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オペラで世間話

サイト「わかる!オペラ情報館」の管理人:神木勇介のブログです

オペラ公演、DVD、本の紹介・・・そして、音楽のこと

新国立劇場『軍人たち』(2008年5月7日、オペラ劇場)

2008-05-25 | オペラ公演

【期待を上まわる舞台】

 久しぶりに期待を上まわるオペラ公演に出会えました。新国立劇場で上演されたツィンマーマンの歌劇『軍人たち』です。

 20世紀後半に作曲されたこの『軍人たち』というオペラは、一般的にはその名を知られていません。普通にオペラが好きな人でも、今回、新国立劇場のシーズン・ラインナップにそのタイトルが掲げられて初めて知ったという人が多いのではないかと思います。

 私は特にこのオペラを見たかったわけでもなかったのですが、興味はあったので出掛けてみました。基本的に私は伝統的な、言ってみれば古くさい、つまり古典的なオペラが好きなのですが、比較的新しい20世紀の作品、または同時代の作品にも興味があります。

 そういった新しい作品は、私にははっきり言って何がおもしろいのかわからないものも多いのですが、わからないけど惹きつけられる場合もあり、そういう場合はわかって惹きつけられる場合よりも魅力を感じるわけです。

 今回のツィンマーマンの『軍人たち』について、今シーズンから大役を務めている若杉弘芸術監督は、新聞紙上の談話で次のように述べていました。

《このオペラの日本初演を実現するために、同劇場(新国立劇場)のオペラ芸術監督を引き受けたといっても過言ではありません。》

 これは少し言い過ぎだったかもしれません。新国立劇場は多くのオペラ・ファンに支えられ、その運営に対し大きな期待と不安を持っています。こんな気持ちで芸術監督を引き受けてもらっては困る……と感じてしまう人もいるのではないでしょうか。

 しかし、それならば、いったいどんな初演を実現させるのか、逆に興味がわいてくるものでもあります。実際、公演は芸術監督の強い意志に支えられてか、たいへん素晴らしいものとなりました。

【そういえば、前回は……】

 この『軍人たち』の公演の前に若杉芸術監督が新国立劇場のピットに入ったのは、山田耕筰のオペラ『黒船』のときです。こちらは残念ながら私は楽しめませんでした。

 『黒船』のときも、このオペラにおける初めての全曲ノーカット上演という話題ありの舞台だったのですが、私は第1幕に先だって演奏された長い長い序景の部分で、山田耕筰のせいか、演奏のせいかは不明ですけど、なんとなくすでに帰りたい気分に陥りました。

 世評としては好評だったようなので、私は聴くべきところを聴けなかったのかもしれません。

【演出の成功、歌手陣の健闘】

 けれど、『軍人たち』には、引き込まれました。好んで聴きたいとは決して思わないような無調の音楽ですが、なんとなく耳が反応してしまう。そんな演奏です。

 ヴィリー・デッカーの演出も、ソリストに対しても、合唱に対しても、適切な表現を実現していて、とてもおもしろいものでした。デッカーの演出といえば、2005年のザルツブルク音楽祭でのネトレプコ(S)を起用した『椿姫』について、私はかなりの高得点を付けているのですが、今回の『軍人たち』も同じような良さを感じています。感性が合うのかもしれません。

 歌手陣も主役級の歌手が健闘していました。かなり事前に勉強を始めていたというマリー役のヴィクトリア・ルキアネッツ(S)をはじめ、シュトルツィウス役のクラウディオ・オテッリ(T)も迫真の演技が冴えていましたし、デポルト役のピーター・ホーレ(T)もいい声でした。さらにマリ大尉役の黒田博(Br)は、外国人歌手を上まわる声の響きを持っており、無調の音楽ながら心地よくその歌を聴くことができました。

【偶然の出来事】

 こうした現代作品は、何が描かれているのかさっぱりわからないことがよくあります。私にとっては、わからないことがほとんどだったと言えるかもしれません。けれど、見て、そして聴いていると、わけもなくグサリと突き刺さる何かを発見できることがあります。

