一人暮らしの台所事情

2018年4月からストレスによる耳鳴り(頭鳴り)を発症。13年間の降圧剤の服用を止めます。

アルミ鍋焼きうどんもまたおいしい。

2012年03月26日 | 変わった料理

合成添加物(天然添加物も)や農薬などを 知らないうちに(いや、知ってても)
体に摂り込む事はやむを得ない事。自給自足でさえ、それはかなり難しいと思います。
土壌や流れてくる空気でさえも危ぶまれています

実家はりんご農家だったので、薬剤散布が始まるとみんな窓を閉めて歩きました
ブ~ン という薬剤散布の音は、小さい頃からの見慣れた風景でした
私も急いで洗濯物を取り込んだこともあったと思います

りんごは見た目はとてもつややかで、きれいです
蜜も入っていて、あのさっぱり感は りんごならではのおいしさですね
これも何度も書きましたが、りんごは食べ過ぎるとお腹を壊すのです

その理由はわかりませんが、とにかく親に連れられて毎度のように町医者へ通ってました
そうでない場合は夜中、母親の手でお腹をさすってもらったこともありました
小さい頃はとにかく病弱で、好き嫌いが激しく食べず嫌いも多かったようです

「おまえは、生まれてくるはずではなかった…」
そんな親のことばを聞いたこともあります

貧乏な中で、私はきょうだいの最後に生まれた子供でした。
母親は粗末なものしか食べられなかったと聞きます
それでも私は無事にこの世に生まれてきました

昔はそんなことをいう母を恨んだ事もありました
笑って暮した生活はあまり覚えてなくて、自分自身を否定し 全く自信がもてませんでした
今、自分がこうしていられるのは、残念ながらも母親の存在でした

高校に進学する時の私の成績は、中の下くらいで、ほとんどちゃらんぽらんでした
そうした中、先生との面談で、「絵が少し上手なので…」
母親のひとことがきっかけで選んだ高校でしたが、これがなんと大当たり。

卒業する時は賞状ももらい、3年間 絵を学びながら勉強にも自信がついたのです
それまでは、宿題はやってましたが、勉強というものは全くしたことがなかったのです
就職は先生のご紹介で勤めましたが、自分には合いませんでした。

家庭と同じく、職場の雰囲気の悪さに辟易。
毎日、社長とその息子が喧嘩ばかり。私は家でも両親の喧嘩ばかり見てきたので
4ヶ月ほどで辞めました。あとは自分でパートの仕事を見つけてきました
そんなことを数回繰り返していました。絵の方ほうは残念ながらことわったのです

「東京の学校に行って勉強しないか?」 (いや、東京の職場だったかな?)
それも先生の紹介でした。もったいないことをしました
理由はこわくて、ウチから出ることが出来なかったのです。
(方向音痴もあったかもしれない…)

まだまだ子供だったのですね。もっともっと勉強したかったなぁ…







54円。アルミ鍋は使わないで、いつも土鍋で煮ます
なんか足りないなぁ…なんだろう?







添付のあげたまでした。(ネギともやしも追加)

玉子焼きに納豆を入れると、やはりかすかににおう…








セモリナ粉で中華麺を仕込みました。ですが、お腹がもう飽きています。
試しに少しゆでてみました。たまごを入れなくてもいいかもしれない
でも、たまご1ヶと卵白2ヶ分と水少々で作ってみました







この間作ったミートソース(トマトソース?)で味見。

トマトホール缶は酸味が強いようです。いつも生のトマトで作っていたので…
ライスと中華麺で味見。パスタ麺のようにも感じるし。

コンソメ足してみようかな…。残りは冷凍しちゃいました
けさは雪で吹雪いてました。もううんざり_







仲良く、すずめちゃん。今日はムクドリも見ましたよ。





小さく撮って、トリミングをしてもやはり暗くなります。







ちびこの毛をカット。自分の髪もカット。







あったかい湯たんぽなり ♪



20歳で人生は決められません。だけど、私は20歳で人生を決めてしまいました
もっと勉強したかったです。今さら遅いけど。

ブログは真実と創作の世界なり。
自然と自分の都合のよいように書いてしまうのですね。
確か、そうだったはず。でも人間の記憶ってあいまいでしょ?
そこから創作は始まるのですね。違っててもたいしてかわりばえしませんことよ。








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