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A5-luonnoslehtio

何せ自由な帖なので

【50】あいうえお

2013-03-14 23:50:39 | ウェブログ
あかずのへやは
いやなおとが
うさんくさい
えふだのゆくえは
おきさきのひみつ


あなた
いいひと
うそつかないひと
えらぶらないひと
おかげでわたしはたすかりました


あら
いやだ
うやうやしくなんてしないでよ
えこひいきだと
おもわれちゃう


あねったいだけど
いいきもち
うじかそだちか
えらのないあのこは
おやのしつけがなっている


あかるいことは
いいことだ
うみへいこう
えいえんのなつが
おわらない


あけてしまったら
いぜんのせかいにもどれない
うんととおく
えいぞうのせかいと
おもっていたんだ


あかのまんとは
いやらしさがない
うまのといきが
えずくようなにおいで
おきたくなくなってしまった


あしたおきたら
いつものへやよ
うるさいひともいるけれど
えんがないとは
おもわない



(白雪姫からの連想)

【50】あかさたなはまやらわ

2013-03-14 23:09:45 | ウェブログ
あおいとりなんて
いないのよ
うさぎは
えのぐで
おれんじに

かりものの
きぐるみは
くつだけがないのに
けっこんしきは
こんどのどよう

さいわいにも
しょうゆだけがあったので
すこしずつだが
せいのびして
そだつだろう

たなかのこみちに
ちがとんだ
つきよのばんは
てつあれいが
とびかうあいず

なんども
にわをのぞいたのよ
ぬるまゆがいやに
ねばついて
のどかなるごご

はんぶんだけ
ひみつの
ふたをあけたなら
へびがよんでる
ほらふきのくに

まいにちまいにち
みようみまねじゃ
むりもたたる
めんどうなんだよ
ももんがは

やめてください
ゆびのおんどで
よがあけるから

らいおんだろうか
りんごだろうか
るいじするのは
れもんいろした
ろんどんのはし

われながら
をことばですが
んまいこという

【詩】さざなみ

2013-03-14 21:37:01 | ウェブログ
さざなみ


あるひ ほしがうまれたひ

ちきゅうのいぶき
ちきゅうのさいしょのひとこきゅう

みずのうえに
はもんがうまれ

ちいさなひびきは
ほしをおおった


きょうめいしている
しんどうしている

ちきゅうのさいしょのひとこきゅう

いまもたえず ひびいている


【詩】反発

2013-03-14 21:34:42 | ウェブログ
反発


全ては対立する宿命を帯びている。

わたしたちは、あらゆる矛盾をかかえ、
あらゆる二律背反を含んで存在している

わたしたちは、地球にすら反発し、
そして惹かれ、ここにとどまっている

(わたしたちが宇宙に反発するとき、わたしたちは一体どこにたどりつくのだろうか)

【詩】春一番

2013-03-14 21:33:58 | ウェブログ
春一番


春は嵐だ

灰色の空がまったく不敵で
わたしは走り出していた

吹き荒れる風のせいで
気持ちはしっちゃかめっちゃか

あちこちとんでいくのをおさえるのも
大変だからそのままどこへでもとんでいこう

春は嵐だ

空気はまったく狂っていて
わたしはその侵入を防げない

狂暴な春のにおいが脳を浸して
身体中におかしな芽が吹き出してばかり

勝手に生えるのを気にするのも
億劫だからそのまま宇宙で実をつけよう

春は嵐だ

おだやかなんてものじゃない

春は嵐だ

【詩】桜

2013-03-14 21:32:46 | ウェブログ


桜の木の枝は
まるで鉱物のように
美しくひかっている
(どんな善人も、意志のためなら殺してしまいそうなほど)

それなのに
そのつぼみのふくらみは
マシュマロのようにやわらかい
(どんな悪人も、分け隔てなくつつみこんでしまいそうなほど)

そんな桜の木のように
私はなりたいと思った春の日のあたたかな校庭で

【詩】おしりのふしぎ

2013-03-14 21:30:47 | ウェブログ
おしりのふしぎ
(副題:かをつければ疑問文になるか)