 第2幕の終わり、バッハの『マタイ受難曲』のコラールが引用され、異様な雰囲気の中でシュトルツィウスが次のように語る場面もそうした突き刺さったところの一つです。

《一日一日はまるで変わりはない、でも今日起こらなかった事が明日起こることもある、そしてなかなか起こらないことが起これば成功だ。(中略)
 一羽の小鳥が山から毎年一粒の実を運んでくれば、きっといつかはやりどげる。(中略)
 遂には、遂には、毎日、毎日小さな砂粒ひとつ、一年には、十、二十、
 三十、百、百、百……》(ギーレン盤CD対訳より)

【欲を言えば】

 最後に、少しがっかりなのが、この公演がアムステルダム・ネザーランド・オペラのプロダクションをレンタルしてきたものであるということ。別にレンタルがだめだと言っているわけではありません。どちらかというと、海外の評価の高いプロダクションを見せてもらえることは好きです。でも、もしかして今回の『軍人たち』の公演が、そっくりそのまま新国立劇場のオリジナルであったとしたら、世界の名だたる多くのオペラハウスに向かって、ちょっとは自慢できたのではないかと思えたのでした。

【データ】
ツィンマーマン「軍人たち」
2008.05.07 Wed. 19:00 新国立劇場(大)
若杉弘(指揮) デッカー(演出)
東京po.新国立劇場cho.
マリー:ルキアネッツ S
シュトルツィウス:オテッリ Br
デポルト:ホーレ T
マリ大尉:黒田博 Br


ローマ歌劇場『トスカ』(2006年9月30日、NHKホール)

2006-10-01 | オペラ公演
【久々に見た力勝負】
 『トスカ』といえば、舞台はローマであって、そして、初演は1900年1月14日にローマのコスタンツィ劇場、現在のローマ歌劇場・・・というように、この歌劇場の名物とも言えます。
 1994年9月の愛知県芸術劇場で行われたローマ歌劇場引っ越し公演と同様、原演出はマウロ・ボロニーニ、舞台装置はアドルフ・ホーエンシュタインの初演時のプランによるものです。
 今となっては、めったにお目に掛かることができないオーソドックスな演出。トスカ役のダニエラ・デッシー(S)がプログラムのインタビューの中で、
《今回の『トスカ』は故ボロニーニ氏がこだわった初演のプランに基づく伝統的な演出法によるもので、21世紀の現在では、かえって特別な趣向になっているものと思います》
と話しているように、本当に「かえって特別な趣向」の舞台を、久しぶりに見せてもらいました。
 こういったオーソドックスな演出で真っ向勝負の舞台を、きっちりと見せられると、現在、多くのオペラ公演で採用されている読み替え演出による舞台が、小手先だけの「技」を提供されているように感じてなりません。そこに「安さ」を感じるようになるのです。
 誤解のないように付け加えておけば、読み替えの演出による舞台について、私は、私の周囲の人達よりも受け入れており、その可能性に期待もしていて、新たな発見に大喜びすることもあります。何の工夫もなしに作られた舞台より、何倍もおもしろくなっているものも多くあります。
 ただ、今回のローマ歌劇場が見せたオーソドックスな演出による力勝負は、やはりオペラ鑑賞における醍醐味の一つとして捨てがたいものだと思うのです。

【力があった音楽】
 こうした舞台を用意したとして、もちろん中身の音楽がよくなければ、公演は成功しません。力勝負なのですから、力が強くなければ勝てません。
 タイトルロールのトスカ役を歌ったデッシーは、これぞプリマ・ドンナというような王道を行く歌唱。もともとトスカには合っていたと思いますが、きっちり仕事をしてくれたという印象です。
 カヴァラドッシ役には、デッシーの夫であるファビオ・アルミリアート(T)。ビデオの映像などで聴くかぎりでは、声は出ると思っていましたが、その線の細さは、実際に生で聴いてみたらどうだろうと、不安でした。しかし、生で聴いても申し分ありません。やはり気持ちよく高音部が出るのはうれしいことです。この頃はなかなかこのようなテノールに出会えません。
 そして、音楽面で大きな力を提供したのは、指揮者のジャンルイージ・ジェルメッティだったでしょう。がっちりとした音楽を構築しました。それでいて流れも悪くありません。
 舞台と同様に音楽も充実し、ハードもソフトも機能した公演でした。

