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何せ自由な帖なので

【写】「道」 谷川俊太郎

2013-02-25 18:58:37 | ウェブログ
「道」 谷川俊太郎

 荒野の中に一本の道がまっすぐに続いている。雲ひとつない青い空のどこかに、いつも一筋か二筋の飛行機雲がくっきりとどこまでも伸びている。そんな風景は日本では決して見られぬものであり、合衆国西部の道は長いが退屈ではなかった。<これより砂漠!ガソリンに注意、水を用意!>大げさな文句はガソリンスタンドの広告に過ぎず、現代の自動車にとってはスタインベックの「怒りの葡萄」の難行苦行は、遠い思い出になってしまった。が、車で移動している人間は今も多い。後ろの座席にロッドを通し(スーパーマーケットで売っている)、ぎっしり洋服をぶら下げた夫婦者、レンタカーと同じように乗り捨て自由な引越用のトレーラーをひっぱった家族連れ、兵隊の移動もあるが、ほどんどはよりよい仕事を求めて新しい土地へと動いて行くらしい。同じ州の番号札をみると、それが遠い州であればある程、なつかしそうに手をふったり、声をかけたりしてくる。実は日本から来たとは何となく言い出しにくかった。
 荒野の真中の、それも余り重要でない一本道のかたわらにぽつんと酒場が建っていたりする。閉めているのか開いているのかもさだかでないが、こういう道を走っていれば、のどばかりでなく心も渇くだろうという事は察せられた。ガソリンが足りなくなってはらはらしていると、これも思いがけぬスタンドがあったりする。ホーンを鳴らすと、遠くのトレーラーハウスから中年の女がでてきた。見かけぬ車だが何という型かというような事から会話が始まると、もうとめどがない。ここに来る前どこそこにいた、その前はどこそこにいた、キャリフォルニアには女にもいい仕事があるそうだ、だがどうして私たちはいつもいつもこう動き廻っているんだろう、みんなどうかしているんだ――愚痴には違いないが、烈しい口調でまくしたてた。
 そういう道に沿って、いたる所にインディアンのいわゆるリザベーションがある。アルコール類持込禁止の立て札を過ぎて、砂埃の道をブエブロ()に入ってみると、泥で造られた家々が砦のようにかたまっている。スクールバスも置いてあり、裸足の子等も遊んでいるが、そこではすべてが静止しているように見える。中央の広場の祭壇には、立入禁止の札が立っていて、信仰が今も生きている事を示している。アイヌの観光とは違う。彼等は本当にかたまってそこに暮らしているのである。彼等こそアメリカに本当の意味での土地をもっているのであろうか。

「旅 ―出会い―」より「道」 谷川俊太郎
収録:「散文」 1972年11月 晶文社刊