よがついたなら 可愛くなるよ
ぞがついたなら 偉そうだぞ
わがついたなら おとしやかだわ
ぜがついたなら キザになったぜ
ながついたなら 納得するな

かあをつけたら まぬけになるかあ
かなをつけたら どっちかな
かもをつけたら 不安になるかも
かいをつけたら おばさんかい
かねをつけたら 歳をとるかね


おしりに気持ちをこめこめる

今日はあなたに何て言おう


ねをつけて そっと話しかけるからね

【写】「日本語」 谷川俊太郎

2013-03-14 21:27:05 | ウェブログ
「日本語」 谷川俊太郎

 言葉に話を限ろうと思うが、私は言葉を扱う仕事をしている人間だから、言葉と生活とを分かち難い。話が少々だらしなくひろがってゆくかもしれない。旅から帰って来て、英語は相変わらずだが日本語は少し分るようになったと話したら、友人がうまい事を云った。断食したあとで食物の味が分るようなものだというのである。
 外国では日本語を読む機会が少なかった。特に読みつけていた新聞雑誌類を読まなかった。意識して読まなかったと言ってもよい。最初は読みたかったが、一度読んでみて読むのが嫌になったのである。もちろん例外はあるが、そういうものの日本語の文体は、先ず生理的に耐えられなかった。自分でも意外だった。下手な文章だというのではない。低劣な文章だとかんじたのである。それを低劣と感じなかった数ヶ月前の自分にびっくりしたのである。何も英語と比べたわけではない。その能力は私には無い。ただその文体を味わう力も無く、抽象的にしか読めなかった英語から、すみずみまで肌で感じ得る日本語に戻ったから、ショックは余計大きかったとは言えよう。
 ともかく私は先ず悪い日本語、みにくい日本語に気付き、それらを平気で書いている日本人、それらを平気で読んでいた私に思い至った。そういうものを書いて生活している他人にとやかく云う資格は自分には無い。だが俺自身はちっと身を離して考えたほうがよさそうだぞと思った。帰国以来私は新聞は見るが週刊誌はほとんど読まない。月刊誌もごく限られた文章だけ読む。テレビも同様、見たくないし、見る必要も余り無い。こういう態度に肯定的な面ばかりあるわけではなく、そこには危険だって堕落だってあるという事は承知しているつもりである。第一それらをすべて否定してしまったら、私には仕事の場がなくなる。どんな行為にだって矛盾は避け得べくないのだが、まあ今はそうしたいからそうしているだけの事で、同時に私はたとえば荷風や鴎外の文章の美しさに目が開き始めた。新しいところでは大岡昇平、森有正などの人たちの文章に感服する。そして若い頃西洋へ行った荷風、鴎外、それに金子光晴などが日本に感じているアンビバレンツと、それ故の日本を見る眼の正確さが分かってきたような気がする。ジェット機で何時間と言ったって、それは運搬の問題なのであって、旅の速度ではない、交流の速度でもないと私は思う。技術の交流は知らず、人間の心の交流の速度は今も昔もそう変わっているとは思えない。旅というものの速度もそうなので、時速千何百キロで運搬されながらも、人の心はちっとも動いてはゆかぬものである。
 ヨーロッパやアメリカに行かしてもらって、ヨーロッパやアメリカのことが分からず、日本の事が分かってくるというのは妙なようでいて、別に妙ではなく、むしろいまだにそうだというところに、私は自分の島国性をあらためて発見して驚いたのである。ただ私の場合は欧米に比べて日本がどうだというよりも、日本を離れて、遠くから見てみたらそう見えたという事が多いので、これをしも裏返しの文明開化とひがむ必要はないと思っている。
 僅か八ヵ月半の旅で(或は不在で)、生活が変わるというのも日本人らしくおっちょこちょいな話だが、私の中に変わりたいという要素は前々からあったので、旅はそのひとつの契機だったと思う。本当に変われるかどうかという事はもちろんこれからにかかっている。アメリカの新聞で、サブ・カルチュアという言葉を見た。どういう意味で使われているのかは知らない。だが私は勝手に解釈して、たとえば大学生たちの作りつつある文化、或はまたいわゆるビートといわれる一群の芸術家たちのつくりつつある文化を想定してみる。そういう文化が果して実際に存在し得ているかどうかは議論が別れようが、私の知った範囲でも、アメリカ合衆国の文化は、日本のマスコミ一辺倒のそれに比べてまだしも多様性があるように思える。
 マスコミに依存しなくても、そういうサブ・カルチュアの中でも経済的にも生活し得る条件がアメリカにはあるのではないか。フォークシンガーがキャンパスめぐりをしたり、詩人がフェローシップで生活出来たりする事を、そうすばらしい事とは思わないが、そこにはその人なりの生活を貫く自由が、ほんの少しだが残っているように見える。それの可能な理由はたとえばメキシコとの国境の小さな街エルパソの美術館にも、一枚のボチチェルリがあるようなアメリカの豊かさにも求められよう。けれど私としては金だけが理由とは考えたくない。私には分析出来ないが、アメリカ人の中には善いにつけ悪いにつけ、一種のひたむきなものがあり、それがあの国土の広大さと釣り合っている。
 変わる、変わりたいと私の言うその方角は、やはり一種のサブ・カルチュアに向かっていると思う。そういうものの育つ可能性は非常に少ないし、育ちかけてもすぐマスコミ文化の中に組みこまれて本来のエネルギーを失ってしまうのが日本だが、私にとっては先ず私一個の心が問題なのだから、もう大げさな物言いはやめる。

