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星の歌に夢をのせて

☆(ほし)の目で見た、☆の耳で聞いた、☆の心が感じた、☆の実話物語 

命の支え

2014年08月09日 10時47分01秒 | 命 生きる 
こんな命 どうでもいい
死んだってかまわない
そう思うことを、私は否定しない
   自分がそうだから
だけど 自ら死ぬわけにはいかない
私を育てた、私のために 周りの目と戦ってくれた人への
「感謝」とは違う「責任」のようなもののために。

以下 命への思いに通ずるものがあります
   ただ、とても残念に思うのです
   今の若い方々は これを読んでどんなに感動しても
   豊かに、平和に育っていて
   過酷な世界を アニメの様にしか感じない・・
   ・・・痛みの感じ方が 我が身じゃない、と言うのかな?
   そういう人があまりに多い気がする
   
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<長崎原爆の日>翌日生まれた子…原子野を歩き守り抜いた母
毎日新聞 8月9日(土)7時45分配信


長崎原爆の翌日、
なお多くの人が倒れた原子野に一人の男の子が産声を上げた。
福岡市早良区の日隈真寿男(ひぐま・ますお)さん(68)。
防空壕(ごう)の中で生まれ、消えそうな命を母が守り通した。
体をむしばむがんと闘いながら迎えた69年目の夏、
日隈さんは「感謝してもしきれない」
と亡き母への思いを改めてかみしめている。【平川哲也】


 両手のひらに収まる赤ん坊だったという。
1945年8月9日、爆心地から約4.5キロ離れた長崎市西泊町。
自宅で閃光(せんこう)を浴びた母シヅさん(81年に70歳で死去)は、
逃れた防空壕で産気づいた。
暗い壕内で陣痛に苦しむ母に3~10歳の子どもたち5人が
ぴったり体を寄せ合い、夜明けを待った。
そして翌朝、小さな命は誕生した。

 建設技師だった父松男さん(故人)は出征しており、
産後4日目で母は郷里の大分県を目指した。新しい命を懐に入れ、
幼子の手を引いて鉄道駅までの十数キロを歩いた。
焦土に水を求めるうめき声を聞き、
汽車では別の母親が息のない赤ん坊を背負うのを見た。
奇異の目にさらされたその母親は「死んでいて何が悪いの」と叫んだ。

 そんな母の体験を、
日隈さんは家族で長崎に戻った戦後、10歳で聞いた。
きっかけは友人宅から持ち帰った写真だった。
母は強い調子で言った。「返しておいで」。
被爆死した遺体の写真だった。

 母は初めて伝えた。
防空壕での出産、耳に残ったうめき声、
わが子を失った母親の悲痛な叫び--。
「多くの赤ちゃんが死んだのに僕は死ななかった」。
日隈さんは、8月10日に生まれた命の重さを知った。
同時に、乳飲み子を含む6人の子と原子野を歩いた母の強さを思った。

 しかし、16歳で福岡県に移り住むと、
日隈さんが被爆者であることを意識する機会はなかった。
大学を卒業後、流通会社や製造メーカーに勤め、喫茶店も営んだ。
被爆者手帳は取得せず、同僚らに体験を語ることもなかった。
都さん(66)という伴侶を得て、2人の息子にも恵まれた。

 だが母の死後、原爆が「追いかけてきた」。
会社の人員整理で職を失った翌年、60歳で前立腺がんが見つかり、
医療費が減免される被爆者手帳を求めた。
当初は原爆投下時に長崎にいたことを証明できなかったが、
母が生前受けていた被爆者を対象とした健康診断の
記録が決め手となって交付された。
「また母に救われた」。
戦後60年の節目でもあり、
福岡市の被爆者団体が募った証言集に母への思いを寄せた。

 それから9年がたった今夏、
次世代に体験を伝えようと再び手記を書き始めた。
この間にはがんを再発し、心臓病も患った。
そしてこの夏、政府は集団的自衛権の行使容認にかじを切った。
「何キロも歩く反戦デモには参加できない。
書くことは、私に残された唯一の反戦運動なのです」。
それが亡くなった乳飲み子たちへの、
そして母への手向けになると考えている。

私は こういう話を 我事のように受け取る
そういう風にしかできない
この記事は 痛い
でも ご近所で聞く噂話では
90才を過ぎた人たちが受け取っている遺族年金
「なんとしても生きていてもらわなきゃ困る」と
笑顔で話す子や孫たち
痛くもない昔の戦争が若者の小遣いなのだそうだ  

これは 悲しい


日常に生きているって実感ありますか

2014年02月24日 11時00分24秒 | 命 生きる 
先日の大雪、苦労された方も多いのではないでしょうか
お見舞い申し上げます

・・・もう遅い気もします
我が家の庭は昨日一気に土が見えてきました。

盛岡の母(86歳)と長野の☆
母;そっちは雪どうだったの
☆;降った降った50センチ降った
母;最近の人は文句ばっかりいう
  雪が降ったら道がふさがるのは当たり前なのに
  何もしないで家から出られない、なんて言って・・
  私は道路に出る道だけは幅20センチくらい
  何度かかいといたからすぐ出られた
☆;今回はすごい勢いで積もっていくから
  私も夜中に2度出て簡単に雪かきしたよ
母;ハハハ やっぱりね、ここで育ったから
  様子を見てればどうなるかわかるでしょうに
☆;今は文句の時代だから 体じゃなくて口が動くんでしょ
   (☆もだんだん染まってきた)《反省》
母;向かいのちっちゃな軽食堂]●●さんは
  自分のところの駐車場の雪をうちの塀に背丈以上積み上げた
  前は向かいの敷地に投げ入れていたけど
  入れられないようにすっかり塀を直したら
  次は隣の塀に積み上げて 
  隣が詰めないように作り替えたから
  今度はうちの塀に積む
  うちも夏のうちに塀を直さなくちゃならなくなった
  まだ10年くらいは生きていそうだから
     (笑う)
  全く周りの塀は●●の雪のために予算を食う
☆;以前から非常識だったね
  お客さんの車をうちの駐車場に無断で誘導してたり
母;ほんとに根性悪い 