【けれどサービスは・・・】
 今回、私はチケットを購入したとき、トスカ役をデッシーではない別の歌手の日を選択したつもりでした。けれど、いざNHKホールに行ってみると、配役表にデッシーの名前があります。最初に宣伝したときから変更になったのです、知らぬ間に。HP等では公表されていましたから、もう当然ということかもしれませんが、当日、説明すべきことだと思います。場合によっては払い戻しもするべきです。もちろん、私はデッシーで良かったですけどね。いや、そういう話ではないと思うのです。
 開場時間も遅れて入口前に長蛇の列ができました。開演時間も席に着いてから15分経ってはじめてあと5分、つまり20分遅れることが説明されました。
 これだけの価格のチケットを購入して、これだけのサービスというは、少し残念な気がします。S席5万5,000円という設定自体も疑問です。

【データ】
プッチーニ「トスカ」
2006.09.30 Sat. 16:00 NHKホール
ジェルメッティ(指揮)
ボロニーニ、ディ・マッティーア(演出)
ローマ歌劇場o.cho.
トスカ:デッシー S / カヴァラドッシ:アルミリアート T / スカルピア:スーリアン Br


新国立劇場『ドン・カルロ』(2006年9月10日、新国立劇場)

2006-09-10 | オペラ公演
【なぜ『ドン・カルロ』で開幕なのか】
 新国立劇場2006/2007シーズンの開幕公演『ドン・カルロ』、鑑賞した結果、評価に悩みましたが、私は、良しとする立場を取ることができるかな・・・と思いました。
 新国立劇場では、2001年12月にヴィスコンティの原演出による『ドン・カルロ』を公演しています。ほとんど藤原歌劇団の公演だったとも言えますが、このとき私が観に行った日の配役には、スカンディウッツィ(Bs)、ファリーナ(T)、ブルゾン(Br)、チェドリンス(S)、藤村実穂子(Ms)という世界の第一級の歌手が揃っていました。
 ところが、今回の公演の配役は、上記の歌手たちに比べると失礼ながらネームバリューとしては見劣りすると言わざるをえません。これはノヴォラツスキー体制になってからはいつものことで、その良し悪しは議論の余地のあるところですが、それはそれで私は納得して観ることしました。おもしろいものが観られれば、それでいいわけです。

【硬派?な歌手陣】
 私の心配をよそに、歌手陣は健闘していたと言えます。歌手の実力に凸凹がなかったとも言えるかもしれません。なぜか男声陣は、みな非常に「硬派な」人物にみえました。それはいい意味でして、その歌唱の真剣さが、『ドン・カルロ』の世界観をガッチリ構築していたのではないかと思います。
 そして、そういった硬派な男たちの中で輝いたのが、エリザベッタ役の大村博美(S)。きちんとした舞台姿は好感が持てますし、堂々とした歌唱はエリザベッタの「強さ」を表現できていたのではないかと思います。その存在はオペラ全体を引き締めていました。今後も楽しみな日本人歌手の一人ではないでしょうか。

【舞台に感じた重々しさ】
 演出はマルコ・アルトゥーロ・マレッリ。新国立劇場では過去に『フィデリオ』を演出しています。
 今回は、スタンダードの舞台とはせず、壁をキューブのように配置して、その壁を動かしながら抽象的な舞台を作っていきました。最初は、そのアイデアの新鮮さに引きつけられ興味深く観ていましたが、次第に何か重々しい気分になってきました。何かこう舞台の大きな壁が息苦しいというような・・・。
 なぜだろうと思っていましたが、後でプログラムにマレッリ本人が、舞台美術のアイデアについて述べているところを読んでよくわかりました。私が感じた重々しさは、「牢獄」のイメージだったのですね。オペラ全体が束縛されたような、逃げ場のない息苦しさに包まれていたのです。そして、それは最後まで解き放たれることなく終幕を迎えます。舞台の見せ方として、おもしろいアイデアだったものの、『ドン・カルロ』というオペラが、ただでさえ重い内容・ストーリーであるのに、さらに不必要な重々しさを追加してしまったのではないかと思いました。

