オペラで世間話

サイト「わかる!オペラ情報館」の管理人:神木勇介のブログです

オペラ公演、DVD、本の紹介・・・そして、音楽のこと

アーティゾン美術館 「パリ・オペラ座 響きあう芸術の殿堂」

2022-12-10 | その他

【オペラ・ファンは驚くはず】

 アーティゾン美術館の「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展に行ってきました。どのような展示があるかあまり考えず、オペラで使う衣装とか、小道具とかが並んでいるのかなと思っていただけでしたが、実際に行ってみたら驚きました。展示室の一角に何気なく置いてある見開きの楽譜。パリ・フランス国立図書館で所蔵されているグルックのオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》の直筆譜なのです。もちろん作曲家の直筆譜は、よく書籍にも写真として掲載されていますし、研究や観賞用にファクシミリ版としてコピーが出回っています。ですが、この直筆譜は本物。グルックが手書きしたものです。

 絵画は、描いた画家がその絵の前に実際にいて、その絵を描いて、それが展示されます。絵画を鑑賞しながら、私たちはその製作者の息吹をも感じることができるわけです。普段はオペラを観ていて、楽譜に書かれた音符が演奏されたその音楽を聴いているわけですが、その直筆譜を前にして、作曲家本人にすごく接近した感じがしました。音楽は、出回っているコピーの楽譜があって、それが演奏されればそれで事足ります。とはいえ、その元となった作曲家自身が書いた直筆譜。《オルフェオとエウリディーチェ》の見開きになっている部分は、まさに序曲の開始部分でしたが、これがなければ、その後のオペラ史が変わっていたかもしれない。そう思うと、この一点ものの直筆譜は、私には名画と同様の価値ある美術品に感じられました。

 そして、他の直筆譜もあります。ラモー《レ・パラダン(遍歴騎士)》、ロッシーニ《ウィリアム・テル》(見開きは、有名な序曲でフォルテになる箇所)、ヴェルディ《ドン・カルロ》(フランス語版)、ワーグナー《タンホイザー》(パリ版の挿入部分)など驚きのラインナップ。展示を見つけるたびに、のけぞりそうになりました。私は金曜の夜に行きましたが、バレエ・ファンが多かったのか、これらオペラの直筆譜を覗き込む人は皆無でした。もう大きな声で宣伝したくなります。ここに、国宝級のお宝がありますよ。楽譜の見開きの展示も、ここぞという部分を鑑賞できるように開いてあり、大変うれしい演出です。

 他にも私がおもしろいと感じたのが、オペラ初演時の舞台デザインや舞台模型。例えば、《タンホイザー》の第2幕、ヴァルトブルク城の歌合戦の場面の舞台が再現されています。そういうものを見ていると、初演時の舞台を再現したオペラ公演などを見てみたいとも思ってきます。エリーザベトの冠などの衣装小道具、初演時のポスターを見ながら、初演の時に想いを馳せました。

 オペラ・ファンは、この企画展に足を運んだら、きっといろいろな発見があると思います。私はここに書いたこと以外にも多くの気づきがありました。また、このようなオペラハウスをテーマにした企画展があればうれしいです。

【企画展データ】

アーティゾン美術館(ARTIZON MUSEUM)

「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展(2022.11.5-2023.2.5)

日時指定予約制、1,800円(学生無料)


ゲルハーエル(Br)『冬の旅』(2008年2月1日、王子ホール)

2008-02-11 | その他
【バリトン歌手の系譜】

 オペラではないのですが、最近聴きに行った中でも思うところが多かったので、クリスティアン・ゲルハーエル(Br)が歌ったシューベルトの『冬の旅』について書き留めておこうと思います。

 ゲルハーエル(このドイツ語名は、いろいろなところでいろいろな表記をされていて、例えば、ゲルハーヘル、ゲアハーハーなどがあります)は、現在、生存しているバリトン歌手の中で、1,2を争うほど私が気に入っている歌手です。