実家の玄関から道路までは結構ある
横向きに踏み固めたのではなくかいたというのだから
雪かきを使ったのだろう
数年前圧迫骨折した86才(今年87才)・・元気バンザイ  

一晩で山ほど降りそうなほどの勢いの時は
    マメに道の確保をする
    子供の頃は雪だるまにして道を作った
    時間がないときは横向きに踏み固める
    なぜ、今の子はしないのか不思議でならない
    最初から楽に歩けるほど広く雪かきをするのを見ると
    なんとも言葉fがない 何となくあきれる
屋根の雪が暖房で溶けて夜のうちに凍ったら
    天井裏が池にならないようにノミと金槌で氷をとる
    屋根の雪を下ろすより優先
雨樋につららが出来たら
    おもしろがらずに割らないと中の鎖が切れる
    (それも見事におもしろい 一度は見る価値あり)

テレビを見て雪国の軒下には雪がない
屋根が飛び出しているからだけではない
入り込んだ雪をまめに除去しているからで
その努力・労力に懐かしさを覚える

☆は盛岡で雪国ではないから 努力も労力もずっと軽かった
それでも 朝道路までの雪かき、
先に起きて前日のコークスを外に捨て 火を入れる
ガスの元栓をぐるっと家を回って開ける
水道にお湯をかけて水を出す
毎日の日課だった

今ではスイッチポンさえ必要のないタイマーの存在
掃除の必要がほとんどないストーブ
ガスボンベ本体の元栓はいじる必要がない
などなど 便利になったもんだ

そして 苦労を懐かしく思う自分に目を向けると
苦労を知らずのんきに文句を言う世代を
何ともいえない気持ちで見つめる「年寄り」がいる

ふとおもう
今の若者が日々当たり前に努力していることって 何だろう
朝は ぬくぬくで起きると準備もせずにレンジでチン
トイレの掃除はブルーレットにお任せ
冷暖房はリモコンで
テレビも動かずスイッチオン
車の鍵も回さない
定期はカバンの底に入れてかざすだけ
寝転んでても生きていけるような 
恐ろしい時代に見えてくる

これじゃ好きなときに気軽に死ねるよ
「生きてる」って実感が薄い気がするから

  

同格・福沢諭吉~SMAP・ニワトリ

2013年12月06日 12時30分24秒 | 命 生きる 
同格 同価値 同等
同じ人間 同じ生き物
同じ というのが沢山ある
皆が同じわけでないと気がついたのは何時のころだろうか
幼いころは姉と自分の立場・能力・好み・
何でも同じで違うのは年だけ が当たり前だった
当たり前=考える事はもちろん全身のどこにも疑う余地もない
そのうちに「してやられる」立場だと気がついてくる
 ニワトリ
一度気がつくと「同じ」でないことが当たり前になる
福沢諭吉からSMAPへ・・ 
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」       
「一つとして同じものはないからNo.1にならなくてもいい
 もともと特別な Only one」
   (特別とは何だろう 突っ込むなかれ))

さらに何かが成長すると 
同じではない ばかりか 格差 があることに気がつく
この格差が曲者だ
福沢諭吉が「正しい」と思い込もうとする
が 現実は冷たく 年齢を重ねると比例するように
「格差」と「我慢」の度合いが上がっていく
普通高校に「視力不足」で入学を断られてから
同じではいられない立場を知った
  完璧に違う人種であることを知らされた
現在の教育と違い (今は保護教育)
私が入学した山形盲学校は
「生き抜くすべ」を学ぶところだった
おそらく全国どこの盲学校でも同じだっただろう
鍼灸が視力のある人間たちに脅かされて
盲人の主職業が成り立たなくなる近未来のために
盲学校は「盲人未来の柱」でなくてはならなかった
社会的弱者 なんて都合のいい言葉はない
弱者なら、なおの事 全力で「道」を探す
弱者だから「男の人に可愛がってもらって・・・」
なんてことを平気で言われることに耐え
そうではない人生を得るために学ぶほうも必死だった

思い出せば 家族は社会だ
家の仕事という名目で弱者をおとりにし 
難なくタマゴを手に入れるのが「賢い」
鶏は無知だから鳴きながら逃げ回るほうを追う
どこが「同じ」だ!!
☆が大きくなったってやり返す「長崎」がなければ
生涯「やられっぱなし」の人生になる
5才年下の弟をエサにすると叱られる
オトクな人間と損する人間がいるじゃないか

今でも☆は姉には勝てないし 弟にはもっと勝てない
 ・・・収入&生活水準・学歴・地位&名誉・・・
生涯落ちこぼれ人生だ 
「絶対兄弟に迷惑かけるな」と母に釘を刺されている
    
「そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one

エンデのモモみたいな歌だなぁ
しがみつく人の気が知れない
と 思ったりもする 
  別に この歌が悪いとは思わないし  
  伴奏するために懲りまくって歌いこんだ
  迷子になる曲で記憶するには不向き

自分だけが 「我・オンリーワン」って ね
世のなかで(この家で)人とともに生きるのなら
№1である必要はない
№2でも世のなかを牛耳るひとはいくらでもいる
№その他大勢でも 
 生きようとする姿からは輝きは失われない
自分に何が向いているか じゃなくて
自分は どうやったら生きていけるかを
    せめて100%言いなりじゃない生き方を
    今の生活の中で探せる出口を
  求めていれば希望は輝きを持ち続けられる
  いつか輝きを放つ日だって来るかもしれない
  「今に見ていろぼくだって・・」人生だ
それだっていいじゃないか
まっ
ニワトリから状況はちっとも変わっていない気がする
哀れな☆ だけど

お坊ちゃまの夢
  おままごとのお母さんを手に入れて廃墟で暮らす
立派に叶って輝いている一等星

世のなか 同じなんてこと絶対ない!



