二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

叛乱幇助

2021-04-21 18:25:00 | 二・二六事件


斎藤瀏は昭和五年三月、予備役仰せ附けられその後明倫会の理事になりたるものなるが、かつてわが国当時の情勢、なかんずく政界に幾多の欠落を存じ混濁するところありとして深く憂慮し、須らくその積弊を打破しもって皇道国家の精神を基調とする制度に改革するの要ありとなし、これが実現を期せんには軍の力、特に純真なる青年将校の運動によるのほかなしと確信し恰も眠懇の関係にある当時陸軍歩兵中尉栗原安秀らをして、これに当たらしめるをもって最も適当なりと思惟し、青年将校の国家革新運動に関する研究などのため同人に資本その他の援助を与え来りしが
昭和十一年二月廿日、栗原安秀よりいよいよ近々直接行動をもって決起し昭和維新を断行する旨を告げられ、その資金調達などの依頼をうくるや遂に同人ら軍人の叛乱行為を幇助せんとの意を生じ、直ちに資金を斡旋調達し、翌廿一日現金千円を栗原に供与し叛乱の資金に充当せしめ、ついで同月廿六日朝栗原より只今決起せしにつき速やかに出馬し、軍首脳部に折衝し事態収拾に努力せられたき旨の懇請をうくるや叛乱行為を支援せんと欲し、軍服着用の上急遽首相鑑定に赴き、叛乱者に対し慰問の言を発してこれを激励し、さらに陸軍大臣官邸にいたり大臣に対し青年将校の主張および終極の目的とするところを活かす如く臨機徹底的に措置せられたき旨を進言し、また同官邸において陸軍次官に対し将校らの決意を告げ、さらにかれらは維新の曙光を見るまでは断じて現位置を撤退せず、いわゆる惟神(かんながら)の政治を要望しておる旨を力説して、その善処方を要請するなど叛乱者の主張を擁護声援し、また翌廿七日首相官邸に至り叛乱将校数名と面談し、その際栗原に行動資金として現金百円を供与し、次いで同人より昭和維新の促進のため叛乱部隊をなるべくこの付近に集結せしむよう戒厳司令官に交渉方の依頼をうけ、直ちに戒厳司令部に至り司令官にこれを進言し叛乱者の目的達成を容易ならしめ、もって叛乱行為を支援しこれに利益を与えたるものなり。



昭和十二年一月十九日
大阪毎日新聞号外


※原文は句読点がほとんどなく読み辛かった為少し追加してます。



斎藤瀏予備役少将