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呉~♪二日目の2

2017-01-04 01:51:00 | 能年玲奈さん応援とその他出来事
倉橋島に行く為にループ橋を渡り島を少し走っていると標識に大浦崎公園の文字が…何故か気になり訪ねました。


その場所の海水浴場の向こうには周作の父周太郎が働く海軍航空廠が有った広の工場地帯が見えました。


のんびり公園付近を歩いていたら石碑が目にとまりました。


特攻基地大浦崎(P基地)


ビックリしましたがこの場所は特殊潜行艇の製造場所でも有り終戦間際には特攻基地でも有りその搭乗員を養成した場所でもありました。


石碑には受講者2600人と有りその内戦死者439柱と有り特殊潜行艇も特攻兵器である人間魚雷「回天」もこの場所が出撃基地だった今では海水浴場もある綺麗で静かな海の公園なのですがそのギャプに息をのみました。


ずっと平和であります様に。






呉~♪二日目の1

2017-01-04 00:38:11 | 能年玲奈さん応援とその他出来事
二日目!三ツ蔵へ参上♪


実はあの蔵に写る道は蔵の裏側の道なんだと現地を見て知りました。


おさしんを撮る為にウロウロしてたら地元御夫婦に会えました!大体定番トークから始まります(笑)まず「何処から来たの?」とご夫婦…「神奈川県の横浜です」とバイク馬鹿…そこからお話を色々と聞けました!


お二人共々昭和五年呉生まれでリアルにあの時代につながる御夫婦に遭遇出来てテンション上がるバイク馬鹿!


お互い隣街位の距離で生まれて育ちお見合い結婚でお互いに顔も知らなかったしそれが普通の事だったと言っておられましたが、そう思うと子供の頃にすずに助けられた周作は大人になってもすずを想い続け遠くに住むすずをわざわざ見つけて射止めたんですから大したもんだと思います♪


周作にとっては自由意思の恋愛結婚。姉の径子も自由意思の恋愛結婚だしその時代にしては大した姉と弟でそれを許した北條夫妻も大したもんだと思います♪


水原くん残念!周作の一途さに感服です。一人ボーッとしていたすずはモテモテだったのですね(笑)


御夫婦の話に戻りますが11才で開戦をむかえて奥様は徳島に疎開をされていたそうでその頃の呉の記憶は無いそうで帰ってきたら焼け野原で何にも無かったそうです。呉空襲は映画の中にあるシーンと同じだった様でまず照明弾を落とし明るくして攻撃箇所を確認してから爆撃していったと奥様も大人達から聞いたそうです。御主人も小学校卒業と同時に終戦間際には学徒動員令で徴用されたそうで呉は軍港でたくさんの水兵さんがいて蔵近くの平坦な土地には士官の大きな別宅が有ったそうで士官の別宅はみんな立派な門構えだったとの事。


また蔵の裏側にあたる写真の道下には川が流れており当時は人が一人通れる位のもっと狭い通路だったそうで今は川の上にコンクリート蓋をして現在の姿になったそうです。


因みに映画は観られましたか?と質問したら…まだ観てないとの事。お足が悪い奥様は杖を突きながら歩いておられましたし御主人様は耳がかなり遠いので常に奥様が耳横で私の質問を伝えておられましたし中々難しいのでしょうね。


でも近所の方から観たかと言われてる様です!のんちゃん!監督!お薦めしときましたよ♪


せっかく映画のおかげで観光で遠くから来られる方々が居るのならもっとお店を開けなきゃ駄目だとか入船山記念館も休みの時程開けなきゃ駄目だとか私の事を気にかけてくれてありがとうございました。


地元の方の話は力強いしたくさん話が聞けて楽しかった♪御夫婦と別れてのんちゃんが歩いてた脇道を歩いたりしてからその場を後にしました。


目指すは倉橋島!


御夫婦様♪ありがとうございました!いつまでもお元気で!










