夢実現研究会2009

団塊世代の生き方を考えよう。

健康維持:心の健康:禅

2009-03-16 11:49:29 | 健康維持:心の健康
山椒魚の明るい禅:玄侑宗久
要約

白隠さんの子の逸話
大店の娘が妊娠したとき、親に詰問されて、おもわず白隠さんの子と嘘をついてしまう。親に怒鳴られて、白隠さんは、一言呟いた、ああ、そうだったかな。
あとで真相が判明し、娘の父親に釈明されたときも、またも、ああ、そうだったかな、と。
白隠さんに感じられていたのは、幼い命の体温だけ。それ以外はまったくどうでもよかったのだろう。
ヌボーとしたものの前を、信頼や裏切りや誹謗や中傷、あるいはあらゆる世間的評判、人情や愛情さえも泡沫のように流れていく。
禅ではそれを無分別とか大愚などという。

ゆらり
定まって、定まらず、定まらずして、定まる。
① 禅に両忘という言葉がある。
② 善悪、美醜、尊卑、高低など、とかくあらゆる二元的、相対的価値判断を忘れよ。
③ それにより、柳の緑の美しさと桃の花の無邪気さを比較することなく讃えることができるようになる。
風流に生きる
① 風流とは、ゆらぎを楽しむ気分。
② 我々の現実の生活を支えるものは、志。これは自由すぎる心に方向性を与え、いささか不自由にしながら人間にある種のまとまりを与える。
③ そこで、思うに任せない事態が起こったときに我々はゆらぎを感じながら、志を確かめる。
④ 志が確固としていれば、そのゆらぎを風流と楽しめる。
⑤ たとえば、漁師として生きていく決心が固ければ、何日か魚が獲れないような荒天でも、それは風流。
⑥ こうじゃなければいけない、という限定が強すぎると、僅かなゆらぎではなく大揺れになる。それは風流ではない。
⑦ 禅ではまた、風流ならざる処もまた風流、という。
⑧ つまり、すべての体験は風流だというのだ。

放心を求めよ
① 武蔵の五輪書にいわく、心を広く直にして、きつくひっぱらず、少しもたるまず、心の偏らぬように、心を真ん中におきて、心を静かにゆるがせて、そのゆるぎの刹那も、ゆるぎやまぬように、よくよく吟味すべし。
② 沢庵禅師いわく、放心を求めよ、と。初心のうちは心を引きつめ、集中をすることは大切だが、ステップアップするためには、今度は心を行きたいところに行かせなさい、と。
③ 真ん中に置かれた心と自由に動き回る心。心とは広大な海に似ている。
④ 海の中心点にはむろん常時違った水があるわけだが、位置的にはほぼ変わらない。そして、波打ち際は常にぶつかる相手に応じた波を作り続けている。心とはそのようなものだ、と。
⑤ 不動智と呼ぶのは、その海の中心点だ。ゆるぎやまぬからこそ不動でいられる。
⑥ 座禅は、その不動智になって座るのだ。
⑦ ゆるぎを掬い取って流動を止めてしまうから人は思考し始めるのであり、そうなると前後に住するから見えない瞬間や聞こえない瞬間が頻発することになる。
⑧ 座禅中は集中と拡散とを両立させながら、すべてのものを見ているし、聞いている。
⑨ やはり、求心よりも放心の方が難しい。
⑩ 座禅の最後は、この放心を極めることになる。
⑪ 現実には仕事や仲間、嫌なやつとか苦手な上司、できない部下、腹に据えかねてしまう自分自身など、様々な境と我々は日々接している。
⑫ そこでの心身の上手な扱い方を、禅は提供している。
⑬ うらやかなカオと不動でありながら揺るぎやまない心。そして全体視。そのとき最も大事なのが放心を求めること。
⑭ 思いのも惑いも悩みも苦しみも、すべて凝縮であり、ある種の集中である。生物として、それはとりもなおさず隙になる。その心をゆるがせて解き放つことがスキをなくし、生命体の充実を促すのだ。
⑮ うらやかなカオとは、顔はうつむかず、仰向かず、曲げず、目をみださず、額に皺を寄せず、しかも眉間には皺を寄せる。なるべく瞬きをしない。

