論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
子曰、君子無所爭。必也射乎。揖讓而升下、而飮。其爭也君子。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、君子〔くんし〕は争〔あらそ〕う所 無〔な〕し。必〔かなら〕ずや射〔しゃ〕か。揖譲〔ゆうじょう〕して升下〔しょうか〕し、而〔しか〕して飲〔の〕ましむ。其〔そ〕の争いや君子なり。
子 曰〔のたま〕わく、君子〔くんし〕は争〔あらそ〕う所 無〔な〕し。必〔かなら〕ずや射〔しゃ〕か。揖譲〔ゆうじょう〕して升下〔しょうか〕し、而〔しか〕して飲〔の〕ましむ。其〔そ〕の争いや君子なり。
《現代語訳》
孔先生が、次のように仰られました。
"君子" というのは、論じて争うこともなく、武〔ぶ〕して争うこともない。必ずや優雅〔ゆうが〕に楽しむものだ。
なによりも、優雅さの中にあっても礼節さを重んじる姿勢というのは、息を飲むほどの緊張感であふれよる。
優雅に楽しむ、これこそが "君子" というものだ、と。
(ウィキペディアより)
※ 関連ブログ 君子は争う所無し
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない