最近「盲導犬」の話題で賑わっているようだ
盲導犬は「虐待されている」とか
うんざりしてくる
そもそも「犬」とはどう生きるのが虐待でないのだろう
盲導犬が虐待されているとしたら
警察犬は?
人名救助犬は?
闘犬は?
犬ぞりは?
犬は犬の特徴を生かし仕事を与えられる
きちっとした仕事をするために適正試験を受ける
合格すると
人との信頼関係を「硬い絆」で結べるように
きちっとした訓練を受けて職につく
仕事に励んだ結果
人が「君に任せた」と命をも預けるわけだ
上司と部下の理想的な結びつきだ
盲導犬の飼い主も訓練を受ける
犬との相性は特に重要で後々交換することもある
盲導犬をはじめとする仕事犬はエリートたちだ
彼らも訓練をしなければタダのペットで
犬の場合訓練の時期を逃すと仕事には就けない
人間だって厳しい訓練を受けて
人の命を預かる仕事に就けるのではありませんか
人も犬も関係なく視点を変えて見てはどうだろうか
「その道のプロ」は
仕事に人生を捧げてもいいではないか
盲導犬の制度そのものが悪い、と言う人もいるらしい
主張することで自分を保つ時代だから
何を言ってもいいのだろうけど
「何でも反対」派の政治家と一緒で
自己主張の間違ったあり方のように思う
その人は刺された盲導犬オスカーの飼い主を
盲導犬が刺されるのを止めもせずにいた
人でなしの「めくら」とでもいいたそうにおもえる
自分の相棒が指されたのに
すぐに気がつくことができなかった
相手の顔も覚えることの出来ない
そんな飼い主の 悔しさ 切なさ 悲しさ
やりきれない気持ちをさっし いたわる心も持たない
大バカ野郎と 私は思っている
人には人としての役割がある
犬にも 猫にも 人に飼われている以上
人の社会の中での役割があると思う
犬も人もエリートと選ばれて
その道をすすんだら 人生を その道一筋
それで何で悪い
いい人生じゃないか
・・・・・・・・・
盲導犬にもいろいろいる
盲導犬=つくづくおとなしい わけではない
盲人が複数人いる職場で盲導犬も何頭かいたら
それぞれの個性の違いがよくわかる
盲導犬を希望する盲人は適当に割り振られるのではない
24時間共に暮らせる「お互いに相性」が良くないといけない
関わるすべての人と犬が
「幸せ」と「絆」のために努力する
娘の盲学校で運動会に「全盲教員の短距離走」があった
コース作りが必要だから二人ずつ走る
盲導犬はスタート地点に置いてけぼりだ
普通は相棒の帰りを待つて主人が走るのを見ているものだ
ところがその日のわんちゃんは相棒を追いかけて走り出した
一生懸命ゴールを目指す相棒の脇を一緒に楽しそうに走る
観客は大喜びだった
・・・私は見えないのが悔しかった・・・
アナウンスも急遽3人?を応援した
盲導犬にも個性も意志もある
なにより盲人も盲導犬も当たり前の世界では
人より犬の方がずっとスターである
茨城にいた頃の知り合いが
盲導犬になる訓練を受ける子犬の世話をしていた
おるとき預かった犬は
めちゃめちゃカワイイやんちゃだったために試験に落ちた
そこで迷わず引き取り家族にしてしまい、仕事も終わった
そのわんちゃんは素質検査の訓練だけで
以前と変わらずやんちゃなのに 立ち上がるとさっと
決められた位置に飛んでくるなど
「?人?が変わった」みたいにい生活態度が変わったという
プロの訓練ってすごい・犬もすごい と感動していた
また現在の友人が盲導犬のリタイヤ犬を世話していた
リタイヤ犬だからといってよぼよぼではない
当然飼ってからの寿命は10年とは行かないが
人間が大好きで愛情たっぷりに生活してきた
大型でおとなしいわんちゃん
身体の事情で犬に引っ張られて走ることの出来ない彼女は
ずっとリタイヤ犬と暮らしてきたという
丈夫な身体と仕事を持ち
退職後はのんびり引退生活
どこが虐待
盲導犬 警察犬 救助犬など
彼らは)輝いていると思う
盲導犬は「虐待されている」とか
うんざりしてくる
そもそも「犬」とはどう生きるのが虐待でないのだろう
盲導犬が虐待されているとしたら
警察犬は?