バーチャルの自分 むなしいよ

2013年10月23日 12時56分38秒 | 命 生きる 
ネット依存症の番組を見た(聞いた)

いじめられたりして孤立した人がハマり安い
 ☆;うん、その通りだとおもう

普通は社会から孤立だけれども
本来相談する相手がいじめの張本人だったりすると
部屋にこもるか出て行くしかない
外に出るにはお金がかかるし
ただ歩くのは面倒くさいし 
自分で「逃げ」と認めるのもいやだ
おまけに「どこに行っていた・なにをしていた」と
帰ってからうるさい 

部屋にこもると・・・ヒマ~~~だ
ファンタジーなど冒険活字にのめりこんでも
お話は終わってしまう
何冊読んでも 冒険物は解決して終わる
監視する者は 「なにを読んでいるか」覗き見る
我慢して知らん顔していても
そのうちに図書館の本もめぼしいものは読み終わる
ジグソーパズルをしてみる
部屋をのぞく者が進行振りを把握し満足する
時には苦労して仕分けたピースをはめて
「オレは天才だ、一瞬でわかった」と喜ぶ
部屋でも監視されていることが証明されて
人の苦労の上前をはねられて最悪

オンラインのゲームは実に良くできている
種類も多い
とっさにパッと隠せるのも良い
なにより 「空っぽ」で時間がすぎる
監視する者が手を出せない
口を挟んだら消せばいい
これが、なかなか離れられない魅力なのだ
モチロン面白い・楽しい は否定しない

本と違って 「私も頑張って生きてみよう」
なんて気持ちにはならない
ただただ空っぽの時間が過ぎ 
カーソルとスペースのキーが傷み
腕と指と首が固まって運動不足が度を越す 

価値のある「やること」はいくらでもある
そういうものに時間を使いたい気持ちは十分ある
しかし 監視する者 が喜ぶ事はしたくない
たとえ自分のためであろうが
将来チカラになることであろうが
今必要であろうが
監視する者 に 自分が見えること は避けたい

空っぽのネットが手ごろでいい

☆はいい環境で育ったと思う
家族が個人の集まりでいながら「信頼」でつながっていた
責任のある自由を教えられていた
家庭環境・家庭教育の影響を 今思う
あの環境なら 
ネット世界があったとしても☆の暴走はなかっただろう
あの環境があったから 
今の「空っぽ」の無意味さも 有意味もわかる

しかし、今の環境で☆が子供だったら 
ネット依存症でおかしくない

実際 ☆はかなりオンラインゲームに走っている
「空っぽ」を見せ付けて価値のなさを楽しむ
「空っぽ」を生み出す 空っぽでないところを楽しむ
仕様の甘さや 頭にくるシビアさ 
わざと作られたイライラを招くだるさ
バグの出方や 仕様の重さ
それと 音&音楽 背景とキャラの可愛さ度
ちなみに よく見えない☆はマリオの顔半分黒く見えて嫌い
マリオはライフも少なくシビアで進まないからパス
 
☆はネットゲームで話し相手がほしいとは思わない
バーチャルの世界でヒーローになろうとも思わない

なぜって? 
むなしいから

「目の曲がった女・男は誰でもそういう女を娼婦と見る」
と 監視する者(■) に言われてから
決してヒーローにはなれない者 と自分を位置づけた
若いころのように
「目が悪くても頑張れば人は認めてくれる」
「いつか守られるものではなく 自分自身が輝ける」
なんて思い を粉々に砕かれて
自分をどんなにかっこよく見せても本質は変わらない 
頑張ったってどこかで砕かれる
監視する者■の言う「だめな人間」は
思いもよらないところで 突然砕かれることに
いつもおびえている

バーチャル世界はラブレターみたいなもので
言いたい放題思いのまま 自分をかっこよく見せる場所でしょ
「自分は人をいじめるのが趣味だ」なんて公開しない
ましていじめ抜く存在がほしい なんて
悟られないようにするものだ
手に入れて 籠に閉じ込めてから正体を見せる

(敵に)仕掛けるワナはどんなだろうか
必要以上に追い詰めたり 滅多切りにしたりしてないだろうか
なんてことを観察できる分 ネットは手紙よりいいかも
相手を現実世界で知っていればだけど
(私が思うに) どんなに姿を変えても 自分が出てくると思う
従えることが好きな人間は下っ端ではいられるわけがない
  現実でもっとウエがいるならなおさらひどいはず

後悔先に立たずって 
人生一度きり
  
身にしみるよ まったく
 
私はもう砕かれたくない、痛みを避けたい
だから完璧な自分は決して作らない
ピアノを弾いてもどこか間違えるのがいい
いつでも「やっちゃった」とへらへらしているほうが無難だ
そのほうが 「やっぱり ちょっとがんばる障害者」ですむし 
練習時間も半分ですむ

これではいけない と 思っても
今度こそ完璧を目指して、と思っても
「おまえはだめな人間」がついてくる
報われないであろう努力にも疲れてくる

逃げることを覚えると ろくなことにはならない
逃げることに知恵を絞り 人生道になってしまう

私のPCは常にゲームが出ている
監視する者の足音が聞こえるとすぐゲームを上げる
 このすぐ上げるをマスターするのにたいへんだった
 ポインタが見えないと上げられない 
 見える人には想像すらできない弊害で
 間に合わないと書きかけで閉じるしかない
   キーで閉じれば速いので
 自動保存がないものはガックリだった 
ブログやメールは チョコッとでも見られないようにする
チラッと見ただけで「それは~~~」と口を挟むからだ
「オレは目がいいんだ」と得意げだ
   (と いうと ひがんでいる、といわれる
    口は災いの元(素)だ)
息子はパスワードでPCを開くようにするといい
そうすれば留守中も見られないから というが
それは普段の面倒が勝っている
全く悪気がない■は、人のものに瞬間で目が行き読み取る 
     天才的いやな性格なのだ
長期の旅行がかなったら鍵も考えよう

 息子は私のPCに「細工」をしている
 帰るときに消していけばいいのにそのままだ
 人のメールなど見る気はないけれど
 「みられない」ようにしているほうが 平和だ
 この家で育ったものは家族だって信頼するわけがない
 自分の身は自分で守ろう 
 一人以外は身体で学んださ


人間らしく正直にうらんでもいいじゃない

2013年06月17日 20時50分41秒 | 命 生きる 
視覚障害者にはならない視力の息子が
最近気が付いた、という
 彼はしっかり遺伝の先天性白内障で
 生後3ヶ月で手術をし脅威の+26度
 分厚いメガをかけて育った
 メガネを身体の一部と認識するまで
 ひじが曲がらないように器具をはめ
 ロボットのような時期もあった
 
息子;記憶って視力と関係してるよね
☆; 当たり前にそう思ってる
子;見える人はチラッと見て思い出すようなんだけど
  チラッとみただけじゃ思い出せない
  今まで自分の能力不足かと思って
  人の何倍も努力して仕事をしてきたけど
  どう考えても相手より劣っているとは思えないのに
  記憶力はすごい差が出る
  そこで
  これは目のセセだ と考えたわけだが・・
☆;ピアノを弾いてても同じでサ
  チラッと見てだけじゃ「見えてない」が正解だね
  記憶できないんじゃなくて
  引き出す情報の量が違うと思う
  チラッとみただけで10の情報を仕入れる人と
  1しか取り込めない人では到底競争にならない
  その上これは情報だ」と反応するまでにも時間的に
  正常な視力の人より劣るわけで
  いわゆる トロイ人間になってしまう

  視野視力の正常な人は瞬時に必要なものを見つける
  飛び出してクタ子供をに気が付く・・・とか
  君も渡しも 見えたもの(点より少し広い範囲)から
  「今ほしい情報」を仕分ける作業をする 
  無意識ではなくて 意識してやっている
   と 最近認識した
  Cリング、と思わなければ Cには見えない
  だから 「ここではCリング と言う観念を
  できるだけ放棄すると 波付きドーナツだったりする
  「Cに見たくないから Cに見えないんだろう」
  などというな!
  パッと 瞬間にみえた状態を とにかく受け取ること
  それが 記憶を引き出す前にとらえた映像だと
    わたしは思う

  視力の正常な人だって Cと知らなければ・・・なんてことはない
  Cを知らなくても Cに見えるから モノサシに使う
  
  さて、記憶は厄介で
  伴奏を何千曲と覚えたとして(実際は無理だけど)
  今要求された曲の伴奏を思い出すのに
  題名とかメロディーとか人が人目で手に入れる情報に
  たどり着くうちに見える人は演奏し始める
  やっと出てきた記憶と 要求されたものとの
  調・ハ長とか二長とか・が違わないか、など
  細かいところを確認している間に
  他の人だったら演奏が終わっちゃう
   要するに 私は用足らずでいらない人間なワケ
  ボランティア的親切で伴奏を頼んだりするんですよ
  もしかしたら、いなきゃほっとするかもしれない
  でも、それじゃ人生悲しいでしょう
  ともかく生きてるんだから
  そして、心から努力を買ってくれる人もいる
  そんな人に感謝をこめて答えようと思う
  
  見える人でも簡単にはできないことを探して
  ときめくアレンジを考えたり
  人と同じラインに指先だけでも届きたい と
  人の何倍も努力するわけ
  生きてること、存在そのものが悪のように思えたり
  それでも いき続けてしまうわけで
  ホント むなしい話だけど
  人生のかなりの時間を
  「見える人」には必要のない努力時間にまわすんだから
  
  生きている証になりそうなものをを探すんでも
  時間と実験と実践と膨大なエネルギーを使って
  バカみたい、と思いながら それでも
  人と同じが夢なんです!
  普通に生きられたらどんなに楽だろう、
  と思うわけですよ

  だって 出来上がりは人以下で
  努力は百倍だったりするし
  努力しているとあからさまにわかってはいけないし
  わかってボランティア精神でもいやだし
  ちっとは理解してほしいし
    やぁ わがままだねぇ

  君もどえらい苦労をしている、とぼやくところを見ると
  同じような人生を歩んでいるんだね、
  それが 前向きに生きてる証 なんですよ
  正常である、と言われる人との
  「追いつかない 差 」を知ることが
  落胆 とか 欝 なんかと戦うエネルギーになる
  死にたくても 詩寝ない人になれるよ 
  好む 好まぬ は別だけど

  記憶と言うのは 覚えることは一部で
  いかに利用できるか だと思う
  だから 
  すばやく引き出せる訓練を24時間やっているわけで
  記憶力ゲームに一日1時間もかけたり・・・・

  ま、少ない情報から 「今」必要なものを
  上手く磨きながら引き出せるかが勝負かな  
子;まったくだ
  最近、何でこんなに努力しなきゃならないのか、とか
  いろいろ思うところがあったわけで
  でも それが 視力のセイだ、と思えれば
  ま、仕方がない、とあきらめがつく・・・し
  諦めが付けばやり方も出てくるだろうから
☆;すんませんね、私のせいで
子;・・・・・
  まったくだ・・いえいえ
☆;自分のだらしなさを人のセイにするのはよくないけど
  遺伝の障害は素に文句の一つや二つは
  堂々といったほうがいいと思う
  気を使ったってバレバレだし
  私の場合は遺伝じゃないから親は堂々と弁解したけどね 
  遺伝子を添えてくれなくてもよかったじゃない・・ね
   孫に遺伝したって知ったとき泣いちゃってさ
   私を育てるのがいかに大変だったかが
   つたわっちゃったんだな 
   それ以降攻める相手がいなくなっちゃったよ
  まぁ、この年になると 親を攻めるより
  親をいたわるほうに気を使うね 
  でも 恨みが消えたわけじゃないよ
  兄弟に比べて惨めなことには変わりないからね
  あなたの場合は「遺伝しない+とおもう」だったから
  まだイイワケできるけど 
  妹君は責められると反論できなくてさ
子;だからわがまま
☆;ふふ あのわがままは私のせいか そうかもね
  その上、人の弱みは付け込むもんだって
  教えてるかも知れないし !
  怠け者ににつけ込まれたって私はびくともしないけどね
  目に関してはうらんでくれていいよ
  受けて立つから
  聖人である必要はまったくないんで
  大いに人間的にいこうじゃないですか
  お互いに
  それに 男の子には100パーセント遺伝するし
  覚悟も入るからね
   
  もうね、私ははっきり障害者だから
  君とは生き方も違ってくると思うけど
  無理はやめようと思ってる 
  できもしないのに惨めを買って出るなんて 
  若い人のやることだと悟ったよ
  といいながら 伴奏引き受けてくるんだけど・・
  なにせ 懲りない性分だから
  それに 目立ちたがり屋なんだよな、
      ソモソモが
  見えてたら何やってただろうね
  声優とかアニソン歌手、じゃなきゃ
  体育系でボール追っかけてたかもしれない
  ドッヂボールなんてさ、堂々と人狙うんだから
  狙われる立場をきっちりやってきた
  記憶があったとしてだけど
  絶対 最後まで残ってぶつけまくる
息子;ホント、眼の問題がなかったら 何やったかな
  コンピュータじゃないかもしれない、って時々思う
  ただ、 これだって見えてりゃチョチョイ ・・・

息子は車の免許がなくても生きていける職業を選ぶ必要があった
自分のしたいこと、より優先して 独立できる道を探す
私が 音楽が好き より 音楽なら何とか行けるかも
と進んだのと同じように
息子はソフトなら・・・と進んだ
可能性がありそうな選択肢の中で
もっとも好みに合う道を選ぶ
本来 多くの人が選択肢の広さは違っても
似たようなものなはず、
最近のように 「自分に向かない」「汚い)「できそうにない」
といって 若いのにぶらぶらしているのがいる
生きるためには進まねばならないとは思わないらしい
そんなのが 髪を染めに高い美容院に通ったりする
「一人で生きよう」という意識の欠落ではないか、
と 思うのである
ぎりぎりの世界、ほどではないけれど
かなり厳しい中でわが道を捜し求めたつもりの☆は
五体満足人がボケッとしているのは正直腹が立つ

何のための命か?誰のための今?
親のセイ
先生のセイ
土地のセイ
そういうのは頑張って生きてからいいなさい


光と闇と麦

2012年09月16日 00時23分10秒 | 命 生きる 
チャリティーコンサートの最初と最後に主催者側の挨拶があった
最初は 施設の説明でよく考えられて作られていることがわかる
認知症専門で6人ずつのグループ生活をするという
費用は納める金額が月々12万円ほど
知人は母親を預けていたが本人の年金でまかなえるという
オー リッチ!
■の年金は月2万7千円くらい 介護保険を差し引かれて2万3千円に届かない
収める費用だけで月々10万円足りない 
  普通はもうちょっとましだけど 限定されるね
  絶対先にボケるな 願いを通り越した命令である、

そして コンサートの締めは実際に世話をしている方のお話

*;お年寄りの方に教わることが多い
 ;ある方が言いました
 ;ほんの一握りのうれしいことがあれば
  山ほどの苦しいことを乗り越えられる
 ;私は 逆じゃないの? と聞き返しました
  私は ほんのちょっとのつらいことも 
  たくさんのうれしいことがあれば耐えていける、とおもっていて 
  そういう生活をしてきましたから
  これは お年寄りが間違えているのだろう、と思ったのです
 ;お年よりは 言いました
  ほんとうですよ と
 
☆は言葉がない より 唖然 に近い
この人 本気だろうか 
そんなに幸せいっぱいの人生なんて 当たり前じゃないよね

私。☆はよほどひねくれているのか 
逃げ出したくなったり
死にたくなったり
そんなことが当たり前すぎるほど普通のことだった
でも 自分(☆)が存在したために 
しなくてもいい苦労やいやな思いなど
日常的な迷惑をこうむりながら 
背を向けないでいてくれた人達の「心」を背負っているから
ほんのちょっとの光を逃がすまい と
「ちゃんと生きてるよ」といえるようでありたい と
無理そうなきっかけでもつかもうとしたし
期待されたら 何が何でもそこそこやり遂げたいから
無茶苦茶努力したりしてきた

だから 私の人生観は
生きるとは暗闇の中で一筋の光を追いかけるもので
輝く光で暗闇を包むものではない

この施設はキリスト教の施設で 根本的な考えが違うことから来る
   と 考える
私の父方はクリスチャンで、叔母はかなりの教会人だ
障害は「あなたが絶えられるすばらしい力」をもっているから
神様が試練としてくださったもの、なんて真面目に信じている
乗り越える力を授かって生まれたのだから 
努力して乗り越えなければならない
 という 本心で言う 
ムカーッとするけど 
叔母は心底神様のすることを信じている
同意も同調も受け取ることもできないけど
それでも 世の中にはこんなに幸せな人がいるんだなぁ、と
叔母の「幸せ」を感じられる

ふと思う 同じように教育されて育った私の父も
自分の家に障害者が現れなかったら 
人には叔母と同じように諭していたかもしれない と
そして 気がついてしまった
私の誕生(存在)は 
父が 耐えて乗り越えるための「道具」「教材」ということになるわけだ
叔母はこれを どう説明するのだろうか
聞けば ひねくれ者、と 言われるから聞かないけど
神様は答えを用意してあるのだろうか

宗教はつくづく苦手だ

  

これぞ 前向き

2012年01月14日 23時06分45秒 | 命 生きる 
盲学校の寄宿舎での話

Nさんは7歳のときはしかにかかり失明した
七日間高熱が続き熱が引いた頃にはもう失明していた
本人は全く覚えていないし
見えていた という記憶もないという

彼女 運動神経が抜群にいい
大の野球好きでもあったし、音楽鑑賞も大好きで
ラジオは当たり前にそばにあるものだった

N;ポットが空だ お湯もらってくる
いつものようにラジオを聞きながら
ポットを抱えて部屋を出て 走る
階段も走り降りる

ガラガラ ごろごろ ガッチャーン

一斉に各部屋の戸が開き 人が集まる
寮母さんも駆けつける

階段の踊り場には座り込んだNさん
さほどの怪我はなさそうだ
当たり前に 寮母さんから注意を聞いた後
家に電話した

「かあちゃん ラジオ死んだ!」
「えっ、誰が死んだって??」
「ラジオ」
「なんだ 死んだなんて言うからビックリするでしょう」
「だって、死んだんだもの」

その後も懲りた様子はないし
卒業まで階段を踏み外さなかった

その年の夏休み Nさんはひとりで帰省した
地元の駅について汽車を降りて
改札を出て 
さらに駅の建物を出る
さあ家路
   
「ああ、杖を汽車に忘れてきた!」
・・・・・そこまでどうやって歩いたの?