「旅 ―出会い―」より「日本語」 谷川俊太郎
収録:「散文」 1972年 晶文社刊

【写】「生」 谷川俊太郎

2013-03-14 21:26:32 | ウェブログ
「生」 谷川俊太郎

 生きるのと生活するのを分けることが出来たのが、私の青春でした。そういう観念を抱いたのが幸運だったのか不運だったのか。生活から離れた生なんてありえないと今の私は思いますが、詩に求められているのは、もしかするとそういう瞬間なのではないかとも思います。生活を成り立たせている、あるいは縛っているさまざまな事実だけが現実ではない、その底になまなましい生の現実が隠れている。生活の衣装をはぎとって、裸の生と向き合うのは恐ろしいけれど、甘美でもあります。ですがほんとうの生とは、そんな意識の介在を許さないものかもしれない。「生きていてよかった」というような、通俗的な感慨の表現がどこかうさんくさく、気恥ずかしいのは、生きることの手ごたえはそんなひとことで言えるほど、やわなものでもうすっぺらなものでもないということを、私たちがちゃんと知っているからではないでしょうか。ほんとの生はもっと無口で不気味だと私は思います。
 私の作に「生きる」というのがあって、これは予想外に多くの読者に恵まれているようです。ここでは私は生きることの手ごたえを現在の一瞬に求めようとしていて、過去と未来はほとんど無視されていると言ってもいい。つまり歴史から浮揚出来る一瞬とも言うべきときが人間にはあって、詩は基本的にそういう時間とも言えない瞬間に属している形式ではないか。それは日常の目から見れば非現実的な瞬間ですが、そういう瞬間に励まされながら、人間は長い一生を生きるものでもあると思います。「いま生きていること」という何の主張も含まない語句が、ある力をもった断言のように聞こえるのは、刻々と過ぎ去る「今」を意識することもまた、歴史のひとつの意識の仕方だからでしょうか。

「ことばめぐり」より「生」
掲載:「国文学」 1995年11月
収録:「ひとり暮らし」 2001年 草思社刊
(※文庫版「ひとり暮らし」 2010年 新潮社刊)

【写】「私」 谷川俊太郎

2013-03-14 21:25:21 | ウェブログ
「私」 谷川俊太郎

 四十余年前、主に「僕」という一人称を使って私は詩を書き始めました。ふだんも私は僕と言っていて、友人同士のあいだではときに俺になることもあったにしろ、それはごく自然な選択だったと思います。作品における一人称と現実の私とのあいだに、ほとんど距離はなかったと見ていいでしょう。第二詩集である「六十二のソネット」では一人称は「私」に統一されています。どうして「僕」を「私」に変えたのか、はっきりした記憶はありませんが、もしかすると一種の背伸びだったのかもしれない。本来はなかったであろう「僕」のニュアンス、いささか子どもっぽい、ときにはカマトトともとられかねない感じが一九五〇年代にはもうあって、それを避けたかったのでしょう。
 それ以後の作では「僕」「私」「俺」などが混在しています。作品の中に作者、すなわち私自身ではない主人公が登場し始めたということもありますが、その主人公が直接話法で語らない場合にも、詩を書いている私と、詩の中の私とのあいだに一篇一篇の作によって異なるにしろ微妙な距離がでてきたことがその理由でしょう。つまり詩を一種のフィクションとして書くことを、私は知らず知らずのうちに覚えたと言えます。しかしこのことはこういう単純な説明では解明できない、詩というものの本質にかかわっています。私はいまだに一貫した一人称を用いることが出来ず、一篇の作を書き始めるごとに、どんな一人称にしようか迷うことが多いのです。
 近作「世間知ラズ」と「モーツァルトを聴く人」では「ぼく」が使われていて、それは当時の私の気分による、意識的な選択でした。「私」に比べると「ぼく」は一種の傷つきやすさがあり、その頼りなさが私には必要だった。その「ぼく」は「二十億光年の孤独」の中の「僕」とは違うと私は考えています。
 一篇の詩とその作者である詩人との関係は、ふつう考えられているよりはるかに複雑微妙で流動的です。一篇の詩はたしかにその作者の現実生活なしでは生まれてこないものですが、その詩に述べられた考えや感情が、そのまま作者である詩人が現実に抱いたものであるかと言えば、そうは言えないことも多いのです。詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩において言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。作者である詩人は「形」の中にひそんでいる。何かを言いたいから書いたのだという視点からだけでは、詩の中の「私」はとらえられないと思いますし、詩に書かれている内容をもとにして、詩人の正邪を断罪するのも公平でないと思う。とは言うものの、詩が散文による書き物と違って、この世の道徳的判断からまったく免責されているというふうには私も考えていません。詩人はたぶん現実世界から見れば不道徳な存在とならざるをえない一面をもっていて、その自覚なしには彼ないし彼女はこの世に生きてはいけないのです。自らのいかがわしさを通して、詩人は世間にむすびつくと今の私は考えています。

「ことばめぐり」より「私」
掲載:「国文学」 1995年11月
収録:「ひとり暮らし」 2001年 草思社刊
(※文庫版「ひとり暮らし」 2010年 新潮社刊)