思い出
作詞 古関吉雄
作曲 ベイリー
1、かきに 赤い花さく
いつかの あの家
夢にかえる るその庭
はるかな むかし
鳥の歌 木々めぐり
そよかぜに 花ゆらぐ
なつかしい思い出よ
はるかな むかし
2、白い雲 浮かんでた
いつかの あの丘
かけおりた 草の道
はるかな むかし
あの日のうた 歌えば
思い出す 青い空
なつかしい 思い出よ
はるかな むかし
2番もあった とだけしか思い出せないのは
「私だけではない」と自信を持って言える歌である
私が習ったころは「秋の歌」だった
「かき」が「垣根」だ、と先生も知らなかった
「柿の実を花と読んだすばらしい感性」と教わった
「かき」が「柿」でなく「垣」だと知らされて
ショックを受けた、とブログに書いている人も多い
私は?ショック だったろうか
かき=柿 と教えた先生は 大嫌いな先生
間違っていることを平気で教える
成績朗詠・生徒いじめを楽しみとし
とてもやさしい顔をしている
先生が間違ってたって
「これもか」以上なんとも思わない
かき=柿は 世の中一般の間違いだと知って
時代的にまともだったことのほうが不思議なくらいだ
さて、うたに戻ると
柿に赤い花 は目で確認できる
収穫しきれない柿は真っ赤に木を染める
垣根に赤い花を探してたくさんのブログにお邪魔したけど
赤い花の正体はわからないままだ
垣根にバラ、ツルバラだろうか? を咲かせている写真もあった
見事に「垣に赤い花が咲き」そのもの
だけど、昭和22年に発表された詩で 「はるかな昔」は
昭和初期以前であろうから 見事なバラではない気がする
☆の子供時代 ご近所では垣根と一緒に「ぐみ」を植えていた家も多い
歩きながらむしって食べるのが当たり前だった これは小鳥も喜ぶ
長野に来る前の家は数件続けて椿の垣根でそれはそれは見事だった
けど、季節があわない →「鳥の歌木々めぐり」
作詞者は何を思い出したのだろう
そう考えると かき=柿でかまわない気がしてきた
ここ長野県南部は渋柿の産地
とりきれない柿や
果樹園内で消毒がかかった柿は干し柿にはしないので
そっちこっち真っ赤な柿が鳥を呼んでいる
この地域の人は子供のころからこの様子を見ているわけだから
かき=柿のほうがしっくりくるのではないだろうか
私は 本来の解釈は大切だと思うけれど
それは「解説」「理論」など 「その曲を知る分野」で
指導者の知識でいいとしている
歌う本人が「その人の思い」をこめて歌うのが
歌に心がこもる気がする
「思い出」のように共通の「思い出」を引き出せる詩でなくても
それぞれの人生を思い出して
具体的でない「思い」が共鳴すればステキな合唱になると思う
注)私は「素人合唱」以上は考えてないしそれ以上の器じゃない
初夏には 垣根にグミが実るからお散歩しよう
秋には 渋柿が真っ赤になって美味しそう~甘いけどぐちゃぐちゃで☆は嫌い
冬には 垣を椿が染める 髪にも洋服にも飾ってお姫様気分
作詞 古関吉雄
作曲 ベイリー
1、かきに 赤い花さく
いつかの あの家
夢にかえる るその庭
はるかな むかし
鳥の歌 木々めぐり
そよかぜに 花ゆらぐ
なつかしい思い出よ
はるかな むかし
2、白い雲 浮かんでた
いつかの あの丘
かけおりた 草の道
はるかな むかし
あの日のうた 歌えば
思い出す 青い空
なつかしい 思い出よ
はるかな むかし
2番もあった とだけしか思い出せないのは
「私だけではない」と自信を持って言える歌である
私が習ったころは「秋の歌」だった
「かき」が「垣根」だ、と先生も知らなかった
「柿の実を花と読んだすばらしい感性」と教わった
「かき」が「柿」でなく「垣」だと知らされて
ショックを受けた、とブログに書いている人も多い
私は?ショック だったろうか
かき=柿 と教えた先生は 大嫌いな先生
間違っていることを平気で教える
成績朗詠・生徒いじめを楽しみとし
とてもやさしい顔をしている
先生が間違ってたって
「これもか」以上なんとも思わない
かき=柿は 世の中一般の間違いだと知って
時代的にまともだったことのほうが不思議なくらいだ
さて、うたに戻ると
柿に赤い花 は目で確認できる
収穫しきれない柿は真っ赤に木を染める
垣根に赤い花を探してたくさんのブログにお邪魔したけど
赤い花の正体はわからないままだ
垣根にバラ、ツルバラだろうか? を咲かせている写真もあった
見事に「垣に赤い花が咲き」そのもの
だけど、昭和22年に発表された詩で 「はるかな昔」は
