ゆめ設計詩

いろんな夢をもって、年を重ねています。
実現は難しいけど、夢に向かって進行中!

あれから・・・

2009-03-19 21:06:47 | 義母とのおつきあい日記
義母が施設に行って10日経ちました。
電話が何度か、かかってきました。
自由にかけてもらえるらしく、何かあるたびにかけてきます
とても、元気でだいぶ慣れたと、様子を話してくれます。
私の病気のことを心配してもくれます
普通に話ができるんですが、その電話をしたことをすぐに忘れてしまいます。
先日かかりつけの病院に連れて行きました
それも、夕方には忘れていました
今日が何月何日なんて、もう随分前からわかりません。
暑いか寒いかだけで判断しているので、今日のような暑さでは5月かなと
思います
自分が我が家に持ってきた物を覚えていて、持ってきてと言います。
そして、「私はここをやめて山鹿に帰ろうと思う。」と小声で言います

私の耳は相変わらず蝉が鳴いています。
聞こえも悪い状態です。
めまいもあります
先日はあまりにも脱力感がひどかったので、このまま良くならないのかもと、
とても不安になりました

でも、義母の居ない生活に戻り、だんだんに気分も良くなってきました
仕事にも何回か行きました。
子供たちに元気をもらってきました

少しずつ元気になれればいいなと思っています



義母は・・・

2009-03-13 23:33:33 | 義母とのおつきあい日記
体調を崩してしまいました
突発性難聴+メニエル氏病になってしまいました
主人が義母に伝えると「やっぱり?いかんだった。もう、帰るよ。」と
でも、山鹿の義母の家に一人で帰らせるわけにもいかないし
そんな時偶然見学した山鹿の小規模多機能施設がオーケーをしてくださり、
月曜日から金曜日までの入所が決まりました。
土日は山鹿の家に帰るというサイクル(主人か義兄が泊まる)で、
有料老人施設の空くのを待つことにしました。
毎日繰り返される義母の疑問符???説明して納得して寝て、また次の日同じ疑問符???
いつも、「なんで山鹿に一人で暮らせんと?」義母も苦しかったでしょうね。
何とかしてあげたいと思う気持ちと、もう何も言わないでの葛藤を繰り返していた私の体が悲鳴をあげてしまって、介護の幕引きはやっぱり私でした
一緒に見学した施設をとても気に入っていた義母でしたが、前日住み込みで働きに行くと勘違いしていました
「ずっとみてあげられなくてごめんね。」と言う私に「あんたたちには十分過ぎるくらいよくしてもらった。」と・・・

あれから4日、今朝義母から電話がありました
「体は大丈夫かい?私はだいぶん慣れたよ。」
「ありがとう、おかあさん。」