクロードです。
実はNHKスペシャルの『シルクロード』の熱狂的ファンです。
喜多郎のあの名曲をBGMにして、西域南道を西へ行き、中国最西端を制覇、タクラマカン砂漠を縦断しました。
神戸港から上海港までの船と列車で5連泊、甘粛省・敦煌でようやくホテルに宿泊という超強行日程だったのですが、今にして思えば「すげえな私」と。
多分もう腰が痛くてできないだろうなあ。
(まず上海まで飛行機だと思うし、下手したら西安まで飛行機で行くと思う)
〈05冬、シルクロード・タクラマカン周遊〉
■プロローグ&エピローグ
■神戸~上海
■上海~西安
■西安~敦煌
■敦煌
■ウルムチ~カシュガル
■カシュガル
■イエンギサル~ヤルカンド
■ホータン
■ホータン~チャルチャン
■チャルチャン~チャルクリク
■チャルクリク~コルラ
■トルファン
■トルファン~西安
■西安~上海
■上海~神戸
■神戸~未来
荒川河川敷(旧吹上町)、2006年秋。
刈り入れの時期と合間って、全ての存在が秋を演出していた。
トンボが我が物顔で空を舞う。
モンキチョウ飛ぶ昼下がり。
埼玉県ちょっと北よりの吹上町です(今は鴻巣市?)
秋には荒川河川敷にコスモスが一面に咲いてとてもきれいなんですよ。
毎年行っていますが、この年は自宅から小一時間強かけてチャリで行きました。
多分この写真、ガラケーのだと思うんですが、やはり大きくすると粗が目立ちますね。
■荒川コスモスロードに行きました。
沖縄、瀬長島。
2006年夏。
それから瀬長島へ向かった。
本島近辺の島は今はもう陸路でつながっており、一昨日の海中道路のような道が海に突き出している。
瀬長島の南端からは慶良間諸島が臨めた。
「あれが慶良間よー。あんた小学生のときに行ったの覚えてる?」
「覚えてるさー。お父さんが日焼けで真っ赤になったときでしょ」
「そうそう。あんたも真っ赤になってね。この2人は皮膚が弱いってみんな笑ってたよ」
もちろん覚えてるよ。
沖縄の親戚みんなで行ったんだもん。
そうだ、海の色を聞いたんだ。
「なんで海は青いのに、ここでは透明なの」って。
あの疑問をまた考え出した。
実は母が沖縄出身でして、母方の親戚は沖縄在住なんです。
元は宮古島だったんですが、さすがに高齢化(おじいは88歳)で生活に不便もあるということで、若い親戚が住む本島へ引っ越しました。
まあそんな身内のこともありまして、沖縄はしょっちゅう行きます。
特に南部。
瀬長島は買い物の帰りに寄るような場所だし、糸満や南城にランチを食べに行くってのもわりとよくあります。
多いときには1年に3回は来沖してるから、もう地図はいらない…と思う。
■南の国からの小包
■南の国から、その1
■南の国から、その2
■南の国から、その3
■島時間の中で
■ここでなら、あたしは海の魚になれそうな気がする
■ゆいまーる
■ゆんたくの絆
まあそんな感じでいろいろと写真があるので、また時間があったらまとめてみたいと思います。
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