昭和初期以前であろうから 見事なバラではない気がする
☆の子供時代 ご近所では垣根と一緒に「ぐみ」を植えていた家も多い
歩きながらむしって食べるのが当たり前だった これは小鳥も喜ぶ
長野に来る前の家は数件続けて椿の垣根でそれはそれは見事だった
けど、季節があわない →「鳥の歌木々めぐり」
作詞者は何を思い出したのだろう
そう考えると かき=柿でかまわない気がしてきた
ここ長野県南部は渋柿の産地
とりきれない柿や
果樹園内で消毒がかかった柿は干し柿にはしないので
そっちこっち真っ赤な柿が鳥を呼んでいる
この地域の人は子供のころからこの様子を見ているわけだから
かき=柿のほうがしっくりくるのではないだろうか
私は 本来の解釈は大切だと思うけれど
それは「解説」「理論」など 「その曲を知る分野」で
指導者の知識でいいとしている
歌う本人が「その人の思い」をこめて歌うのが
歌に心がこもる気がする
「思い出」のように共通の「思い出」を引き出せる詩でなくても
それぞれの人生を思い出して
具体的でない「思い」が共鳴すればステキな合唱になると思う
注)私は「素人合唱」以上は考えてないしそれ以上の器じゃない
初夏には 垣根にグミが実るからお散歩しよう
秋には 渋柿が真っ赤になって美味しそう~甘いけどぐちゃぐちゃで☆は嫌い
冬には 垣を椿が染める 髪にも洋服にも飾ってお姫様気分
かきに赤いつるバラ、・・・
白い雲を眺めたおかべよ、堤よ、・・・
鳥の歌も聞こえて、・・・
コメントありがとうございます
おかげさまで今年はいい年になりそう
1月7日の記事にお返事を書きました。
http://blog.goo.ne.jp/yumewo_nosete/c/2ec87f26a69f7676c8dcf23cd7e3d069
あるいはトップページ
お探しの歌詞はまだ見つかりませんが
私が歌った、と思われる歌詞が出てきました。
私は昭和26年生まれですが、ブログに乗せた歌詞は新しい歌集にも載っているので改訂版と思われます。詳しく調べると順番はわかると思いますが、未研究?です。
一昨年友人に「シニア大学」で歌るいい曲ない?と聞かれこの曲を推薦しました。やはり皆さん思い出にある曲で昨年も歌ったそうです。
もみじ・朧月夜・思い出 いつでも合唱になる名編曲だと思います。
私の記憶でも、小学校の教科書には、
かきに 赤いつるばら
やさしく 咲いてた
となっていたように思います。
他の部分の歌詞は古関吉雄の訳詞に似ていた気はしますが、定かではありません。
出だしの歌詞で検索してもまるで見つからず、たまたまこのブログへ到達した次第です。
教科書だから盗作や改作は載せないはずですが、誤りだったのか、その後の改訳が定着したものか謎は解けません。
紅葉を垣に使っていた田舎の家とも取れますし、家路に咲いていた畔の花とも取れます。先生はかきの赤い花を熟した柿の実と解釈した様ですが垣から覗く柿の実とみる事も出来ますし、その辺りは好きに解釈して良いと思います。作詞家が洒落を利かせれば垣から覗く柿の実になるのではないでしょうか。
ありがとうございます♪
この歌は誰もが二重唱で歌える貴重な歌ですね。
コメントをいただいて つるバラが古くからあったことに驚いたりしています。
そういえば昭和55年頃、我が家にもつるバラはありました。薄いピンクでこの歌とは結びつかなかった上に、大人になって「つるバラはピンクだけでない」と気がついたような気がします。
無知ぶりをさらすブログもとても自分にとって広い世界の扉を開く大切な場所だと教えていただいております。
この辺(長野県南部)ではドウダンツツジを垣根にしている家も多くあります。コーラスグループで「思い出」を歌い、思い浮かべる「赤い花」談義もいいですね、
歌の解釈は楽しくて勉強しがいがあり、深めて行きたいと思います
ありがとうございました。
便利な世の中になったものです。インターネットで
探していると、かなり近い歌詞が「ここ」にありました。60数年前の記憶でおぼろですが、こんな歌詞
だったとおもいますが、少し、「すっ」としました。
どうも、ありがとうございました。
70過ぎのオジンより
コメントありがとうございます
このうたは細かく違いがあるようですが私の記憶に沿った歌詞であげています。
ただいま手持ち楽譜のデータベースを作っていますが、?万曲に及ぶため公開まで生きていられるかが課題です。がんばります、現在67才、マインクラフト日々でデータベース遅れがちな☆より。