【何か足りないものがある】
 何かもうあと一押し、いいものを感じることができたら、私は文句なしに今回の『ドン・カルロ』を評価していたと思います。その一押しがないから、一流歌手を引っ張ってきて一丁上がりの昔の新国立劇場はダメだと思いながらも、どうしてもそれを懐かしく感じるのです。
 そのもう一押しの「何か」とは何か?今ふと思うのは、それは日本の新国立劇場の「味」のようなものかもしれません。今はオーストリアから来たノヴォラツスキー芸術監督の味しかしない気がします。
 この「日本の新国立劇場の味」というものがなければ、それなら豪華なキャスティングで楽しませてもらった方が、満足度が高いと思うのです。とはいうものの、私にはその味つけの仕方はわからないのですが。

【データ】
ヴェルディ「ドン・カルロ」
2006.09.10 Sun. 15:00 新国立劇場(大)
ゴメス=マルティネス(指揮)、マレッリ(演出)
東京po.新国立劇場cho.
フィリッポⅡ世:コワリョフ Bs / ドン・カルロ:ドヴォルスキー T / ロドリーゴ:ガントナー Br / エリザベッタ:大村博美 S / エボリ公女:ヴァレブスカ Ms / 天の声:幸田浩子 S


新国立劇場『こうもり』(2006年6月17日、新国立劇場)

2006-06-18 | オペラ公演
【歌手の演出について】
 《演じる側にとって、喜劇は悲劇よりも遥かに難しいもの》
と、今回、演出を受け持ったハインツ・ツェドニクが語っていましたが、歌手として百戦錬磨の彼が言うならば、それは間違いないことでしょう。客席からみても、喜劇は悲劇を観に行くときよりも「当たり」は少なく感じます。
 そのツェドニクが演出した『こうもり』・・・さすがこのオペレッタを知り尽くしているだけあって、実に楽しい舞台となっていました。
 新国立劇場で実績のある歌手が演出した例として、『マイスタージンガー』をベルント・ヴァイクル(Br)が演出したことがありました。演出家として実績の少ない歌手を、新国立劇場の演出家として招聘することにやはり疑問の残るところですが、しかしこうして結果を出していることを考えると、オペラ歌手が指揮をする場合よりも、適性を有しているのかもしれません。
 アール・デコ調のおしゃれな舞台はとても好感が持てました。『こうもり』を見慣れたオペラファンにも、初めてオペラを観た人にも、十分満足できる舞台だったと思います。細かい演出も、従来の良き伝統を踏襲しながら、「日本」を意識して客席を心地よく楽しませていました。

【イメージの破壊】
 歌手陣では、アイゼンシュタイン役のヴォルフガング・ブレンデル(Br)が張り切ってくれました。この役のスタイルを彼自身が「エネルギッシュ」と言っているように、彼の舞台でのパワーというか、テンションの高さには、それだけで笑わせてもらいました。私のブレンデルのイメージとしては、シリアスなバリトン歌手だったのですが、それが見事に打ち砕かれました。それとは逆に、フランク役のセルゲイ・レイフェルクス(Br)は、まじめのままでした。こちらは私のイメージは崩れなかったと言えます。それはそれで良かったのかもしれません。
 新国立劇場への出演機会の多いエレナ・ツィトコーワ(Ms)のオルロフスキー公爵役は当たり役でした。ロシア出身の歌手ですからね。
 その他、アルフレード役の水口聡(T)、ファルケ役のエーデルマン(Br)など、私の好みの声で楽しめました。

【アイゼンシュタインの人物像】
 プログラムの演出家ノートには、こんなことも書いてありました。
 《(初演の頃、本作に接した人々には)主人公アイゼンシュタインが利子で暮らしているという生活ぶりを、時代の最先端を走るような、奇妙でもあり、目新しくもある存在として捉えたようなのです。それは、モーツァルトの『フィガロの結婚』を観た当時の人々が、フィガロの人物像に感じ取った進取的な姿勢にも類する感覚であったのかもしれません。》

 フィガロの人物像としては一般的によく知られたイメージですが、なるほど、アイゼンシュタインのイメージもそれと比べて実にわかりやすく説明してもらいました。ふと考えてみると、今の日本でも、ヒルズ族の出現や歴史観をめぐるナショナリズムの見方など、振り子が大きく揺れて、人々が世の中を奇妙でもあり、目新しくもあり、・・・そのように眺めているときなのかもしれません。
 「日本」を意識したツェドニクの演出。そこまで日本の事情に精通していたとも思いませんが、興味深い提示だったと思います。