呉~♪一日目の3

2017-01-03 04:05:13 | 能年玲奈さん応援とその他出来事
音戸の瀬戸公園に向かう途中に水原哲が乗船していた巡洋艦青葉の終焉地が…建碑記には昭和19年10月フィリピン海海戦で大破し呉に何とか帰還したが修理の見込みが立たない為に防空砲台として警固屋地区海岸に係留されていたが昭和20年7月の空襲で熾烈な爆撃を受け大破沈着、あの中曽根総理も青葉に乗艦経験が有るそうだ。


扇を持つ平清盛がお出迎え♪青空が広がる高台の公園からは、たくさんの瀬戸内海の島々と海の景色が見えて綺麗でした!駐車場にはたくさんの猫がいて迎えてくれた♪


ここにも兵舎跡が有り灰ヶ峰も砲台跡が展望台に生まれ変わった様にここも軍の影響が残っていた。


山を下り音戸渡船へと向かいましたが新年でお休み(泣)一日はこれまでと呉の市内に戻り最後にすずと周作二人が「選らばなかった道は云々…」と話していた小春橋へ♪引き潮なのか川には水がほとんど無く鷺がくちばしで川底をつついてた!


















呉~♪一日目の2

2017-01-03 03:07:27 | 能年玲奈さん応援とその他出来事
入船山記念館に来ましたが年始でお休み(泣)走る遷都くんみたいな奴にも会えました(笑)厚化粧したすずがしみじみニヤニヤしていた下士官兵集会所も近くに有り煉瓦の歩道と松が綺麗でカッケーかったです♪


入船山記念館の道路向かい側に周作の父周太郎が入院してた病院の階段が!この後に…ここから歴史が見える丘へと続く道がリアルにつながるのです。


すずと晴海がいかに危険な場所に居たのかが良く分かりました呉鎮守府(総司令部)にも近く日本海軍の重要軍事施設がオンパレードな周辺であったと…


そこからアレイからすこじまに向かいました。潜水艦がたくさん係留してる場所で呉は横須賀に似てるなとどちらも今でも立派な軍港で有る事には変わりないと道路向かいに赤レンガの立派な倉庫が有りましたが普通に今でも会社の倉庫として使われている様子。


そこからのんちゃんと平清盛がコラボした音戸の瀬戸公園へ














呉~♪一日目の1

2017-01-02 01:30:00 | 能年玲奈さん応援とその他出来事
年末年始呉に来た!自身の呉は二度目。


朝6時起床!朝食は後回しにして灰ヶ峰に愛馬と共に駆け上がりました!初めて走る道は緊張の連続!まだ薄暗い細く急な坂道やカーブを繰り返しながらギリギリ到着!


灰ヶ峰から初めて見る呉の全景が映画のシーンと同じ感じ!感動してたら初日の出が!その光はとても力強く神々しい…一年のスタートには最高の夜明けになりました♪


ホテルに戻り朝食をかきこむと大和ミュージアムに向かい「この世界の片隅に」呉市ロケ地MAPを手に入れる為に大和ミュージアムへ


呉は東洋一の軍港として栄えた街なのだと再認識し歴史の見える丘へ向かいました「のん、呉へ。2泊3日の旅」表紙の場所であり乗組員約3700名以上が艦と命を共にした戦艦大和が生まれた場所。


時代は違えどその歩道橋の先に見える景色の中には他国から見れば立派な軍艦に見える自衛艦がドックの中に鎮座して今も一部軍港として呉は続いているんだと思いました。


正直複雑な気持ちになりました。そのそばには、すずと晴海の悲しい場所にも近く様々な事を想い感じました。


戦艦大和建造で培われた造船技術や重工業力がその後敗戦を迎える日本の戦後を支えたと大和ミュージアムで言っていました。それも事実だと思います。しかしたくさんの尊い若者達の犠牲があって今の日本が在るのも忘れてはならないのだと。


歩道橋入口横には、石碑が有り鎮魂の石碑かと思ったら昭和44年に建てられた大和を建造した事に対する石碑でその発起人には旧日本海軍の階級で有る少佐とか大佐などと共に氏名が記載されていました。


世界一と言われた大和の建造に携わり内地で敗戦を迎えた者と生還した乗組員や戦死した乗組員の遺族とではどう想い感じる場所なのか考えながらその場を離れました。