Nさんはめげない
普通でも 駅からは歩いて何十分もかかるというのに
Nさんは杖なしで歩き始めた
どれほど時間がかかったか覚えていないらしいが
溝に落ちたり転んだりしながら でも 家についた
お母さんにあきれられたそうだ
・・・そりゃ ほかにすることないだろう
・・・話を聞いた人なら誰でも あきれる
・・・同時にカンのよさと勇気に感服する
途中誰かに会わなかったか、と言う質問には
N;さあ知らない 
  周りのことなんか考えるひまなかった
夏休み中杖なしで過ごし寄宿舎に戻ってきた
私は舗装具として支給された杖を使わず持っていたので
使ってもらうことにした

前向きな人 とは Nさんのような人のことだ
彼女に出会って

できることはどんどんやる 
「盲人とは・・・」「障害者とは・・・」
というイメージは ハタから 「目で見て」 できたもので
見えない自分がそのイメージにとらわれるのは
かえってコッケイだ 

と 学んだ気がする

アーニクーニの歌と☆

2011年08月12日 17時42分30秒 | 命 生きる 
視力が足りず県立の高校に入学拒否されて
盲学校高等部の生徒になった

見えないのに演劇鑑賞というのがあって
「アーニクーニの歌」というのを「聴いた」
席は 一番舞台が見えないところ
ま、 招待席なんてそんなものだろう

「アーニクーニの歌」

私☆は人生60年 (プロ劇団の)
生の演劇鑑賞なるものはこれ一回きり
あるいはこれしか覚えていない

水野英子さんの漫画を読みたいがために 
見る努力と工夫をして 文字世界の仲間入りをした
自転車で見る世界から見える世界を知った
入ってくる情報が少ないだけに
濃い傾向があったようにおもう

アーニクーニの歌もそのひとつ

最後の授業を暗礁できたかな、ほど覚えていたので
背景がより理解できたのかもしれない

「鳥は捕まえて 歌え と命令しても歌わない」
「囚われても心は売らない」
「たとえ殺されても 友を売るようなことはしない」

☆を捕まえるには
「お前はだめな人間だ、といえばいい」
体がこわばり動けなくなる
ずっと唱えづずければいい

お前はダメだ
お前はダメだ
お前はもっとだめになる

低く うなるように言えばいい

だけど 心は手放していない
その環境の中で 
☆は光を放つ日を待つ

アーニクーニに出会ったときから
私の中に☆が生まれた
ありえない現実でも
☆は私に投げ出すことをとどまらせる
いつか、自分の歌が歌えるようになるために
生きていなければならない

お前はダメだの言葉に打ち勝てないまま
経済に振り回され 
自由な外出もままならない現実現状
年をとるにつれ 
どうでもよくなることも多くなった

それでも人の痛みに心が震える☆を見つけるとき
☆はまだ 輝ける力を秘めている、

 と 思えて 天を仰ぐ

☆のうさぎ

2010年02月20日 13時11分44秒 | 命 生きる 
幼いころ 素直そのものの私は人参が大好きだった
・・・人参は今でも好きだけど・・・

注;父は乗せるのが上手い
 
うさぎ年の大晦日に生まれた私は
「誰に」吹き込まれたか
自分がうさぎと一体のように思っていた。
うさぎの大好物の人参は無条件にわたしの好物だ。
人参と聞くだけで嬉しくなる。
色も良い。カッコも良い。
視力がなくても 赤とか黄色とか目立つ色ははっきりわかる
人参の赤い色は八百屋さんでも目立つ。
 
父は 「ふるさと」や「待ちぼうけ」を良く歌った。
「うさぎ」という単語に☆の心がはずむ。
すっかり愛唱歌になった。
 
意味がわかっていたとは思えない
うさぎ追いし・・・うさぎは撃たれる!!
うさぎが勝手にぶつかって食料になる!!!
 
うさぎとかめも 父が読んでくれた。
泥の船のお話しも 繰り返し読んでもらった。
どちらの絵本も愛読書のひとつだった
何しろ大きなうさぎの絵がかかれている
 
こちらもひどい話だ
うさぎは相手をバカにし、ずるがしこく 必ず痛い目に会う
父の「うさぎのイメージ」は偏っていたと思うことにする
 
ラジオでよく流れていて そのうちに愛唱歌になったのが
「うさぎのダンス」赤い靴をはいて全身で踊る 
かわいい歌だ 赤い靴がほしくなる
 
十五夜にはうさぎは欠かせない
お月様で餅つきなんて すてきじゃありませんか
まん丸に光る以上には見えない☆は
月の上でうさぎが動画で餅つきをしていると 疑わなかった
いまでは ☆が何をどう信じきったのかどうイメージしたのか 
常識の世界に浸りすぎてはっきりと思い出せない
初めて望遠鏡で 月のうさぎを見たときには
第一声 「どでかい」 だった
 
「ふるさと」は好まれるので時々伴奏を弾く
「いい歌」の代表だ。
私は弾くたびに父を思い出し 
「追われる身の気分を 味わっている。
 
それもまた、わるくない。
いじめの対象であっても
バラ線に突進する愚か者でも
あるときはずるがしこく
あるときは かわいらしく
何よりもたくましく
一直線に走るのだ
 
うさぎ だいすき

命 じゅん子ちゃん

2010年02月18日 19時47分53秒 | 命 生きる 
個性とは何ですか?
 