【データ】
J.シュトラウス「こうもり」
2006.06.17 Sat. 15:00 新国立劇場(大)
ヴィルトナー(指揮) ツェドニク(演出)
東京po.新国立劇場cho.
アイゼンシュタイン:ブレンデル Br / ロザリンデ:グスタフソン S / フランク:レイフェルクス Br / オルロフスキー:ツィトコーワ Ms / アルフレード:水口聡 T / ファルケ:エーデルマン Br / アデーレ:中嶋彰子 S / ブリント:高橋淳 T / イーダ:中村恵理 S / フロッシュ:クレマー Bs


ボローニャ歌劇場『イル・トロヴァトーレ』(2006年6月11日、東京文化会館)

2006-06-13 | オペラ公演
【ソリストの競演】
 ロベルト・アラーニャ(T)がマンリーコ役を歌ったこの公演。テノール・リリコのアラーニャは、年齢とともに少しずつスピントの役をモノにして、脱皮をはかろうとしている途上だと言えるのでしょうか。多くのレパートリーを要求されるのはスター歌手の宿命かもしれませんが、このマンリーコを十分歌い切れていたかというと・・・、私はもう少しパワーでねじ伏せるくらいの「強さ」がほしかったかなと思いました。でもさすがアラーニャ、いい声でしたし、いい歌を聴かせてもらいました。
 初日はコンディションが今一つだったらしいレオノーラ役のダニエラ・デッシー(S)。それでも、私が聴いたこの日(11日)は、すばらしい出来だったと思います。写真等から感じられる私の偏見からか、大味な歌を想像していたのですが、うれしい誤算で、実に繊細な表現を聴いて驚きました。こうした印象は、やはり生で聴いてみた方がわかりやすいですね。
 他のソリストも十分な歌唱で楽しめました。『イル・トロヴァトーレ』にふさわしく、声の競演を堪能した気がします。

【引っ越し公演の意味】
 ボローニャ歌劇場の公演はこの『イル・トロヴァトーレ』を含めて3演目。また、今月はメトロポリタン歌劇場が3演目、ベッリーニ大劇場が2演目と引っ越し公演が続きます。オペラを観る多くの機会に恵まれるのはいいことだと思いますが、本当にこんなに引っ越し公演が必要なのでしょうか。
 今回の『イル・トロヴァトーレ』は休日だったにもかかわらず、2,3,4階席に空席が目立ちました。3階席の一部のブロックには、ほとんど空席という所もありました。これでは、高いお金を払った人(S席5万7千円)や、低価格帯のチケットが取れなかった人に失礼でしょう。
 ポール・カランの演出は標準的でした。しかし、それ以上でもなく、それ以下でもない。今回の演出は「月」を重要な要素としていました。・・・でも、私の席からは舞台奥の月が見えません。どんな月なのかあわててプログラムを開き確認しました。2万円を出したくらいでは、演出家自身が「重要」と言っている「月」を見せてもらえず、2,500円のプログラムに掲載された写真で満足せざるを得ません。私は何を観に行ったのでしょうか。

 カルロ・リッツィ指揮のボローニャ歌劇場管弦楽団は縦の線が揃わず、何度もヒヤリとさせられました。ただ横の線は、非常に雄弁な歌い方で、こちらは聴いた価値があったかとも思います。日本のオケとの違いは、改めて考える楽しみがありました。
 ただ全体的にみて、このような引っ越し公演ならば、歌手だけ引っ張ってきて、とにかくオペラを見せていた数年前の新国立歌劇場の方が、チケットが安い分だけ、よほどいいと思いました。
 時々、本当に一流の歌劇場が、日本に居ながらにして楽しめる機会があるというのは、とても幸せなことだと思います。
 けれど、やはり地道に、国内のオペラを、日本のオペラを作っていく方に、私は期待したいです。

【データ】
ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」
2006.06.11 Sun. 15:00 東京文化会館(大)
リッツィ(指揮) カラン(演出)
ボローニャ歌劇場o.cho.
マンリーコ:アラーニャ T / レオノーラ:デッシー S / ルーナ伯爵:ガザーレ Br / アズチューナ:コルネッティ Ms / フェランド:パーピ Bs