2008年はカラヤン生誕100周年という記念の年であり、いろいろとカラヤンの名前が目に付くようになりました。
あまりにも有名すぎて、カラヤンが好きというのもはばかられるくらいです。そして、これだけ非難の声を浴びせられる指揮者も他にはいないでしょう。私は、カラヤンのことは好きな方です。オペラの作り方にも共感します。総合力の高いカラヤンはオペラの似合う指揮者ではないでしょうか。
けれど、かの大指揮者でもやはり修行期間はあります。
《当時わたしは、くりかえし自分に言い聞かせたものだ、学ぶんだ、学ぶんだ、見たり聞いたりするものについて、なにも言うな。ともかく口を閉ざして、仕事をしろ、そして学ぶんだ、と。専門の仕事を本当に身につけることを学ぶには、これが唯一正しい考え方だし、唯一の可能性だと思っている。》(39-40頁)
本当に、私自身にも言い聞かせたくなるメッセージです。「口を閉ざして、仕事をしろ」とカラヤンが言うのですから、凡人はさらに努力しなければなりません。
カラヤンにも不遇の時期がありました。ただ、そういったときに、きちんと勉強して、後で大活躍する人生に向けて貯金をしていたのです。
《わたしは両親の家で暮らしていたが、それからわたしたちは田舎に引きこもった。(中略)ずっと以前に指揮したことのあるすべての作品を、もう一度、徹底的に調べなおしてみた。食物は乏しく、人のことを心配してくれる人間もいなかった。それでも楽譜があり、音楽があった、そして、こうした時期もすぎてしまったとき、わたしはわたしの未来の課題に向かって、かつてより以上に真剣な、よりよい心がまえができていたのだ。》(102-103頁)
人間は苦しい時期こそ、未来に向けて本当に強固な意志を育むときなのではないでしょうか。
こうしてカラヤンは、帝王と呼ばれるまでの大指揮者となります。しかし、そのセンスは帝王という言葉の響きから感じられるような傲慢さからは程遠いものです。
《ちゃんとした主婦なら、自分の所帯に盗みがあれば気がつくものだ。(中略)大オペラ劇場の総監督としても持っていなければならぬものを、わたしに伝えてくれたのだ》(169頁)
どちらかというと面倒見のいい、まめな指揮者だったのではないでしょうか。それが大きなオペラを振るときにも、精密さとして音楽に現れているのだと思います。
私が本書を読んでいて、引っかかったのは、《わたしがかつて長いあいだ温めていた、六つの大オペラ劇場の提携というプラン》(165頁)というところです。なるほど、世界のトップのオペラハウスが提携をしたら、より良いオペラが制作できると思います。第一感として賛成でしたが、改めて考えてみると、オペラハウスそれぞれの個性が今以上にさらに失われていくような気もします。カラヤン的な考え方ですよね。
次の企画もカラヤンのオペラに対する考え方が如実に現れていると思います。
《オペラの経営の場合、理想的な配役と十分な練習による上演を用意するのが、世界中いたるところでどれくらい困難なことになっているかがわたしにはわかっていた。そこでわたしはひとつ奮発して、ときおり演奏会形式の上演を、完全にわたしの望む水準でやってみようと思った。》(157-158頁)
折しも、我が国の新国立劇場でも、新芸術監督の若杉弘の指揮による「コンサート・オペラ」という新たな形式による公演が中劇場で上演されることになりました。演目は『ペレアスとメリザンド』。日本のペレアス歌手として第一人者である近藤政伸(T)とフランスものを得意とする浜田理恵(S)のキャスティングで、理想的な音楽を構築することを狙いとしているようです。
演出家としても徹底していたカラヤンですが、「完璧主義者」としてどこまでも理想を追い求めていました。
カラヤン生誕100周年の今年、久しぶりにカラヤン・サウンドを堪能してみるのもいいかもしれませんね。
あまりにも有名すぎて、カラヤンが好きというのもはばかられるくらいです。そして、これだけ非難の声を浴びせられる指揮者も他にはいないでしょう。私は、カラヤンのことは好きな方です。オペラの作り方にも共感します。総合力の高いカラヤンはオペラの似合う指揮者ではないでしょうか。
けれど、かの大指揮者でもやはり修行期間はあります。
《当時わたしは、くりかえし自分に言い聞かせたものだ、学ぶんだ、学ぶんだ、見たり聞いたりするものについて、なにも言うな。ともかく口を閉ざして、仕事をしろ、そして学ぶんだ、と。専門の仕事を本当に身につけることを学ぶには、これが唯一正しい考え方だし、唯一の可能性だと思っている。》(39-40頁)
本当に、私自身にも言い聞かせたくなるメッセージです。「口を閉ざして、仕事をしろ」とカラヤンが言うのですから、凡人はさらに努力しなければなりません。
カラヤンにも不遇の時期がありました。ただ、そういったときに、きちんと勉強して、後で大活躍する人生に向けて貯金をしていたのです。
《わたしは両親の家で暮らしていたが、それからわたしたちは田舎に引きこもった。(中略)ずっと以前に指揮したことのあるすべての作品を、もう一度、徹底的に調べなおしてみた。食物は乏しく、人のことを心配してくれる人間もいなかった。それでも楽譜があり、音楽があった、そして、こうした時期もすぎてしまったとき、わたしはわたしの未来の課題に向かって、かつてより以上に真剣な、よりよい心がまえができていたのだ。》(102-103頁)
人間は苦しい時期こそ、未来に向けて本当に強固な意志を育むときなのではないでしょうか。
こうしてカラヤンは、帝王と呼ばれるまでの大指揮者となります。しかし、そのセンスは帝王という言葉の響きから感じられるような傲慢さからは程遠いものです。
《ちゃんとした主婦なら、自分の所帯に盗みがあれば気がつくものだ。(中略)大オペラ劇場の総監督としても持っていなければならぬものを、わたしに伝えてくれたのだ》(169頁)
どちらかというと面倒見のいい、まめな指揮者だったのではないでしょうか。それが大きなオペラを振るときにも、精密さとして音楽に現れているのだと思います。
私が本書を読んでいて、引っかかったのは、《わたしがかつて長いあいだ温めていた、六つの大オペラ劇場の提携というプラン》(165頁)というところです。なるほど、世界のトップのオペラハウスが提携をしたら、より良いオペラが制作できると思います。第一感として賛成でしたが、改めて考えてみると、オペラハウスそれぞれの個性が今以上にさらに失われていくような気もします。カラヤン的な考え方ですよね。
次の企画もカラヤンのオペラに対する考え方が如実に現れていると思います。
《オペラの経営の場合、理想的な配役と十分な練習による上演を用意するのが、世界中いたるところでどれくらい困難なことになっているかがわたしにはわかっていた。そこでわたしはひとつ奮発して、ときおり演奏会形式の上演を、完全にわたしの望む水準でやってみようと思った。》(157-158頁)
折しも、我が国の新国立劇場でも、新芸術監督の若杉弘の指揮による「コンサート・オペラ」という新たな形式による公演が中劇場で上演されることになりました。演目は『ペレアスとメリザンド』。日本のペレアス歌手として第一人者である近藤政伸(T)とフランスものを得意とする浜田理恵(S)のキャスティングで、理想的な音楽を構築することを狙いとしているようです。
演出家としても徹底していたカラヤンですが、「完璧主義者」としてどこまでも理想を追い求めていました。
カラヤン生誕100周年の今年、久しぶりにカラヤン・サウンドを堪能してみるのもいいかもしれませんね。