ウィキペディア;
日本では往々にして肯定的な意味で用いられるが、
本来は存在する上での差異を指して居るだけに、
必ずしも有益であったりするものばかりではない。
近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、
その人の個性であるという考え方も生まれている。
いずれにせよ、たとえ客観的には不自由を強いる特徴であっても、
それがその人らしさを形成する上で、
必要不可欠な要素と成って居るのであれば、
立派に個性の一端と呼ぶ事が出来る。
 
何を言うかバカヤロウ と つい美しくない言葉が出てしまう
 
それがその人らしさを形成する上で、
必要不可欠な要素 
 
必要不可欠 冗談じゃない
ないことにはできないから
世界の大半を占める五体満足な人間の一員でありたいという
無理かもしれない希望に一歩でも近づきたいから
障害を克服しようと努力するのであって
個性を磨くようなものとは質が違う
どっちが上とか下ではなく本質が違う
 
極端に可能性を制限された中で
これをやりたい ではなく
これならできるかもしれない 事柄にしがみついて
途中で もしかしたら自分に向いていなかったのでは、と 
気がついてもなお 離れることを許されず
その道のプロを目指す
才能がどうのこうの など この世界にはない
才能を見出され、伸ばしてもらえる人は 一握りもいない
たいていは 今、進むことの許された道をひたすらに歩む
 
それが障害者の道だ
・・・・・・・・・・・・
    じゅん子ちゃん 
 
じゅん子ちゃんとはすぐ友だちになった
じゅん子ちゃんは自分の病気をよく心得ていたし
病名も将来も語ってくれた。
生まれつき心臓が弱く 成長を抑えている
「身体が大きくなったら死ぬの
だから大きくならないように薬を飲んでるの」
「私ね、本が好きだから いつか本を書くの」
 
身体は小さくても夢は大きかった。
「死ぬ」という単語が遊びでない。
入学式の日に祖母が死んでおおさわぎだったが
悲しくはなかった。
 
じゅん子ちゃんの「死ぬ」はとてもさびしい。
 
小学2年のある日 
私は一人 校庭を走っていた。
校庭は週に一度 全校朝会の後石をひとつ拾って
校舎に入る。何しろ人数が多いから校庭は安全だ。
 
全速力で校庭のど真ん中を走り抜けた。
 
あxと 思うひまもなく 石につまづいて転ぶ
いつものこととは言わないが 常に覚悟していることだ
「大丈夫?怪我してない?」
一番に駆けつけてくれたのはじゅん子ちゃんだった。
真っ赤な顔をしている。
私は飛び起きた
「じゅん子ちゃん走ったの?」
転んだことなど忘れてじゅん子ちゃんが心配になった。
じゅん子ちゃん;うん ☆ちゃん怪我してない?
☆;うん 大丈夫 
じゅん子ちゃん;よかった
じゅん子ちゃんはニコニコしている。
 
すぐにクラス中が駆けつけてくれておおさわぎ。
私とじゅん子ちゃんの心配をしてくれた。
廊下から見ていた人の証言では 
つまづいた拍子にかなり飛んだらしい。
じゅん子ちゃんが一番に駆け出しみんながついて来た。
ということだった。
 
先生も来て ちらっと私を見て
そのままじゅん子ちゃんを連れて行った。
じゅん子ちゃんは保健室からそのまま家に帰り
ひと月ほど学校には来なかった。
 
罪悪感を感じている私に担任は
わたしのせいではなくて 
前から検査入院の予定があって入院したので
走ったからじゃない という。
 
顔を真っ赤にして息を切らしているじゅん子ちゃんは
後にも先にもそのときだけだ。
生涯忘れない顔だ。
 
久しぶりに登校したじゅん子ちゃんは本を読んでいる
話しかけても何かが違う
ニコニコしていつも席についている
今まで以上に しずかで 存在感が薄れていった。
極端に休みが多くなった。
 
学年の終わりに じゅん子ちゃんは転校した。
病院学校のある名古屋の病院に移るという
名古屋なんて聞いたこともない。
先生の話では 勉強を続けたいと言うじゅん子さんの
希望をかなえる学校はそこしかないのだそうだ。
 
病気を治して本を書く と挨拶して行ってしまった。
私には ☆ちゃん頑張ってね と 笑い顔を置いていった
 
その後じゅん子ちゃんは5年生で亡くなったそうだ。


誰かが 自分の障害を 個性 と自分の中で位置付け
磨けば光る 光らせる 負けてなるものか 輝くぞ
と 頑張るための原動力にした と 想像する
これはその個人のことで 
障害者全体に当てはめれば頑張ると思ったのだろうか
賛同して「私も」というのもその人個人のありかただ
障害は個性だ などと 押し付けないでほしい

教師の力量 

2010年02月17日 18時36分52秒 | 命 生きる 
小学校の入学式翌日は 親抜きのはじめての授業
担任は 小柄な女の先生でした。

この先生は緑内障でかなり視力が落ちてきていて
そう長くは教師をしていられない運命だそうです。
そういう事情かどうかは知らないけれど
このクラスには身体障害者が三人いました。

全員の名前の確認とお返事の指導の後
身体障害児の3人を次々と紹介した

担任;じゅん子さんは心臓弁膜症という病気です。
  身体が小さいのは、大きくなると心臓が止まるから 
  大きくなれないのです。
  小さくたって じゅん子さんは本を読むのが大好きです。
  もう字は全部読めるし、お勉強が大好きです。
  走ったり飛んだりすると 心臓がビックリするので
  体操の時間は教室で本を読むか 見学です。
  病気なので時々お休みもします。
  もしじゅん子さんが走ったら止めましょう。
  そしてじゅん子さんが走ったことを先生に教えてください。

担任;A子さんは足の指が生まれたときから4本しかありません。
  でも、みんなと同じようにはだしになります。
  お休み時間に見せてもらいましょう。
  A子さんは かけっこが大好きです。
  指が足りなくてもみんなと全く同じに走れますから
  何も気にすることはありません。

担任;☆さんは目がとても悪いです。
  先生も悪いけどもっと見えません。
  声をかけるときは自分の名前を言いましょう。
  ☆さんは 走るのが大好きなので 止めなくていいです。
  石が飛び出していたりするとわからないので
  転んだら助けてあげましょう。
  たいていの事は一人でできるのでみんなと同じですが
  困っているようだったら声をかけましょう。

こんなような紹介で 先生が話す間立っていた。
イヤだな と思った。早く時間がたてばいい

足の子A子さんは休み時間前に靴下を脱がされました。
席は見やすいように一番前です

足の指が4本しかないってどんなふうに着いているのかな、
もちろん☆も行列を作って見に行きました。
残念ながら☆には見えません
どの指が足りないのか みんなで話しながら行列は進みます
私も知りたい。でも見えない。でも見たい
しゃがんでみるほど度胸はないし興味以上に どこかで
「やってはいけない」と思いました
本人は 今にも泣き出しそうに下を向いてがまんしています
☆は足が見えなかったから 顔を見ました
ホントウは顔もよくわからないのですが
ガマンしているのが伝わってきました

ひどい先生だと思いますか?
A子さんはどうして耐えられたと思いますか?