 初めてその声をCDで耳にしたのは、シューベルトの『白鳥の歌』だったでしょうか。確かそのときは、ほかにもいろいろなバリトン歌手の歌曲のCDを並べて聴いていて、たまたまゲルハーエルもその中の一枚として、何気なく聴いたわけです。そして、「これはいいな」と思いながら聞き続けた結果、次第に「なんてうまいんだろう!」と「耳」が釘付けになったのを覚えています。

 特に私が感じたのはドイツ語の発声の美しさです。言葉が発せられる口元の発音が実にきれいで、心地よく聴いていられます。病みつきになるというのはこのことを言うのかもしれません。

 ポスト・フィッシャー=ディースカウ世代というのでしょうか。なかなかいいバリトン歌手に出会えなかったので、このゲルハーエルの発見はかなりうれしいものでした。

 その彼が8年ぶりに来日して、リーダーアーベントを開くというので、いそいそと出掛けていきました。

【声質の良さ】

 今回はシューベルトの3大歌曲集を一日おきに連続して歌うということで、ゲルハーエルにとっても連続して歌うのは初めてのことなのだそうです。案外、そんなものなのですね。

 銀座の王子ホールは、リーダーアーベントには程よい大きさで音響もいいので、理想的なステージだったのではないでしょうか。このコンサートの様子は、NHKのハイビジョン録画がなされていたので、おそらくテレビでも放映されると思います。ぜひその機会にお聴きになることをおすすめします。

 実際に聴いてみて驚いたのは、頭声、いわゆるファルセット声区を使ったソット・ヴォーチェの美しさと、逆に胸声を響かせたときの力強さの差です。私は前述したように、そのドイツ語の発音というかなり偏った観点から今回の演奏会を楽しみにしていたのですが、開けてみて気が付くとその声の質の良さに圧倒されていました。

【芸術の可能性】

 ピアノのゲロルト・フーバーとのコンビも息がぴったりでした。微妙なテンポの揺れも、フーバーは吸い付くようについていきます。一緒に仕事をして19年ということです。ゲルハーエルは「他のピアニストとリート・リサイタルを開くことなど考えられません」と言っています。

 しかし、私は、ここを乗り越えてほしいなと思っています。

 というのも、芸術的な基準からすると、ゲルハーエルの歌唱に比べてフーバーのピアノは見劣りがします。確かに二人の演奏は一つの音楽としてまとまりがよく、充実したアンサンブルになっているのですが、フーバーのピアノはミスも目立ち、かつ、超一流のピアニストが持つ……なんと言ったらいいのでしょうか……こちらの期待を裏切るようなすごい演奏が出てくる可能性を感じることができません。

 かつてフィッシャー=ディースカウがブレンデルと組んで、聴けば聴くほどおもしろいアイデアに富んだ演奏をしたときのように、また、かつてシュライアーがシフと組んで、新鮮な音楽の息吹を取り戻したときのように、ゲルハーエルにも新しい挑戦を期待します。

 ぴったりと息のあったアンサンブルもいいのですが、芸術家と芸術家が激しくぶつかったところに創造される芸術は、もっと刺激に満ちたすばらしいものを生む可能性があると思うのです。

(2008/02/09)

歌が聴きたい(「熱狂の日」音楽祭2007)

2007-05-06 | その他
【音楽祭の楽しみ】
 民族のハーモニーと題されたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2007に立ち寄ってみる機会がありました。この企画はとてもいいなと思います。こんなにクラシック音楽を親しむ人たちが一堂に会し、「音楽祭」を楽しむことができるなんて素敵なことです。GWという時期もベストだと思います。クラシック好きの人たちが、さてGWはどこに行こうかとか、飽きてしまったなとかいうときに、出掛けやすい環境となっています。
 会場で食事なども不快な思いをせずにできたので、これ以上混雑はしないでほしいと思いながらも、もっと盛大にやってほしいとの思いもあります。
 一つでもコンサートのチケットを買わないと、無料コンサートと銘打った中心の会場の展示コーナーには入れません。地上広場のコンサートもありますが、楽しめるのはあとはグッズ販売コーナーくらいでしょうか。まずタダでは音楽は聴かせてくれないようです。
 私は、もっといろいろなところで路上ライブが行われていてもいいのではないかと思います。主催者側でオーディションをして、きちんとしたプログラム、タイムテーブルの上での路上ライブでもいいと思います。そうした中でコンサート会場の中身を充実させる。外はワイワイと、中ではシーンとした別世界のコンサートを、といった差があるといいのではないでしょうか。