僕って何?
① そんなもの、縁に応じてどんな自分が出てくるか分かりませんから、考えても仕方ありませんよ。
② 大切なのは思考しないこと。思考せず、ただ感じ、味わう器になりきる。
③ そうすると、澄んだ水に浮かぶ景色が見えてくるように、微かな風や音や匂いなどが、極めてありありと感受されてくる。
④ そして、やがては感受していた自己もいなくなってしまうのである。
⑤ なんと本来の自己に出逢うと、自己はなくなってしまう。


てきぱき
きっぱり決めて、てきぱき進む。
① 昼間はヌボーとしている山椒魚だが、夜中に餌に向かう姿は別人のよう。
② 人も、やるときはやる。
③ ゆらりとは裏腹な俊敏さも具えていなくてはならない。
④ しかも行動は、行動自体が喜びを伴うべきだろう。
⑤ 考えを行動に移すだけでなく、身体の意志でも動くのである。

けろり、さらり
① 大人は、けろり、さらりとしている。
② 禅的に言えば、跡を残さない。世間の言葉では、根に持たない。
③ 禅では、本来我々の心は刹那に生まれ、刹那に滅しているのだと考える。
④ 同じ思いをうじうじ抱えて悩むのは、その人が勝手に刹那どうしを繋げているのである。
⑤ また、過去に自分のしたことを拘るのも禅は、泥亀跡存す、といって軽蔑する。

どっしり
時間も物語もない、山椒魚の中の山椒魚
① 揺らぎを楽しめ、風流を味わえるのも、どっしりした胆力があればこそ。
② それには何よりも座禅・瞑想が有効だ。
③ そこには時間のない世界。
④ また、言語脳があれこれ価値判断しないから、閑なのである。
⑤ 宇宙の中心に自分がどっしり腰を落ち着け、そこが放心のように他者に伝わるのが慈悲かも知れない。

瞑想
① 瞑想状態で、我々の生命力は最大になる。
② 気の流れが最も強くなって、肩こりも腰痛も治ってしまう。

禅という生き方
① 禅定が、仏教すべての目指す状態。
② 揺れ動く心が静まり、波のない水面のようになること。
③ 波はなぜ立つのか?
④ それは自己という長年かけて作り上げた捏造物が、世界をそのまま受け入れないからだ。
⑤ たとえば、嫌だと思い、好きだと思う。また尊いと思い、下品だと思う。そうした価値判断が、心にさざ波を生むのである。
⑥ 経験的に、世界はこんなふうだと思っているから、どうしてもこれまでの延長線上に今を染め上げてしまう。そしてそこに、幸せな自分や不幸な自分という物語を作り出すのである。
⑦ あらゆる波は無常である。だから、我々は価値判断や歴史認識によって作り出す波に振り回されるのではなく、波の下に潜ろうとする。それを座禅という方法で追求するのが禅。

ふふふん
生命体として自足する、鼻歌まじりの生き方。
① 鼻歌を不謹慎だとする社会の在り方。
② しかし、鼻歌こそ、個の充足である。
③ 充足した個は、社会にも活力を与える。
④ 今の行動の結果を将来に期待せず、今ここで楽しみ尽くしてしまう。
⑤ 思えば、観音様は鼻歌を歌いながら人助けをしているのだ。

ひょん
見尽くせない因果にこだわらず、縁起を生きる。
① 餌はご縁でやってくる。
② 水が澄んでいるのもおかげさま。
③ ひょんなことで、ここでこうしていることに、山椒魚は悩まない。
④ 思ったとおりにならないことは、とうの昔に知った。
⑤ 思ってもいない出来事で嬉しい事態になることも、ひょんなことから体験した。
⑥ ひょんなご縁を肯定的に受け止めることが、山椒魚の信条なのだ。



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