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祈りの力より E.M.バウンズ著 『神は自由に与えてくださる』 ローマ人への手紙8:32 11/27

2021-11-27 08:14:33 | 日記
2021年11月27日
祈りの力より
E.M.バウンズ著
《神は自由に与えてくださる》
ローマ人への手紙8:32
私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
ここに祈りと信仰のすばらしい土台があります。「すべてのもの」を賜るというこの約束は、神が御自身と独り子をわたしたちの願いのために与えてくださったことによって保証されます。
それゆえ、神に近づいて、大胆に、確信をもって願いをささげようではありませんか。
神がわたしたちの必要とするものを与えてくださることを信じれば信じるほど、神は豊かに恵みを与えてくださり、わたしたちは神の栄光を見ることになります。祈るとき、神がすべてのものを自由にお与えになれることを信じようではありませんか。
父である神よ。あなたはすべてのよいものを自由にわたしにお与えになることができます。あなたの憐れみと恵みに感謝します。アーメン。


祈りの力より E.M.バウンズ著 『神の家』 ヘブル人への手紙10:25 11/26分

2021-11-27 08:00:19 | 日記
2021年11月26日分
祈りの力より
E.M.バウンズ著
《神の家》
ヘブル人への手紙10:25
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。
祈りがなければ、教会は精神のない体のようなものになります。それは死んだ体です。祈りのある教会は、神がそこにおられる教会です。祈りをないがしろにすれば、神をないがしろにすることになります。祈りを日々行わないなら、神御自身も他人のようになります。
神の家は祈りの家です。だから、神の望みは、人々が自分の家を出て、神の家で御自身と出会うことです。
神はそこで御自分の民と会うことを約束されました。だから、神の民の務めは教会に行くことです。祈りこそが、教会に行く霊的な人を引き寄せる主な理由でなければなりません。
主である神よ。あなたに祈ります。あなたの教会が集会をやめることがありませんように。集まってあなたを礼拝しますように。アーメン。


心からの祈りより カレンムーア著 『主の答えを待つ』 詩篇19:15 11/27

2021-11-27 07:47:08 | 日記
2021年11月27日
心からの祈りより
カレンムーア著
《主の答えを待つ》
詩篇19:14
私の口のことばと 私の心の思いとが 御前に受け入れられますように 主よ わが岩 わが贖い主よ。
父よ、あなたは、人間の理解を超えた全地全能の神です。そして、わたしたちの祈りを喜んで聞いてくださる方です。
わたしたちの祈りは往々にして愚かで分別のないものです。それでも、誠実な心で祈るとき、あなたは聞いてくださり、助けてくださいます。
わたしたちは、悲しみ、心打ちひしがれ、ひたすらに答えを求めてひれ伏します。そのようなときには、どうか御声を聞かせてください。わたしたちが希望のうちにあなたの答えを待ち続けることができますように、アーメン。
ローマ人への手紙12:12
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。


心からの祈りより カレンムーア著 『善い行いを』 ヘブル人への手紙13:16 11/26分

2021-11-27 07:34:44 | 日記
2021年11月26日分
心からの祈りより
カレンムーア著
《善い行いを》
ヘブル人への手紙13:16
善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。
父よ、わたしの想像をはるかに超えたあなたの御業には、希望と力があります。あなたは、わたしたち一人一人にあなたの霊を与え、ご計画に従って、それぞれに知恵と力を与えてくださいます。
わたしたちは御手の業に気付くのに遅い者です。「もっと深くあなたを知り、あなたに近づきたい」と心から願う者としてください。
日々の歩みの中で、あなたの恵みと憐れみを表すことができるよう、わたしたちを助けてください。アーメン。
詩篇145:4
代は代へと あなたのみわざをほめ歌い あなたの大能のわざを告げ知らせます。


クリスチャンって最高だ!より 滝元順さん著 『ヨブという男の人生から学ぶ』 その1

2021-11-25 09:17:23 | 日記
クリスチャンって最高だ!より
滝元順さん著
《ヨブという男の人生から学ぶ》 その1
さて、聖書には、多くの人物が登場しますが、その中でも、身の毛がよだつほどの試練を体験した男がいます。その男の名を「ヨブ」といいます。もしも彼が現代に生きていて、直接彼から試練の体験談を聞くことができるなら、ほとんどの人が「自分はまだましだ!」と感じることでしょう。では、この男の人生をのぞいてみましょう。
試練に会う前のヨブは、その地方で最も富んだ成功者でした。聖書は次のように記録しています。
・ヨブ記1:2-3
彼に七人の息子と三人の娘が生まれた。
彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを所有していた。この人は東の人々の中で一番の有力者であった。
しかし、ある日、彼は持っていた財産のすべてと、七人の息子、三人の娘を一日のうちに失ったのです。なんという悲劇でしょうか。
人生で最も悲しい出来事は、「我が子を失う」ことであるといわれます。
私の両親は八人の子どもをもうけましたが、そのうちの一人を急病で失いました。そのとき私は小学生でしたが、学校から帰ると、生まれて三カ月の幼い妹が冷たくなっていました。妹の亡くなる前の晩、私は子守をして妹と一緒に遊んでいたのを記憶しています。まさか翌日その妹が死ぬなんて、考えもしませんでした。しかし伝染病で、あっと言う間に死んでしまったのです。昨晩までは、呼びかけると、けらけらと声を出して笑うかわいい妹でした。しかし、もういくら呼びかけても返事をしない妹を目の前にして、呆然としたことを今でも良く覚えています。それはどこにも持っていくことのできない、今までに経験したことのない種類の大きな悲しみでした。私も悲しかったですが、それよりも両親の悲しんでいる姿は、今でも忘れることができません。八人中一人を失ってもあれだけ悲しかったとすれば、十人の子どもを一瞬にして失ったヨブの心境はいかばかりであったのか、推し量ることはできません。
(続く)