【本物のコンサートを】
 クラシック音楽を好きな人は、きっとその別世界を望んでいるはずです。コンサートホールの中では、とびきりの上質の音楽を期待しています。45分という短い時間も、うまい設定だと思います。安価で上質なコンサートであれば、路上で無料のコンサートがいくらあっても、客席は埋まると思うのです。題名のない・・・や、青島広志さんのような親しみやすさも大切だと思いますが、本物を聴きたいと思って人は集まるのだと思います。
 青島広志さんといえば、「0才からのコンサート」にも出演されていました。「0才からのコンサート」については、とてもすばらしい企画だと思っています。多くのお子さんを連れた親御さん達が楽しんでいました。もう少し設備面でのケアが行き届いていたら、もっと過ごしやすかったのではないかとも思いますが、それより赤ちゃんの泣き声が四方八方から聞こえてくる中、演奏を引き受けた演奏者には大きな拍手を送りたいです。
 ここでも親御さん達は、子供たちに本物のクラシック音楽を聴かせたかったのではないでしょうか。青島さんのお話もおもしろいものでしたが、すぐに飽きてしまう子供たちにとって、ちゃんといつもどおりにコンサートを見せた方が、その空間自体を楽しめたのではないかと思います。最近、安易なコンサートに批判が寄せられているのもよく見受けられます。それぞれの場面場面にふさわしいコンサートがあるということ前提に、いわゆるクラシック音楽的なコンサートには、それはそれでそのものの良さがあるのではないかと私は思っています。

【歌が聴きたい】
 今回は「民族のハーモニー」ということで、国民学派の作曲家によるプログラムが組まれていましたが、フォーレの『レクイエム』はあったものの、オペラや歌曲のコンサートはありませんでした。私としてはやはりもっと「歌」が聴きたかったと思います。「民族」がテーマなのですから。いろいろな国の「歌」が聴きたいと思いました。来年はシューベルトを特集するようなので、これは期待できることでしょう。

【クラシック音楽全体のために】
 この音楽祭の企画は、クラシック界全体で盛り上げていくことが必要です。企画展示では、音楽之友社はただ雑誌を並べているだけでしたが、比較的マイナーな会社ががんばっていました。
 クラシック音楽全体のために、私はこの音楽祭の今後に注目しています。


週刊新潮「詐欺!悪徳商法!朝日新聞主催ローマ歌劇場」の記事に思ったこと

2006-10-11 | その他

【週刊誌の大見出しを飾ったオペラ公演】
 ほかに大きな話題がなかったからか、オペラ公演のことが週刊新潮(平成18年10月12日号)に大きく掲載されていました。
《朝日新聞社が主催する、名門ローマ歌劇場の日本公演で、宣伝されていた豪華キャストが「健康上の理由」で次々と降板した。(中略)その多くが、よその国の劇場に元気に出演していると聞けば、高額チケットを買ったファンは黙っていない。》
 私が観に行った『トスカ』よりもむしろ『リゴレット』の方の話です。指揮者のカンパネッラやマントヴァ公爵役のフィリアノーティの降板等がありました。
 キャンセルはあり得ることなので、主催者側の説明のしかたの問題だと思います。レナート・ブルゾンやエヴァ・メイが降板して二流歌手に変更という事態でなかっただけ、まだよかったのかもしれません。

【生で聴きたいと思う歌手】
 この件で私が思ったのは、実は今回のローマ歌劇場に限ったことではなく、そもそも外国オペラの引っ越し公演は、最近、魅力がなくなってきたのではないかということです。
 これまで私は「オペラ」に対して、①生の舞台を鑑賞する、②CD、DVD等のソフトを鑑賞する、③自ら歌う、という3つの方法で楽しんできました。
 「生の舞台」派と「CD、DVD」派の間には結構大きな溝があり、音大を出た人でも、劇場に行く機会は先生の出演する公演に偏っていたり、CDを聴くのは自分の歌うアリアだけになっていたり、それぞれ趣味にあった楽しみ方をしています。私は、意識的にこの3つの方法に対してなるべくバランスよく、接してきました。
 生の舞台を鑑賞するときによく思うのが「歌手」のことです。今ちょっとだけ、許光俊著『オペラ大爆発』の中から引用してみますが、ここに次のようなことが書かれています。

《現代において聴くべき歌手はあまりにも少ない》
《上演に出かけても、いちいち歌手の名前を確認しないことすら少なくない》

 この記述は、70年代にパヴァロッティやドミンゴが活躍していた頃と現代を比較しての話なので、私がこれから言及することとは「程度」が違うのですが、私も最近、これと同じように思うことが多くなりました。
 私がお財布と相談しながら生の舞台に出かけるときは、やはりお目当ての歌手の声を生で聴きたいという欲求が強いんですよね。それで、どの公演に行くかは、やはり歌手中心に選んでしまうのです。
 でも、次第にそういう生で聴いてみたいという歌手が少なくなってきました。誰が出演していてもそんなに変わらないな、と感じるようになってきたのです。今回、週刊新潮に取り上げられたキャンセルなんて・・・いやいや、そういう問題でもないですね。
 しかし、やはり外国オペラの引っ越し公演といえど、それだけの値段のチケット代を払って聴くべき歌手が少なくなってきたと感じています。
 このことは、私が古きよき時代を懐かしんでいるというわけではありません。私はどちらかというと新しい才能に魅力を感じる方です。若手の歌手が台頭してくるとわくわくします。けれど、やはり少々小粒であるという事実は、否定しきれません。そして、DVDで見ることができれば、それで満足できてしまうのです。

【DVDによる天国のような時代】
 そうなのです。最近のDVDのリリースには目を見張るものがあります。なんと恵まれた時代になったのでしょうか。世界各地の歌劇場の公演がいち早く、そして画像、音声もよい状態で手に入る時代になりました。昔は、音楽雑誌に掲載された写真を食い入るように見たものです。その上、雑誌に耳を付けて音が出たりしないものかと・・・すみません、オーバーでした。しかし、今やこうしたDVDのリリースに加えて、インターネットでザルツブルク音楽祭の公演の映像を垣間見ることができたり、オペラ公演のラジオ中継を聴くことができたりします。
 そして、海外旅行のついでに、インターネットでチケットを取って外国でオペラを観る、といったことも容易にできるようになりました。
 引っ越し公演のチケット代を考えると、ついつい「DVDが~枚買えるなあ」と悩んでしまいます。

【国内で期待するオペラ公演】
 これからのオペラ公演は、海外歌劇場の引っ越し公演よりも、国内のオリジナルのオペラ公演の方に可能性があると思います。日本でしか見られない、東京でしか見られないオペラを創作していく必要があります。新国立劇場はもちろんのこと、二期会、藤原歌劇団など手作りのオペラによって、生の舞台を鑑賞する楽しさが引き出されることに期待しているのです。ただそれはもう、あの「歌手のすごさ」を堪能する楽しみとは違う種類のものかもしれません。
 というわけで、私は、上述した3つのオペラの楽しみ方「生の舞台」「CD、DVD」「自ら歌う」の中で、「生の舞台」の比重が下がってきているようです。そして、DVDを鑑賞することも多くなりました。というわりには「オペラで世間話」にDVD評を載せることが少ないのですが。これからはがんばってDVD評を充実させたいと思います。
 週刊新潮の記事を読んで、ここまで飛躍して考えてしまいました。自分の傾向を理解することができて、それはそれでよかったです。結果的に独り言となりました。