担任の先生は 入学前にA子さんの家を数回訪問し
親を説得し、本人にも納得させて公開したのです

A子さんの場合は 行動に何の支障もないから
最初に見せてしまえば 学級の子も 本人も
障害の意識がなくなり 普通の子になれる
しばらくはよそのクラスからも見に来るだろうけれど
1週間もすれば 奇形なんてどうでもよくなる

親は 見世物になった時 のショックが
後をひくのではないか、立ち直れなかったらどうする。
靴下を履いたままでいいじゃないか。
など 公開には反対だったと聞きました。
フォローはちゃんとする という先生の言葉を信じて
A子さんが親より先に了解したそうです。

見学者はうわさを聞いてよそのクラスからもきました。
学年の大きい子も来ました
休みの時間になると A子さんは席を立たず足を出して
下を向いてがまんしていました。
担任は休み時間はいません。

放課後みんなが帰った後に
担任はA子さんを励ましていたそうです。

3日目あたりから人は減り 
そのうちに忘れられました。
A子さんは何もケアをする必要のない
普通の児童になりました。

私は家がわりあい近く 時々何人かで遊びに行きました
A子さんの家は自営業でいつもご両親がいらっしゃいます
家の中には暗い階段があり そのあたりで鬼ごっこをします
とても魅力的な場所で手探りで階段を登ったり下りたり
一人遊びには楽しい場所ですが さすがに鬼ごっこはできません
そんなときはご両親が話し相手をしてくださいました

A子さんのお父さん
;最初先生に靴下を脱がせるといわれたときは
 とんでもないと思ってけれど あんまり熱心なので
 そのほうがいいのかな、と思えてきてね、
 初めて靴下を脱いだ日は学校から帰ってきて泣いて
 もう学校に行かないんじゃないかと思ったけれども
 夕方先生が来てくれて励ましていったんですよ。
 A子はつらかったと思うけど 今なんか
 靴下がイヤだといっている。
 いい先生だね。
先生はしばらくの間毎日家庭訪問したそうです。

私はたまにみんなと遊べないことがあるおかげで
こんなにいいお話を聞けました

おんなじようなことをする先生がいます
たいてい方法だけが同じで 結果は仲間はずれを作り出します
どこが違うか、
何が違うか、
今ならわかる 自信をもって わかると言えます

遅刻の原点 入学式

2010年02月15日 13時45分30秒 | 命 生きる 

遅刻の常習犯の原点はここにある
 (いばっていいとは決して思っていない)
・・・・★・★・・・
幼稚園を無事かどうか興味もないが卒園した
卒園式には連れて行かれた
おめでたいともうれしいとも思わない
先生が「よく頑張ったわね」など 白々しいことを言う
頑張った記憶などない 楽しかったことなどない
卒園証書もどうなったか知らない
 
そんなことはもうどうでもいい
今日は小学校の入学式だ
学校はいいところに違いない
姉が楽しそうに通っているのだから

入学式の日の早朝 祖母が亡くなった。
祖母と言っても両親の親ではないのだけれども
家からお葬式を出す。
 
朝からおおさわぎで祭壇を作っている
邪魔者は追い出され 部屋は飾り付けられていく
きらきらした祭壇は☆の心をとりこにする
裏の扉に引っ付いてガードマンになる
部屋から人がいなくなると すぐ入って
出来上がっていく祭壇の白い布をめくってもぐり
(見つかって)追い出される。
出来上がってくると人がいなくならない。
遠目にのぞいては そばに行きたくてうずうず+ウロウロ
しつこく見たがる☆は外に追い出されてしまった
 
今日は入学式だ。
そっちのほうでもうきうきしてる。
ところが時間が過ぎても 母は行くといわない
それどころか 誰も声をかけてもくれない
家は人がせわしなく動いている。
近所の人に「入学式に行かないの?」
と聞かれるが どうなってるかわからない
 
やっと学校に行くときが来た。
晴れ姿はみずいろ地に細い白の横ストライプが入ったセーラー服
お気に入りのワンピースだ。
これが忘れられなくて「憧れのセーラー服」になる
 
歩いて10分ほどで小学校についた。
もう入学式は始まっていて 講堂にひかれたござの上に
ぎっしり人が座っていた。
大きな学校で つい数年前、入りきらない生徒を
新設小学校に移したばかり。それでも児童数2000人以上いた
入学式は 新1年生と高学年の参加だったと思う
 
一学級48人から50人
6年生は 新設学校を希望しない人が多く10組もある
新1年生は 5組しかなかった。
一組2列 男女別にずらっとござに座っている。
 
人・人・人・
 
壇上で男の人が話をしているときに 到着した。
そのまま 席まで連れて行かれ 座る。
落ち着かない時間を過ごし 教室へ移動した。
 
1年5組白組
・・・白・・・色がない
黄色がいいな  一番の感想だ。
青じゃなくて良かったな 2番目の感想。
赤・黄・青・緑・白・桃・紫・橙
10組もあったらあと何色があったのだろう
色にはうるさいほうで そんなことを考えた。
 
白いリボンばかり見ているうちに終わってしまう
さっさと帰り お葬式だ。
 
お祝いのお葬式饅頭を イヤというほど食べた。
姉はいつものようにからかう
姉;白は色じゃないんだよ
☆;色じゃない 白は色じゃない
ひどく落ち込む
白組にがっかりした様子がかわいそうに思ったか
;白は特別の色で 
;白を混ぜてきれいにならない色はない・・」
;白はすべての色の王様で・・・
とか何とか。
姉自身かもしれないし 母か父かもしれない。
白はすべての色の王様となり
白でよかった になる 単純そのもだ
 
入学式に遅刻した☆
その後遅刻の常習犯と成長するのだが
あまり反省していない