人名救助犬は?
闘犬は?
犬ぞりは?
犬は犬の特徴を生かし仕事を与えられる
きちっとした仕事をするために適正試験を受ける
合格すると
人との信頼関係を「硬い絆」で結べるように
きちっとした訓練を受けて職につく
仕事に励んだ結果
人が「君に任せた」と命をも預けるわけだ
上司と部下の理想的な結びつきだ
盲導犬の飼い主も訓練を受ける
犬との相性は特に重要で後々交換することもある
盲導犬をはじめとする仕事犬はエリートたちだ
彼らも訓練をしなければタダのペットで
犬の場合訓練の時期を逃すと仕事には就けない
人間だって厳しい訓練を受けて
人の命を預かる仕事に就けるのではありませんか
人も犬も関係なく視点を変えて見てはどうだろうか
「その道のプロ」は
仕事に人生を捧げてもいいではないか
盲導犬の制度そのものが悪い、と言う人もいるらしい
主張することで自分を保つ時代だから
何を言ってもいいのだろうけど
「何でも反対」派の政治家と一緒で
自己主張の間違ったあり方のように思う
その人は刺された盲導犬オスカーの飼い主を
盲導犬が刺されるのを止めもせずにいた
人でなしの「めくら」とでもいいたそうにおもえる
自分の相棒が指されたのに
すぐに気がつくことができなかった
相手の顔も覚えることの出来ない
そんな飼い主の 悔しさ 切なさ 悲しさ
やりきれない気持ちをさっし いたわる心も持たない
大バカ野郎と 私は思っている
人には人としての役割がある
犬にも 猫にも 人に飼われている以上
人の社会の中での役割があると思う
犬も人もエリートと選ばれて
その道をすすんだら 人生を その道一筋
それで何で悪い
いい人生じゃないか
・・・・・・・・・
盲導犬にもいろいろいる
盲導犬=つくづくおとなしい わけではない
盲人が複数人いる職場で盲導犬も何頭かいたら
それぞれの個性の違いがよくわかる
盲導犬を希望する盲人は適当に割り振られるのではない
24時間共に暮らせる「お互いに相性」が良くないといけない
関わるすべての人と犬が
「幸せ」と「絆」のために努力する
娘の盲学校で運動会に「全盲教員の短距離走」があった
コース作りが必要だから二人ずつ走る
盲導犬はスタート地点に置いてけぼりだ
普通は相棒の帰りを待つて主人が走るのを見ているものだ
ところがその日のわんちゃんは相棒を追いかけて走り出した
一生懸命ゴールを目指す相棒の脇を一緒に楽しそうに走る
観客は大喜びだった
・・・私は見えないのが悔しかった・・・
アナウンスも急遽3人?を応援した
盲導犬にも個性も意志もある
なにより盲人も盲導犬も当たり前の世界では
人より犬の方がずっとスターである
茨城にいた頃の知り合いが
盲導犬になる訓練を受ける子犬の世話をしていた
おるとき預かった犬は
めちゃめちゃカワイイやんちゃだったために試験に落ちた
そこで迷わず引き取り家族にしてしまい、仕事も終わった
そのわんちゃんは素質検査の訓練だけで
以前と変わらずやんちゃなのに 立ち上がるとさっと
決められた位置に飛んでくるなど
「?人?が変わった」みたいにい生活態度が変わったという
プロの訓練ってすごい・犬もすごい と感動していた
また現在の友人が盲導犬のリタイヤ犬を世話していた
リタイヤ犬だからといってよぼよぼではない
当然飼ってからの寿命は10年とは行かないが
人間が大好きで愛情たっぷりに生活してきた
大型でおとなしいわんちゃん
身体の事情で犬に引っ張られて走ることの出来ない彼女は
ずっとリタイヤ犬と暮らしてきたという
丈夫な身体と仕事を持ち
退職後はのんびり引退生活
どこが虐待
盲導犬 警察犬 救助犬など
彼らは)輝いていると思う